のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2002年02月26日(火) 疲れたなあ

 リアルドキュメント風に言ってしまうと、今俺は会社の事務所にいる。もちろん、たった一人だ。
 先般もココで記したように、今月は新規開店の店をふたつ抱えており、これが結構とバタついて大変である。ひとつの店はすでに開店しているので、開店直後くらいは店の応援に……とばかりに一日数時間は店に入って雑用をこなしている。
 もうひとつの店が開店するのは28日(俺の友人で2月29日生まれ、というヤツが居る)。こちらも開店直前の準備で毎日のように顔を出さなければならない。
 ウチの会社は3月が期首となるため、年度始めにむけての提出書類なんぞも用意しなければならない。作らなければならない書類も2件あるのだが全く手つかず。
 こんな状況において、事務所の引っ越しをするというのだから狂気の沙汰と言わずしてなんと言おうか。
『今週の土曜日の朝から引っ越し業者が来て作業を始めちゃうので、金曜日中に荷物をまとめておいてくださいね』
 今朝、事務の女性から連絡があった。そんな時間が俺のどこにあるというのだ。
 やむを得ず、店舗応援を終えてから22時過ぎに事務所に戻ってきて、最低限の荷物や書類の整理をした。
 これがまたいらない書類があるわあるわ……。
 −−などという話を始めるとキリがないので今日はコレで勘弁してください。
 今から帰宅して風呂に入って……。明日は朝6時くらいには家を出発する予定である。
 嗚呼、嗚呼。



2002年02月24日(日) ショック

 本日、埼玉県は坂戸市で新しいFMをオープンさせた。やはり新しいお店というのは、いい。
 個人的にもかなり思い入れのあるお店だ。今日の開店に漕ぎ着けるまでにどれだけの苦労と失意と怒鳴り声と建築業者との喧嘩があったか、語るにはそれなりの時間がいるが今はその時ではない。
 店鋪開発担当の俺は、店がオープンしてしまうとほとんど役に立たないヒト、となってしまう。接客はそれなりにできるものの、レジ操作はやや覚束なくなっているし――俺が直営店で店長をやっていた頃のレジとくらべてもかなり機能が増えていて、よう分からん――商品知識は危ういし、発注なんてできるわけないし、もはや『いらっしゃいませマシン』と化して、声を張り上げるばかりだ。
 それでも開店したばかりの店というのは雑用がたくさんあって、俺のようなユーティリティプレイヤー(という名の雑用係)が縁の下の力持ちとなることもある。
 新規オープンイベントの一貫として、お客さまに風船プレゼント――というのをやっている。特に子供連れの若奥様やお母さまなどには好評で、子供の手を引いたお客さまが来店すると、俺は色とりどりの風船を持って、
「よろしかったら風船をお持ち帰りください」
 と声をかけ、子供に色を選ばせる。子供の小さな手に風船を括ってやり、頭のひとつも撫でてやればそこには満面の笑顔を浮かべた天使がいる。
 接客業はいいなあ、と思う瞬間でもある。

 コンビニのレジには『客層ボタン』というものがあるのを御存知か。
 情報産業と言われたコンビニのデータは、このレジ(POSレジ)が重要な要素のひとつだ。
 たとえば、店にどんな客がくるのか――男性、女性、若者、壮年(中年のことですな)、主婦、中高生、子供、老人などなど――を、このレジ操作の中でデータを集めているのである。
 FMで買い物をする時、ちょっと気をつけてみると面白いですよ。
 購入した商品を店員がすべてスキャンし終わり、お金のやり取りがあり、客が最後にレジの左端のボタンを押す(この時、レジのキャッシュボックスががちゃん、と出てくる)――これが『客層ボタン』。
 店員はこのボタンを押す時、客層を、つまり男性か女性か、若者か中年かを判断して押し分けているのである。
 今日も、営業部門のマネージャーが店で買い物をした時、
「アルバイトに“壮年男性”のボタンを押された! 俺はこんなに若いのに!」
 と騒いでいたが、だれかが
「そういうことを言っている時点でもう中年ですよ」
 と言って笑った。
 この俺も、FMで買い物をする時は気にするつもりもなく客層ボタンを見てしまうが、だいたい7割くらいの確率で“壮年男性”を押されてしまう。もう最近は気にしない。

「ボク、風船いる?」
 さっきからお菓子売り場をうろちょろし、他の子供が手にしている風船をうらやましそうに見上げている5歳くらいの子供に、俺はしゃがみ込んで声をかけた。
 自分の視線に現れたオトナを、彼は一瞬けげんそうに見つめたが、俺がもう一度「風船、いる?」と訪ねるとちいさくうなずいた。
「何色がいいかな。赤? 青?」
 俺の問いに答えようとはせず、彼の目線が不安定に泳いだ。おそらく一緒にこの店に来た母親か父親をさがしているのだった。そしてその子が欲しい、と言ったオレンジ色の風船を彼の右手に持たせてやると、彼はにっこりと笑って、商品棚の向こう側に走って行った。そしてすぐ、商品棚の向こうから嬉しそうなその子の声が店一杯に広がった。

「ママ! おじさんに風船もらったよ!!」

 FMのユニフォームを着ていなかったら、俺はそのガキを店外に連れ出し、げんこつのふたつみっつもお見舞いしてやっただろう。

 今年、35歳になります……。



2002年02月22日(金) うわ、今日は“2”ばっかりだな

 帰宅したのは明けて23日の午前2時半。
 明日のための仕事があったのだが、送別会的呑み会が『魚民』で軽く行われ、23時近くに事務所に戻ってきてから、仕事を再開。たまらん。
 一緒に深夜まで残っていた同僚と近所のラーメンを食いに出かける。社内のいろんな人の話になって、ついつい話し込んでしまった。
 明日はまた早起きしなければならない。眠い、眠い、眠い。今月は新しいお店をふたつ開店させるのでアレコレと忙しくなっている。
 ああ、もうこんな時間だ。眠い、眠い、眠い……。



2002年02月18日(月) ばかなことをやったもんだ <其の参>

 くつろぎの日曜の午後、日テレでジャイアンツの紅白戦の模様を中継する――というのを新聞のテレビ欄で発見した。慌てて時計を見上げればちょうど番組が始まろうか、という時間だった。
 コタツに入って、コーヒーなどを呑みながらジャイアンツ戦士の紅白戦を観戦(実は、その日の紅白戦は雨で中止になってしまい、前日の土曜日に行われた紅白戦を放映していた。スポーツニュースですでに見たんだけどな……)。
 青空の下の野球は、いい。観るのもプレイするのもどちらも気持ちいいものだ。宮崎サンマリン球場でグラウンドを駆けるジャイアンツの選手達を観ていたら、不思議と「ああ、野球がやりたい」という気分になってきた。

『ばか野球』

 ――「草野球」でも「野球」でも「三角ベース」でもない。なんとも形容しがたいそれを、俺達は『ばか野球』と名付けた。
 学生時代、土日や暇な時間があると、だいたいWの家が俺達のたまり場だった。彼の部屋は母屋とは離れになっている小さなプレハブの部屋で、仲間達が集まって夜中まで大騒ぎしていたとしてもそれほど気兼ねすることはなかったし(本当は気兼ねしなければいけないのだが)、何より自分の部屋のようにくつろぐことができた。
 ある日、彼の部屋で仲間数人がダベっていると、彼の部屋に転がっている小さなゴムボールと玩具のようなラバーのバットを持って「野球をやろう」と誰かが言い出した。
 近所の公園へ繰り出した俺達はこのゴムボールと玩具のラバーバットで野球(のようなこと)に興じた。
 俺達、といってもその時は3人だった。ルールなんてありはしない。投げたいやつがでたらめなフォームで投げ、打ちたいやつがへっぴり腰で打ち、守りたいやつがひたすら守る。
 ゴムボールはやけに柔らかいので、まともに打ち返したといってもろくに飛びもせず、奇妙な変化をして転がってゆく。それがやけに可笑しくて、それでなくとも草野球とも呼べないようなこんな球遊びに興じている自分達が可笑しくて、徐々に俺達のテンションは上がってゆく。
 突如としてWは外国人ピッチャーとなり、怪し気なカタカナ英語でバッターボックスの俺に挑んでくる。もちろん俺は花形満となって「さあこい! 星くん!」とラバーバットをライトスタンド(もちろんそんなものはない)方向へ掲げ、予告ホームランだ。
 自分達のばかばかしさにげらげらと腹を抱えながら、俺達の『ばか野球』は続いてゆく。
 うっすらと汗。青空。仲間の笑い声。
 結局、普段ばか話に盛り上がっているのとなんら変わらない。盛り上がっている場所がただこの公園というだけで、野球の真似事をしながら結局いつもの冗談を言い合っているだけなのだ。
 そろそろ大学を卒業しようかという年令に、俺達は――。
 これが『ばか野球』の神髄である。

 つい先日、このWから携帯電話にこんなメールが届いた。
『いま、上野公園。――(中略)――イヤホンで聴くその音楽越しにふと聞こえたのは、公園内のグラウンドで軟球を打つバットの鈍い音。半ば普段着の男女が、楽しそうに球と戯れていた。
 ああ、こんな日にはばか野球がしたいなあ』



2002年02月17日(日)

 形(かたち)に残る、ということは大変なことである。

 例によって休日出勤の土曜日、俺は二つの仕事の現場に向かう。昨日までは真冬が逆戻りしたような北風の堪える天気だったが、この日の青空は遠くに春の気配を感じさせていた。
 両方とも今月末に新規開店させる店であり、今は開店に向けての工事のラストスパート、という時期である。それぞれの現場で工事がちゃんと行われたかどうかの確認をする、というのが今日の仕事だった。
 まだ看板も付いていなければ、店の中の陳列棚も整理されていない、未完成の店。何人もの職人さんが内装工事に余念がない。
 俺は役所に提出しなければならない書類用に、その未完成の店をデジカメに納めていた。
 いつもいつも思うことなのだが、自分の仕事がこうして“店”という形で残ると言うことは大変なことだ。(当然、会社の判断がある――という大前提があるとしても)この場所に店を作り、その為に沢山の人間が動き、何千万円というお金が費やされる、という動きのかなり先頭の方にこの俺がいるという現実は、実はとてもソラ恐ろしいことのように感じることがある。
 そして新しく生まれた店を生業の場としようとしている人がいる、という現実。

 大阪でも4年間同じ仕事をしてきて、その店たちは今も稼動している。新幹線に最低3時間は揺られないと目にすることのない店ではあるが、“形”として残っているのである。
 つまりその“形”は“責任”とも言い換えられるわけで。

 2月24日に埼玉県坂戸市で、同じく28日には埼玉県川越市で新しい“責任”が動き出す。



2002年02月14日(木) お役所

 こんなことをココで声高に言っても仕方のないことなのだけれど、今日はちょっと頭にきた。
 今月末に二つの新しいお店を開店させることになっているのだが、その手続きはそれはもう多岐に渡る。当然俺一人でこなせる訳はなく、それぞれの部門で手分けをしていて、そのうちのひとつに保健所への営業許可申請、というのがある。どんな店でも保健所の『営業許可』っつうもんをもらわないと開業できないのですね。
 通常は俺の仕事ではないのだが、ちょっとした事情があって、二つのお店の営業許可申請を俺がやることになった。
 ひとつのお店の方はA市の保健所に行って、こちらはスムーズに受理されたのだが、同じように書類をそろえてもうひとつのお店の管轄となるB市の保健所へ行ったら、コレが融通が利かないのだ。
 書類を持ってくるのが早すぎる、もっと遅く持ってこいだの、書類が足りないから揃えてから持ってこいだの。今日受理してもらえなかったら、わざわざまた数日後に来なければならない。こちらに不備があったのなら素直に頭も下げようものなのだが、“以前、このB市で申請したときはこの書類で受理してもらえた”のである。前回受理できて今回受理できない、というのはどういうわけやねん。
 だいたいA市が受理してくれているのにB市で受理できない、というのも承服できん。どっちも厚生省管轄のおんなじ保健所だろーが。
 熊本県の酪農農家の方々が厚生省に怒鳴り込むその傍らで、『どこの保健所もおんなじように手続きできるようにしろ!』とプラカードを持って叫びたい気分である。



2002年02月10日(日) 又々びっくり、アクセスカウンタ

 さあ、月イチ恒例のアクセス数を振り返るコーナーです。
 先月には「さあ、いよいよ1000アクセスを超えようか」という話だったのに、今月がこれまた大変なことになっている。皆様には全く興味のない話であろうが、今月も懲りずに数字を追い掛けてみた。

<アクセス数>
 01/09/20……97 → 10/07……200 → 11/10……420 → 12/09……702  → 
 02/01/09……990 → 02/10……1488
<更新数>
 9月……15回 / 10月……11回 / 11月……13回 / 12月……13回 /
 1月……13回

 前月までの月平均220アクセスから、なんと1月だけで498アクセス! 9日土曜日の広島カープ・沖縄キャンプにだって300人しか観客が集まらなかったと言うのに(意味不明)、これはどうしたことだ。一日平均が約16回のアクセスがあると言うのはちょっとどうかと思うぞ。別にココを読めばなんかもらえるだとか、そんなことは全くないのに、驚く程のアクセス増である。プレッシャーに感じつつも、こんなくだらないところを見に来てくれているのだから、それはそれはありがたい。
 ちょうど先月は“1000アクセス”という区切りもあったことだし、多少読者の皆様側にもココをのぞきにくるモチベーション、といったものもあったのかもしれない。それにしても……の数字にワタクシはハッキリ言っておのろいております。
 おそらく今週中には1500アクセスを突破することになるのでしょうか。一部読者はココをドコモのiモードからアクセスしているらしく、こういう人が気軽にのぞきに来てくれるのでアクセス数も増えているのでは、ということもありそうだな。――そうなんですよ、ココ、iモードでも見られるみたいなのでiモードユーザーの方はぜひお試しあれ。URLは《http://www.enpitu.ne.jp/usr3/39988/》を入力、です。そのかわり「なんだよ、今日も更新してねーじゃねーかよ」とかそういう心の狭いことは思わないようにね。

※  ※  ※

 最近ではM.Sさんが『昨日,カウンタが1399でクヤシかったです。』とリアクションメールをくれました。これは残念賞、ということでキリ番にエントリーされました。おめでとう。



2002年02月06日(水) 目覚し時計

 ウチの親父が時計会社に勤めていたこともあって、実家では“時計はお父さんが会社からもらってくるもの”という認識が強かった。俺が今常用している腕時計は、結婚する際にツマからプレゼントしてもらったもので、それまでに“自分で買った”時計はスウォッチがひとつだけ、だと思う。
 ウチの実家を知る人なら想像できるだろうが、それはまあ沢山の時計が家のあちこちにあった。
 リビングだけでも壁掛け時計がふたつ、置き時計が3、4個はあって、戸棚の中に親父が大切にしていた腕時計が5、6個はあったと思う。
 壁掛け時計は、ひとつが鳩時計で、もうひとつが仕掛時計。正時になるとあっちから鳩がぴっぽろぴっぽろ鳴きながら飛び出してきて、こちらの仕掛時計では、その文字盤が左右に開いて中から人形が出てきてファンファーレとやかましいメロディを奏でる。それとほぼ同時に、メリーゴーラウンドをかたどった向こうの置き時計がくるくると回りながらやはりずんちゃかずんちゃか言いだすのである。
 
 やかましくて仕方がない。

 例えば夜中に、TSUTAYAで借りてきた『羊たちの沈黙』あたりを観ていたとしよう。ムードを出すために、当然部屋の電気は消してある。ぐっと息を飲む緊張のシーン――というあたりで、まったく能天気にぴっぽろぴっぽろパンパカパーンずんちゃかずんちゃか、と鳴りだすことがある。

 やかましくて仕方がない。いや、ホントに。

 俺がこだわって使っているのが目覚し時計。
 セットした時間にけたたましく鳴る音がベル音だったりアラーム音だったり、というのが主流なのだろうが、俺は高校時代から『音声』が鳴る目覚し時計を使っている。
 朝になると『ピピッ……ロクジ、ジュッップンデス。ロクジ、ジュッップンデス。』
 ベル音やアラーム音よりも、さらにカンに障るのがいい。
 セットする時間は、微妙に時間をずらした方がいい。それも促音が入る時間を時計に喋らせるようにしたい。
『ロクジデス』よりも『ロクジ、ジュッップンデス』のほうが耳障りなので、そらもう目覚し効果はてきめんである。ただ、ツマにとってもこの声は耳障りで、どちらかというと『お願いだからソレやめて』というレベルで嫌いらしい。
 この『音声』目覚まし時計も年季が入ってきて、そろそろガタがきているので新しい『音声』ものに買い替えたいのだが、果たしてツマが許してくれるだろうか。



2002年02月03日(日) かすかな春の足音

 この土日は両方とも出勤だった。
 今月の末に、俺の担当で2件の新しいお店がオープンするのだが、その従業員募集面接の立ち会いがメインである。本来は別に俺が顔を出さなくてもいいのだが、いろいろと事情があって同席しなければならなかった。
 今日は朝から冷たい雨がそぼ降っていて、すっかりやる気の失せる天候だった。雪が降ることはなかったが、前の晩からは一部の地域では積雪もある――なんて天気予報がおどかしてくれていただけに底冷えのする朝だった。
 テキトーに仕事をやっつけ、夕方には帰宅。『美味しんぼ』を読みながらゆっくりと風呂につかる。汗が出てくるくらいまでの長風呂が気持ち良い。
 ツマがこしらえてくれた今日の晩御飯は、和食一直線!――という感じであった。
 焼き魚にアツアツの豚汁、油揚げを軽く炙ったもの、ぜんまいの煮付けに菜の花のおひたし。
 炙った油揚げは二個並んでいて、中にシソをまぜた納豆が入っているのと、納豆とチーズが入っているのとがあった。このどちらもが意表をついて美味い。特にシソが入っている方はその香りがまたねばねば納豆によって引き立っているようだ。チーズと納豆は実は相性がいい、ということも発見。
「今日は“春”をテーマにしてみました」とツマが言うように、ぜんまいの煮付けと菜の花のおひたしがこれまた美味い。菜の花のほんのりとした苦味が口の中でさっぱりと広がる。
 二月、如月。“更に着る月”という二月だけにまだまだ寒い日が続くのだろうが、俺とツマのたった二人の食卓に春の足音がした。



2002年02月01日(金) 二月になりました

 2月かよっ!――と三村風に自分のシステム手帳に突っ込んでしまった。先日、やたらのんびりしまっくた正月休みを満喫していたかと思ったら、あっという間に1ヶ月が過ぎていった。
 年令を重ねる毎に、月日の流れが恐ろしく早くなってくるように感じる。この調子でいくと、逃げ月の今月もさささっと終わってしまい、仕事上でも2002年度に早くも突入してしまう。そうするとまた面倒な仕事上の数字がリセットされ、その数字に追い掛けられる日々がまた始まるのだ。そして時間だけが抜き足差し足で俺の背後あたりを通り過ぎてゆき、気付くともう夏の声が聞こえてきたりする。嗚呼、嗚呼。

 大人は“待つ”ものがないから、月日の流れが早く感じるのだという。

 子供の頃には“待つ”ものがいっぱいあったな、そういえば。
 なんたって、夏休み。あの40日間の夢の時間を、4月、5月……ともどかしく過ごしている。6月なんて妙に中途半端な感じがして、子供ながらに焦れったさを感じていたような気もする。あの焦れったさが、時間をスローペースにしていた張本人なのだな、きっと。1年どころか、1ヶ月も、1週間も、そして1日さえも長く、濃い時間だった。
 運動会、自分の誕生日、クリスマス、お正月(お年玉?)、雪、新学期――あの頃はいったい幾つの未来を待っていたのだろう。

 これからだって未来はある。ささやかながらも自分で「これ!」という具合に未来を作ってゆかなければならないなあ。


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