江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ クリック募金にご協力お願いします。

日記目次(検索可能)前日翌日 エンピツ投票ランキング  江草乗の写真日記  ブログ  お勧めLINKS  

ご愛読ありがとうございます。「江草乗の言いたい放題」は読者100万人を目指す社会派コラムです。一人でも多くの方が読んでくださることで、執筆意欲は倍増します。ぜひ、お友達に勧めて読者数UPにご協力ください。掲示板へのご意見の書き込みもお願いします。

2006年12月24日(日) 映画「硫黄島からの手紙」        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 「一日でも長く生き延びて、一日でも時間を稼ぐ」それが硫黄島守備隊に課せられた使命だった。いや、硫黄島を死守するために栗林忠道中将が企図したことだった。沖縄と並ぶ太平洋戦争最大の激戦地であった硫黄島での戦いを伝えるのがクリント・イーストウッド監督のこの作品「硫黄島からの手紙」である。何の憎しみもない相手と無情にも殺し合わないといけない戦場の不条理を描く作品として、オレはこの映画を強く支持したい。年末年始に時間があればぜひ映画館のスクリーンで観て欲しい。

 まだ観ていない人のために作品の中味について、ストーリーについて語るのは差し控えたいが、この作品を観たオレの感想を一言で言うと「死ぬのは簡単だが苦しくても生き続けることには意味がある」だ。サイパン島でもグアム島でも「玉砕」というのが一つの美学とされ、華々しく戦って散華することが日本軍人の正しいあり方とされた。もちろん硫黄島の守備兵の中にもそう考える者は多かったし、実際に無謀な斬り込み作戦で命を落とした者もいた。栗林中将は「10人の敵を倒すまでは死ぬな」と語った。支援もなく増援部隊も期待できない中で勝てないことは最初からわかっている。そこで彼が到達した結論は「できるだけ生き延びて、一日でも長く戦うこと」だった。

 5日で陥落すると言われた硫黄島の守備隊は、火山ガスと地熱のこもった地下壕の中で粘り強く戦い続けた。しかし水も食糧も底を尽き、米軍上陸から約一ヵ月後の3月17日、栗林中将は大本営に訣別の電文を打ち、最後の総攻撃を行った。その日を境にして組織的抵抗は終わったとされる。映画の中では彼が中将の階級章を引きちぎり「予は常に諸子の先頭に在り」と叫んで敵陣に突撃する場面がある。

栗林中将の訣別電
戦局遂に最期の関頭に直面せり、十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち皇国の必勝と安泰を念願しつつ全員壮烈なる攻撃を敢行する。敵来攻以来、想像に余る物量的優勢をもって陸海空より将兵の勇戦は真に鬼神をもなかしむるものがあり。しかれども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで倒れたためにご期待に反しこの要地を敵手にゆだねるやむなきに至れるは、まことに恐懼に堪えず幾重にもお詫び申しあぐ。
今や弾丸尽き水枯れ、戦い残るもの全員いよいよ最後の敢闘を行わんとするにあたり、つくづく皇恩のかたじけなさを思い粉骨砕身また悔ゆるところにあらず。
ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐ。防備上に問題があるとすれば、それは米国との物量の絶対的な差で、結局、戦術も対策も施す余地なかりしことなり。
なお、父島、母島等に就いては同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも断こ破砕しうるを確信するもなにとぞよろしくお願い申し上げます。
終わりに駄作を御笑覧に供す。なにとぞ玉斧をこう。

国のために重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺に朽ちじ吾は又 七たび生まれて矛を報らむぞ  
醜草の島にはびこるその時の 国の行く手一途に思う


 硫黄島で犠牲になった日本軍将兵の数は戦死者20129名(島民から徴用された軍属82名を含む)。生還者はわずかに1033名である。彼らが最後まで戦ったのはおそらく「この島を守り抜くことが祖国を守ることである」と信じたからだっとオレは思っている。家族を愛し、祖国を愛し、故郷を愛する一人として、自分の死が決して無駄ではないことを願いながら彼らは戦った。またこの島では多くの米兵も犠牲になった。米軍も戦死者は6821名、負傷者は21865名、合計28686名という多くの損害を払って米軍は硫黄島を占領したのである。

硫黄島で収集された遺骨は全体の4割、そのほとんどは誰のものかも判明しない。まだ全体の6割は島に残されたままである。映画の中でも語られる栗林中将のもう一つの知られざるエピソードは、わが子に送った絵手紙の数々からしのばれる。あの島で犠牲になった日米両国の多くの将兵たちは、誰もが家族を愛し、祖国を愛する一人の人間であったことを我々は忘れてはならない。

 栗林中将は最後の突撃に際して兵士たちにこのような訓辞を述べたという。

「いま日本は戦いに敗れたといえども、日本国民は諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して、黙祷を捧げる日がいつかは来るであろう。安んじて国に殉じよう。予は常に諸子の先頭に在り」

 この言葉の重みを理解できる人がどれだけいるだろうか。自己の保身しか考えない今の腐れ政治家どもとは比べようもないすぐれた国際感覚と高潔な魂を持った憂国の士は、自らの死をもって戦争の不毛さを訴え硫黄島の土となった。「硫黄島からの手紙」がすぐれた反戦映画であることは言うまでもないが、それが日本人ではなくアメリカ人監督の手によって完成したことは少し残念なことである。 

「玉砕総指揮官」の絵手紙
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
栗林忠道 硫黄島からの手紙
栗林忠道硫黄島の戦い―アメリカが最も恐れ、そして最も尊敬した男
常に諸子の先頭に在り―陸軍中將栗林忠道と硫黄島戰
栗林忠道―硫黄島の死闘を指揮した名将



↑エンピツ投票ボタン。押せば続きが読めます。登録不要です。投票ありがとうございます。←この映画に興味を持たれた方、ごらんになった方はぜひクリックをお願いします


My追加
江草乗の言いたい放題 - にほんブログ村

前の日記   後の日記
江草 乗 |ファンレターと告発メール   お勧めSHOP エンピツユニオン