しもさんの「新聞・書籍掲載文」
しもさん
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1996年07月27日(土) ■ |
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何かに頑張れ アリが教える(38歳) |
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静岡新聞 朝刊(読者のページ)
四年に一度の寝不足、分かっているけれど、 ついつい深夜までテレビにかじりついてしまう意志の弱さに苦笑してしまう。 開会式の入場行進から、「頑張れ!」と声援を送った私にとって、 ムハマド・アリの聖歌点火シーンは逆に「頑張れよ」と励まされた気がした。 日々、たいした努力もせず、テレビの前に寝そべり、 ビールでも飲みながら観戦することはだれてもできる。 頑張ることを忘れかけた私に、 彼は「とにかく頑張ってみろ。結果は後から付いてくる」、 そう言っているような気がした。 若いころ「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉が 理解できなかった。 競技なんだから勝たなければ意味はない、とばかり 勝負にこだわった見方をしていた。 最近やっと、その意味が分かってきた。 「オリンピックは頑張った人の祭典」「努力した人へのご褒美」という視点で見ると、 とても楽しいことも分かった。 病気と闘っているアリを見て、 もう一度、何かに頑張ってみよう、という気になった開会式であった。
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1996年10月15日(火) ■ |
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アジアの変動 痛烈に実感(38歳) |
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静岡新聞 朝刊(読者のページ)
先日訪れたベトナムで、いくつかのカルチャーショックを受けた。 ホーチミン郊外は、地震を全然考えていない工法でいろいろな家が立ち並んでいた。 三匹の子豚(わらぶき・木造・レンガ造り)を思い出して苦笑いをした。 どこに寝るんだろうと心配する私に手を振るベトナム人の笑顔がまぶしかった。 「えっ、日本でも箸(はし)を使うんですか?」 出されたベトナム料理を食べようとした時、こう言われた。 これはかなりこたえた。箸は、日本のお家芸だと勘違いしていた。 道路わきに腰を下ろし、器用に箸を使いながら食事をしている風景は、 終戦直後の日本をほうふつさせていた。 携帯電話やポケベルは、ベトナムにはありませんから、 もしかしたら入国審査で止められる、と説明を受けていた。 確かに、自分の抱いていたベトナムには想像も付かない通信機器である。 それがホーチミンに着いた途端、 現地通訳が携帯電話で連絡してたのには驚かされた。 最新技術と、素朴な人間が意外とマッチしていた。 アジアは、猛烈に動いている。
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1996年11月23日(土) ■ |
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草の根で進む開発支援(38歳) |
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読売新聞 朝刊(LOOKにっぽん)
激動するアジア・・。 その中でも最近とくに注目を集めているベトナムを訪れる機会に恵まれた。 ベトナムは「ドイモイ(刷新)」政策で市場経済化を急いでおり、 昨年七月には東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟も果たした。 社会全体が豊かな国造りへの意欲に燃え、活気に満ちている。 「一人一人がレベルアップすることが社会を大きくする。 それが国を発展させる。現地の従業員にそう話しているんです」 ベトナムに進出した日系企業の幹部社員がそう語った。 ベトナム人を単なる低賃金の労働力として扱うのではなく、 「明日のベトナムを担う人材」として接する。 そういう考え方を念頭に雇用しているという。 ベトナム人たちも、そうした思いにこたえて働いているようだ。 とにかくベトナム人たちは勤勉で頑張り屋だ。 仕事が終わると日本語学校をはじめ、いろいろな学校に通っている。 英語・日本語をマスターし、将来、欧米系、日本企業で働きたい、 通訳になりたいという若者が多いのもうなずける。 その一人一人のパワーが国全体のエネルギーとなって、 ものすごい力を生み出してきている。 きっと終戦直後の日本もこんな雰囲気だったに違いない。 現在の日本の安定志向が悪いというわけではない。 が、彼らはそれぞれが何か目標を持ち、 それに向かって懸命に努力しながら生活している。 そういう向上心のある人々が集まることで活気ある町、 豊かさを実感できる国が実現するのだろう。 アジアの国々で日本の企業が、そのお手伝いができれば・・と思う。
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1997年06月09日(月) ■ |
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知識見直したい39歳は私に意味(39歳) |
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静岡新聞 朝刊(読者のことば)
三十九歳の誕生日を迎えた。 今までにない思いが、頭の中を駆け巡っていた。 四十歳ではない、この三十九歳こそ私にとって、 非常に大きな意味を持っていると感じているからだろう。 孔子は「四十にして惑わず」と言った。 あと一年で、そんな境地になれるか、挑戦である。 いままで広げてきた人間関係から、積み上げてきた実績、 そして、いろいろな経験から得た知識を、見直してみようと思う。 残すものは残す。捨てるものは捨てる。 その上で、自分の人生に必要なものを、自分の判断で見極め、 身軽な状態で四十歳を迎えたい。 そんなステップを踏みながら 「五十にして天命を知る」状態に近づけたら、最高である。 情報過多の時代、 自分に必要な情報だけを選択する習慣をつけたいと願う。 そりためにも、今からやっておかなければならないことはたくさんある。 位置について、ヨーイドン。
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1997年06月13日(金) ■ |
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スポーツ通し親子触れ合い(39歳) |
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産経新聞 朝刊(談話室)
最近、子供のスポーツ活動に対する親のバックアップが頼もしい。 子供の球技大会に向けての練習には、 普段、運動には縁のないような親まで参加して、 我が子と一緒になって頑張っている。 スポーツ少年団のサッカーやバスケットボールのチームに所属する子供の親となると、 試合の送り迎えから飲み物の準備、マッサージまでする親もいるという。 過保護だ、という批判もあるだろう。 しかし、親子の触れ合いが少なくなってきた今、翌日の筋肉痛もかえりみず、 ジャージーに革靴の姿もほほえましい。 仕事で疲れた、と昼間でごろごろしていたり、 テレビゲームで高得点を出して喜ぶよりも、 下手でもいいから青空の下、わが子とスポーツを楽しんでもらいたい。 汗を流したり、風を感じることの喜びを思い出してほしい。 きっと夕飯には、いつもと違ったビールが飲めるに違いない。
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1997年06月14日(土) ■ |
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お祭りはシンプルな踊りが一番(39歳) |
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東京新聞 朝刊(発言)
夏まつりというと、つきものの踊り。 最近は盆踊りではなく、サンバ等を中心としたリズミカルな踊りも多い。 いろいろ仮装した住民が、振り付けにアレンジをし、競い合っている。 しかし意外と振り付けが難しく、お祭り前に何回となく練習を繰り返し、 息を合わせている光景が目につく。 住民参加型のイベントには踊りのコンクールは欠かせないが、その昔、 お祭りの踊りとは、豊作や大漁を祈願する踊りが中心であり、 息がピッタリ合っていなくても構わなかったはずである。 ステップも振り付けも、気にならない。 心から豊作・大漁を祈念して、全身で表現していれば、 それだけで良かったに違いする。 最近の踊りは、どうもスマート過ぎる気がする。 踊り疲れて倒れるくらいの勢いが欲しい。 もう一度、踊りの原点に戻ってみよう。 見ている人が、突然でも参加できる踊り、非常にシンプルな踊りこそが、 これからのお祭りの踊りとして、生き残ってくる予感がする。
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1997年07月03日(木) ■ |
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知人通じて生きた情報得る(39歳) |
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読売新聞 朝刊(気流)
パソコンでインターネットを楽しむのがブームだが、 自分自身で使ってみて気づいたことがある。 パソコンの情報があまりにも大量なため、取捨選択に困るのである。 パソコンの画面に映し出される情報のごく一部しか自分が必要としておらず、 そのために、真に必要な情報を容易に入手できないという状況が生まれるのだ。 そこで思い出したのが、最近読んだ本の一節。 それによると、生活していく上で一番必要な情報は「ノウ・ハウ」ではなく、 「ノウ・フー」であるという。 つまり、本当に役に立つ情報は、「どうすれば入手できるか」よりも、 「誰に聞くのが最も適切か」ということだ。 その分野に詳しい人に聞けば、自分で一から覚えるよりも早く、 しかも、詳しく知ることができる。 身近にも、このような達人は多くいるはずだ。 しかし、一日中、パソコンの前にいては、こうした人物と知り合うことは無理だ。 例えば、知人と一緒に遊びに行ったり、食事を共にすることが必要だ。 より多く、共通の体験を作ることで、生きた情報が得られる。 「ノウ・フー」のためにも、家に閉じこもらないで 人に会う機会をたくさん持ちたいと思う。
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