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| 2002年05月25日(土) ■ |
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| 感動のタイミング |
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このこころ、PCをしながらのBGMは、専らミスチル。少し前から部屋の整理をしているのだが、そのときにひょっこり顔を表して以来のつきあいだ。
聴いているCDは、99年に発売になったアルバム『DISCOVERY』。中でも、最後に入っている「Image」という曲がすごく好き。4分程度とミスチルにしては短い曲なのだが、緩急もきちんと着いているし、歌詞も奥深い。終盤は、聴いていてゾクゾクした。
にしても、何故、今になって?と思う。
前述の通り、このアルバムは99年に発売されたもので、購入も発売とほぼ同時期。当初何度か聴いていたが、特に印象に残る曲はなかった。部屋の整理をしている時に改めてその存在に気づいた程度なのだから。
この「Image」という曲も間違いなく聴いている。でも、今始めて聴いたような衝撃が私を襲っている。
感動するのには、タイミングが必要なのかもしれない。
もしも、タイムマシーンがあるなら、過去に行われた試合を見てみたい。いや、そんな昔昔でなくてもいい。たとえば、私は始めて野球にはハマった15歳の夏の甲子園大会とか。
1990年、夏の甲子園3回戦「平安ー丸亀」戦が、私の人生を変えたと今でも思っている。0−0の延長14回。雨のナイター。その後、延長戦の名勝負は多々生まれているが、0−0の投手戦で14回ともなれば、おそらく皆無なのではないかと思う。
とにかくすごく感動した。ドキドキして、体調がおかしくなりそうだった。
その日、テレビの前で夕飯の雑炊を手に観戦していたのだが、26歳の私としてもう一度その場所で、あの試合を見てみたいと思う。果たして、あのときと同じように感動できるのか、いやそうではないのか。すごく興味がある。
また、野球のいろんなことを知らなかった15歳の私を、2002年に連れてきて、私が壮絶にショックを受けた応援高の春の大会を見せたい。“彼女”は、一体どういう思いで試合を見守るんだろう。すごく知りたい。きっと、同じショックでもかわいげのあるショックを覚えるんだろうなあ。(苦笑)
余談だが、うちの父の感動のタイミングは、今,“モーニング娘”だ。私からCDを借り、「超、超、超〜」と口ずさみながらダビングしていた。通学の車の中でガンガンにして聴くようだ。がんばれ、61歳!
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