ぶつぶつ日記
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在日のムスリムの中には、とにかく清貧にこだわる人も多く、 家族4人で15万円で生活しているとか、 仕事よりも金曜礼拝を重視しているため、 すぐに仕事を首になっちゃうとか、 自分が望んでいるとは言え、 はたから見ると、家族に迷惑をかけているんじゃないの? と私なんかが思ってしまう人も多い。 それはその家族の生き方だし、友だちでもないから 余計なアドバイスはしないけど、 なんかちょっと?
イスラムという宗教には、基本的に「隠遁生活、修道生活」と言うものがない。 隠遁し、世俗とはなれて宗教にだけ没頭するというものは、 基本的にはイスラムのルールの中では異端視される。 普通に生活し、家族を持ち、社会の中で居場所を確立する。 初代正統カリフとなったアブー・バクル=シィッディークは、 カリフに選出された次の日も、今まで通りに商売に出かけようとし 「あなたはカリフなのに!」と止められて、 「じゃあ、私はどうやって家族を養えばいいんだい?」 と、とっても困ってしまったというほほえましいエピソードがある。 働くこと=良いこと。
もちろん預言者をはじめカリフたちは清貧生活で有名だった。 家族にも、それを徹底させていた。 が、ここで注目すべきは、 彼らが「持てざる者」ではなかった点だ。 彼らは仲間内でももっとも成功した財産家たちであり、 ムスリムになろうが、カリフになろうが、 自分たちの商売を捨て去ったわけではない。 むしろ、今まで以上にきちんと商売を続けた。 しかしその資産を自分や家族のためにだけ使うのではなく、 より広く社会や貧しいもののために使っていただけだ。 友だちのだんなさんは、こういうことを 「まわるサダカ(喜捨)」と言っているそうだ。 自分には余剰分が、誰かには必要分となる。 仕事が回っていけば、雇用も機会も増えて 安定した生活を送れる人も増えていく。 「まわるサダカ」は本当にまわっていく。 当事者、そしてその子供、そのまた子供へと・・・。
貧乏から抜け出せる状況にあるのに、 それを努力しないでただ礼拝しているのは、 男としてなさけない、という考えもあるという。 成してこその清貧。 ふむ、いい言葉だ。 「まわるサダカ」。
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