ぶつぶつ日記
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2002年07月14日(日) まわるサダカ

在日のムスリムの中には、とにかく清貧にこだわる人も多く、
家族4人で15万円で生活しているとか、
仕事よりも金曜礼拝を重視しているため、
すぐに仕事を首になっちゃうとか、
自分が望んでいるとは言え、
はたから見ると、家族に迷惑をかけているんじゃないの?
と私なんかが思ってしまう人も多い。
それはその家族の生き方だし、友だちでもないから
余計なアドバイスはしないけど、
なんかちょっと?

イスラムという宗教には、基本的に「隠遁生活、修道生活」と言うものがない。
隠遁し、世俗とはなれて宗教にだけ没頭するというものは、
基本的にはイスラムのルールの中では異端視される。
普通に生活し、家族を持ち、社会の中で居場所を確立する。
初代正統カリフとなったアブー・バクル=シィッディークは、
カリフに選出された次の日も、今まで通りに商売に出かけようとし
「あなたはカリフなのに!」と止められて、
「じゃあ、私はどうやって家族を養えばいいんだい?」
と、とっても困ってしまったというほほえましいエピソードがある。
働くこと=良いこと。

もちろん預言者をはじめカリフたちは清貧生活で有名だった。
家族にも、それを徹底させていた。
が、ここで注目すべきは、
彼らが「持てざる者」ではなかった点だ。
彼らは仲間内でももっとも成功した財産家たちであり、
ムスリムになろうが、カリフになろうが、
自分たちの商売を捨て去ったわけではない。
むしろ、今まで以上にきちんと商売を続けた。
しかしその資産を自分や家族のためにだけ使うのではなく、
より広く社会や貧しいもののために使っていただけだ。
友だちのだんなさんは、こういうことを
「まわるサダカ(喜捨)」と言っているそうだ。
自分には余剰分が、誰かには必要分となる。
仕事が回っていけば、雇用も機会も増えて
安定した生活を送れる人も増えていく。
「まわるサダカ」は本当にまわっていく。
当事者、そしてその子供、そのまた子供へと・・・。

貧乏から抜け出せる状況にあるのに、
それを努力しないでただ礼拝しているのは、
男としてなさけない、という考えもあるという。
成してこその清貧。
ふむ、いい言葉だ。
「まわるサダカ」。


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