江草 乗の言いたい放題
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2008年11月09日(日) 我が国に言論の自由はあるか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 アパグループの主催した懸賞論文に「過去の日本の侵略行為や植民地支配を正当化する」内容の論文を発表したという理由で田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長が更迭された。そのニュースに接してオレが感じたのは、日本には言論の自由もないのかという気分であった。民主主義国家でありながら日本を支配するのは、未だにムラ社会的な論理であり世間体というモノの考え方である。もっともそれはオレにもあてはまるわけで、教師という職業をしている以上オレの暴言には一定の自主規制が存在するわけだ。

 もしもオレが全くの自由業であり、莫大な資産を所有していて働く必要もないのならばいかなるものにも縛られることがなく自由に発言し暴言を吐きまくるだろう。しかし残念ながらオレは一人の教員でありその立場である以上「言ってはならないこと」というのが多数存在する。もしもオレがただのニートならばなんでもないような発言であっても、こんな職業に就いているために「教師にあるまじき暴言!」ととられてしまうのである。なんて肩身の狭い存在なのだろうか。かつて公立学校を退職して大阪府の公務員であることを辞めた時に少し自由になれたような気がしたのだが、それはただの幻想でありオレは相変わらずさまざまな自主規制のワクの中で生きているのだ。もしもオレが「授業妨害するようなクソガキどもはその場でぶちのめせ!」と書いたとしたら、たちまち「あなたは体罰容認派ですか?だったら教育委員会に訴えます!」というメールが山のように届くだろう。つまり、教育に関してオレは現在の文部科学省の方針に積極的にさからうことはできないのである。

 現在の教育行政に対して、そして教育システムそのものに関して、あるいは教育を囲むマスコミ、受験産業に対してオレは言いたいことが山ほどある。しかしその多くは「教師にあるまじき暴言」であり、言ってはならないことなのである。オレがそれを自由に語れるようになるのはおそらく教師を辞めてから何十年も経って関係者がほとんど死んでしまって、それでもオレが奇跡的に長生きしてもうこの世に思い残すことがなんにもないという状況になってからはじめて昔話として語れるのだろうか。もうそのときにはすっかり手遅れになって、日本の教育は完全に壊滅してしまった後かも知れないが。

 田母神論文についてオレが感じたことは「このような主張をしている方は他にもいるが、なかなかよくまとめられた完成度の高い内容じゃないか」ということだった。その内容が正しいかどうかということは問題ではなくて、こういう見解もあるんだなとという感想だった。少なくともこういう論文というのは善悪や正誤を問題にするものではないだろう。歴史認識というのは人によって違うし、時代によっても違う。オレは自分の考えを人に押しつけるつもりはないし、人の考えをそのまま鵜呑みにすることもない。田母神氏の主張が100%正しいとは思わないが、100%間違いだとも思わない。

 侵略戦争を行ったのは日本だけではない。あの時代、大国が小国を軍事的に支配することは当たり前だった。満州事変の後でリットン調査団が派遣されてきたとき、日本政府は「なぜ我国だけが?」と感じたのではないか。もしも日本が満州事変を起こさなかったら、代わりにソ連が満州を実効支配していただろう。当時アジアの多くの国は欧米列強の植民地だった。オランダはインドネシアを支配し、アメリカはスペインからフィリピンを奪い取って支配していた。インドシナ半島はフランスの植民地だった。残された土地の中で日本が分捕れる場所は朝鮮半島であり、満州だった。現在の価値観から見れば「侵略戦争」であっても、当時の価値観は今とは違う。そして大事なのは、現在の価値観で過去の歴史を裁くことはできないということである。後世に作られた法律やルールを過去に遡及させて適用することは間違いだ。たとえば過去に於いて全く問題視されていなかった普通の行為が、今の法律に反しているからと言って全否定される必要はないとオレは思うのである。ましてや処罰されるならそれはおかしいのである。昔は普通に書店で売られていたエロ本を、今は禁止だからと言って持ってるだけで罪になるなんてむちゃくちゃにもほどがあるぜ。

 アメリカ人によるインディアンの組織的な大量虐殺やアフリカとの奴隷貿易は、それこそ現代の法律を適用すれば関係者全員が死刑にされそうな大罪だが、すでにかなりの時間が経過しているので誰も問題視しない。ただ、実際にその行為が行われているときに誰もその異常さを問題視などしなかった。奴隷の輸送船に大勢の黒人奴隷が積み込まれ、途中で病気になったりした積み荷が海に捨てられたわけだが、生きたままの人間を海中に投げ捨てることに対して乗組員たちはみんな平気だったのである。なぜかというと、白人の水夫たちは黒人を自分たちと同等の人間であるとは誰も思っていなかったからだ。今でこそ人種は平等とされ、黒人のオバマ大統領が当選したわけだが、1919年に日本が国際連盟に人種平等宣言を提案して一蹴されてからまだ100年も経っていないのだ。昨日までの差別者たちがいかにも自由と民主主義の旗手のように振る舞ってる偽善に対して誰も疑問に思わないのか。

 田母神氏の今回の失敗は、現職の航空幕僚長でありながらその論文を発表したことに尽きる。あと数年待って自衛隊をやめて一人の年金暮らしの老人になってからから堂々と発表すればよかったのである。そうすればここまで叩かれることもなかっただろう。あるいは身分を隠して、どこかの国の一人のオッサンとして適当なペンネームを名乗って発表すればよかったのだ。

 オレは日頃ディベートというものを指導している。ディベートの世界では人とその主張を区別する。つまり、誰がどんな主張をしようと基本的に自由なのだ。議論というのは主張を戦わせるのであり、その主張をする人を戦わせるものではない。「あなたのこの主張はこんな点が間違っている」とは言えるが、「そんな主張をするあなたは間違ってる」という人格攻撃はルール違反である。ところが日本人は昔からそうした「人と議論を区別する」ということができなかった。議論は常に人格攻撃に終始してきたのである。議論の中味で勝とうとはせずに、議論をする人を攻撃して勝とうとしてきたのが日本に於ける間違った状況ではなかったのか。

 田母神論文に対する批判はすべて「政府見解とは違うことを主張した」ということに尽きる。政府の要職にある人間はすべて政府見解に従わないといけないのである。そうした言論統制こそオレは間違ってると思うのだ。自由な議論を封じるような空気の中でどうして真の民主主義が育つのだろうか。なぜ田母神論文に対して堂々たる論戦を挑んで論破して、その結果として「こんな間違ったことを言う航空幕僚長はけしからん!」としなかったのか。おそらく田母神氏と論戦して勝つ自信がなかったからなのだろう。

 日本には言論の自由はない。そしてこの腐った空気の中では真の言論の自由など育ちようもない。マスコミは広告主の意向に逆らわないように真実をねじ曲げて報道するし、朝日新聞は野村證券の威光に逆らうのが怖いのか、腫れ物に触るような記事の書き方である。もしかしたら日本のマスコミの中でまともなものは、ネット上の匿名掲示板だけなのかも知れない。個人の集合体である匿名掲示板の中で形成される世論こそが真の大衆の意見であり、選挙運動にインターネットを活用することが規制されてるのは、政権与党にとって真の大衆の意見などというものが脅威以外の何ものでもないからである。そんなものが日本を支配するようになれば、税金を私物化して甘い汁を吸ってるような連中の既得権益などみんな吹っ飛んでしまうからである。


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