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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年06月28日(金)
天才


 2,3日前から、肘が炎症を起こしているらしく、痛くて肘をついていられなくなった。母から、「あんた、右肘が別物やで」と言われた。触るとすごく熱い。

 というわけで、菌が体内に回る前に処置しようと、病院へ行った。予約なしで行ったため、ものすごく待たされた。

 やっと治療かと思いきや、原因を特定するために、肘に注射をしたいと言う。“ひえ〜、止めてくれや〜”と思ったが、口に出すことは出来ず…。

 顔立ちのきれいな女医さんは、“はい注射行きます〜”の“行きま”くらいで、私の肘にぶすっと針を差し込んだ。痛いと感じるヒマもなかった。さすが医者や。

 総所要時間4時間の末、出た結論は、「よくわからないけど、ま、治るでしょう。炎症を抑える薬出しておきます」。そんないい加減な…。


 病院内にいる時間の大半が待ち時間。そんな中、私はずっと本を読んでいた。ちょっと前に出た「松本裁判」(ロッキングオン社)。これにすっかりはまってしまい、待ち時間をそれほど長く感じなかった。

 松本人志という人は、やっぱり天才なんやなあと思った。書いてあることに対して、「あ、わかる、わかる」なんて厚かましくて思えないが、「ああ、こういう人はこんな考え方をしているんやなあ」、それがわかっただけでも、読んでよかったなあと思う。

 家に帰って、ネットで彼の他作品を一気に注文した。手に入り次第、どっぷりと松本ワールド(?)に浸りたいと思う。

 歳を重ねるにつれ、「天才」と呼ばれる人間への憧憬が増すばかりだ。昔なら、「天才は、天才の苦しみがあるよて、凡人の方がいいわ」と思っていたが、年々、それは、自分がそう思いこもうとしていたことを痛感させられる。

 「天才」を辞書で引いて見ると、“生まれつき備わっている、並はずれてすぐれた知的才能・創造的才能。また、それを持っている人”(「旺文社国語辞典」より)と出ているが、私的には“天から授かった才能”と解釈している。自画自賛するわけではないが、いい響きだし、彼らにはそれが似合うと思うのだ。

 私の野球界での“天才”のイメージは、最近では、イチロー(イチローは天才ではないという世論もあるけど)とか松井(秀)とか松坂あたりにある…そうそう、あと新庄とか(笑)。

 プロ野球選手になるような人たちは、ケタはずれた野球の才能を持っているはず。高い能力を兼ね備えている選手も少なくない。でも、それと“天才”とはちょっと違うように思う。

 じゃあ、お前はイチローや松井(秀)や松坂や新庄のファンなのかと聞かれればば、答えは「NO」。

 天才という人種は、好き嫌いとは別の次元にあると私は思っている。あなたたちは、ただ自分の思うような野球をしていてくれればいい。それを見るだけで充分だと思う。

 今の私に出来ることは、そんな“天才”たちを目の当たりにし、ただ感嘆にくれることくらい。

 だから、今度生まれ変わるときは、何かの“天才”でありたい。しみじみそう思うのだ。