ぶつぶつ日記
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2004年01月26日(月) キスチョコ

子供の頃から、おやつと言う習慣のない子供だったので
(家庭的にもなかったように思うが、それにしては兄のあの買い食い好きはなんだろう?)、
今も、間食の習慣がほとんどない。
大体、甘いものがあまり食べられない子供だったし、
お菓子よりもご飯が好きだったので、
お菓子を食べ過ぎてご飯が食べられない・・・なんていう状態は、
自分が嫌だったのだ。

どうも、両親の方針として、「量より質」と言うのがあった気がする。
おもちゃも、服も、めったやたらと買ってもらえたわけじゃなかった。
むしろ、必要以上のものは買ってもらえなかったけれど、
買う時には、そんじょそこらのものではダメで、
時間と電車賃をかけて、日本橋や銀座まで出かけるような家庭だった。

そんなわけではないだろうが、
我が家に時々登場するお菓子は、
かなりハイカラなものが多かった。
トップスのチョコレートケーキ、
モロゾフのプリン、
ユーハイムの砂糖がまぶしてあるケーキ、
そして、神田精養軒のチョコレート。
今ほどお菓子に種類もない時代で、
我が家のお使い物は、必ずこの神田精養軒のチョコレートとヌガーの詰め合わせ。
そんな時には、必ず一袋、私たちへのお土産もあった。
今もだけれど、私はキャンディーとかがあまり好きではなく、
ピーナッツ味のこのヌガーキャラメルもあまり好きじゃなかった。
でも、この袋にはチョコとヌガーが半分ずつ入っていて、
チョコレートだけ食べるのはダメ。
チョコとヌガーと1つずつ、それが約束だったので、
成長した後、チョコレートだけの袋が発売になったときには、
とてもうれしかったものだ。

もう1つ、大好きなチョコレート、それがハーシーズキスチョコ。
東北生まれの母が、なんでこんなチョコを知っていて、
そして、どこで買ってきていたか、今も確かではないけれど、
年に数回、ハーシーズのキスチョコが家にやってきた。
たまねぎみたいな、かわいい形。
なんというか、バター分が多いぱさぱさ食感と日本のチョコレートにはない味、
そして、銀紙を1つずつはがして行くのが素敵だった。

長じて、中東やヨーロッパに行くようになった時、
一番困らなかったのが、お肉について。
それらの地域では、比較的羊が好んで食べられる。
日本人の多くが苦手とするそれらの肉を、
私は最初から全く問題なく食べることが出来た。
というか、好きだったのだ、子供の時から。
これまた年に数回、極普通に羊の肉が食卓に乗るような家庭だった。
今みたいに、ラムなんてなくて、マトン。
マトンは成長した羊、ラムは子羊。
むろん、においが強いのはマトンで、だから日本人の羊肉のイメージはあまりよくないのだけれど、
これを普通に食べていた子供としては、
ラムなんてまー、なんて極上(笑)!

もちろん、こんなメニューたちは、特別なごちそう。
毎日食べるのは、どこの家庭の食卓にも見られるものだったが、
母の実家から送られてくる新鮮な生わかめや、
毎日笛を鳴らしながら来るお豆腐屋さん、
目で見て手にとって買えた八百屋の店先の野菜たち、
おでんの具だけを手作りしている店、
鳥専門の店で買うモツ、
一見物があふれかえっている現在に負けないほどの、
安価で豊富な食生活が、下町の商店街、
そして家庭の食卓には広がっていた。

最近、10代や20代の女性に、味覚障害の人が多いと言う。
そこまで行かなくても、
何でもかんでもマヨネーズをかけてしまう子供や、
主食をほとんど食べない女の子など、
食生活が壊れかけている家庭が多いみたいだ。

味覚も、子供のころに作られる。
贅沢じゃなくていい、極普通の食事。
むしろ、それを守ることが難しいのかもしれない。
でも、子供の時に作られた味覚や食習慣が、
今の私たちを作っている。
大量のポテトチップスよりも一粒のキスチョコを選ぶ私は、
ちょっと体重は大目だけれど、
コレステロールや中性脂肪とは、ほとんど縁がない。
旅先で、何を出されても、食べられないものもほとんどない(嫌いなものはもちろんあるけど)。
そんな私を作ってくれた両親に、感謝している。


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