皇帝の日記
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| 2004年09月24日(金) |
ハンガリー、ブダペスト1 |
さて一行はハンガリーへ。
ハンガリーはローマ人が住んでたり、フン族が来たり、マジャール人が来たり、オスマン・トルコが占領したり、オーストリアの属国になったり、ロシアに制圧されたり、EUに加盟したりと、中々歴史的に忙しい国である。 で、人種的には今でもマジャール。 言語もマジャール。 貨幣は地元のフリント以外、滅多に通用しない。 ユーロもあんまり駄目。 しかし、何故かジプシーの皆様は円も取り扱ってくれる。 さてこの人たち、実はアジア系である。 言語もアジア系、人種もアジア系に分類される、・・・らしいよ。 姓、名前の順番で呼ばれるし、気のせいか白人のくせに直毛率が高い気がする(ついでに禿げ率も高い) でも金髪だし、白人だ。
地名とか聞いてると、他のヨーロッパ言語とは違うというのがわかるし、発音体系も大分違うように感じる。 文法も明らかに違う。 そう、インド・ヨーロッパ語族とはなんとなく違うのだ。 で、それが何を意味するかと言うと、そう、英語が通じない(ここ重要) 日本に来て英語が通じないと怒っている外国人に対し、誰しも一度は「けっ」と思ったことがあるだろうが、今私はハンガリー人にとって迷惑な外国人になったのだった。 け。 や、本当に通じない。 この国を一人で旅行するのは無理かもしれない。 治安も悪いし。
ブダペストへ向かう途中、エステルゴムという山に寄る。 ツアーのいいところは、移動手段を考えなくていいことと、移動で取られる時間を大幅に節約できるところだ。 フリーで行ってたら、たぶんバスの手配でてんてこ舞いになっていたと思う。
エステルゴムはハンガリーカトリックの総本山。 ハンガリー建国の地とか言われている。 とにかく、教会が縦にでかい。 ツバメが丁度渡るか渡らないかの気候で、観光にはふさわしい感じだった。 ついでに、ツアー客に晴れ女がいたので、旅行通じてずっと晴れ。 移動中に雨でも、バスから降りたら晴れということまであった。 恐るべし晴れ女の威力。
そこから、ドナウの清い流れとスロバキアを横目に見つつ、ドナウベント(湾曲したドナウの意味)地域のセンテンドレという小さな町につく。 ここ、バロック式の街なんだって。 旧ドイツのボロ車なども現役で走っており、いかにも田舎。 そして狭い。 刺繍なんかがハンガリーの名産なのだが、緑豊かな地域は大抵刺繍が名産だな、と思う。 他に凝ることがないから(失礼) いや、雲南とかさ・・・。
ハンガリーの一般家屋は、雨漏りしそうなほどぼろいが、ガーデニングの凝り具合は普通ではない。 ここに彼等の美意識を見出すことができる。 途中、コンビニにトイレ休憩で立ち寄ったので雑誌を検分したが、ガーデニングの本や、料理、建築物、家具のリメイクなどに、国民の英知と情熱は注がれているようだった。
ブダペストが近づくにつれ、バスの運転手ポールはうきうき。 彼はハンガリー人で、この一週間我々ツアーのために他国に出張していたことになる。 国でパートナーが待ってるんだって。 へー・・・。
ブダとペストという町が、ドナウ川を挟んで存在しているので、ブダペスト、という。 間にはエリザベート橋とか、鎖橋というような美しい橋がかかっていて、そこで両岸を行き来できるのだ。 ところで「くさり橋」と聞いて、「腐り橋」と脳内変換していた。 嫌な橋だ。
ブダペストに到着することには、すっかり夜になっていたのだが、オプショナルツアーでドナウ川クルーズ(夜景)に行くことにした。 夜ともなれば寒いので、スーツケースから母のセーターとコートを取り出してきて着る。 そう、皇帝は母の荷物まで担いで旅行しているのだった(ポツリと苦労を滲ませる)。
夜道を失踪するバスに、ポールの姿はなかった。 ポールはパートナーの所へ帰ったので、違う運転手が乗っていた。
で、途中豪快に花火が打ちあがる。 なんだと思ったら、ソフィア・ローレンの息子が大聖堂で結婚式を挙げていたのだ。 花嫁に向かって撒く、花びらを拾っておいた。 そんで、次の日新聞にでかでか報じられていたので、新聞も購入し、セロテープで花を貼り付けておいた。
さて、ドナウ川クルーズ。 ガイドの解説で、美しくライトアップされた町並みを拝見。 インターコンチネンタルのビルが、全く古い町並みにマッチしていなかったが、さすがヤンキー。醜悪な建物を作らせたら世界一である。 ブダペストの見所は、ほぼ川沿いに並んでいる。 観光したければ、川岸をブラブラすればいいのだ。 そんなことを思いながら、深夜ホテルに帰って寝る。 続きはまた明日。
皇帝

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