のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2004年03月30日(火) 俺は関西人じゃない

 19時37分岡山発のぞみ78号の車内からお送りしております。いやあ、単純に肉体的に疲れた出張でございました。

 普段呑みに行く機会の少ない俺が、この5泊6日の出張では、量の多少は別としてほぼ毎日アルコールを摂取していたことに今気付いた。“量の多少は別として”なんて言い訳染みたコトを言っているが、さらによく考えてみると量もそこそこ飲んでるんじゃないのか。
 出張最後の宿泊の夜となった29日の夜、俺は現地担当者の同僚に連れられて、彼の馴染みの店を訪れた。
 念のために言っておくと、その店はいわゆるところの風俗方面のお店では決して無く、ちょっとお酒を飲むのにカウンターの向こう側に女性がいて愛想笑いを浮かべてくれる、という程度の店だ。この“カウンターの向こう側”というのがポイントで、この形態だと『スナック』と呼ぶのではなかったろうか。記憶が曖昧なので暇な人は調べてみたらいいじゃない。
 我々が訪れたとき、店には他に客がおらず、すっかり貸切状態だった。お店側の女性は4名に対してこちらは3名。カウンターを挟んで、客である我々とお店側の女性が妙な見合いのような格好で座る形になった。『フィーリングカップル5vs5みたいやね』
 と、その中では最古参らしい田中真理子似の女性が笑った。今時、なかなか“フィーリングカップル”っていうチョイスもないですよ、と僕が軽くツッコむと、田中は頓狂な声で笑った。
 この田中が、なかなか面白い。
 年のころは三十路をちょっと過ぎたくらいだろうか。兎に角よく喋る女性で、俺とほぼ同年代であるからだろうが、物事のたとえに引っ張り出してくるコトバのチョイスが中途半端に古くて、好い。先程の“フィーリングカップル”しかり。
 いちばん笑ったのが、この田中、吉本新喜劇にやたらと詳しい。関西圏の出身であれば日常の中に吉本新喜劇があって当たり前の生活を過ごしているはずで、この田中も例外ではなかった。たまたま他の3人の女性があまり吉本新規劇に詳しくなく、田中と僕で吉本新喜劇談話に花満開。
「のづさん、なんでそんなに吉本新喜劇に詳しいん?」
「なんででしょうね。昔から好きだったっすよ」
「関東の人で、そんなに詳しい人おらんわあ」
「自分だって、木村進だの中山美保だのアホンダラ教の教祖様だの、フツー女の子はそんな名前知らんよ」
「そう? だいたいのづさんの喋りっていうか、“ノリ”は、もう関西人やもん!」
 過去にも何度かあった。関西圏のこうした店で飲んでいると、大抵俺は店の女の子に“関西人扱い”されるのだ。いや、こんなこともあったぞ。浦和で飲んだときには、店の女の子に、
「関西の出身なん?」

 今日の仕事は岡山県の某ホテルで加盟店オーナーの集会のようなものがあって、その本部スタッフとして参加する、というものだった。
 一通りスケジュールがこなされ、夕方から反省会という名の社員懇親会の場となった。岡山地区の社員には、俺が大阪で4年過ごした転勤生活で世話になった先輩社員が多く、俺はビール瓶片手に方々の先輩社員への挨拶に駆け回っていた。
「それでは、各部門対抗の演芸大会にうつりまーす」
 司会が高らかに宣言。会社でまとまって飲むと、だいたいこんな風に部門対抗演芸大会が行われる。若手社員が演台に上らされ、とにかく全体の笑いを取るまでは帰ってくるな的な過酷なシーンである。俺も大阪時代、これでずいぶんと鍛えられた。
 Fさんは大阪時代に俺と苦楽を共にした大先輩だ。いま、彼は岡山に転勤となっている。そして、Fさんの部門の若手社員(といっても、年齢は俺より2、3つ若いだけだが)がマイクの前に立った。
「私はあまり芸がないので、歌を歌います」
「いいぞー。うたえー(観客の声)」
「では、歌います。オリックスブルーウェイブの優勝を祈願いたしまして、『阪急ブレーブス球団歌』」
 彼はマイクの前で直立し、朗々と『阪急ブレーブス球団歌』を歌い始めた。
 これが、俺にはツボにはまった。
 なんで、『阪急ブレーブス球団歌』なの? なんでそんな歌知ってんの? オリックスのファンなんでしょ? 
 ツッコミどころが山ほどある。俺は腹を抱えて笑ってしまった。
「いやあ、Fさんとこの彼、最高に面白かったですねえ」
 歓談中に、僕はFさんにビールのお酌をしながら言った。
「そうかあ?」
「はい、僕はもう、げらげら笑ってました。最高でした」
「そやろ。あの可笑しさはなかなか理解されへんねんけどな。あいつ、ごっつおもろいねん」
「めちゃめちゃツッコみたかったです」
「アレで笑えるんやから、やっぱ、おまえは関西人の血ィが流れてんねんなあ」

 いや、だから、俺は関西人じゃないって。



2004年03月26日(金) 祝・徳島進出

 実際のところ、コレを書きこんでいるのは土曜日になってしまっているんだけれど、あくまでも金曜日の日記として言い切ってしまうところに潔さを感じませんか。

 お蔭様をもちまして、FMの徳島県初進出の1号店が無事開店致しました。
『1号店開店!』なんて言いながら実はふたつのお店が同時に開店しているのですね。いいんです、細かいことは気にしないように。
 前日から徳島入りしていた俺は、会社の広報部と共に徳島県庁に赴き、県政記者クラブに詰めている記者たちを首根っこを捕まえて、
「明日、FMが開店するから取材しなさい。写真も撮りなさい。ついでに記事にしなさい」
 というようなことをあくまでも低姿勢に強く強くアピールしてきた。初めて“記者クラブ”ってところに足を踏み入れたけれど、テレビのニュースなんかで垣間見るそれとまったく同じ。学校の教室くらいの部屋が安っぽいつい立で仕切られていて、その小さなスペースに記者の机とパソコンと山のような資料が積み上げられていて、なんかドラマのセットを見ているような気分だった。
 前日まで中途半端に降っていた雨は夜半過ぎには止んでくれて、開店当日はどピーカン。やったね。
 取材陣や取引先相手に行う開店セレモニーはこの俺が司会を勤める。そんなんでいいのか、おい。高校の文化祭でクラスの出し物でやる企画の司会とは訳がちがうぞ。午後からは会議があって、一日ばたばたと徳島市内を駆け回った。
 合間に徳島ラーメンを食べた。醤油味を前面に押し出した、見た目よりも口になじむスープに九州ラーメン風のストレート麺が静かに横たわるあっさりラーメンで旨かった。
 松山出張生活から本部に戻ったとはいえ、そのほとんどをこの徳島開店に費やすこととなった。いろいろ細かい指摘があったとはいえ、とりあえずはヤマを越えた、と思いたい。
 週末は松山、そして再び徳島へ飛び、火曜日には岡山。“火の六日間”は続く。



2004年03月21日(日) 休日らしい休日

 開店と同時にスーパー銭湯の露天風呂に飛び込み、贅沢な朝風呂と洒落込むつもりでいたのだが、目が覚めたら11時過ぎ。昨晩、友人の家に招かれていたツマを深夜に迎えに行って、目覚まし時計代わりの携帯電話をバッグの中に入れっぱなしにしてしまっていて、アラームに気付くことなく死んだように眠りこけてしまった。朝の光の中で露天風呂の『寝湯』に浸かりながら文庫本をのんびりと読む、という至福の時間は次回以降に持ち越しとしよう。
 身支度を整えて家を出る。今日は大学時代の友人宅へ遊びに行くことになっている。一緒に行くのは同じ大学時代を過ごした後輩夫婦。生まれたばかりの赤ん坊を連れてくるので、こちらも楽しみだ。
 それにしてもなんていい天気だろう。昨日の豪雪(と言うほどではなかったが、気分的に俺の中ではそうだったのだ)がウソのようではないか。春先の風はそれでも少しだけ冷たかったりするので、ちょっと薄着をしてしまったか、とジャケットのジッパーを胸元まで引き上げた。
 待ち合わせの駅で後輩夫婦と合流。人見知りをしない、無垢な笑顔でこちらを伺う赤ん坊を抱いて、車の中から出てきた後輩はすっかり“お母さん”だった。なんか不思議な気分だ。こいつら後輩と出会ったのはもう十数年前にも遡るのか。まだ高校を出たばっかりの彼女と、俺と同じように少しだけ遠回りをして大学にやってきた彼との間に生まれた小さな命をこの手で“抱っこ”するなんて、想像してなかったぞ。
 彼らの車で友人宅へ。思い切って一軒家を手に入れたんだ(ン十年のローンだけどな)、という話をちょっと前に聞いていて、今日はその新居へお邪魔する、というわけだ。その割にはすっかり手ぶらで出掛けてしまった俺は、本当に間抜けだった。
 何ともない時間を過ごした。昔話をし、それぞれの夫婦の話をし、テレビを眺め、コーヒーを飲み、笑いあった。友人夫婦と後輩夫婦の幸せを垣間見たような気分で、実に心地よい。
 なんて穏やかな時間だ。
 仕事一筋に突っ走っているつもりは毛頭ないけれど、もっとこう、今日みたいな時間が大切だ。

(おっととと、もうすぐ9000アクセスだ。10000達成にはなんかやるかな)



2004年03月20日(土) 四国三昧

「今日はナニ、出張?」
「あれ、なんでいるの?」
 この3月から本社に出勤するようになったが、会社で会う人会う人に必ずこう言われる。彼らの意味するところは『四国に行っているはずのオマエがなんでココにいるのだ?』
 そらあんた、いつまでも松山に居られるわけがないでしょう、一応“無罪放免”ってことで3月からこっちに出社しているんですよ──などと引きつった笑いを浮かべながら説明したりするだが、3月も半ばになるというのに未だに同じことを言われると説明するのも面倒。いい加減にしてほしい、という気分でもある。
 一方では、今月末には同じ四国の徳島県にもウチの店が初進出する、ということになっていて、今俺はその準備にかかりっきり。松山での一号店の時と同じように、取材対応やら開店イベントやらと細々とした準備があって、これがまた厄介だ。その現地での仕事も含めて、来週半ばからはまた一週間ほどの出張へ行かなければならないスケジュールになってしまった。徳島→松山→岡山と、土日の休日出勤を含めてそれぞれ2泊ずつ。これ、結構シビアな日程かもしれないなあ。ま、出張生活中は訪れることのできなかった道後温泉に行けるチャンスだと思い、他の宿泊費を浮かしてでも、道後温泉の旅館にでも泊まってやろうか、と今から策謀しているのだ。

 道後温泉か。今日は朝から寒かったから、地元のスーパー銭湯にでも足を運んでみるか。



2004年03月16日(火) 謎の派遣社員

 眉村卓みたいなタイトルだ。それは“謎の転校生”。

 どうも不思議な人である。
 この3月の人事異動で他部門からひとりの派遣社員さんが我が部署にやってきた。その女性は年のころは俺と同じくらいだろうか、という印象。
「分からないことばかりでご迷惑をおかけすることになると思いますが――」
 着任した初日、自己紹介のために俺の机のそばにやってきて彼女はそう言った。まあ、よくある挨拶言葉だ。聞けば、昨年度までは人事部の仕事をしていたらしい。つまり、ウチの会社の仕事をやってきた人だ。そんな、迷惑がかかるなんてことはないでしょう、と俺が笑って言うと、
「年のせいか、覚えが悪くって……」
 と真顔で答えた。“年のせいか”という台詞が出てくるほど年齢は食っていないと思ったのだが。

 実はこの人がやってきて以来、ウチの部署は密にこの人の話題で持ちきりである。
 なにしろ声がでかい。派遣社員という立場だから、というわけではないが、とにかく部署にかかってきた電話はがしがしと取っていく。そして、その取次ぎの声の大きさが尋常ではない。
 でかいのは声だけではなく、彼女のくしゃみはオヤジのそれ以上である。
「ひーっくしょい!」
 とても女性から発せられるくしゃみとは思えない。彼女がくしゃみをすると、部内の他の女性社員は顔を伏せて笑いをこらえている。
 今日は、部内のSさんは早くも彼女に嫌われてしまった、という話で盛り上がった。どうも、彼女の取次ぎの電話にSさんがすぐに出なかったことが原因のようだ、と彼女の隣に座る女性社員は語った。普通、取次ぎの相手が電話中であったりすると、メモを書いて差し出したりするが、彼女はSさんが電話中でなくてもSさん宛の電話はメモにして渡しているようなのだ。
 ありえないー、と同僚達が盛り上がっている中、俺にも思い当たるフシがあった。
 数日前、俺が社外の人と電話で話している時に、慌てた様子で彼女が俺の傍らにやってきた。彼女が別の俺宛の電話を取った、というのはなんとなく分かっていたので、“その電話の用件をこのメモ用紙に書いてください”とジェスチャーしたのだが、彼女のリアクションがすごかった。電話で話している俺に向かって、
「ダメです。こっちの電話に出てください」
 と言うのである。“こちらの電話になんとか出られませんか?”という意思を表情で俺に伝える、などということではなく、『こっちの電話に出ろ』と口に出して言うのだ。
 なんなんだ、この人は……。奇妙な恐怖感さえ覚えた、というのが正直なところである。

「のづさん、この人の机の引き出し、開けてみてくださいよ」
 残業中、ふとまた彼女の話題で盛り上がっているとき、彼女の隣の席の女性がその不思議な派遣社員の机を指差して言った。
「え、なんかあるんですか?」
「コノ人ね、今日、消しゴムがなくなったって大騒ぎしてたのよ。誰かに“盗まれた!”って。怖かったあ」
「まあ、机の文房具が勝手に誰かに使われるってのは、よくあることでしょう」
「そうよねえ。まあいいから、のづさん、2番目の引き出しを開けてみて」
 俺は言われるままに、そっと2番目の引き出しを開けてみた。女性の机の引き出しらしく、なにやらお菓子が入っているのが伺えた。なんだ、たいしたことじゃないじゃないか、と思ったのも束の間、さらに引き出しを滑らせると、A4のコピー用紙に赤のサインペンで走り書きしたメモが出てきた。

『開けるな、ぬすっと』

 本気で怖かった。



2004年03月14日(日) 旅に出たい

 金曜日の夜、久しぶりに高校時代の仲間と呑んだ。久しぶり、高校時代の仲間、と言っても日常的にくだらないメールのやり取りをしていたりするわけで、ほぼ日常のどこかにはその存在を感じている仲間である。今となっては親兄弟の次に付き合いの長い友人だ。これからこんな深い付き合いの出来る友人がどれだけできるのだろうか、なんてことを芋焼酎のお湯割りをちびりちびりやりながらふと考えたりもした。
 いや、そういう話じゃなくて。
 この仲間と呑むときは、どう最近忙しいのかい、などという近況報告的な仕事の話をすることはあっても、それ以上の、例えば会社の愚痴だったり上司の悪口だったり会社の業績を嘆いたり誇ったり、というような話にはならないのが有難い。話題といえば、特にナニかに役立つわけでもない、三十路も半ばを過ぎようとしてこんな話でげらげら笑っていていいのか、というようなどうでもいい話ばかりだ。勿論、それが楽しいのだけれどね。

 で、俺は旅に出たい、というような話をした。
 今、俺がいちばん行きたいところは“無人島”。松山の出張生活で飛行機の移動が多くて、そのときに読んだ機内誌の読者欄に載っていた無人島の経験談が俺をすこしだけ揺り動かしたようだ。
 穏やかな陽光の下、その名の通り誰もいない島の砂浜でただ海を眺めながらぼんやりとする。ちょっと読みふけってみたい文庫本の世界に突入してみる。キャッチボールをする(誰とだ)。そんな一日を『のづ随想録』のネタにノートパソコンへ打ち込む──。
 沖縄あたりにはたくさんの無人島があって、地元の漁船などと話の折り合いをつければ無人島への往復の足になってくれるらしい。本格的なキャンプ生活を満喫しようなどという気合はないので、まあせいぜい一日過ごせれば十分だ。

 無理やり休暇をとって、無人島に行きたい。



2004年03月05日(金) 食生活

 出張生活が終わったと途端にコレだ。3月に入って漸く1回目の更新である。今年に入って順調に更新が進んでいたが、やはり自宅での生活となると様々な制約があり、自由気ままにパソコンに向かう、というのもなかなか難しかったりもする。まあ、無理せずに更新を続けていきますので、これまでのようにふらりと覗きに来てください。弟サイトの『のづ写日記』はほぼ毎日更新が続けられていますので、そちらもよろしく。

 松山にいたときと比べると、朝がちょっとツラい。
 池袋出社となると、まあ最低でも30分前にはデスクに付いていたいところで、ドアtoドアで約1時間の通勤時間を考えれば7時半までの西武線には乗り込むことになる。松山では、8時過ぎに目が覚めたとしても十分8時半には事務所に到着するところに住んでいたので、この睡眠時間の差は大きい。もっとも、とやかく言う家人が居ないことをいいことに、気が済むまで夜更かししていたので、出張生活が終わっても睡眠時間はさほど変わらないような気もするが。

 食生活が激変した。
 それまでは安易にラーメンだのチャーハンだのコンビニ弁当だのというモノしか食べていなかったのが、ツマが用意する食事には必ず野菜や穀物、豆類などが添えられている。これはこれで有難いことではある。確かに、偏った食生活が続いた松山出張生活の後半では、確実に体調に影響を及ぼしていることを体感できたからなあ。
 俺がいないときはほとんど肉類を買うことはなかった、とツマは言った。俺が出張生活を終えて家に戻ることが決まって、慌てて俺の好物の肉類を買い込んだらしい。
「オットは肉食獣だけれど、ちゃんと野菜も食べなければいけません」
「“肉食”であることは認めるが、“獣”というのはやめてください」

 食生活の安定、まずはこの事実に感謝したい。


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