自分と会話することが昔はできた。
もう一人の人格が頭の中にいて、 そいつに名前をつけて会話をしていたように思う。
小学生・中学生の頃だったかな。 自分の考えというものがなくて、 自分勝手の先に見えた究極の自己満足がそこにあった。 なんでも「うん」「そうだね」と答えてくれるソイツは、 確かに僕自身だったけれど、 それはアイデンティティの形成という意味で役立っただけで、 実際の僕は、別に僕を客観視していたわけではなかったのではないか。
そんな僕はいつからか自らの書いた文字と会話をするようになった。 文字として外部にアウトプットすることで、 そいつを客観的に見ることができるようになった。 それが日記であり、エッセイであり、小説であり、 つまり文字なのだろう。
そいつを無意識でしていた僕はようやく気づけた。 この「内なる会話」に。
そして、そのことの重要性にも気づいた。
万人にとって重要なことではない。 ただ、自分、俺にとって重要なことなのだ。
自分ひとりでも相談はできる。 自分自身に相談はできる。
答えはわかっているのに動けないなら、 自分を送出して、それをもう一度インプットしたらいい。
人には言えるのに自分ができないのは、 頭で考えているから。
俺はどうするべきなのだと自分自身にもう一度聞けばいい。
それは、考える・悩むってことにも意義を持たせることなのかも。
ウジウジしている自分をどうにかホールドする。 そこにも意味があるのだよと、自分自身に意味を与える。 それが×(かける)という意味でやっとマイナス×マイナスは プラスに変わる。
落ち込んだら、自分と会話しよう。
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