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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年06月26日(水)
願いごとの逆説

 私には応援している高校がある。

 どんなに強いチームでも、そうでないチームでも、「出来れば甲子園に行って欲しい」と思う。

 でも、今年はちょっと違うのだ。


 昔、学校の七夕の短冊作りをした。私は体育が嫌いだったので、「体育の日は雨になりますように」と書いた。

 すると、それを見たクラスの男子が、「じゃあ、俺は体育の日は晴れますようにって書こ。そういうことになるやん。せやから、そんな自分勝手なこと書くな」と茶々を入れてきた。

 そのとき、ふいに思った。神様はどっちの願いを叶えるのだろう。私の願いを叶えれば彼の願いは叶わなく、彼の願いが叶えば私の願いは叶わない…。神様もそこまで面倒みきれんやろ、正直。

 そのとき、願いごとをすることがちょっと残酷な行為に思えた。私の願いが叶ったら、誰かの願いが叶わなくなる。長い人生、トータルで考えたら平等なのかもしれない。でも、それも正直よくわかわらない。

 願いごとは、自分の希望や目標の確認作業。最近は、そう思うようになってきた。

 私が応援している学校の甲子園出場を願うことは、イコール残り76校の夢が破れることを願っていることになる。

 私の応援している学校の選手たちががんばっているように、彼らもがんばっている。それ以下の子も、それ以上の子も、同じくらいがんばっている子も…いろいろいる。

 彼らの夢が破れることを願うことに、ちょっと胸が痛む。いや、長い人生、甲子園だけが全てではない。でも、今を生きる彼らにとっては、全てであるかもしれない。

 自分の思い入れという名の垣根を取っ払ってしまえば、みんな大好きな野球をがんばるかわいい選手たち。私はありのままの結果を受け止め、その範疇で野球を慈しむしかない。

 怪我がないようにと言うけれど、誰も怪我したくてしているわけではないし、悔いの残らないようにというけれど、誰も残したくて悔いが残るわけじゃない。

 屁理屈言って、ごめんなさい。
 でも、この時期、どうしても考えてしまう。

 選手にはどういう言葉が心地いいのか。
 私は、そんな彼らの繰り広げる野球とどう関わっていけばいいのか。
 答えなんてないかもしれない。
 でも、探し続ける。