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しもさんの「新聞・書籍掲載文」
しもさん
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1995年05月26日(金)
平凡な生活を大切に(36歳)

読売新聞 朝刊(気流)

夕飯はカレーだった。
特別のメニューというわけではないが、小学校五年の娘が、
最初から最後まで作った初めての料理。
学校の「高原教室」の食事係班長となり、本番に向けて
家内に大特訓を受けているのだ。
こんな平凡な家庭の光景がいい。
「じゃがいもが大きい」と言っては笑い、
「サラダのたまごが半熟」と言ってはすねている。
作り方を暗記しようとする娘の姿が、まぶしく見えた。
いつからか平凡の言葉が死語のようになりつつあり、
一世を風靡した雑誌「平凡」も廃刊になった。
しかし、この言葉が再び、時代のキーワードになる予感がする。
「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」も、
忘れかけていた平凡のよさを思い出させてくれる。
「一生平凡に過ごせたら、それこそ非凡だよ」と誰かが言った。
いま一度、平凡な日々の生活を大切にしていこうと思う。



1995年09月03日(日)
自転車の窃盗 立派な犯罪だ(37歳)

産経新聞 朝刊(談話室)

いつも通勤に使っていた自転車が盗まれていた。
いくら駅前とはいえ、しっかりカギをかけ、
所定の場所に駐輪していての出来事である。
翌日、職場の仲間に大騒ぎで報告したら、ほとんどの人が、
自転車を盗まれた経験があって驚かされた。
「運が悪かったね」「そのうち見つかるよ」と励まされ、
日常茶飯に横行していることを知らされた。
私にしてみれば、せっかく健康のためと始めた自転車通勤ができなくなる。
自動車の便利さに甘えてしまうのがつらい。
それにしてもカギを壊してまで他人の自転車を盗むことに、
抵抗を感じなくなってしまったのか。
犯罪だということを忘れてしまったのか。
酔っ払っていたからとか、最終のバスに乗り遅れたから・・は
言い訳にならない。
銃犯罪に比べれば・・という問題ではない。
自転車を盗んでも何とも思わなくなった時代だからこそ、
大きな犯罪が起きる時代になった気がする。



1995年09月20日(水)
ギャル軍団を前に臆病だった(37歳)

毎日新聞 朝刊(みんなの広場)

友人が結婚をした。十六歳の年の差を乗り越えてのゴールインである。
披露宴が無事お開きになり、さて二次会は「カラオケでも・・」と
いうことになった。
メンバーはもちろん新郎友人三十七歳のおじさん軍団と、
新婦友人二十一歳のピチピチギャル軍団。
さて、どう対処しようかと考え込んだ公務員の私。
二匹目のドジョウを狙っている独身組、人と話すことが得意な営業マン。
せっかくのチャンス、一緒に楽しもうとマイクを握った人事担当者。
大学を卒業して十四年。
みんな違った職業に就き、それぞれの人生を過ごしてきた。
毎日の積み重ねが、こんな時の対応に表れる。
ついつい事務職に徹していると、人と話すことが苦手になってくる。
「行政は最大のサービス業」といった言葉が、私の脳裏を横切る。
本当は、住民の声を一番聞かなければならない立場の私が、
一番臆病になっていたことは反省に値する。
今からでも努力したい。



1995年09月23日(土)
気分や心を写すへのへのもへじ(37歳)

静岡新聞 朝刊(読者のページ)

たった七文字の平仮名で表現された、誰もが知っている
「へのへのもへじ」。
何気なく書いてみたら、案外二枚目になって気分がよくなった。
もう一度書いてみたら、今度は怒って見えた。
調子に乗って何度も書いてみたが、
同じ表情の「へのへのもへじ」はやっぱり書けなかった。
気分によって違う彼の顔は、自分の心を見透かされているようで
なぜか怖かった。
しかしどの顔も口を「へ」の字にキュッと結び、ちょっと近寄りがたい。
どんなにまゆ毛や目、鼻を優しくかいても駄目である。
何とかして「笑顔」が書きたいと考え込んでいた私の横で、
小学校五年の娘が「口を『し』にすればいいよ」とぼそっと言った。
なるほど。今度は何度書いても、笑顔になる。
どんなにまゆ毛や目、鼻の「へのへのも」を怒っているように書いても、
笑顔になる。不思議なものだ。
田んぼのかかしは「へのへのもへじ」だけど、
人間の顔は「へのへのもしじ」でありたい。
そして、笑顔いっぱいに囲まれて生活ができたら、
どんなに幸せなんだろう、と思う。



1995年10月12日(木)
夢追う大切さ 原選手に学ぶ(37歳)

読売新聞 朝刊(気流)

巨人の原選手の引退を涙をこらえながら見ていた。
「巨人の星」の曲が流れる中の場内一周。
彼が自分と同じ年齢ということもあって、心は原選手と同化していた。
長嶋監督との握手の瞬間、
それまでジワーッと潤んでいた目から涙が一気にあふれ出した。
説明のつかない気持ちで胸がいっぱいになった。
長嶋選手にあこがれてプロ野球選手になることを夢とし、
それを実現させた原選手。
その夢をもたせてくれた長嶋監督本人の前で有終の美を飾ることになった。
「私の夢は続く」という原選手の言葉が、新鮮に聞こえた。
彼には「夢をもって生きること」の大切さを教えてもらった気がする。
「夢をもつことの素晴らしさ」を胸に、
原選手のように、夢を探し、夢を追っていこうと思う。



1995年11月02日(木)
同級生と乾杯 思い出話に花(37歳)

静岡新聞 朝刊(読者のことば)

久しぶりに同級生と飲んだ。何年たっても、同じ年。
勝手に飲んで、勝手に話す。つまみは「思い出話」と決まっている。
「おまえ、小学校二年の時ホウレンソウ、床に捨てたよな」
「頭はいいし、足も速かったけど、性格は良くなかったよね」
そんなこと、覚えていて何になるんだよ、
そんなこと、はっきり言うやついないよ、と思いながらもなぜか心地良い。
夫婦の会話、親子の会話、もちろん職場では考えられない会話ができる仲間は
彼ら、彼女等しかいない。
会計も当然ワリカン。
「領収書、欲しい人いないか?」「印税で払えよ」。
とんでもない会話が飛び交い、タクシーに乗る。
二次会は、同級生が働いている居酒屋。当然ここでも大騒ぎ。
楽しい時間が過ごせたと感謝している。
幹事が企画してくれる、数年に一回の同窓会よりも
十人たらずのメンバーで飲む「ミニ同窓会」の方が楽しいのかもしれない。
「おまえ、すこし老けたな。幾つになったの?」と聞く同級生に
もう一度乾杯。



1996年06月04日(火)
立派な施設でも中身のない箱に(38歳)

静岡新聞 朝刊(読者のページ)

柿田川のほとりで開かれた「民族楽器演奏会」へ足を運んだ。
自ら文化情報発信基地になろうとしている、
民間レベルの仲間たちが集まって開催した草の根的なこのコンサートは、
公務員の私にとって「文化」に対する考え方を根底から崩されたような
事件でもあった。
近隣市町村に近代的な文化センターが建設され、
その施設がない清水町は文化的レベルが低いとさえいわれ続けてきた。
確かにハードの面から考えると後れをとってきたかもしれない。
しかし、何十億もかけた施設が有効に活用されなければ、ただの箱に過ぎない。
演奏者と観客が同じ視線で楽しめるミニコンサートは、ライブに近い感覚であり、
これこそ町民文化の原点なのかもしれない。
生活者が年に何回も行けて、普段着、
それも自転車でいけるような場所で開催され、
ある時はスタッフの一員となって企画運営のボランティアとして参加できる、
そんなコンサートが町内のあちこちで開かれる状態になった時、
本当の意味で文化レベルが上がったと言えるのであろう。
ソフトの充実を実感した一日であった。