+にき+
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みなさん、ご無事でしょうか。 どうぞ、どうか、お気をつけてお過ごしください。
わたしは地震の頃、車に乗って交差点のど真んなかにいました。 最初に信号が消えて、あれ? と思っていたら、信号機とビルがぐらぐら揺れ始めて“これはだめだ、電話が使えなくなるまえに連絡しなきゃ!”と咄嗟に実家の祖母へ電話して安否確認。 その後、慌てて家へ引き返しました。
自宅はデスクがちょっとがさがさになっていた程度で平気だったものの、停電してテレビも観られず、仕事もできず、暖もとれずで、ずっと車のなかでナビのテレビを観ていました。 携帯メールで祖母以外の家族と、宮城の親戚の無事も確認しました。
夕方になって、横浜で働いている母から『迎えに来て』と連絡がきて拾いに行き、実家まで行きました。
途中、渋滞にはまりながら、公衆電話に並ぶ人たちや、歩いて帰宅する人たち、真っ暗なコンビニ、停電で停止した信号の下で交通整理するおまわりさん、そして橋の上から千葉のコンビナートの炎も見ました。
実家で祖母の顔も見て、 「すぐに電話もらってすごくほっとしたよ」って言ってもらって、 「ほっとしたのはこっちだよ、よかったよ」と、 すこし会話も交わして、再び家へ。
横浜へ帰ってくると電気も復旧していて、カップラーメンのごはんを食べて、なんとか一息つきました。
ついったーや携帯メールで声をかけてくださったかたや、友だち、担当さん、本当に心強く、嬉しかったです。ありがとうございます。
テレビで被害のようすを見ると全然落ち着きませんが、みなさんの大事な人が無事でいること、無事に会えることを心から祈ります。
あさ。
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