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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年05月30日(木)
信じること・具体性(読書感想文)


 読んだ本:井上光成著『遙かなる甲子園〜大分県立日田三隈高校野球部』(海鳥社)

 内容:夏の大会32連敗という日本記録を持つ同校を監督を中心に追ったノンフィクション。

 
 私がこの作品を単語で表現しろと言われたら、タイトルの「信じること・具体性」となる。

 信じること、というのは、作品の主人公的存在である同校の大塚和彦監督が口にした言葉であり、具体性というのは、この作品を読み進めるにつれて抱いた筆者の文章スタイルにたいする印象だ。

 実は、読み始めて当初は、「あっちゃー、久しぶりのハズレ本か」と思った。ハズレ本というのは、購入したが、読んでいて面白くない、または興味が失せたり、変なストレスのたまった作品のことだ。こういう本は、価格の高い・安いに関わらず、即、ちり紙交換に出すことにしている。

 この作品は、監督の方針が“野球を通した教育”というだけあって、やたら“教育”という言葉が出てくるのだ。私は、この類が好きではない。野球は、まず野球ありき、そして教育はそれに付随するものに過ぎないと思っているからだ。私がマヨネーズが嫌いと以前書いたが、“野球を通した教育”は、私にとって、マヨネーズかけごはんを食べさせられているような不快感がある。

 ま、それはいいとして、「もういい加減(読むのを)止めようかな」と思ったときに、飛び込んできた言葉が「信じること」だった。

 信じることは難しい。どこかに疑いや不信感を持っていた方が、自分につく傷が軽くて済むからだ。以前、友人が「私は何も出来ないから、せめて人を信じていたいと思う」と言ったが、私は途方もなくすごいことだと思った。この作品をもう少し読み続けてみようと思った。

 “アタリ”だった。この作品には、今まで見たことのないタイプのドキュメンタリーだった。それが、前述した“具体性”だ。

 ただここで言う具体性とは、野球の技術の説明や試合展開の読み、登場する人のエピソード的なことが詳しく書き込まれているという意味ではない。

 ひとえに「チームのレベルがあがった」「野球に取り組み意識が向上した」と言っても、具体的に何をどうすることが「レベルがあがった」ことなのか、「意識が向上したこと」なのかはよくわからないことが多い。

 「がんばる」「努力する」…人は言う。でも、何をどうすることががんばることなのか、努力することなのか。人は「屁理屈言うな」と言うけれど、私は分からずに、葛藤し続けている。だから、このテのことには敏感なつもりだ。

 私が特に「具体性を感じた」と思ったのは次の箇所だ。

○去年までは、ボールの握り方やバットも持ち方から教えるのが日田三隅高校野球部の指導だった。それが、松尾が「はい、ひとつ!」と言って打球を放てば、選手は捕球してファーストへ送球するのだ。「ふたつ!」と一声かけると、打球に従って選手たちはバックアップに動き、ボールはセカンドへ送られる。

 すごく単純なことかもしれない。でも、パッと脳裏にその光景を思い描くことが出来たし、技術的なことがわからない私でも、同校野球部はいかに進化したかが手にとるようにわかるのだ。

 また、筆者自身もこの具体性を意識していると思われる箇所が随所に見受けられる。あるいは、そうさせているのが同校野球部なのか。たとえば、こんな感じになる。

○ここでサードの小森は、「三遊間を締めて守ろう」と守備位置の確認をしている。「落ち着いていこうぜ」といったような漠然とした精神論ではない。

 こういった記述に見つけるにつれ、不思議な快感が体をかけめぐった。つまりは気持ちが良かった。

 う〜ん、具体的にいうと、何かの事情があって2,3日風呂に入れなかった後に、シャワーを浴びてボディーソープで体を洗い、泡を水で流すときに、「うわ〜、さっぱりしたなあ」と思うそんな気持ちに近い。不思議というのは、本を読んでいるときにシャワーで感じる快感を感じてしまったから抱いた印象なのだろう。

 最後に、作品の中で「努力したこととと勝つことは必ずしも直結しない」とあった。この作品を読んで、その重みを思った。筆者の具体性によるものだと、私は考えている。

 同校野球は、決して特別記録や記憶に残る試合を展開したわけではない。でも、そこにはたくさんの人の様々な思いがある。傍観者である私にとっては取るに足らない試合というのは、正直言ってたくさんあるが、この作品に触れたことにより、そんな試合にも楽しみや魅力を見いだし、何らかの感情を抱くことができるかもしれない。そう思った。