のづ随想録 〜風をあつめて〜
 【お知らせ】いよいよ『のづ随想録』がブログ化! 

【のづ写日記 ADVANCE】

2002年01月30日(水) 球春、間近。

 今年は日韓共同開催のワールドカップサッカーが世間を大きく賑わすことになるだろうが、やはり俺はプロ野球の動向も見逃せないな――今日はなぜかそんなことを改めて思う一日だった。
 昨日は阪神ファンの友人からメールが届いた。もうすぐキャンプイン、楽しみだな、というような内容。そうなのだ。このキャンプの時期はオノレの贔屓の球団や他球団を好き勝手に評論できる、いわば“プロ野球シーズンで最も楽しい時期”である。我が家では来月からは日刊スポーツの宅配をも手配し、キャンプ情報はしっかりチェックできる体制を整えた。俺自身の準備は万端と言っていい。
 今日、水曜日は「週刊ベースボール」の発売日で、出勤途中にしっかりとファミリーマートで購入、仕事の合間にぱらぱらとページをめくっていた。各球団のキャンプ事前情報の特集もあって、これは長風呂のお供にちょうど良いぞ、とほくそ笑む。
 とあるお客さんのところでは、雑談の中から星野阪神はどうなるのか?――というテーマで激論を交わす。その人はアンチジャイアンツなので、あまりジャイアンツの話ができないのがつらい。ふと、大学時代の後輩の女の子の父親がかなりなジャイアンツファンだ、という話を思い出した。
 事務所で残業の資料作りを終え、営業車の置いてある駐車場へ。車を止めた時には気付かなかったのだが、ちょうど運転席の扉の下に、小さなボールが転がっていた。近所の子供達がこの駐車場で遊んでいて、そのまま置き忘れたのか、それは月灯りに照らされた軟球だった。
 俺はそっとその軟球を拾い上げた。軟球の凹凸が懐かしく手に馴染む。肩から下げていた鞄をそのまま地面に置くと、俺は大きく振りかぶってその軟球を駐車場を囲っているコンクリートの壁に投げ付けた。やや高めに浮いたが、今シーズンからストライクゾーンも広がることだし、ストライク! と心の中で呟く。
 寒風の中、23時ちょっと前に帰宅。スーツを脱ぎながら、ふと「ああっ! しまった!!」と声を上げる。
 どうしたの? とツマが怪訝な顔でやってきた。
「せっかく買った週刊ベースボールを営業車の中に置き忘れてきちゃった!」――ツマは黙ってそのままコタツに戻って行った。

 球春、間近。



2002年01月27日(日) 激安メガネ

 今日、月イチのペースで通っている理容室で髪を切ってもらっているとき、担当のヤマダさんとあれこれ雑談をしている中で、ふとメガネの話になった。
 彼女はいわゆる今風の小さいフレームのメガネをかけていて、これがなかなかよく似合っている。今後の俺の人生の中でまず間違ってもコンタクトレンズをすることはない、と心に決めている俺は「ああ、こういうメガネも欲しいなあ」などと前から思ってはいた。
 吉祥寺や原宿に激安のメガネショップが出来た、という話を聞いたのは2ヶ月ほど前だったろうか。聞けば、フレームとレンズ、ケースも含めて5,000円・7,000円・9,000円という三つの価格設定のみだという。会社の同僚からそんな話を聞かされて、自宅用のメガネを作り直したかった俺はぜひその店を覗いてみたいと思っていた。自宅用ならそれくらいの金額で十分だと思ったからだ。
 その店と同じ店かどうかは良く分からないのだが、同じ価格設定で激安メガネを販売する店が近所にオープンした。俺はヤマダさんに、
「自宅用のメガネを作りなおそうと思っているんで、その店に行ってみようと思ってるんですよ」
 と話した。するとヤマダさんは鏡越しに、
「ああいうメガネは気をつけた方がいいらしいですよ」
 と教えてくれた。
 安かろう悪かろう――ではないが、通常に眼鏡屋さんで作るメガネとはやはりレンズの質が違うらしい。妙な具合にレンズが反射して見にくかったり、結局それが目の疲れにも繋がって良いことはない、と彼女がしているメガネを作ってくれた眼鏡医の先生がそんな話をしていたらしいのだ。
 理容室を後にし、すぐ近くのダイエーで牛乳を買ってくるように――というツマからの指令を受けていた俺は、ダイエーに行く前に、その激安メガネの店をちょっと覗いてみることにした。
 小さな店内で、様々な形・種類のフレームと共にシルバーの雑貨や小物なんぞも並べられている。店員と思しき男性が2名。男性、というよりは明らかにハタチそこそこのオニーチャンという風情である。中年の女性が一人、このオニーチャンの説明を受けながらフレームを選んでいるようだった。
 信用をしないわけではないが、どうもこのオニーチャンに自分のメガネ作りの相談をするにはやや勇気がいるような気もした。そしてヤマダさんの話。ううむ、あんな話を聞いてしまうと、ちょっと二の足を踏んでしまうよなあ。その話はそれとして、試しに5,000円くらいのメガネを作ってみようかな、とも思っているのではあるが。
 激安メガネについて情報をお持ちの方、どうぞ教えて下さい。



2002年01月26日(土) 雪ハロ

 途中まで書いたネタがあったんだけど、どうもノらないので書き直しじゃ。たまにはまあそういうこともある。

 雪が降ってますよ、雪が。
 正確には、こちら埼玉ではすでに雪からみぞれ混じりの雨に変わってしまったのですが、夕方くらいから降り出した今日の雪、この冬始めての本格的な雪ではないでしょうか。皆様のところではどうですかね。
 天気予報では昨日の段階から今日の雪のことをまるで脅しをかけるようにさんざん伝えていたので、こちらとしてもココロの準備はできていたけれど、それでも今朝などはひどく底冷えがして、なにかをどすんと落としてきそうなくらいどんよりとした鉛色の雲を見上げながら、これから降るであろう雪をかなり憂鬱な気分で待ち構えておりました。
 今日の雪はやや風も強かったりして、ちょっと質が悪いなあ。自宅がマンションの14階だったりするもんだから、エレベーターを降りて、自宅までの通路はほとんど吹きっ晒しなのでちょっと強い風が吹いたりするとぐいんぐいん風が舞うわけですね。今日なんか、下から上へ雪が吹き上がってくる状態。自宅までの数十歩で雪まみれになってしまいました。
 雪は好きだけど、寒いのはいやだ。

 話は全然違うんだけど、ふと思い出してしまったので。
 最近、また、“ガンダム”が静かに流行ってますね。片寄った内容なので、分からない人はすまん。
 ガンダムの主人公であるアムロのペットのような小型ロボット“ハロ”を覚えておいでですか。アイボに代表される昨今のペットロボットの流行に影響されてかどうか知らないけど、最近この“ハロ”がバンダイから発売されたんですよ。喋ったり、リアクションしたり、時間を告げたりというお約束通りの機能は一通りあるようです。
 はっきり言って、欲しい!
 等身大のシャア・ザクもちょっとだけ欲しいと思ったけれど、この“ハロ”は本格的に欲しい! まあ、自宅のiMacの脇あたりにこの“ハロ”が飾ってあったりしたら、ツマが冷ややかな視線をくれたりするのだろうなあ。

※  ※  ※

 あ、S.A殿がキリ番“1300”をゲット。おめでとう。なんだか、ますますペースが上がってきているようで……。



2002年01月24日(木) 最近、また……

 最近、また蕎麦やうどんを食べるようになってきた。
 どうも俺には、興味を示すモノに対してもバイオリズムというか気持ちの盛り上がりというか、“波”があるようだ。誰でもそうなのかな。今はすっかり“蕎麦モード”の俺であります(瞬間的に“カツカレーモード”にもなるんだけどね)。
 もともと蕎麦好きで、関連書物をちょこちょこと趣味レベルで読んだりもしている。どちらかと言えば、うどんよりは蕎麦、というスタンス。正直な所、蕎麦のほうが“通”を気取れるような風情がある、というのもその理由の一つだった。
 先日、俺の住む埼玉県内の美味い蕎麦屋うどん屋を紹介する本の改訂版を購入した。その本が出版されていることはもうずいぶん前から知っていたのだが、昨年同じ本をすでに購入していたので特別手に取ることもなかった。たまたま書店でその改訂版をぱらぱらとめくっていたら、昨年のものより紹介されている店も増えていて、「こ、これは……」と唸り、即購入。最近はこの本を頼りに、昼時になると蕎麦屋ののれんをくぐる、という具合だ。
 ある日、昼時をとうに過ぎた時間にある蕎麦屋に入った。店内には地元の住人らしい老夫婦が座敷に座っているだけだった。俺はさっさと注文すると、ほどなくして出されたせいろそばを一気にたぐった。うん、美味い。時折薬味に添えられている本山葵を少しなめつつ、俺はあっという間に食べ終わった。蕎麦湯で一息ついていると、
「今日はすこし暖かいですね」
 と、店の奥さんらしい女性が話し掛けてきた。そうですね、と答え、俺は続けてこのせいろが大変美味しかった、と告げた。奥さんは微笑んで、
「昨日は寒かったでしょう? だからうどんばっかり出て大変だったんですよ」
 奥さんは問わず語りに話し始めた。
 もともと埼玉県は良い小麦のとれるところ、ということになっていて、俺の好みとは逆に『蕎麦よりもうどん』という土地だ――ということは俺も知っていた。昔はどこの家でもうどんを打つのが当たり前だったらしい。だから、埼玉では蕎麦だけでは商売にならないのでうどんもやっている――というような話を聞いた。茨城の蕎麦粉も使っている、と聞かされ、俺の実家が茨城であることを話すと、奥さんはなぜか目を丸くして驚いていた。
 美味い蕎麦をたぐり、店の人と蕎麦の話ができる。おだやかな午後の時間が店内にゆっくりと流れていた。
 もう少し蕎麦談義に花を咲かせたい――というよりはいろいろ教えていただきたい――気分だったが、蕎麦屋で長っ尻は無用、「じゃ、ごっそさん」と俺は店を後にした。



2002年01月22日(火) 代車

 年末に車をぶつけられた、と言う話はココでも紹介したが、その修理のために俺が使っている営業車は工場行きとなり、代車を使うことになった。
 トヨタカローラ。同僚が言うには新車らしい。俺はあまり車というものに価値観を見出さないヒトなので、新車だろうがなんだろうがあまり気にはしない。
 なるほど車内はまだ新車独特の香りが残っており、普段使っている営業車の日産サニーとは違って大変きれいだ。パワーウィンドにインターバルワイパー、集中ドアロック――今や当たり前の装備があるのが嬉しい。営業車のサニーには今どきこれらの装備がないのである。まあ、リース車だから、ウチの会社も最低限の装備の車を借りてるんだろうけどね。
 代車の装備で嬉しかったのがカセットデッキ(CDとかMDとか、贅沢は言いません……)。
 こりゃあ、いつもはAMラジオばかり聴いているが、たまにはお気に入りのテープでも聴きながら走りますか、という気分になる。
 俺がこのカセットデッキで聴こう、と心に決めたとっておきのカセットテープがある。

『スネークマンショー』

 こいつを聴きながら、契約が取れるかどうかという瀬戸際の顧客のところに向かってマナジリ釣り上げ高速道路をひた走る――というのもどうも気が触れいているようで我ながらおかしい。
 ただ、残念なことに、代車は明日の朝に早くも返却しなければならないことになった。思ったより早く修理ができたらしい。
『スネークマンショー』が聴けずに、実に実に残念である。

※  ※  ※

 月曜日、会社のパソコンでココを覗いてみたら『1234』をゲットしてしまいました。俺がこんな分かりやすいキリ番ゲットしてどーすんだ。すんません。



2002年01月20日(日) すごい世の中になったもんだ

 今、コレをどういう状況でパソコンに打ち込んでいるか、というと、だ。
 まず、俺が使っているのは兄貴から結婚祝いでもらったiMac。アップル社のコンピューターで、御存知のようにウィンドウズ主流の現在のパソコン界にあっては、まあマイナーなパソコンだと言っていい。それでも俺がアップルのパソコンを使い始めたころから比べたらずっとメジャーにはなってきているのだが。
 で、自宅のiMacくん。最近OSをアップグレードしました。そうすることで今まで出来なかったことが出来るようになった事があるんですよ。
 パソコンでCDを聴くことが出来るのは今や当たり前で、俺もずっとiMacのCDドライブにはなんらかの音楽用CDが入れっぱなしになっていることが多かった。別のCD(もしくは別の曲)が聴きたくなったときは、当然のようにCDを入れ換えて楽曲を聴くことになる。ちょっと面倒ではあるがあたりまえのことだ。
 しかし。
 iMacをアップグレードすることで『iTunes』というソフトを使えるようになった。
 ものすごく分かりやすく説明すると、このソフトを利用することで音楽用CDの中のお気に入りの曲をパソコンのハードディスクに録音してしまうことが出来るのだ。勿論、ハードディスクの容量さえ許せばCDまるごと、それこそ何枚分でも保存することが出来る。
 これはどういうことかというと、お気に入りだけを選曲してパソコンに録音しておけば、今までのようにいちいちCDを入れ換える必要がない、ということ。
 単純だが、これはスゴい。
 今のところ、佐野元春、さだまさし、浜田省吾、そしてココのタイトルにもなっているはっぴいえんどの『風をあつめて』も含めて、数曲がセレクトされている。今も『風をあつめて』のおだやかなメロディを聴きながら打ち込んでいるところだ。伊武雅刀の『子供達を責めないで』も保存したのだが、“あーいう曲”(分かる人だけ分かればよい)なのでパソコンでは聴きにくく、すぐに消去。
 こんなこと、いまのパソコンでは当たり前の事なんだろうけど、いざ自分で実感してみるとスゴいことだなあ……とため息。 



2002年01月18日(金) 乾燥

 昨日、一昨日とちょっと暖かい日が続いたと思ったら、今日はまた吐く息白く、本格的に寒い一日となりました。まあ、以前にも申し上げましたとおり“毎日が最低気温”のワタクシと致しましては、多少気温が高くなったらしい昨日も一昨日も「寒いよう寒いよう」の日々だったんですけどね。
 冬になると、空気が乾燥してくるので火の元には十分お気をつけ下さい――なんてことをお天気オネーさんあたりが笑顔で注意してくれたりするけれど、この冬場の空気の乾燥というのはお肌にも良くないことなんですよね。コレ、悩まされてる方、多いんじゃないかな。
 俺はというと、いわゆる“乾燥肌”とはちょっと違うんでしょうけれど、唇が乾いてしまって、割れてしまうンですよ。
 唇の表面がパリパリになって、“イーッ”という風に口を横に広げることが出来ない。不用意にそんなことをしようもんなら、あっさりと唇が割れてしまってこれがまたけっこう痛い。
 「はっはっは!」と笑おうとしても唇が割れてしまうのがコワいので、こう、唇をとがらせながら「ふぉふぉふぉふぉ……」と笑ってしまう。ツマに「口が鳥になってる」と気味悪がられるのも俺がこういう笑い方をしているときなのだ。
 だからこの時期、俺のカバンにはリップスティックが忍ばせてある。毎朝、営業車に乗り込むと、カバンからリップスティックをとり出して、「んぱんぱ」しながらリップスティックを唇に塗りたくるのである。
 ところでこのリップスティック、去年の冬に購入したものをいまだに使っているのだが、使用期限があったりするのだろうか。『開封後はすみやかに使いきって下さい』ということはないだろうが、品質の劣化も想像に難くはない。なんかの拍子に化学変化を起こしてしまったリップスティックを毎日唇に塗りたくっている、というのも、ある朝なにかに変身してしまいそうでこれまたコワい。ウルトラQみたいだな。
 誰か、教えて下さい。

※  ※  ※

 M.Sさん、『1111』ゲットおめでとう。『2222』ゲットも目指す!――と力強く語ってくれましたが、それは明らかにワタクシへのプレッシャーと受け止めております。



2002年01月17日(木) 1995年1月17日

 7年前の今日、阪神淡路大震災と呼ばれる大地震が関西地方を襲ったことは、もしかすると記憶の中からは薄れてしまっている人が少なくないかも知れない。
 俺はあの日、まだ転勤で大阪市内に住んでいて、まさにあの地震を体感した。
 朝6時ちょっと前に地震は起き、瞬く間にその被害は広がっていったが、その時はまだそれに気づいてはいない。あたりは停電してしまい、テレビやラジオからの情報は一切入ってこなかったが、それでも一時間ほどしてから電気は回復した。
 当時から地元の仲間達と電子メール――俺達はやりとりするその内容の馬鹿馬鹿しさから“ばかメール”と読んでいた――をやりとりしていたので、実家の両親に電話した後、すぐに仲間達にメールを送った。『なんかエライ地震があったぞー』という程度の軽いメールだった。
 そう。あの地震が6432人もの死者を出すことになる大災害だとは、その時はまったく認識していなかったのだ。
 しかし、俺が軽い気持ちで仲間達に送ったメールは、実は思わぬところで功を奏していた。
 勿論地元でも神戸や大阪を中心に関西地方を襲った大地震のニュースは放送されており、仲間達の一部は、
「アイツは大丈夫なのか?」
 と、俺を心配してくれる話になったらしい。しかし、関西地方への電話はパンク状態でほとんどつながらない状態であり、仲間達が俺のところへ電話をかけても連絡がつかないのだ。
 結局、俺が朝一番で軽い気分で送ったメールのおかげで、その日のうちに「アイツは無事だ」という連絡が仲間達に広まったという。

 以下に紹介するのは、大地震当日の夜、続報として仲間達に送ったメールの全文である(個人名はイニシャル等に変更)。記録として、ここに残しておきたい。


※  ※  ※


1 野● 幸久    CXP03600 95/01/17 19:53
題名:野●より、続報です!


 し、シャレにならん……。
 本日早朝に起きた地震は兵庫県神戸市を中心とする近畿地方に大きな傷跡を残した。テレビのニュースは続々増えてゆく死傷者の数を発表している。なんとかバスを乗り継いで午前11時過ぎに出社した俺は、テレビ画面に映し出される“惨劇”を口をあんぐり空けて観るしかなかった。

 まずはご心配おかけしました! 野●は無事でございます。神戸の映像が殆どだと思うけれど、今朝の地震はかなり深刻なものとして関東地方でも伝えられたと思う。そんな主立ったニュースはテレビに任せるとして、GNN大阪・野●特派員が会社周辺および自宅・自室状況をお伝えしたいと思います。

「アレ、目が覚めちゃったよ」
 と、天井をぼんやりと見つめていると、小刻みに、そしてすぐに激しい縦揺れがあった。お、地震だな……などと、いつもの感覚で思う余裕もなく、部屋はぎしぎしと音をたてている。ベッドの中から手を伸ばしてすぐ近くの本棚が倒れないよう横から押さえつけるので精一杯で、ベッドから上体を起こすことが出来なかった。恐らく身を起こすことくらいは出来たのだろうが、長い時間揺れ続け、電子レンジの上に置いてあった大皿が床に落ち、電灯が波打つように揺れ、本棚からは雑多な小物が次々と落ちてくるという、今迄の人生経験の中でもかなりレアな状況ではそれさえ出来なかった。
 ようやく横揺れがおさまる。「おいおい、シャレにならんぞ!」と呟きながらベッドから身を起こし、テレビのスイッチをオン。しかし見事に停電になってしまったらしく反応なし。今や部屋の電灯もCDラジカセも、勿論マックもただの“物”と化していた。
 いつぞやW.Kにもらった小型懐中電灯で部屋をぐるり照らしてみる。なるほど、生々しい地震の爪痕、といった風情だ。トイレでは“タンクの中の水が”床にこぼれていた。粉々になった大皿の破片、本棚から落ちた文庫本、忌まわしき思い出のイカ徳利(ところで、このイカ徳利の中に米粒を入れたのは誰だ! W.Kか! K.Mさん、あんたか! おかげで部屋に米粒が散乱して掃除するのが大変だったんだぞ!)などなど。特に床に穏やかに横たわっているイカ徳利を見たときはなぜかどっと疲れた。
 乾電池の予備を持っていなかったので、CDラジカセのラジオを聴くことすら出来なかった。地震の情報が何ひとつ入ってこないというのもかなり心細いので、マンションの1階部分であるファミ●ーマートの状況視察もかねて乾電池を買いに部屋を出ることにした。結局それは不可能だった。分かると思うけど、オートロックドアになっているマンション玄関のドアは停電によってロックが解除できなくなっていたのだ。
「閉じ込められてしまった……」
 ドアに手をかけた状態で白骨死体になって発見されることを想像しながら、止むを得ず部屋に戻った。
(尚、停電になってオートロックが解除されない状況になっても、何のことはない、ドアの下方についているツマミをちょいとひねればドアは開けられることが夕方になって確認された。冷静に考えれば、停電になったくらいで閉じ込められてしまうような構造のマンションなんてあるわけがない。災害は人の冷静な判断力さえ鈍らせてしまう恐ろしい力があるのだ――単なるばか――)
 地震発生から約1時間が過ぎた6時50分、ようやく東の空も明るくなってきたころに電気は回復した。早速NHKで状況の確認である。こんな時でも、例えばテレビ東京なんかは『奥様ショッピング』なんかを放送してるんだろうな、などと考えている。窓の下では周囲の住民達の声がした。窓を開けて駅前の様子を見ると、早速不通になってしまった阪急電車に途方に暮れているコート姿が何人もあった。テレビでは『阪急電車は7時過ぎにも運転開始する見込み』と言っていたので、あまり気にも留めなかった。
 そう、このあたりまであまり事態を深刻視していなかったのである。
 しばらくのテレビのニュースを見続け、シャワーを浴び、もさもさと朝食をとり終わったのが8時20分頃。同期の奴と電話連絡、加盟店への対応で人手不足が予測される会社になんとしても行かねばならぬ、という点で合意し電話を切った。

 しかし、先ほどの報道とは違い、阪急電車は全く運転する気配はない。望みの綱であるタクシーすら、1台も駅前に姿を見せないのだ。テレビでも阪急を含む私鉄各線、JRとも不通のままである、ということを繰り返し報道していた。そして神戸市内でのちいさな火事の映像などが流されるようになって、事態は深刻になっているということに気付きだした。
 部屋を出て、タクシー乗り場でタクシーを待つことにした。勿論電車は不通のままで改札口に貼られた『運転再開の見込みは今のところありません』というはり紙の前で、20人位の人達が立ちすくんでいた。
 15分ほど待ってタクシーが来るが、行き先を告げると見事に乗車拒否。「道は込んでるし、停電で信号機がイカレてもうてあかんわ。西中(西中島南方の略)へ行くんやったら――」と運転手にバスの乗り継ぎを教わった。交通手段は完全マヒと思われていたが、どうやらバスだけは運行しているようだった。慌ててバス停へ。そこで相当な時間バスを待ってようやく会社へ向かうことが出来た。
 予想はされたが、普段電車を利用している人達が皆バスに流れてきたものだから、バスの中は超満員である。たまたま始発のバス停から乗ったので座れたものの、ひどい交通渋滞の中、超満員のバスで揺られる1時間(! ――勿論通常はそんなに時間はかからないはずだ)というものは実にハードであった。
 降りたバス停から会社までの道すがら、傷跡はあちこちに見られた。
 急遽閉店を決めた店舗や外壁が崩れ落ちたりヒビが入っているビル、特にひどかったのは、水道管が割れてしまったのか、外壁から水が道路に流れ落ちているビルもあった。会社の事務所があるビルも外壁のタイルが落ち、エンタランスの段の部分に大きくヒビが入り2センチほどずれていた。エレベーター前の大きな観葉植物も折れ、ビル内の案内表示も2本の足の根本から折れてしまったのだろう、壁に立て掛けてある。事務所のある3階へエレベーターで。見れば壁には、間違いなく地震によるものとわかるヒビが2、3は見つけられた。
 事務所には12、3人位の人達しか出勤していなかった(そのうちの4人がウチの部署だったんだから偉いよなあ)。
「よお、野●。なにしに来た?」
 なんていう冗句に苦笑いを浮かべながら席につく。ちょうど真横の方向にあるテレビではNHKのニュースが映し出されていて、出社した社員が食い入るように地震の被害の様子を見つめていた。
 息を飲んだ。
 脱線した阪神電車、そのすぐそばで炎上する家屋。倒壊するマンション、ビル。生き埋めになった家族の安否に泣き叫ぶ老婆。屋根だけを残して潰れてしまった三宮の生田神社。ヒビ割れた道路から吹き出る泥水。消火活動すらままならぬまま燃え上がる神戸市内の住宅密集地。立ち上る黒煙。おもちゃのように高架ごと横倒しになった阪神高速道路。朝、部屋を出るときに発表された死者の数は5人だったのが、この時すでに100人を越えていたのだ。
 事務所の電話がひっきりなしに鳴り続けるのを聞きながら、この地震は“自分が住んでいる街で起きたのだ”という認識が、心の中に拡がる。

 ――という、思わずしてリアルな描写をしてしまいました。兎も角も野●は怪我ひとつしておりませんのでご心配なく。
 最後にとっておきのエピソードをひとつ。こんな連絡が事務所に入ったのです。
 地震の被害の中心となった神戸市のとあるファミ●ーマート店でのこと。その店が暴徒に襲われた。サッシを割られ、店内の商品を強奪された、というのだ。ロスアンゼルスや大阪西成区の暴動じゃあるまいし……。俺はこの話を、この事実を信じることが出来なかった。
 人間のやることとは思えない。ここは本当に日本なのか!?

 ところで、3G軍団本部では今回の地震に際し、『野●氏救済対策本部』の設置は検討されているのだろうか。



2002年01月12日(土) ばかなことをやったもんだ <其の弐>

 先日、ちょっと帰宅が遅くなった。平年よりは多少は暖かい一日とラジオなどでは言っていたが、寒がりの俺はやはり背中を丸め、「寒い寒い」と唸りながらの帰宅だった。
 その日の晩御飯は『水炊き〜オット独り鍋バージョン』。
 すでにツマは夕食を済ませており、俺の晩御飯用に小さな土鍋に一人前の水炊きが用意されていた。アツアツの鍋物、特にシンプルな水炊きは俺の冬場の大好物で、鳥肉・白菜・絹ごし豆腐というシンプルかつ強力なゴールデントリオが昆布出汁の中に静かに鎮座していた。
 鍋物はいい。家族や仲間達とワイワイ言いあいながらつつく鍋はさらにその美味しさを増す。
 そうだ。学生時代は地元の仲間達と毎年、クリスマス時期〜年末頃に集まっては鍋を楽しんだものだった――と俺は独り鍋の水炊きをつつきながら思いだしていた。

『きよしこの夜・闇鍋クリスマスパーティ』

 ――が、その企画のタイトルだった。ばかだ。
 クリスマスらしくケーキなんかも用意して、参加メンバー10人前後がそれぞれプレゼントを持ち合って、ゲームなどをしながらプレゼント交換をしたりもするのだが、なんと言ってもメインは“闇鍋”。
 “闇鍋”と聞けば、大概の人は『ああ、それぞれ持ち寄った鍋の具を鍋の中にナイショで入れる、アレでしょ』と見当はつくだろうが、実際に経験した人を俺は俺の仲間達以外に知らない。
 部屋の中を真っ暗にし、一人ひとりが順番にコンロの上の土鍋の中にオノレが用意した“鍋の具”を投入してゆく。いろんなものが入っている“闇鍋”はちょっとスリリングで確かに楽しい。しかし、その“鍋”が食事に絶えうるものかどうかは、また別の話だった。
 まあ“闇鍋”とは言ってもそこは良識ある男女が集っているわけだが、例えば『大根』や『鶏の手羽先』、ちょっとだけ奇をてらって『サイコロステーキ』など、普通に食える具を入れるヤツは実は若干名だった。仲間達はそれぞれ“鍋の具”でウケ狙いに走るので、それがエスカレートしてくるととんでもない鍋になる。
『しば漬け』『たくあん』『生ワカメ(切っていない長さ30センチくらいのもの)』『プチトマト』なんかはまだいいほうだ。記念すべき第1回目の“闇鍋”では、『インスタントラーメン』を一袋入れたばかやろうがいて、麺が鍋のダシ汁を殆ど吸ってしまい“おじや”のようになってしまった。
 かなり笑えた具としては『カレーの王子様』。これはレトルトパックのまま入っていて、土鍋のフタを開けた瞬間みんな大爆笑だった。実際、カレー味の鍋にすることが出来て結果的に好評だったと記憶している。
 妙にトロピカルな色合いの具が入っているな、と思ったら『ミカン』だった。これは食えない。豚ロース肉かと思って「これなら食べられるね」と口にしたら『スルメ』だった、ということもあったなあ。
『肉まん』『あんまん』『カレーまん』の3種類を入れたばかは、いまだに会えばその事を責められる、というくらい衝撃だった。鍋の底のほうに『あんまん』のアンコが沈んでいる姿は思い出したくもない。
 俺はといえば、逆のウケを狙って一枚3000円位の高級ステーキ牛肉を入れたことがあった。一番の顰蹙だった具も俺が投入したもの。『チューインガム』。これはいけない。鍋全体がハミガキ粉みたいな味になって、とても食えたものではなかった。あの時に知ったんだけど、チューインガムは熱せられるとチーズみたいに伸びるんだよね。「ほらほら、チーズフォンデュみたい」とボケても誰も笑ってくれなかった。
 仲間達も皆とうに三十路を過ぎているので、また“闇鍋”をやってみたいのだが。



2002年01月09日(水) 又びっくり、アクセスカウンタ

 大変なことになってきた。ココのアクセスカウンタがいよいよ1000を数えようとしている。「おーい、かあさん!?」とちょっと波平さんがはいった感じでうろたえてしまいそうだ。
 ココをスタートさせた9月には1000アクセスなんて全然想像していなかったけれど、こんなにも早く到達してしまうとは。今年友人達に送った年賀状の一部にはココのURLも載せておいたので、そうか、もしかすると新しくココを覗きに来てくれた人もいるのかもしれない。
 例によって、この1ヶ月を数字で追いかけてみると――。(読むほうは「どうでもいいよ、そんなこと」だろうが、まあ、記録として残しておきたいのでお付き合い願いたい)

<アクセス数>
 09/20……97 → 10/07……200 → 11/10……420 → 12/09……702  → 
 01/09……990
<更新数>
 9月……15回/10月……11回/11月……13回/12月……13回

 前月比でアクセス数は228増。その前が220増なので、月間平均約220のアクセス、一日約7回のアクセスがあるって計算か。毎日4〜5人の方がここを覗きに来てくれている、と思うとホントありがたいなあ。
 更新数にしてみても、途中年末の追い込みで仕事が忙しくなりなかなか更新もママならず、10日近く更新しない時期があったものの、後半の追い込みでなんとか前月と同数の更新数をキープ。その後半はクリスマスネタ、年末ネタで一気に攻め上げたが、特にリアクションがなかったのはやはり皆さま年末で忙しかったのでしょうね。2日連続のクリスマスネタは結構気に入っているんだけど、いまいち“伝わらなかった”かな。
 そんなこんなでいよいよ1000アクセスである。
 これはもう立派なキリ番なので、1000をゲットした方は声高らかに俺にメールで連絡をいただきたい。なにかいい事があると思います。
 さてさて、栄えある“1000”を手に入れるのは誰か。俺も楽しみにしています。

※  ※  ※

 今日の夕飯時。食卓に出たカボチャの煮物をほお張りながら、オットはツマに問うた。
「カボチャって繊維質が多いんだっけ」
「それはサツマイモとかじゃない? カボチャにはカロチンがあるのよ」
「そうか。カロチンって何に良いの? 眼に良いのは――あ、あれはビタミンEだっけか」
「そうね」
「カロチンって何に良いの?」
「カロチンは……体に良いのよ」
 ――ツマが言っていることに間違いはないのだが、何か釈然としないオットであった。



2002年01月07日(月) 新年早々……

 今日が仕事始め、という人は結構多いかも知れない。
 長めの正月休みはあっという間に過ぎ去り、俺も今日からお仕事であった。
 正月休みと言っても特別なことはなかった。年末はラジオの古今亭志ん朝師匠の落語を聞きながら大掃除、紅白歌合戦でモーニング娘。とRe:Japanとさだまさしを観、ツマと俺の実家へ軽く顔を出し、ちょっとした新年会もやって、箱根駅伝では我が母校の大躍進――来年のシード権を確保!――にガッツポーズ、あとは自宅でのんびりゆっくりぐったりだらだら……という感じで過ごしていた。
 そんな状態だったので、初詣でに出かけたのは正月休みの最終日、つまり昨日の日曜日のことだった。
 わが家では初詣では浅草は浅草寺、という風に決めている。仲見世通りの人の波をゆっくりと抜けてゆき、浅草寺でお賽銭×5くらいのお願い事をする。昨年買ったお守りをお返しして、新たに交通安全のお守りと夫婦揃いの肌守りを買い、おみくじを引いてから「木村屋」もしくは「亀屋」の人形焼きを買って帰る――というのが、まあ一連の流れになっている。オプションで「梅園」のあんみつを買う、というのもアリ。一昨年にはこの「梅園」の大行列に並んでいる佐野元春と握手をした、ということもあったなあ。

 場面はお守りを買った後。さあ、今年一年を占うべくおみくじを引きましょう、と気合の入る夫婦がそこにいる、と思って下さい。
 銀色の六角柱をじゃらじゃらとゆする。中から出てきた棒に書いてある番号と同じおみくじを、そばにしつらえてある小さな引出しの中からセルフサービスで取り出す、というのはもうどこも同じようなシステムなのでしょうね。
 で、夫婦でおみくじを引きました。

 俺、『凶』。
 ツマ、『凶』。

 こんな縁起の悪い夫婦ではありますが、今年もお付き合いのほど、よろしくよろしく。



2002年01月05日(土) やってみよう

 毎度のことだが、今日も湯船に浸かりながらゆっくりと雑誌を読んでいた。
 『週刊ベースボール』『日経モバイル』あたりを読むことが多いのだが、『週刊ベースボール』は今週は正月ウィークで発売がなく、『日経モバイル』は内容によっては買わないこともあって、今月はその買わない月だった。さて、今日は何を読もうか……と、パンツ一丁で思案していたのだが、ふと手にとった雑誌が『ランナーズ2月号』。広告代理店に勤める友人が年末に何冊か雑誌を送ってくれたうちの一冊で、たまたままだキチンと目を通していない雑誌だった。この雑誌は、まあ所謂マラソンやジョギング愛好家を対象とした雑誌である。
 俺はマラソンというものとはさほど縁遠いとは思っていない。
 御存知の方も多いと思うが、もう12年(!)も前の話にはなるが、俺はホノルルマラソンを5時間54分4秒かけて一応完走した、という記録――と言えるほどのものではない――がある。転勤で大阪に在住していたころは何度か10キロレースに参加していた。その時の完走記を何度かメールで友人達に強制的に読ませていたこともあるので、御記憶の方もおられるかと思う。
 今でこそ日々の忙しさを言い訳にしてちょっとマラソンやジョギングからは離れてしまっているが、時折思いだしたように近くの公園をジョギングして、
「ああ、やっぱりジョギングはいいなあ」
 などとうっすら額の汗を爽快に拭ったりもしている。
 『ランナーズ』には2、3ヶ月先に日本各地で行われるマラソン大会の要項がまとめて掲載されているページがある。そのページをめくりながら、俺はぼんやりと最近の運動不足を思い返していた。
 春先くらいにはなんとか10キロレースに出場したいものだ、と思っている。帰宅後や週末にちょっとずつでもジョギングを再開していけば、まあ、無理なく10キロは走れると思うのだ。
 ココでこれくらいの宣言をしておけば、オノレへのプレッシャーにもなるだろう。
 というわけなので、春先にはココで“10キロレース完走記”なるものを是非公開してみたいと思っている。お楽しみに。



2002年01月01日(火) 賀正!

 新年の幕開けと共にココのレイアウトやカラーも変更しようと思っていた。
 ココは所謂ところの“HTMLタグ”なんてものを知らなくても、決められたパターンであれば簡単にレイアウトが変更出来るようになっているのだ。年末、試しにいろいろと調整していたのだが、調整したまま元に戻すのを忘れてそのまま新年バージョンレイアウトで年末からスタートしてしまった。「お、模様替えしたね」とお気づきの方も何人かはおられたことと思う(それでもリアクションがなかったのは、さすがに年末、皆さまお忙しかったこととお察し申し上げます)。
 というわけで、ココ『のづ随想録〜風をあつめて』も5ヶ月目に突入いたしました。こういうのも“足掛け二年”と言っていいのだろうか。
 まあ、なんにしても、幾人かの物好き読者サマに支えられて、なんとか今のところは元気に継続させていただいております。毒にも薬にもならない駄文ではありますが、就寝直前のハルシオン代わりに、はたまた仕事の合間のカロリーメイト代わりにでもなれば――という程度のモノをお送りしていきたいと思ってますンで、ぼちぼちとココを覗きに来てやって下さい。んで、時折で構わないのでなんらかのリアクションをいただけると俺がすごくすごく喜ぶ、というシステムになっておりますので。
 今年も『のづ随想録〜風をあつめて』をよろしくお願いします。無理はしないで、俺もがんばります。


 < 過去の生き恥  もくじ  栄光の未来 >


のづ [MAIL]

My追加