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| 2002年02月10日(日) ■ |
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| 雪のち晴れ〜池田高校グランド訪問記〜 |
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安芸キャンプに行くべく、今朝から高知にむけて出発した。その道中で寄ったのが、池田高校。
池田町は、故蔦監督の名言にある通り、本当に「やまあいの町」だった。とにかく、坂が多い。視線を上げると、小高い丘の上に校舎らしきものが見えた。「池田高校や、間違いない!」。同行者であるドライバーにそこへ向かうように頼んだ。
坂は予想以上に長く、険しかった。何度目かの坂の途中に、「徳島県立池田高等学校」と書かれたアーチ型の看板らしきものがあった。そこには階段があり、おそらく学校へと続いているものだと推測した。丘の上の校舎はまだ目線の高いところにある。生徒は毎日ここを使っているのか…。はっきり言って、私は絶対ごめんだ(^_^;)。
何とか車で入れる道を探した。すると、そこから少し進んだところに細い坂道があった。曲がり角にしては角度が足りないため、1度切り返しをしてから、曲がった。すると思った以上に広い道路に出、ものの数秒で池田高校に到着した。真っ白い校舎で、思ったよりきれいで近代的な校舎だった。校内に人影はなかった。もちろんグランドにも。ちょっとがっかりしたが、仕方ない。
正門が開いていたので、おそるおそる入ってみた。そして、周囲を散策すると、野球部の活躍を讃える石碑や出場を記念したプレートがいくつかあった。しかし、気になったのは、平成になってから甲子園に出場したことを示すものが一つも見当たらなかったことだ。
池田高校は、平成3,4年の夏に甲子園大会に出場している。平成3年は3回戦、翌4年はベスト8に駒を進めた。実は、私がリアルタイムで見た「IKEDA」はこの2チームのみだ。だから、「IKEDA」と言われるとこの2チームの活躍がまず脳裏に浮かぶ。しかし、これら2つのチームは、もうすでに蔦監督の手かたほとんど離れていたチームだった。
「IKEDA=蔦監督」。それほど、蔦監督の存在は大きなものであるだろう。しかし、「IKEDA」の歴史は、まだ続く。この訪問で、私の中に残ったたった一つのわだかまりだった。
そんな石碑やプレートと反対側に、蔦監督の写真と「やまあいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)見せてやりたかったんじゃ」というかの名言が彫られた石碑が建てられていた。蔦監督の業績をたたえるものだろう。
グランドは思いのほか、狭かったが、野球部は全体の半分を使っているようで、残り半分をサッカー部やテニス部や陸上部が共有している。こうして見ると、野球部がいかに恵まれているかがわかる。
三塁側には、球場並にきれいな「ダグアウト」があり、バックネット裏には3段程度の石段観客席があった。今でも、熱心に足を運ぶファンやOBもいることだろう。
あまり長居することに気が引けたので、写真を4,5枚撮ると、早々に同校を後にした。すると、車で進んでいると、グランドの側(そば)に行けそうな小さな抜け道を見つけた。どうやらこれは一般道路らしく、杖をついたお爺さんも歩いて行った。
しかし、当日持参していた使い捨てカメラのフィルムが無くなったため、一度町に出て、使い捨てカメラを購入することに。
坂のふもとにある「IKEDAFAMILY」というスーパーに入った。(地元の子は「池ファ」とか言ってるんかなあ?)27枚撮りのフラッシュ付で580円という超お買い得の品を見つけた。レジのおばちゃんたちはいたってのんびりしていて、私がレジに行くまで、買い物客と世間話をしていた。
そして、再び池田高校前へ。さきほど見つけた抜け道を通行人の振りをして、通る。道なりに進むと、なんとグランドの真裏に出た!校舎内で見たときとまったく逆の角度からグランドを見ることが出来た。
グランドの裏は細い道で、民家があったり、ブルペンがあったりした。またグランド周りには低いブロック塀があり、よくよく見ると「82」と白いインクらしきもので書かれていた。目線を上げると、そこは、グランド内ライトファールラインに位置する。そっか、ここはグランドを球場に見立てたとこの距離がきちんと測られているんだな。(ちなみに、グランドないのフェンスにかかっていた看板には「81」と書いてあった。果たして、どちらが正確?)
フェンスはブルーの塗料が剥げて出来上がった白。高いさは思いの外高く、パワー野球で打撃が急成長した全盛期の池田の存在を感じた。
池田高校は、周囲を見渡してみると、「山に抱かれている」という印象を受ける。レフト後方には高い山が迫っている。しかし、それらにはとげとげしさがないからだ。また、学校から車で少しいくと、吉野川が流れている。濃紺の水は穏やかによどんでいた。また、正門前の通りは「あいさつ通り」というが、そこから見下ろす町の光景もなかなかオツなもの。最近出来たであろう大手電機メーカーのでかいビルがちょっろ目障りである感も否めないが、それでも、誰もが一度は見たことがあえると思えるような懐かしい光景だった。
実は、訪問当初は天気が悪く。冷たい風が吹き、雪も降っていた。しかし、一度同校を離れ、買い物をしてから戻ってきたときには嘘みたいに晴れ上がっていた。
蔦監督亡きあとの「IKEDA」、実績だけで考えるならば、今は試練の時と言えるだろう。しかし、曇りでも雨でも雪でも、いつかきっと晴れる日は来る。
追伸:今回は叶わなかったが、今度ここに来るときは、生徒が使っているであろう通学用階段を登ってみたいと思う。しんどいだろうが、そこからまた違ったものが見えてくるはずだ。
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