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| 2003年10月31日(金) ■ |
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| 敦賀にまつわるエトセトラ |
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今や私の野球観戦重要拠点となっている福井県敦賀市だが、初めてその地の踏んだのは今から7年前の夏である。当時はまだ「つるが」と読めず(バカ?)、「あつが」だと信じて疑わなかった。
その日は夏の京都大会観戦のため、ともきちと2人で舞鶴球場に行った。東山のエースは後に日本ハムへ行った吉崎くんで、対戦相手北嵯峨のエースは今ダイエーにいる山田くんだった。後にプレミアのつく試合だが、東山が5回にツーランホームランを打たれ、サヨナラコールド負けした。
応援していて初めてのコールド負け。私たちは計り知れないショックに襲われ、ホームに止まっていた小浜線に乗ってしまったのだ。これが人によく話す「哀愁の小浜線ツアー」だ。私たちの心境とは裏腹にのどかな景色が続く。ときどき地元の高校生が乗りこんできた。野球部にカバンを持ってる子がいた。いつもはよくしゃべる私たちだが、沈黙が続いた。そして、気づくとともきちは寝息をたてていた。
1時間強、終点・敦賀に到着。ここで初めて、敦賀が「つるが」と読むのだと知った。けど、何度も忘れ、敦賀高校が甲子園に出たときも、「あつが」だと思いこんでおり、頭の中で自然と「つるが」と読めるようになったのはここ2,3年前のことだ。…それはともかく。私たちはそこで写真を撮り、敗戦ショックにひとまずキリをつけた。その後、米原方面へ向かう電車に乗り換えて、それぞれに地元へ帰った。
その後、敦賀とはプツリと縁がきれたのだが、相方くんが車の免許を取るようになり、ドライブで意味なく何度も訪れるようになった。そして、2年前の秋、東山が敦賀気比高校と練習試合をすることになった。ここで初めて私の中で敦賀と高校野球が絡むことになる。このころは、まだ敦賀行きは「旅」の感覚だった。試合はWで2連敗だったが、なかなか内容がよかった。
年が明け、春になった。HPに福井県内に住んでいるみどりさんが来てくれるようになり、県内の試合の日程がわかるようになった。そこで、春の北信越大会が敦賀で行われるのを知り、敦賀気比が出るというので、思い切って見に行くことにした。練習試合を見たときに、気になる選手がいたのだ。それにずっと京都の公式戦しか見ていなかったので、未知の領域に足を踏み入れたかったのもある。
結果、見事に敦賀にハマッてしまい、今や市長杯や一年生大会まで見に行く羽目になってしまったのだが、これも不思議な縁だ。敦賀観戦歴は、まだ1年半くらい。地元にある敦賀高校が、「とんこう」と呼ばれていることも知ったが、私は未だ「つるが高校」と呼んでいる。そこらへんは線引きをしておこうと自分勝手に思っている。
ところで、ある日、若狭高校との練習試合(監督代わったから、もうやらないだろうなあ、シクシク)の帰り、ドライバーの相方とともきちの3人で、大会中の敦賀総合運動公園野球場に立ち寄ったことがある。すでに試合が終わっていて、球場出入り口付近に人がたまっていた。私は試合結果を見ていて、ともきちは少し離れたところにいた。すると、球場でよく見かけたジャージ姿のおじいさんがともきちに話しかけてるじゃないですか!「どこから来たん?」というおじさんの問いに、ともきちはきまじめに「はあ、滋賀ですぅ」と答えたのだが、おじいさんは何故か、「今から(福井)県営(球場)行けへん?まだ試合やってるで」と言った。新手のナンパか?彼女、前からオヤジキラーやとは思ってたけど、まさかここまでとは…。
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