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| 2013年07月14日(日) ■ |
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| 弾丸登山者にとっての「ご来光」の意味は? |
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世界文化遺産登録後の富士登山者は、驚くほど増えている。(らしい) しかし、弾丸登山に代表される、注意を呼びかけても無視し、 体調を崩すという、ルール・マナーをわきまえない人たちが、 勢いだけで果敢にアタックしていることも見逃せない。 そもそも「頂上でご来光を」と欲張るからであるが、 山岳信仰と太陽信仰、どちらの信仰心も持ち合わせていない、 単なるミーハー的な発想から登るとしたら、 富士山の登山は、人生を変えるほどのインパクトは少ない。 下山後、生活の変化は見られず、また同じ生活の繰り返し、 不平不満ばかり口にする、そんな光景が目に浮かぶ。 雲海に浮かぶ太陽だったら、たぶんどこだって見られる。 ルールやマナーを無視してまで登った富士山から拝んだ太陽に 何を祈り、何を誓い、手を合わせるのか。 富士山を「霊峰」というのであれば、 信仰の対象として(文化遺産として)、自分にも厳しく対峙する、 そんな心構えが必要ではないか、と思う。 いやいや「霊峰富士」の名を世界に残すためには、 「修験者以外の入山禁止」がもっとも相応しい気がする。 過激かもしれないが「文化遺産」の意味をもう一度、考えたい。 だからこそ「弾丸登山者にとっての『ご来光』の意味は?」を 気になる一言に残そうと思う。
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