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2011年03月20日(日) 【Works-短編】あの夜の帰り道のはなし…『きみのはなし、』



 高校の正門前から駅へ戻る道すがら、足がもつれそうになるのを堪えるので精一杯だった。

 さっきより、夜が深くなった気がする。

 横を歩いている飛馬は、くち笛でも吹きだしそうな涼しげな表情で歩いてて、その茫洋としたようすがまた、どうしたことか俺の胸を揺さぶった。

 手を繋ぎたい。
 もう一回、潰れるぐらい抱き締めて、声で言えなくても身体にだけでも、気持ち全部を訴えたい。

 自制しなくちゃいけないってわかってるのに、だめだ。
 俺、猛烈に浮かれてる。

 ――飛馬が初めてキスにこたえてくれたんだ。

 まだ身体中に満ちる熱が抜け切らなくて、息苦しい。
 飛馬、飛馬って、心がそれしか言えてないよ。

「海東、電車来てるみたいだぞ」

「え」

 飛馬が早足で改札をとおるうしろを慌ててついて行って、一緒に電車に飛び乗った。
 滑り込みセーフで、扉の横に立つ。
 シートに背を向けた飛馬が手すりに指をかけて、俺はその横で飛馬を守るような気持ちでつり革につかまり、寄り添う。

 電車が走りだして、しばらく無言で扉の外の景色を眺めていたら、ボーリング場のビルの上にある巨大なピンに、あ、と思った瞬間、飛馬が振り向いた。

 五秒ぐらい無表情で俺を見つめていてから、言う。

「おまえ、離れがたそうな顔してんな」

「み、見抜かないでよ……」

 くふふっ、と楽しそうに笑われた。

「今夜、うちに泊まってくか?」

 飛馬のなかの小悪魔が、蠱惑的な瞳で微笑する。

 このタイミングの誘い文句として、もんのすっごく甘いものだって自覚は、ないんだろうな……。

「明日は朝から仕事だから、帰るよ」

「……そか」

 ここでちょっと寂しげな顔をするのも、反則だよ。

 飛馬の頬を隠す髪が気になって、右手の指先で耳にかけてあげたら、薄く目を閉じて委ねてくれた。
 猫みたいで、かわいい。

 飛馬は『一緒にいたい』って言ってくれたけど、『おまえが誰を想ってもいい』とも言っていたから、恋人として求めてくれたわけじゃないのは自覚してる。

 あくまで俺との“親友”と言えるほど強い友情を自覚してくれただけだ。
 そこにつけ入って、なし崩しに心も身体も欲して飛馬の未来ごと奪うなんてできない。

 なのにキスにこたえてもらって、俺、調子にのってるな。
 またキスしてもこたえてくれるかな、なんて考えてる。

 飛馬の思いやりに縋りすぎて裏切りたくないのに、もう一度したい。

 だめなのに。

 キスしたい。

「……飛馬」

「ん?」

 顔を覗き込むように近づいて、一瞬だけのつもりで、唇を掬った。
 くち先を舐めてやんわり吸い寄せると、飛馬の唇はちょっと驚いて強張ったあと、そっとこたえてくれた。

 初々しくかわいらしく、俺がしたのと同じように下唇を吸い返してくれる。
 くすぐったい飛馬の唇の感触が、これは現実だって教えてくれる。

 心臓が燃えるぐらい熱い。
 好きで、痛い。

「……そろそろ行く」

 ちく、と微かな音を立てて飛馬がくちを離した。

 電車が減速して、開いた扉からさらっとおりてしまった飛馬は、なんだかにまにま変な笑いを浮かべて、手を振って行ってしまった。

「飛馬っ、来週連絡するね。おやすみ」

 再び扉が閉まって発車する。と、しばらくしてポケットに入れていた携帯電話が震えだした。

 携帯メールだ。

『今まわりの乗客がみんなおまえのこと見てんぞ。ひひひ』

 へっ、と見まわしたら、向かいに立っていたサラリーマンも、シートに座っている女の人も、子どもも、おばあさんも、みんな訝しげな表情でちらちら俺をうかがっていた。……視線がいたい。

 飛馬ってば“ひひひ”って。……もう。

『どうでもいいよ。どんな場所でも飛馬がいやじゃなければ、俺は飛馬のキスが一番ほしいよ』

 送信したあと、さすがに暴走したかな、と反省していたら返事がきた。

『どうぞ』

 うっ。

 ……うん。
 そうだな……やっぱり泊まればよかったかな。

 それでいつもみたいに腕枕させてもらって、一緒に眠っていた方が、頭が冷えたかもしれない。

 いや、これも甘えか。
 ほんとだめだ、今日。

『ごめんね、飛馬。ありがとう。俺、欲張りすぎてるね』

 ちゃんと帰って、ひとりで眠って幸せを噛み締めよう。

 高校の頃から想ってきた。
 ずっと好きだった。大切にしてきた。
 それだけ俺の支えである唯一の飛馬に、『傍にいてほしい』って言ってもらえた、今夜のこの、胸が千切れそうなほどの幸せを、抱き締めて眠ろう。

 電車がまた駅について、ふたりの女子高生が俺をまじまじ見てこそこそ笑いながら下車して行った。

 笑われたのが飛馬じゃなくてよかった……と後頭部を掻いていたら、またメールが。

『来週おまえと展望塔に行くの、楽しみにしてる』

 ……飛馬。

『俺もとっても楽しみにしてるよ。おやすみ。あったかくして眠ってね』

『うん。海東も』

 飛馬、好きだよ。
 俺が飛馬を幸せにしたい。

 ……本当は欲しい。
 飛馬が欲しい。

 俺とのキスを、いつかどうか、ほんの一瞬だけでもいいから、幸せだと想ってほしいな。

 ごめんね。


【きみのはなし、】番外編―Twitter小話
 このお話は、いま日本で起きている出来事に毎日心を痛めている皆さまへ、リアルタイムですこしでも幸せを届けられるようにと願ってついったーでつぶやいた小話です。新刊のお話なのでこちらにも掲載してみました。
 下巻がでる頃には、いまより幸福な日常に近づいていますように。
 そして読んでくださる皆さまに、たくさん温もりや至福感を届けられますように、祈っています。

*文庫では、このあとふたりが展望塔へ行くところまで書いてあります。


あさ。