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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年11月09日(土)
掲示板の思ひ出

 数日前からすでにお知らせしていますが、明後日で掲示板が終えます。みなさま、温かいメッセージをありがとうございました。レスはつけていませんが、すべてのメッセージを拝見させていただいています。こんな素敵な常連さんたちに見守られて、HPを運営してこれた私はほんまに幸せもんやと思います。

 つれづれ掲示板は、2001年5月ごろ(だと思う)に設置しました。当時はまだ「野球日記」しかなかったので、単純に日記に対する感想が欲しかったのと、あと野球ファンの人のいろんな思いを聞きたかったのがあります。

 最初は友人を中心とした義理半分冷やかし半分の書き込みが続き、その後、よく遊びに行っていた「ベンチウォーマー」さんの常連さんが来てくださるようになりました。今も常連さんの大半が「ベンチウォーマー」さんの流れを組んでいます。

 これまで何度か書いてきていますが、私が自分の掲示板で知りたいのは、情報ではなく、その情報に対するその人の思いなんです。そう気付かせてもらったのは、掲示板初期のころのある常連さんの書き込みででした。その常連さんが試合を見に行くとおっしゃるので、深い意味もなく、「レポート待ってます」とレスしました。ところが、その常連さんは「私ではわからないこともあるし、私の一存でその選手や試合のイメージを持ってもらったら怖い」みたいなことを書き込まれました。当時私はネットや野球にまつわる諸々のしがらみを今以上に分かっていなかったので、単にその方の考えすぎなんじゃないかと思いましたが、抱えている事情は人それぞれです。だから、「その試合を見たあなたがどう思ったかを教えてください」とレスしました。単なる情報なら、もっと早くて詳しい掲示板はくさるほどあるし、そこと同じこと書き込まれても、私個人は楽しくないです。私のHPの掲示板に、なぜ私以外のHPの掲示板でも書き込めるものをかかれなきゃいけないの?って感じですし、その気持ちは最後まで持っていました。だから、私はコピー書き込みや宣伝、一言書き込みにはきびしかったんですよ。

 なんかすごいなあと思ったのは、2001年夏でした。九州産業大学九州高校が甲子園に出ていたのですが、その試合のときは、チャット状態で、「今、○ー○です」「あと少し集中、集中ー」とか、文章になってませんでした。なんか、みんなで一緒に球場で応援しているような一体感を感じました。

 あと、掲示板管理人冥利につきたのは、いい意味で議論が活発になったときです。それも、自分の書いている文章がきっかけで。たとえばあるページに背番号のもらえなかった選手のことを書いたんですが、それを受けたレギュラーだった元高校球児の方が、「補欠の人を持ち上げるのは大切だけど、レギュラーも努力してつかんだもの、だから度が過ぎるのはどうか」と書き込まれ、それを受けて補欠だった元高校球児の人が「補欠だったがんばってる、でも、実を結ばなかった」とレスされました。不思議とケンカにはならずに終わりました。私は両方の立場だった人の思いがわかって、すごく感動しました。掲示板やっていて、ほんまに良かったと思いました。今も、この議論で思ったことを文章を書くにおいて柱に据えているように思います。あと、父兄さんが切なる悩みを書き込まれ、それに対して、一ファンの私や元高校球児の方がそれぞれの思いを書き込みました。答えにはなっていなかったかもしれませんが。

 また、私の文章スタイルが大きく変ったのも、掲示板がきっかけです。今はもう消えてなくなったいるのですが、日記を始めた当初の私の文章はすごく堅いものでした。それこそ、私の嫌いな評論文的スタイルで、上から物を見たような感じの。ある日、大阪近鉄が優勝したのに雑誌の表紙が長島さんというのはおかしいといったことを書いたんですよ。すると、掲示板に超長文の反論が来たんですね。腹は立ちませんでした。内容を見て、「この人は、私の文章をすごく真剣に読んでくれているんだ」と思えたからです。指摘された点が治ったかどうかはわかりませんが、11月から私の文章にスタイルが変りました。すっごく楽になりました。また読者が増えたという実感やメールが来るようになったのもこの時期からだと思います。当時はネット上で恥をかかされたみたいで、恥ずかしいし情けなかったのですが、今ではすごく感謝してます。

 ところは、いいことばかりではありません。HP運営のトラブルの8割は掲示板絡みだという説があるほどです。私にもいろいろあって、一時掲示板を閉鎖していたこともありました。ちょうど去年のこの時期です。今、思ったら大人気なかったと思うし、読者や常連さんに随分甘えていたなと思い、恥ずかしいです。でも、あのときはほんまに自分の限界でやばかったですね。ここでも、常連さんに助けてもらいました。メールで励ましてくださいました。また、今までROM専科だった方もメールをくださいました。当時は辛いのは自分だと思ってました。でも、決して許しはしませんが、トラブルの相手の人もそれなりの苦しみがあったのかもしれなし、また見えないけれど掲示板を見て傷ついたり辛い思いをしている人もいるのかもしれないと考えるようになりました。

 再開後は、ほとんどトラブルなく、運営できたと思います。ああいうアイコン型にしたのは堅苦しい雰囲気がトラブルを呼び込むと思ったからです。幸い、分かってくださる方が多く、アイコンネタで楽しむことも出来ました(^^)。

 それにしても、いろんな方から書き込みをいただきました。ファンの方は元より、東山のOBさんや私が好きだった球児くんの親族の方やもしかして奥さん??という方まで。ネットってすごいなあと驚かされっぱなしです。

 閉鎖の理由には、仕事がしんどいというのがあります。あとは、私の頭の中の問題ですね。私の頭の中って、簡単に言えば容量の少ないメモリースペースなんです。たくさんのことが入らない。だから、ある程度のことが頭にあると新しいことを入れるには、これまでのものを削除しないとダメなんですね。それはHP運営においても同様なんです。で、何を消そうということになり、先に削除した「あるこの原点」と掲示板が浮かびました。

 掲示板閉鎖に関しては最後まで迷いました。それは、掲示板は他のコンテンツとは違い、自分ではなく書き込んでくださるみなさんが中心のものだからです。書き込んでくださるみなさんにはそれぞれの事情がおありだと思います。HPをするほどでもないけど、野球について書きたい、自分の地元の野球、注目の選手をみなさんに知って欲しいなど、ご本人から直接聞いたわけではないのですが、書き込みを拝見していて、そういうのが伝わってきました。掲示板を閉じると、そんなみなさんの思いや常連さん同志のつながりを断ってしまうことになります。

 掲示板は、書き込むみなさんが作り上げるコンテンツ。そう定義づけて、私は管理だけして、一部常連さんをメインにして続けることも考えました。でも、管理人が関与しない掲示板の行く末なんてしれています。せっかく立ち上げた掲示板、惨めな形で終えるのは淋しいじゃないですか。

 なんかうまく書けませんでしたが、これを機にずっと澱んでいる私の人生が一歩でも先に進めばいいなと思いますし、進めなきゃいけないな。今回、掲示板を終えるにおいて、多くの方からいただいてメッセージを読んでいてそう思いました。人生は自分一人のものじゃないんだ。だから辛いときもあるのだけれど。

 とにもかくにも、今までありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m。