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2019年06月19日(水) ■ |
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自分を納得させるために書き換えた物語 |
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映画「ベロニカとの記憶」(リテーシュ・バトラ監督)から。 「ミステリードラマ」と紹介されていたけれど、 この作品は、何を伝えたいのかを考えた時には、 ミステリー作品ではなく、人生を考えさせられる作品となる。 「歴史上の出来事の犯人探しは、無意味に思います。 歴史家は戦争の責任が誰にあるかを突き止めようとする。 でもそれを知るのは不可能です」という 高校時代の授業風景を回想しながら、 作品の最後には、こんな台詞でまとめられている。 「人は人生を語る時、過去を装飾し、都合よく編集する。 長生きすれば異を唱える証人も減る、 それは事実というより『物語』だ。 自分を納得させるために書き換えた物語」 まさしく、自分史などはその典型といえるかもれない。 人生の中で数少ない「善行」は、装飾し「善人」を気取り、 幾多もあったはずの「悪行」は、都合よく削除され、 自分の人生は、誰に見せても恥ずかしくないほど編集される。 ただ、それを否定しているわけではない。 そうありたかった・・と願う「願望」に近いストーリーで 自分の生き様に納得するしかないのが、自分史である。 歴史はそうやって作られていくものなんだよなぁ。
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