江草 乗の言いたい放題
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2006年09月10日(日) ヘタレ試論(〜なぜこの世にヘタレは存在するのか)        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 この世の中には大勢の「ヘタレ」と呼ばれる人たちが居る。彼らは「勉強をしない」「仕事もしない」「やる気がない」「努力をしない」という多くの人間としての悪条件を兼ね備えた存在である。オレは基本的にこのヘタレと呼ばれる人種が苦手なのだが、この世には無駄なものなど一つもないというのがオレの持論なので、このヘタレについてもとりあえず考察してみたい。

 予備校や中学、高校には大学受験という目標をもって必死で頑張る多数の生徒がいる一方で、寝てばかりで宿題もろくにやらず、携帯ゲーム機を持ち込んだりメールを打っていたりという生徒も存在する。社会人の中にも職場でろくに働かずにネットでエロ画像ばかり見ていたり勤務時間中にマンガを読んでるヤツもいる。そういうヘタレを撲滅することは必要だろうか。答えは否である。

 オレは思うのだが、もしもこの世がちゃんとしたまじめで努力できる人間ばかりなら、逆に社会に混乱が生じるような気がするのである。格差というのはすぐれた人間と劣った人間の両者が存在することによってはじめて発生するのだ。ヘタレが居るからこそ、ちゃんと努力をした人間の価値が輝くのである。大勢のヘタレの存在によって、一部の選ばれた人間に富や名声が集まるのだと言える。もちろん犯罪に走るヘタレというのは困りものだが、そんなのは刑罰を厳しくして本当に撲滅してしまうしかない。

 貧富の差というのは資本主義社会においては必要悪の一つであり、ヘタレたちが低収入の生活に喘ぎ、社会の下層を形成することでこの世は安定するのだということも言える。もしもヘタレたちが高額の生活保護費などを受け取って優雅な生活を送れるようにしてしまったらこの世の秩序は崩壊する。(実際、制度の盲点をついてそういう身分を手に入れた許せないヘタレたちもいるのだが、そんなのは詐欺罪で検挙して欲しい。) 努力をしなかったヘタレの方が、努力をして自分の資質を向上させてきた人たちよりも富を得るというのは間違った現象である。断じてそのような状況を発生させてはならないのだ。

 分数の計算もできない馬鹿大学生がいることを嘆く必要はない。もしも自分に分数の計算ができる程度の智恵があるなら、自分がまともな大学生に見えてくるからである。馬鹿の存在があるからこそ、そうでない人は安心感を得られるのだ。新聞には毎日のようにさまざまな犯罪の記事が掲載される。それらを読む大多数の人は「世の中にはとんでもないヤツが居るぜ」と思うわけだ。飲酒運転をして死亡事故を起こす無法者を見れば「サイテーだな」と思うし、痴漢行為で捕まる警察官を見れば「こんな馬鹿は死んでくれ」と思うだろう。しかし、そう思えるのはあなたがサイテーでもないし馬鹿でもないという自覚があるからである。世間のそうしたヘタレどもは、大多数のまっとうな人たちに「あんな馬鹿にはなるな!」という指針として存在するのではないだろうか。

 もちろんこの世にはさまざまな貧しさが存在し、ワーキングプアと呼ばれるようにいくら働いても貧困から抜け出せない人たちもいる。ただ、「ワーキングプア=ヘタレ」ではない。がんばって働く人はヘタレではないからだ。その状況を解決できるような政策は必要だ。そのカギは住宅政策にあるとオレは思っている。少子化によって大量の賃貸住宅の空き家が発生してるはずなのに家賃水準が下がらないのはなぜか。本当ならもっと暴落してもよい土地価格を高値安定させているのは誰のせいなのか。これらはすべて政治的な理由から仕組まれているだけなのだ。ワーキングプアという状況が改善されれば、同時にヘタレたちもかなり救われることになる。

 ヘタレが無理せずにヘタレのままで生きていくことができれば、それも一つの安定社会の理想だとオレは思っている。つまり、世の中にチープな公営住宅や食い物屋を存在させ、能力を持たないヘタレたちが稼げる収入でもちゃんと食べていけるようにしてくれということなんだ。一人暮らしでも月収が20万円ないと生きていけないような社会を作ったのは誰だ。ワーキングプアを問題にする前に、5万円もあれば生活していけるような社会が実現すればそれでいいんじゃないか。

 誤解を招きたくないので言っておくが、オレはヘタレを否定するのではない。ヘタレというのはもしかしたら究極のスローライフであり、人間本来の生き方に素直な存在なのかも知れないと思うのである。自分のやりたくないことを一切やりたくないと宣言できた幸福な人たちがいわゆる「ヘタレ」かも知れないのだ。一切を捨てた無我の境地に到達してヘタレになるという思い切った生き方が出来ず、中途半端に受験勉強し中途半端に働いた結果が今のオレなのかも知れない。そう考えればヘタレで居られることはある意味幸福なことである。オレはもしかしたら悩みやストレスとは無縁のヘタレたちがうらやましいのかも知れない。


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