サッカー観戦日記

2006年06月22日(木) 雑文・W杯グループリーグ敗退に思うこと

ワールドカップに行ってきた。といってもドイツにはほとんど滞在せず、観光と移動に追われる忙しないツアーだった。

パリに丸一日、アムステルダム・ソウルに半日いた割にドイツには試合時間を含めて6時間しかおらず、ビールすら飲めなかった。

日本は予想されたとおりの惨敗に終わったわけだが、4年間を無駄に費やしてしまった感がある。いやこの4年間から学べることもあるのだろうが、実際に経験して学ばずとも、あらかじめ予期できそうなことが大半を占めている気がする。改めて個人の能力を活かすためにはきっちりした組織が必要だと思った。「ジーコの戦略は正しかったが、日本に合っていなかった」「実践能力が劣っていた」ではなく「戦略そのものが間違っていた」という結論が浮かぶ。

個々の役割分担は不可欠だということだ。オフトやトルシエの「タスクサッカー」は個性を殺すものではなかった。しかし専門家としてサッカーで飯を食っている人々の仲にもトルシエサッカーを否定しジーコを肯定する者がいるというところにこの国のサッカーの貧しさを痛感せずにはいられない。多様な意見の存在は重要だが、レベルがどうにも低いというか。トルシエ憎悪の気持ちは分からないでもないが、いまさらタスクサッカーが個人を殺すという初歩的議論をする現状はただ悲しい。

ジーコの後任としてオシム擁立が確定している模様。川渕氏は「口を滑らせた」のではなく、意図的なリークによって責任追及をかわそうとしているのだろうが、オシムという選択自体は評価できる。役割分担の明確な指導者だからだ。弱者なりのサッカーを実行できるという点でも評価できる。

オシムA代表監督、反町五輪代表監督という布陣は日本サッカー史上最善のものだろう。残念ながら黄金世代はピークが過ぎてしまい、今後数年間は選手個々の能力が最高というわけではないが、一定の成果は収めてくれそうな気がする。もちろん最後は選手の力が結果を決めるわけで、大成果は期待できそうにないが。でもあわよくば五輪・W杯でのグループリーグ突破の可能性は期待できそうだ。山本・ジーコジャパンがグループリーグ突破の可能性をまるで見出せず、「サッカーは何がおきるか分からない」という言葉にすがるしかなかったようなこともなさそう。


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T.K. [MAIL]