のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2004年04月30日(金) 細流必読・「峠の釜めし」の真実

 一部タイトルの意味が分からんぞ、という声はここでは無視。まあ黙って読み進めなさい。
 先日の『のづ写日記』で更新した有名駅弁『峠の釜めし』。長野出張を終えた帰京の新幹線の中でしみじみと美味しくいただいたわけだが、実のところ、『峠の釜めし』を購入する時点では俺の胃袋はそれほど空腹というわけでもなかった。新幹線の改札を抜け、ホームへ上がるエスカレータのそばでこじんまりと設えてあった駅弁の売店でこの『峠の釜めし』を発見したとき、夕食代わりというよりは単なる懐かしさで買い込んでしまった、というのが正直なところだろう。
『峠の釜めし』にまつわる思い出。それはもう今となっては10年以上も昔の大学生時代に遡るのである。

 学生時代の4年間、俺は『一般奉仕会「細流(せせらぎ)」』というボランティアサークルに所属していた。その名の通りボランティアをその主たる活動の中心に置き、大学のある市からサークル活動についての感謝状をもらうこともあるという、心優しき青年達の集うサークルであった。歴史もそこそこ古くて、たとえば新入生歓迎コンパなどのサークルの正式なコンパになると古いOBも参加したりする。
 そんなサークルだからか、ボランティアとか「細流(せせらぎ)」という美しく優しい響きとはかなり正反対のところで、先輩・後輩の上下関係は結構厳しいサークルであった。先輩達は事あるごとに「昔に比べればユルくなったもんだ」と俺たち後輩に言っていて、逆に俺たちの代が先輩となったときも同じ台詞を後輩達にしたり顔で言っていたものだった。実際、単に先輩が後輩に対して横暴な態度を取ったり無理を言う、というようなものではなかったので、まあ、俺自身はそういった上下関係は全く苦にならなかった。どちらかといえば俺は先輩達にはたいへん可愛がってもらったので、俺はそういう意味ではこの“上下関係”は心地よいものですらあった。

 ただし、酒が入ったり、学生のノリが盛り上がったときの“上下関係”、それはもはや拷問に近いときも、ある。

 サークルの夏合宿は例年、長野県の栄村というかなり辺鄙なところへ出掛けていって、地域交流を図る──というものだった。大学生の夏合宿といえば湖のほとりでテニスラケットと共にうふふあははを想像しそうなものだが、ウチはそんなヤワな集団ではなかった。今から思えば、特にサークルに所属した女の子達などはよくこんな合宿に付いてきたものだと思うが、今はそれを詳しく語るときではない。
 訪問先である栄村には上野駅から信州本線に数時間揺られなければならない。この電車が通過するひとつの駅が、「峠の釜めし」で有名な横川駅だった。
 儀式はその合宿からの帰りの信州本線の車内で始まった。俺が初めてその合宿に参加した1年生のときのことだ。
先輩A「もうすぐ横川に着くなあ」
先輩B「そうだな」
先輩A「“食う”だろ?」
先輩B「もちろん」
先輩C「誰に買いに行かせる?」
先輩A「時間との戦いだからな。ムカイに行かせよう」
のづ「先輩方、話が見えません」
先輩C「そうか、のづは初めてだったな」
先輩A「いいか、次の横川っていう駅のわずかな停車時間で、いつもみんな弁当を買うことになってるんだ」
のづ「そうなんですか。じゃあ僕はサンドイッチでも――」
先輩A「サンドイッチ? 誰がそんなもん食っていいって言った」
のづ「……」
先輩A「「峠の釜めし」っていう有名な駅弁があるのでそれを買う」
のづ「……そ、それを買わなきゃいけないんですね」
先輩「そう決まっているんだ」
のづ「(誰が決めたんだ)」
先輩A「おまえも買えよ」
のづ「はい、買います」
先輩A「何個、食う?」
のづ「……は?」
先輩A「だから、のづは「峠の釜めし」を何個食うのか、って」
のづ「何個って……(普通、駅弁を2個も3個も食わねーぞ)」
先輩A「何個食うんだよ?」
のづ「ええと、じゃあ、2個……」
先輩A「……」
のづ「さ、3個食います」
先輩A「ぎゃはは、よく言った」
先輩B「おいおい、無理させんなよ」
のづ「(ありがとうございます、先輩!)」
先輩B「とりあえず、2個にしておけ」
のづ「……(やっぱり1個じゃダメなんだ……)」

 かくして俺は初体験の「峠の釜めし」を涙目になりながら2個半、たいらげた。一度3個食うと言ったんだから、オトコなら3個食ってみろ、と先輩B(!)に言われたが、3個目は半分で勘弁してもらった。
 益子焼でひとつひとつ焼き上げられた本格的な器の中に、鶏肉、ごぼう、しいたけ、たけのこ、にんじん、うずらの卵、紅しょうが、杏などなどが上品に煮付けられて、しっとり醤油味のご飯の上にどっさりと並べられている。確かにうまい。中途半端な幕の内の駅弁なんかよりもずっと美味い。なるほど、世の中の駅弁というものにはこんなうまいものもあるのだな、と俺は初めて知った(余談だが、この経験がきっかけとなって、よく百貨店で開催される「全国駅弁フェア」のようなものは今でも必ずチェックして、いろんな駅弁を食べるようになった)。
 確かにうまいが、一度に2個も食べるものではなかった。

 こんな学生のノリの“上下関係”で、柿の種やみかんの皮が浮き沈みしているビールとか、「メロンジュース」という名の“わさび溶き日本酒”なんかも先輩達に強要されて日常的に飲まされていたけれど、とりあえずは「峠の釜めし」と出会わせてくれた先輩達には感謝している。たぶん。



2004年04月28日(水) 背中が痛い、背中が

 四国出張がフライトの欠航で中止となったものの、日曜の夜から改めてスタートした新潟・長野出張も明日で終了。明日は世の中的にはGWがスタートするわけだが、入社以来そんなものとはまったく縁遠いところで仕事をしているので今さらなんとも思わない。ええ、なんとも。
 この出張はレンタカーで出張先を走り回らなければならなくて、これが楽そうでなかなかシンドい。俺自身、そのテクニックは別として運転そのものは苦にしないのだが、こう何日間も一日中運転席に座っているというのは思いのほか疲れる。そのせいか、左の背中の辺りに鈍痛が広がっていて、もうしっかりおっさんを実感しているのだ。宿泊しているビジネスホテルのマッサージサービスを頼んでしまおうかとほんの一瞬だけ考えたが、それはあと10年くらいは我慢したい行為だ。
 この背中痛に耐えつつ、明日一日がんばります。

 やべえ、ホントに痛いや。



2004年04月24日(土) 音楽を聴こう

 休日出勤を早めに切り上げ、かなり久しぶりに地元のTSUTAYAへ行った。
 財布の中に入れっぱなしにしてあったはずの会員証が無いということ気付いたのは、店内に入ってからだった。まさか、と思い財布の中を弄って見るとどうやら見当たらない。先日たまりにたまったカード類を整理したときにはちらりと見かけたような気もしたので、どうも家に置いてきてしまったようだった。
「すいません、会員証を紛失してしまったんですが」
 CDを探す前にカウンターへ赴き、こう切り出した。家に忘れただの何だのと説明するのも億劫なので。アルバイトのお兄さんはささっとカウンターのパソコンで俺のデータを調べてくれたようで、すぐさまこちらを振り返った。
「会員証の期限が切れていますので、新しく会員証を作り直しますか?」
「……」

 本日借りようと思っていたCDは“Mr.Children”。
 昨年末に購入した容量1.5GBのデジタルオーディオプレーヤーが最近大活躍で、所有しているCDのお気に入りの曲をどんどんこのプレーヤーの中に録音して、通勤にはもっぱらコイツで音楽を楽しんでいる。今のところ約250曲。プレーヤー自体の残要領はあと半分くらいあるので、都合500曲は録音できる計算になる。
 で、まあ、お気に入りのアーティストの一人として、“Mr.Children”を是非とも録音したかったのだ。
 彼らがブレイクした『CROSSLOAD』から『口笛』あたりまで、シングルヒットした曲を一通り録音した。思い返してみると、彼らがメジャーシーンで活躍しだしたころというのはちょうど俺が大阪に転勤になっている時代で、『Tommorow Never Knows』とか『シーソーゲーム』とか、よくカラオケで歌ったっけ、というようなことをあの頃の心持で思い出した(ついでに思い出したことを書くと、あの頃は会社と自宅が近かったので、朝はポンキッキーズでやっているコニーちゃんのじゃかじゃかジャンケンを見てから出社していた)。
 それにしても500曲か。すごいなあ。MD3、4枚を重ねたくらいの大きさしかない小型プレーヤーに500曲も入るんだ。尤も巷では数千曲も録音できるプレーヤーがごろごろしている。この1.5GBのプレーヤーを購入したときは「何千曲も聴きたい曲なんかねーだろう」と思っていたが、実際手持ちのCDを手軽にデータ化してプレーヤーに録音できる環境を体験すると、雑誌のうたい文句のように“所有しているCDを全部持ち歩く”なんてこともやってみたい気になってくる。
 そうです、iPodの20GBくらいのやつ、本気で欲しいと思ってるんです。

 明日からは新潟出張。突如として長野出張も追加されたので4泊5日の出張となる。今回は飛行機ではなく、電車での長距離移動となるので、お気に入りの音楽はいいお供になるのである。
 なんつって、思い出した頃に『子供達を責めないで』あたりが聞こえてくるわけなんだけどね。



2004年04月17日(土) ツマの気持ち

 毎度々々出張だ、出張だとおんなじ話題で恐縮なのだが、最近こんな仕事ばっかりなので仕方がない。
 火の5日間の出張が終わったと思ったら、もう明日の日曜日からまた出張です。うちの会社には労働基準法というものは存在しない。
 先週の出張が終わって会社に出勤したその日に、突如、次の出張の打ち合わせをすることになって、これがまた笑止な内容となった。敢えて、そのスケジュールをここに記します。

4/18(日) 鳥取県米子市へ出張
4/19(月) 鳥取県米子市〜島根県松江市
4/20(火) 〜島根県出雲市
4/21(水) 出張報告のため出社
4/22(木) 振り替え休日の予定
4/23(金) 徳島県徳島市へ出張
4/24(土) 徳島県〜愛媛県
4/25(日) 愛媛県〜新潟県上越市
4/26(月) 〜新潟県長岡市
4/27(火) 〜新潟県新潟市
4/28(水) 通常出社

 もうどうにでもしてくれ、という感じです。4/22(木)は一応振り替え休日となるかも。出張ばかりで本業のほうが滞り気味なので本意ではないのだが、昨日、直属の上司に、
「のづくん、来週の水曜日あたりは忙しいの?」
「ええと、とりあえず会社には来ます」
「黙って振り替え休日を取りなさい」
 振り返ると、しっかり一日休みを取れたのは3月22日(日)以来まったく無し、という状況であれば、さすがに上司も危険を感じたのだろうか。「休みを取れ」と指示されたのは入社以来初めてかもしれない。

 こんな風に出張ばかりしていて家庭を顧みないオットをツマはどう思っているのか、と考えると申し訳ない気持ちになる。出張のお土産にツマの好物の土佐のカツオを空輸したり、ツマの好きなお菓子を仕事帰りに買って帰ったりしてあからさまに誤魔化してはいるが、彼女なりの不満はあるはずだ。
 先日、そんな罪滅ぼしの一環として、ツマと東京ドームへ巨人−中日戦を見に行った帰り(ちなみに、負けました……)、家の近所のコンビニで二人そろって買い物をしていた。彼女はしばらく店内を見回ったあと、雑誌を立ち読み始めた。ナニを読んでいるのか、と彼女の手の雑誌の表紙を覗き込んだ。

『ひとり暮らしのヘルシー・レシピ』

 当然、そのコンビニではツマの大好きなハーゲンダッツのアイスクリームを大量に買って帰った。



2004年04月11日(日) コイゴコロ、再び

 でまあ、いまワタクシがどこでコレを打ち込んでいるかというと、高知県は高知市。日本海側のT市での二日間の仕事を終え、日本海側から太平洋側へ、待ち合わせ時間も入れると5時間かけて高知にへたりこんだ。ちょいちょいと『のづ写日記』のほうを更新しているので、この出張の激務振りが皆さんにも伝わっていることと思います(ほんとかよ)。

 この出張に出発する先週の木曜日、俺は終業時間が近づくにつれて忙しくなっていった。なんでいつもこうなんだろう。例によって次々と舞い込む予定外の仕事にばたばたを追い回され、一日かけてぬかりなくやろうと思っていた出張準備の仕事に取り掛かれたのが午後5時過ぎ。やばい、やばいと独りつぶやきながら涙目でPCにむかって資料を作り、6時過ぎには出張の大荷物を持って会社を逃げるように後にした。
 この日、俺は“彼女”のライブに行くことにしていたのだ。
 松山でのクリスマスに初めて彼女のライブに訪れ、東京では今回で2度目。数ヶ月でこれだけライブに足を運んでいるのだから、自分でもこの入れ込みようには驚いている。会社支給の携帯電話の着メロも彼女のヒット曲だ、というのは、まあご愛嬌。
 青山の「草月ホール」という小さなコンサートホール。ここは以前、アカペラグループ「トライ・トーン」のライブをツマと観に来たところだ。ビジネスバッグに出張のキャリーケースを引きずって、なんとか開演時間ギリギリに会場へ到着することが出来た。
 この日は今年の初めからスタートした彼女のツアーの最終日だった。ライブは松山で見たときと同じ、ギター1本だけをバックにしっとりと唄うアコースティックスタイル。愛する彼女の歌声に、なにより生の弦の音を愛する俺にはたまらない構成だ。やはり松山のときと同じように、昨年リリースされたアルバムの1曲目でもある『ネガ』からライブはスタート。軽快なギターのストロークとマラカスのリズムが静かに響き始めた。
 演奏される曲はだいたい、これまでに訪れたライブで聴いたことのある曲が中心だったが、ライブの終盤で突然彼女はマイクを傍らのテーブルの上に置き、会場に向かってマイクを通さない地声で語りかけた。
「聞こえる?聞こえます?」
 ギター担当も舞台の客席側に腰掛けた。乾いたハーモニクスが会場に響く。
 どうやら、本当の“生”で演奏するようだ。マイクを通さない声。マイクを通さない弦。

 俺が愛した彼女の歌声は、本物だった。

 小さな舞台をゆっくりと歩みながら、彼女は嬉しそうに歌っていた。会場の音響設備を通さずとも、静かに心に沁みてくる彼女の歌声は、俺の胸をちょっとだけ熱くした。全くの思い違いと知りながら、自分のために届けられる歌声と錯覚すらしそうだ。
 ツアーの最終日のお決まりなのか、アンコールは2度。ちいさな会場を思わせない観客の熱い拍手の中で、彼女は深々とお辞儀をすると、目頭を押さえた。そして、会場に背を向け、傍らのテーブルの上の赤いタオルで再び眼のあたりを押さえつけた。
 俺の彼女へのコイゴコロは、もうしばらく、続きそうな気配である。



2004年04月07日(水) ああ、もうこんな時間

 いや、もう、のんびりとココを更新している時間などないのだ。
 時刻にして午前1時過ぎ。ようやく先ほど焼き魚と水菜のサラダに納豆というヘルシー夕食を終え、パソコンの電源を入れたところ、である。ツマからはジャイアンツがサヨナラ負けを喫した、というショッキングなニュースを聞かされながらのつらい夕食時でもあった。
 実はまた明日の夜から出張である。我ながらゴクローサンという気分だが、まあ仕事で日本各地を訪れることができるというのは考えようによっては役得でもあるわけで、半分は楽しんでいるトコロもある。
 実質5泊の“火の5日間”。仕事上、訳あってココではその行き先は言えないのだが、例によって四国方面にも向かうといういつもの強行出張パターンだ。
 さて、出張の準備をしなきゃな。出張中も勿論ノートパソコンは持参するので、更新も行われることでしょう。弟サイト『のづ写日記』もチェックを怠らないように。



2004年04月04日(日) 土曜の1塁側C指定あり

 あまり認めたくない事実だが、昨年暮れから、どうもジャイアンツに熱が入らなかった。
 なんだか分からない原監督の辞任。とっつぁん坊やみたいな堀内の就任。小久保、ローズの入団。宮崎の西武入団(誰も知らない)……。
 その詳細をここで改めてつらつらと書き連ねることがツライと思うくらいに、昨年暮れからのジャイアンツはおかしかった。ファン不在、だなんて簡単な話ではないぞ、うん。ジャイアンツファンの大半はそう感じているはずだ。
 だから、キャンプインしても、オープン戦が始まっても最低限のスポーツニュースしか見なかった。愛する桑田や怪我の二岡の状態はずっと気になっていたけれど、どうもしっくりこない。こんな状態で開幕を迎えることになるわけだが、あろうことか、俺はジャイアンツの開幕戦の日に取引先との飲み会に参加する約束をする、という愚行に出た。仕事上、断りにくい飲み会だったとはいえ、ジャイアンツの開幕戦をテレビ観戦すらしないなんて考えられない。去年の俺なら、開幕戦を見るためにその前日はムキになって残業をして仕事の調整をしたくらいだったのに。
 どうも、ジャイアンツに熱が入らなかったのだ。

『土曜の1塁側C指定あり』
 こんなメールが仕事中の俺の携帯電話に飛び込んだ。プロ野球開幕前日。
 このメールの主は、俺の友人にして邪悪なタイガースファン。彼は時折こんな風に野球観戦のチケットを廻してくれることがあるのだ。
 それまで、面倒な資料作りでパソコンとにらめっこだった俺だったが、このメールを読んだ瞬間、俺の仕事モードはオフになった。そして、オレンジ色の稲妻が俺の体を駆け抜けた(大袈裟だぞ)。そして、約半年近くオフに近かった“ジャイアンツモード”が急速に湧き上がってしまった。
 すぐさま彼に電話。余計な挨拶など抜きにして、俺は言った。
「2枚頼む!」

 土曜日。会社の経営会議と出張の打ち合わせを終え、ダッシュで会社を後にする。この高揚感はなんだ。
 久しぶりに乗り込む、後楽園駅へ向かう丸の内線。改札を抜け、階段を少し上がればそこには我がホームグラウンド・東京ドーム。5時半に待ち合わせをしている同行者は当然、ツマ。彼女よりも少しだけ早く到着してしまった俺はドーム周辺のショップを覗き、木佐貫の新人王記念テレフォンカードとジャイアンツ70周年記念クオカードを衝動買い。これだ、これだよ。ドームに来ると、こういうものを買うのに見境がなくなる。いいんだ、それでいいんだ。

 ま、結果的に屈辱的な敗戦を観戦することになったのだが、まあそれはそれで仕方なし。
 今年も、熱いシーズンに突入である。


 < 過去の生き恥  もくじ  栄光の未来 >


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