仕事で「ある集まり」を取材した。
市議会議員が一般市民に これからのまちづくりについて意見がほしいというものだった。
およそ100人の出席。
僕は他の新聞社や行政関係者と並び、 どんな話になるのか、少し緊張していた。
そう、どこか、何か緊張したのだ。
「意見がほしい。 提案のある方いませんか」
そう、言った瞬間、
「この集まりの意義を述べてほしい」
と、意見に意見が帰ってきた。
その後は、ブーイングの嵐。
・代理民主制の意味がない。 ・やる気あるのか ・今の○○は狂っとる。 ・すぐやめろ。
「私たちはパッシングをされるために、 ここに集まったのではない」
「我々もパッシングをするために集まったのではない。」
そんな言葉の応酬。 記者もポカーンとしてた。
集まり名とは全く違う結果になった集まり。 これは書く者としては難儀なものだ。 しかも、『実がない』
まちのことを考えてものを発言する人がたくさんいる。 僕も 「おお・・・こんなにもたくさんおったんか」 と、正直感嘆する。
しかし、多くの意見は、実のない「文句」で、 「夢のある」だとか「活気のある」だとか 「生き生きとした」だとか「楽しい」だとか 「歴史文化の風を感じる」だとか「安心・安全」だとか、
文化祭のスローガンを考えてんじゃねぇんだぞと。 言うだけ言うたら人の意見も聞かずに帰ってったり、 寝てる人もいる。
はなから意見聴く気もなくて、 メモを取り出し、自分の意見を書いてソレを読み上げて 発表するだけの人もいる。
「想い方」が間違っている。
明日の郷土のために、今何ができるのか。
毎日考えている。
どうしたら、俺は誰かの心に届く映像が作れるのか。 コツや近道なんてのはやっぱりあるんだろうかとか。
情けないことに、くだらないことも考える。
すげぇなぁ、俺にはできねぇなぁと思うことをしている 人々がたくさんいて、
その人達が日に当たることで少しでも僕がいる意味があるのなら、 俺は何がなんでもがんばろうとそう思っている。
俺自身もそうだ。 もう、スローガンではダメな時期。 夢を形にしなきゃいけない時期なんだ。
毎日夢を叶えていかなくてはならないのが、 大人のつらいところで、カッコいいところだろ。
スローガンはもうたくさん立った。 あとは、俺自身ががんばるだけだ。
俺も毎日倒れそうになるけれど、 精一杯がんばって、 日本の為にがんばろう。
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