【ザレゴト・タワゴト・ササメゴト】


2006年08月21日(月) いつもの生活の果て

 20日、7時半に起こされて急かされるように朝食を取った。もう何度目かの自分と両親と祖母と兄、そして叔母夫婦、叔父のいる食事。喪服に着替えて次のイベント・出棺を待つ。さすがに8月の盆地の陽気ではジャケットも着ていられない、白と黒の中でまだ高校生の従妹の制服スカートの青だけが唯一の色彩だ。
 飾りのついた豪華な霊柩車はない。アレを頼むと相当高くつくらしい。風呂敷包みを持たされてマイクロバスで火葬場へ移動する。その日、二組目の予約になっていたうちは、前の家族が終るのをロビーで待っていた。低い泣き声、仕立ての良さそうなスーツ、和装の女性の首に大きな真珠のネックレスが見える。あの家は金持ちなんかな。
 予定の10時。背の高いのそっとした感じの青年職員がセッティングをして流れを説明をする。ああ、このへんなんだかもうあんまり覚えてないなあ。ただ、前の家族は坊さんを呼んで念仏あげてもらってたけど、うちはやんなかった。たぶん貧乏だからだ。今、ここに向かってるという親族を待ってはみたものの間に合わず、棺桶は電動の台車に載せられた。閉じるリフトの扉に向かって合掌する。じいさん、いつか、どこかで会ったら、あんたの話を聞かせてくれないか。あんたの人生の話を聞かせてくれないか。日本が、一番貧乏で惨めでしんどかった時代を生き抜いた、あんたの平凡な83年間を、いつか聞かせてくれないか。
 次男の叔父と末子の叔母はしきりにハンカチを目元に当てている。長男の親父殿は微動だにしないでただ、立っていた。実感がないのか、堪えているのか、この先の法要・雑務を思ってそれどころではないのか、僕にはまだわからない。
 火葬にかかる時間は約1時間40分。待合室ではわずかばかりの酒・茶・茶菓子を囲んで昔の話に花が咲いていた。僕ら兄弟と従兄妹の孫5人ばかりが所在無く部屋の隅に座っていて、そのうち喫煙者の二人は灰皿へと席を立ってしまった。取り残されて手持ち無沙汰にクチパクで歌を歌う。窓の外は白い曇り空。無性にバックホーンが聞きたくなった。とっさに掴んできたMDはアジカンとオブリ。やっぱりそろそろPC直結のプレイヤーが欲しいなと思う。
 出てきたじいさまの骨は、細いのは灰になってしまっていてなんだか随分少ないようで、それが人の形をしていたという実感も薄い。カラカラと軽く乾いた音のする白いカタマリを鉄の皿に拾って骨箱にザラリと流しこむ。溶けてひしゃげた六文銭替わりの十円玉はお守りになるから、と大叔父が包んだ。帰りはバスが出ないので自家用車に分乗。骨箱と遺影とオサレサマを乗せた車は、通り道のついでにと親父殿の会社の脇を通過する。骨になって初めて見る息子の会社、じいさまは何の感慨もなさそうに言うだろう。「んだのが。こさ勤めっだのが、んだが」
 遺骨やら遺影やらを自宅の祭壇に納めたら、歩いてすぐの村の集会所で昼食をとる。隣組の奥さん衆が作ってくれた白いおにぎりと根菜の汁に漬物。献立や、近所が手伝うのは村中のしきたりらしい。このあと二時半から葬列をつくって寺まで歩く。ほんの少し休憩。見栄坊の兄者の差し入れたアイスを齧ってだらりと。そういや従兄妹とこんなに話をしたこともあまりなかった。
 葬儀。坊主がやけに咳き込むもので、しょっちゅう読経が途切れる。俺、焼香で立とうとしたら足首がイカれてて立ちあがれなくて相当ダサかった。しびれたどころの騒ぎじゃなくて軽く焦ったさ。
 夜、近所の奥方が集まってお念仏。長数珠を回しながら鐘を鳴らして、歌うように「南無阿弥陀仏」のお題目を唱える。小学校の同級生のお母さんも何人かいるみたいだ。聞いてるうちに眠くなって、結局手伝うこともなさそうなので自室でごろ寝。途中で一度「顔を出せ」と起こされたものの、なんだかぼんやりしていてそのあとの記憶は曖昧。
 じいさまがいなくなることよりも、それに付随して「これから」が「今まで」通りではなくなるんだろうな、という漠然とした確信がなんだか寂しい。ばあちゃんが変に気張ってカラ回っているのが痛ましい。稲刈りは、来年から田畑はどうするんだろう。今までの当たり前が、ここになくなってしまうのが少し怖い。


 < マエ  モクジ  ツギ >


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天瀬紺太(仮) [ 俺 ]
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