僕の住んでいる地域にあるお寺のお祭りの取材に行く。
寺周辺に住む、檀家(一定の寺に属し、寺に金品を寄進している家) などが参加し、大勢の人で賑わっていた。
宗教色があまり感じられない毎日だけれど、 こういった行事に行き、その数を見ていると、 中年層でまだまだ社寺を信仰している人は多くいる。
僕はというと、自分の属している宗教についてあまり知らない。 そういうものなのかもしれないが、少し恥ずかしいとも思う。
彼女の家に招いてもらった時に、 「skさんはどこですか?」 と聞かれて即答できなかった。 後日、親に聞いて改めて伝えるほどに知らなかった。
例えば家紋なども僕はよく知らない。 どういう家系なのかも。
それって、この年にしては、少し恥ずかしいことなのかもしれない。 もうちょっと自分のことについて、常識について省みることが 必要だなと思う。
お賽銭を入れて、人々は線香を焚く。 その意味を全ての人が知っているかどうかは別として、 そこには特別な空気が流れている。
信仰とは、そんなものなのかもしれない。 自分の中に、「ありがたさ」を感じ、 己の精神をひっぱっていくものなのかもな。
僕にとっては見慣れた護摩焚き。 修験道が焚く煙に手を合わせている人々。
なぜか僕も手を合わせたくなる。 イカンイカン。取材中。
取材が早めに終わったので、 カメラを片付け、僕も線香に火をつけ、 頭を下げ、手を合わせてみる。
「今年一年幸せに・・・違う違う! 去年一年はありがとうございました。 今年もたくさん僕に試練をください。」
ああ・・・僕の精神なんてそんなものなのだなと 我ながら苦笑してしまう。
しかし、何か迷いごとがあると、 社寺に行きたくなる。
それは特別な空気があると知っているからだと思う。
何故かなんて理由はない。 ただ、そう思う。
僕は宗教について知らない。それは世間知らずだ。 だけど、その活用方法なら少し分かった気がする。その意義なら。
日々勉強だな、うん。 気高い人間になろう。
そう思う。
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