
|
 |
| 2014年06月03日(火) ■ |
 |
| 月に乗じて暁を待つ |
 |
書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(乗月)、 小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。 民の多くが、先の王の悪政から救ってくれた恵州侯・月渓を、 次期の王に就くのを望んでいるにもかかわらず、本人は、 自分を評価してくれた国王を殺したという罪に苛まれていた。 だから、いくらみんなが望まれても、私にはその資格がない、 次の王が、麒麟に選ばれるのを待ちましょう、の一点張りだ。 もちろん、彼の主張は、今までの慣例としては間違っていない。 しかし、そんな凝り固まった考えをするよりも、 自分が月となって、少しでも暗闇(苦しい生活)を照らし、 太陽が昇ってくるのを待ったらどうだ、と慶国の使者が諭すシーン。 「王が玉座にある朝を日陽の朝だとすれば、 王のいない朝は月陰の朝じゃないかな。月に乗じて暁を待つ」。 このフレーズは、十二国記ファンの中でも人気が高いようだ。 タイトルにもなっている「乗月」は「月に乗じて」の意味だろう。 私たちの生活でも、会長などの役員を決めたりするとき、 いやいや、私はそんな器じゃないから・・と謙遜する人がいるが、 そんな人には「月に乗じて暁を待つ」と一言。 意味を訊かれたら「あなたの言い分もわかるけど」と前置きをして 「皆さんの信頼が厚いので、新しい会長が決まるまでの 『つなぎ役』として、1年でもお願いできませんか」と依頼しよう。 「陽が落ち、深い闇が道を塞いでも、月が昇って照らしてくれる」 それだけでも民は道に迷うことはないのだから、是非、月の役割をと。
|
|