
|
 |
| 2002年12月11日(水) ■ |
 |
| 学生時代、仏教を専攻してました。 |
 |
ほんまに偶然の巡り合わせで、大学時代は仏教を専攻した。仏教と言えば、「葬式・お坊さん・お経」というイメージしかなかった私も、4年間でそうではないということだけは分かった。なんやようわからんサンスクリット語も、過剰な単位で取得した宗教科教員免許も、結局、就職には役に立たなかったが、我ながら面白い学科を選んだものだと思っている。
今でもそうなのだが、「仏教を専攻しています」と言うと、「尼さんになるの?」と言われるのはまだいいにしても、「そんなん勉強して何になるの」とか、「宗教って、今、いろいろあるからなあ」と眉をひそめられるのは正直不快だった。
でも、海外ではこの仏教にハクがつく。学生時代、長期休暇を使ってアジア方面へ旅行に行った。私が旅したタイやミャンマーは宗教が身近にある国で、寺とかに行けば、現地の人とちょっとしたコミュニケーションを取ることが出来た。自己紹介をするときに、「I major in Buddhism」と言うと、相手の顔がパッと晴れ渡り、一層親しみを持って接してくれるようになった。先生には、学校に来て欲しいと言われ、現地の高校の校長先生にお目にかかったり、ごはんをよばれたり、同じく仏教の勉強をしている学生の部屋に招かれ、偶然ゼミで使っていた文献の英訳版を発見して驚いたり…。それらの経験を経て、「仏教をきちんと知りたいな」と思うようになっていた。国際化社会に必要なのは、英語だ、コンピューターだって言うけど、最後には宗教なんじゃないかな。漠然と、いや、それより確信に近い気持ちでそう思った。
ところが、帰国すれば、その気持ちも段々萎え、社会に出て苦戦しているうちに、そんな気持ちなどどこかに置き忘れていた。職探しであちこちの会社で面接をする。履歴書の「仏教学科」の文字に対する面接官の反応は決して良くはない。ハハン、君ら海外ではどれだけ宗教が身近にあるか知らんな。などと強がってみても、「あ〜あ、もっと就職に結びつく学科に行けば良かったなあ」と思っていた。
そんな私も、回り道をしたが、最近ようやく仏教関連の本を読むようになった。それは子供でも読めるような初心者向けのモノだし、また信仰などという言葉とは遠い位置にいる。でも、お経とか写経とか出来たらかっこいいなと思うし、遠い将来、お遍路さんとかになって四国八十八所を巡りたい。あ〜あ、大学では特定の単位を取れば、得度が出来たんだから、同じ資格ならそっちにしておけば良かったなあ。
そうそう、学生時代、「高校野球の社会学」という本を読んで、高校野球には宗教的な要素があるといったことが書かれていた。それを見て、「よっしゃ、卒論は“仏教と高校野球”に決まりや!」などと思っていたが、あまりの資料の少なさにあえなく挫折をしたことをふと思い出した…。
|
|