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| 2014年04月06日(日) ■ |
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| 俺は「回天」を伝えるために、死のうと思う |
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「人間魚雷、悲惨さ忘れまい 『回天』のレプリカ、大分に」という トピックスを、yahoo!で見つけたので、忘れないうちに、 映画「出口のない海」(佐々部清監督)から。 「神風特攻隊」には、いろいろな遺品などが残っており、 どうしても、ドラマチックに描かれてしまうが、 潜水艦に装備されていた「回天」という「人間魚雷」のほうが、 その孤独感は、強かったと思う。 魚雷の中に、人間が乗り込み、相手のレーダーを潜り抜け、 敵の戦艦に体当たりする、まさに生きて帰れる見込みはゼロ。 それもそのはず、「回天」には脱出装置はなかったから。 どうしてこんな兵器が考えられたのか、私には信じ難いが、 回天の乗組員である主人公が語るシーン。 「俺は『回天』を伝えるために、死のうと思う。 人間魚雷という兵器があったことを。 人が兵器の一部になったことを、 この悲しい事実を語り残してもらうために死ぬ。 それでいい。まぁ、俺は俺なりの理由づけだけどな」 また作品中、何度か使われる台詞に、 「おまえは、敵の姿を見たことがあるか?」というのがある。 戦争とは、いかにも敵と戦っているようだが、 実は、その姿を見たこともなく、アメリカ兵とは、 どんな体格で、どんな言葉を話すかも知らずに、死んでいく。 だからこそ「何のために死ぬのか?」を自分なりに、 理由づけして戦う必要があったことは、とても辛かった。 そういう意味では、こんなバカげた兵器があったことを、 次世代に伝えるために死ぬ、という理由はありなのかもしれない。 だって、しっかり私には、伝わったのだから。
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