江草 乗の言いたい放題
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2006年10月20日(金) おばあちゃん、産んでくれてありがとう         ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 先日、祖母が孫を代理出産したというニュースがあった。世間では批判的な報道が多く、生命倫理の問題とかにかこつけて医師を批判する意見が多かった。それでオレはあえて擁護しようと思っている。人と違う意見を主張するのがオレのひねくれたところだからだ。子宮を手術でとってしまったから子供が産めない娘に代わって腹を貸す母親・・・それがなぜ美談じゃないのか。それを可能にする医学の進歩があったとしても、大切なのはそんな大変なことを引き受けようとする崇高な意志ではないのか。

 こんなに医学の進歩した現代に於いても出産が100%安全とは言えない。現に奈良県では出産時に脳内出血を起こした32歳の女性が、受け入れ医療機関を探している間、6時間も放置されて手遅れになって死亡するという痛ましい医療事故が起きている。50代後半の女性がわざわざホルモン注射を行って萎縮した子宮を無理やり妊娠可能な状態にして代理出産するということがいかに肉体に負担を強いることであるかは容易に想像がつく。しかも出産時の痛みは男性には想像を絶するものであるとか。それを代わりに引き受けるという行為が、しかも金銭的な代償を求めずにただ依頼者の幸福を願って行うという行為がなぜ批判を受けなければならないのだろうかとオレは思ってしまうのである。代理出産を行った母親の命がけの善意を、そして娘に対する愛情を否定することなど誰にもできないはずだ。

 この代理出産を行った根津医師は次のように語る。

私、根津八紘は、此の度、別紙のごとき、扶助生殖医療(非配偶者間体外受精・代理出産)を推進する会を結成し、より多くの恵まれぬ人々のために、残された人生を捧げることを決心致しました。
 生まれながらにして、又、その後、何らかの理由で配偶子(精子や卵子)や子宮が無いがために、子供さんを欲しくても子供さんが授からない方達が居ます。私達の住むこの日本国には、憲法によって幸福追求権が保障されており、何人たりともそれを侵してはならないことになっています。しかし、本来悩みや苦しみを持った患者さんのためにあるべき日本産科婦人科学会は、ガイドラインでしかあり得ない会告をもって、日本の法律であるかのごとき態度により、ひとの助けを借りれば子供を持つことのできる前述した方達から、その幸福追求権を奪っております。その上、国も新しい法律を作り、代理出産に関しては罰則まで付け禁止しようとしています。戦後、やっと勝ち得た自由、即ち、様々な生き方を選択できるそのような権利を放棄し、再度統制社会を作ることなど断じて許すことはできません。
 日本産科婦人科学会は、このような運動を阻止すべく、再度、私を除名しようとしています。私は、会に戻り、会の中から日本産科婦人科学会を本来の患者さんのための会に戻すべく尽力しようと思いましたが、着床前診断を患者さんのために施行した大谷徹郎医師を再度除名するという愚行に出、何ら方針を変えようとしていません。最早、私一人の力ではこの運動は不可能であり、又、会の体質が変わるのを待っていたのでは、今求めている方達を見捨てることになってしまいます。
 私は5人の子供に恵まれました。この幸せに感謝し、子供が欲しくても恵まれない人達のために尽力しなければ、何のために医の道を歩んで来たのかわかりません。
 一人でも多くの皆様がこの会の主旨を御理解の上、この会に御入会頂き、御協力願えればと、お願い申し上げる次第です。
平成16年8月  諏訪マタニティークリニック 院長 根津 八紘
 

 今回の代理出産は娘の代わりに母親が産むという形をとったわけだが、これが嫁の代わりに姑が産むという形ならどうだろうか。オレは
「華岡青洲の妻」を思い出してしまう。もちろんそういう形の代理出産が行われる可能性も否定できないが、自分がお腹を痛めてまでという姑がこの世にいるのだろうかとも思う。

 そして、おばあちゃんのおかげで産まれてくることができた子には自分の生命がかけがえのないものであることを理解して欲しいと願う。この世には多くの不幸な子どもたちがいる。せっかくこの世に産まれてきたのに親からの十分な愛情を受けることができず、虐待されたり殺されたりする子どももある。虐待のニュースを知るたびにオレはいつも思うのである。「おまえら、なんで子どもなんか作ったんだ馬鹿野郎!」と。ろくに子どもを育てる能力もなく、もちろん面倒を見る気もないどうしようもない親であっても、子どもを作ることが出来る。その一方で経済的に十分に余裕があり、子どもに注ぐことのできるたっぷりの愛情があるのに不幸にして子どもに恵まれない親たちがいる。世の中というのはそんな理不尽なものなのである。

 その理不尽な世の中にあって、命をかけてこの崇高な行為を代わりに努めてくれる人がそんなにたくさんいるとは思えない。そのごくまれな人たちの善意と愛情の行為を、どうして世間は許さないのか。オレには納得できないのである。たまたまオレは二人の子どもの親となることができた。だからこそオレは子を持つということの喜びもそして悩みをも知るのである。親とならなければおそらく一生理解できなかったであろうさまざまな感情を知ることができた。子どもを持つということはその成長を見守る喜びを手に入れると同時に、その子の持つ欠点や個性をまるごと受け入れなければならないという一つの苦痛をも伴うことである。不幸にしてわが子が悪事を行うようなことになれば、親として一緒にその責任を取らなければならないとオレは思うのである。親となるのはそんな覚悟を必要とする行為であるとオレは思うのだ。

 今回の一件、多くの批判はあるだろうが、オレはただ産まれてきた幼な子の将来の幸福を願いたい。「わたしにはお母さんが二人もいます。産んでくれたお母さんと本当のお母さんの二人です。」と笑顔で語って欲しいのである。


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