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| 2015年10月24日(土) ■ |
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| 戦国群雄の戦いは、それぞれの人生哲学の戦いでもある。 |
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書籍「天下(家康伝)」(火坂雅志著・日本経済新聞出版社刊・ 上巻366頁、下巻390頁、計756頁)から。 こんなにすっと読めた文庫本(上下巻)は、久しぶりだった。 物語の最初と最後に、徳川家康が「柿田川」を眺めるシーンがあり、 この柿田川の近くで、残された余生を送りたいと、 一度は、隠居所を造営しようとした史実と重なり、妙に心に残った。 さて、気になる一言は、ちょっと面白い視点。 「戦国群雄の戦いは、それぞれの人生哲学の戦いでもある」を選んだ。 戦国時代の有名な戦いが網羅されているような内容であるが、 その勝ち負けは、兵の数でもなければ、軍師が授ける戦略でもない。 大将となる武将の「人生哲学」の戦いだ、というものだった。 「哲学なき者は敗れ去る」ということであろう。 武田信玄は「勝負というものは、六、七程度の勝ちで十分である」、 敵を全滅させるほど勝ってはいけない、というものらしい。 そこには、敵軍の復讐心よりも、自軍の驕りによる油断のほうが、 次の戦いに影響を及ぼすことを知っているからに違いない。 豊臣秀吉の哲学は「飯を腹いっぱい食わせてくれる男のもとには、 おのずと人が集ってくる」というもののようだ、秀吉らしい。(笑) では、徳川家康の哲学は?とメモを整理してみると、 「行動を起こすには、何よりもまず大義というものが必要」という 哲学が浮かび上がってきた。 「大義なきところに、人が集ることはない」という哲学である。 「水はおのずと流れるべきところへ流れるものだ」という台詞も、 若い頃に、何度も負け戦を経験している家康らしい考え方だし、 自分の戦いには「大義」を求めたのも頷ける。 国の進めている「地方創生」という戦いは、全国の県知事を始め、 各市町村の首長らが掲げる「哲学」の戦いなのかもしれないな。
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