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| 2013年05月19日(日) ■ |
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| 日本語は「察する言語」 |
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町制施行50周年記念事業の1つ、文化講演会。 講師は「元・NHKエグゼクティブアナウンサー」 元NHK教育テレビ「ナットク日本語塾」の名司会者 「ことばおじさん」こと「梅津正樹」さん。 演題は「言葉とコミュニケーション」(乱れや変化を嘆く前に)。 冒頭「私にとって、カラオケは発声練習ですから」と、 カラオケ好きを披露したかと思えば、今日のやや潰れた声を 「聴きにくいですか?・聴きづらいですか?」と繋げるあたり、 さすがだなぁ、と私のメモが増えることを予感させられた導入部。 そんな溢れるメモの中から選んだ一言は「日本語は『察する言語』」 言い換えれば、他の言語と違って、関係した単語だけを発すれば、 相手がその意味を察して(推察して)、理解してくれる言語。 言語学者によれば「日本語ほど、易しい言語はない」、 「外国人でも、5週間もあれば、日本語は覚えられる」という。 単語の順序を入れ替えても、意味が通じる言語だからだろう。 例に挙げた「私・水・飲む」「飲む・私・水」「水・飲む・私」 たしかに、どれでも意味がわかるから不思議だ。 また「けっこう」という言葉でも、表情や態度、言葉の勢いなどで YESの意味なのか、NOの意味なのか、聞き手が察する事実。 清少納言の枕草子には「いとをかし」という単語、 紫式部の源氏物語には「あはれ」という単語が多く使われているが、 読者が、その場の様子に合わせて(前後の状況から判断して) 意味を察して解釈している、そんな説明にも、メモが増えた。 しかし、だからこそ気をつけなければいけないのは、 相手も共通の認識、察してくれると勘違いし話さないこと。 若者言葉も、言葉の意味が通じる若者だけで話している時は、 悪いわけではないし、乱れているわけでもない。 ただ、察することが出来ない人たちの中で使うから、 乱れている、と言われるに過ぎないことも知った。 「言葉とは、コミュニケーションの道具であると同時に、 共通認識をもった符号」という説明が理解できた講演会。 週の始めの日曜日、充実した1日が過ごせたことに感謝したい。
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