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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年03月17日(日)
野球、氷山の一角。


 先月、短期バイトの帰りに貴重な出会いをした。お相手は、オーケストラ楽団に所属して演奏活動をされている方だ。芸術に無縁の私にとっては、おそらく一生に一度あるかないか出会いである。

 その方の担当楽器はシンバル。音楽が盛り上がってきたときに、金色のお皿みたいなのたたいて、パァ〜ンと場内に響かせているアレだ。

 バイオリンかとと違って、1曲に1度か2度出番がある程度だ。小学校のとき、音楽鑑賞会で生のオーケストラを鑑賞したとき、シンバルを持った人がいつバ〜ンと鳴らすのか、その瞬間を見逃すまいと必死になっていた。でも、結局集中力は持たずに、友達とコソコソ話をしている間に終わってしまったりするのだが…。

 彼女はシンバルの大変さを語った。

 ほとんど演奏していないがのに、観客の目があり、気を抜けないこと。また、そんな間もいざ「バァ〜ン」と叩くとくに周囲から浮かないように。直立不動の状態でありながらも集中し、気持ちを盛り上げていかねばならないこと。また、演奏機会が少ないため、1回の失敗でも大きく響いてしまうこと。

 ま、それでも、音楽が好きだから彼女は続けているのだというが。

 この話を聞いて、なんだか野球選手と似ているなあと思った。


 今日、今季2回目の野球観戦に出かけた。いつもなら、スコアをつけるので、試合展開を追うのに精一杯で、どうしても視界が狭くなる。「ピッチャー→キャッチャー→主審」と追うので精一杯なのだ。

 しかし、今日はちょっと趣向を変えて、試合展開を無視し、その視界の中心に外野手を置いてみた。

 そこで、気付いた。外野手は実によく動く。
 内野ファールフライでもカバーに走るし、また他の外野手のバックアップも怠らない。

 この日は、視界の中心の外野手の守備機会はなかった。でも、小高い丘にいる選手が投げる1球1球に神経を集中させ、右に左に微妙に動く。でも、彼がボールに触れることはない。

 外野手って、そうとう集中力のいるポジションだなあと思う。打ち合いの試合ならともかく、普通、打球は外野よりも内野の飛ぶ機会の方が多い。

 ピッチャーも大変だと思う。でも、ピッチャーは自分がボールを投げないと始まらないので、否が応でも集中しなければならないし、また試合の中心にいる。前述のオーケストラでいえば、バイオリンみたいな存在だ。

 でも、外野手は違う。いつボールが来るかわからない。でも、集中力やテンションを下げてはいけない。仕事でもそうだが、忙しいときより、中途半端に仕事がある時のほうが、心身共にだるい。それでも、失敗したら、広がる傷口な内野より大きい。

 以前、試合を見ていたとき、独り相撲をしているピッチャーに向かって、「打順考えろや!」とキレかけてた外野手がいたが、直接的な結果の残りにくい集中力を強いられていては、決して良いことだとはいえないけれど、キレたくなる気持ちもわかる。

 私のような一般ファンの目線は、どうしても試合進行の中心に向けられる。打席にバッターがいるなら、ピッチャー→バッター→キャッチャー→主審といき、打球が飛んだら、打球と一緒にボールをさばく野手に注目する。

 でも、そこには、守備機会のない野手も動き、塁上のランナーが目を見張り、塁審も視線をそらしていない。

 ボールとともにあるシーン。

 それは、野球のすべてであるようで、実は氷山の一角にすぎないのかもしれない。