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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年05月07日(火)
(野球日記なのに何故か)修学旅行の話


 最近の修学旅行事情を知るにつけ、何かを見失っているようで嘆かわしいと思う。

 え、ババ臭い?…ほっといてください。

 修学旅行とは、その名の通り「学業を修めるための旅行」であるべきだというのが私の持論。

 東京ディズニーランドの地点で邪道だと思っている私だから、USJなんぞもっての他。「観光業界、何ガキに媚売ってんねん!」と叫びたくなる。

 レジャーランドで働くための専門学校の学生などが行くのはわかるが、中高生が行くとただの遊びになるのは必至。これじゃあ、修学旅行ではなくて、修“遊”旅行になっちまう。

 ああいうレジャーランドの類は、卒業旅行やバイトで金貯めてから行きなはれ。そっちの方が自由に動けるし、じっくり楽しめやろに。

 あと海外!
 あれはどないやねん。

 海外で団体行動してたら世話ないわ。そんなツアーは、4.50代になってから、旦那や女房と連れだって行きなはれ。10代のうちは、体力もある。だから、海外は個人で行って、カルチャーショックや予期せぬ出来事にタジタジになってなんぼでしょうに。

 京都もまだまだ修学旅行のスポットをして生きているようだけど、どこかの寺で「修学旅行生1日修行パック」とか企画したらなかなか儲かると思うけどなあ。引率の先生、1日フリー。祇園で遊べるで。


 とまあ、ぼやきはここらへんにしておきましょう。私がこんな風にやっかむのも、私自身の修学旅行がそういうこととは全く無縁だったからに他ならない。(笑いたければ、笑ってください。でも、持論は間違ってないと思うよ)

 中学では広島、高校では長崎がメインだった。10代にして、原爆ドームを全て制覇したということになる。残念なのは、長崎のハウステンボスがまだ工事中だったこと、そして、広島市民球場を素通りされたことだ。

 友人に、修学旅行で野球の試合を見て、それからなんとなく野球を見るようになったという人がいる。私が野球を見るようになったのは、中学3年の夏からだが、もしこのとき、広島市民球場で試合を見ることが出来れば、もう少し違った野球ファン人生を歩んでいたかもしれない。

 中学の修学旅行だったので、確か平成2年だ。当時は、炎のストッパーと呼ばれていたカープの守護神・津田恒実投手(故人・元広島)がまだ現役で投げていた頃だ。

 津田投手の存在をはっきり意識したのは、亡くなられた後なので、お目にかかれるチャンスがあったのに、それがかなえられなかったことが残念だと今にして思う。

 あ、でも、修学旅行生は時間の関係で、7回くらいで球場を後にせねばならないようなので、どのみち津田投手謁見は実現しなかったんだろうな…。