のづ随想録 〜風をあつめて〜
 【お知らせ】いよいよ『のづ随想録』がブログ化! 

【のづ写日記 ADVANCE】

2001年12月30日(日) キリ番ゲット大賞

 10月に、『年末にこの“キリ番”をもっとも多くゲットした方に、俺からなんらかの措置……いえ、対応を考えたいと思います。年末に、なにかいい事あるかもよ。』なんてぇ事を書きまして、その後、ぼちぼちとアクセス数が増えるにしたがって、キリ番をゲットした!というメールが届くようになりました。こういったメールは、誰かにココを読んでもらっているという証でもあるわけで、俺は嬉しくその知らせを読ませていただいておりました。
 今日、ここに『のづ随想録・キリ番ゲット大賞』授与式を賑々しく執り行います。
(ココの性質上、本名を掲載することは避け、イニシャル(名字・名前)でお名前を表記しております。イニシャルと内容から「あ、俺だな」「アタシだわ」と判断して下さい)

 もっとも多くキリ番をゲットしてくれたのは、S.Aさんです。おめでとうございます!
 彼がゲットしたキリ番は、222、401、444(不吉な……)、700の4つでした。“401”については認定キリ番です(俺自身が400番をゲットしちまったもんで)。
 大賞受賞の副賞として、S.Aさんには『特製年賀状』をお送りいたしますので、お楽しみに(――って、今、思い付いた副賞です。これから製作に取り掛かりますンで到着までしばらくの御猶予を)。

 もっとテキトーなキリ番でも構わないのに、知らせてくれるのはもうキッチリ“100”とか“500”とかがほとんどでした。こちとら、その番号の意味をこじつけでも何か考えてくれればそれはもうキリ番として認定するフトコロの広いところを見せているのになあ。
 そんな中で“199”をゲットしたM.Kさん。『もう少しでおめでとう!祝200人目だったのに、残念。』とメールをくれました。これも立派なキリ番ですぜ。また“327”や“422”といった、個人的なお祝いの日付と同じ、なんてのもありました。こういうのも大歓迎です。『斉藤雅樹投手の生涯勝利数』として “180”をゲットしたと知らせてくれたのはN.Sさんでしたが、これはもう個人的に嬉しかった。

 なんとも目出度い“777”をゲットしてくれたM.Sさんには特別賞として『特別随想録』(と言っても随分前の作品ですが、すくなくともアナタは読んだことのないモノです)を送信しますので、年末年始のちょっとした時間つぶしにお読み下さい。

 来年この『のづ随想録』がどこまで継続できるかは甚だ不安ではありますが、来年も継続してこの“キリ番ゲット大賞”をやろうと思ってます。要はココを読んでくれているであろう誰かからのリアクションが欲しいだけなんだけどさ。さあ、キリ番をゲットして“なんかいい事”をもらおう!



2001年12月29日(土) ヤマダさん

 今日から正月休みに突入。
 予定どおり近所の床屋に行ってきた。さっぱり散髪をして新年を迎えようという算段である。月1回のペースで世話になっている床屋で、家から近いこともあり、この街に引っ越してからはほとんどココに通っている。
 いつも俺を担当してくれているのが、ヤマダさん。年のころ25、6歳といったところか。やや小柄でお洒落なメガネがよく似合っている。気持ちいいくらいにケラケラと笑う、とても明るい女性だ。
 美容師(理容師)さんというのは、そういうマニュアルになっているのかどうかは知らないけれど、客の髪を切っている間はずいぶんとアレコレ話しかけてくる。アレを苦痛に思っている客もいると思うんだけどなあ。今日の天気がどうの、今日はお休みですかお仕事ですか、これからどちらかお出掛けですか、えお仕事なんですか大変ですね、そういえば今朝のニュースで……。聞かれれば普通に受け答えするが、俺はどちらかというと特に話しかけてくれなくてもいいですよ、というタイプかも知れない。
 このヤマダさんとのやりとりも、最初のうちは俺も聞かれたことにそのまま答える程度だった。しかし、何度も彼女に髪を切ってもらっている間に、俺はすぐ気づいた。

 彼女と俺は“笑いの感覚”がかなり共通している。
 今日もヤマダさんは好きな漫画のひとつとして『伝染るンです(吉田戦車)』を挙げた。

 劇作家・三谷幸喜の話題で盛り上がったのが最初だったかも知れない。それもここ数年のメジャーな作品ではなく、まだ三谷幸喜が小劇団を主催していたころの舞台の話だった。この人はなんでそんな作品を知っているのだ、と俺はハゲシく驚愕したものだった。話をしていると、どうもお互いに劇中の同じ場面が印象に残っているらしかった。それもいわゆる“笑いどころ”ではなく、例えば西村雅彦(言わずもがなですが、彼は三谷幸喜の劇団の出身者です)のちょっとした仕草や台詞、などなど。俺はヤマダさんから大昔に深夜テレビで放送したという三谷幸喜の芝居のビデオを借りたりもした。
 そして俺はいつしか、彼女と話が出来ることを楽しみにするようになっていた。

 “俺”という人間をよく知るココの読者の皆さまなら、俺が“ささいなこと”“どうでもよいこと”をツツいてはげらげらと笑っている姿を想像していただけると思う。
 今日のヤマダさんとのトークのテーマは『ファミコン』。プレステやゲームキューブなどの今流行りのゲーム機ではなく、初代の『ファミリーコンピューター』の話でかなり盛り上がった。
 彼女は最近、“ニューファミコン”とかいう、初代のファミコンのゲームソフトが使えるゲーム機本体を購入したらしい(もう、この導入からして笑える)。久しぶりに『スーパーマリオブラザース』をやったら、昔取ったなんとやらで、結構上手にクリアしていくことが出来た、と彼女はすこし自慢気に言った。
「ファミコンかあ。やりたいなあ」
「面白いですよ。アタシなんかスーパーマリオなら目つぶっても1面クリアできます」
「ああ、俺も昔“目をつぶってクリアできるかどうか”やったことあるよ。同じことやってるな……」
「1アップきのこも取れます」
「(爆笑)。全面クリアしちゃうと、もう目的が変わってくるでしょ」
「そうですよね!」
「俺がよくやったのは1面を何秒でクリアできるか――」
「アタシもやりました」
「最後のゴールのところのポールに……」
「Bダッシュでジャンプしてポールのてっぺんまで行かなきゃダメですよね。それでたくさん花火を打ち上げるんです」
「(爆笑)いいなあ。ファミコンやりたいなあ」
「ファミコンはいいですよ。なんたって、四角いコントローラーを本体の横ンとこに、こう、刺して収納できるンですから」
 そんな事実、十何年ぶりに思い出した。ヤマダさんに髪を切ってもらっている1時間強の時間が、ものの15分くらいで過ぎ去ったような感覚だった。
 そんなヤマダさんも来春には別の街の床屋へ移ることが決まっていて、俺はもう残念でならない。



2001年12月28日(金) 年末の懸案事項

 今年も年末になって仕事がバタついてきてしまった。
 他の同僚などはこの時期ある程度余裕があるようで、ゆっくり事務所で机の書類整理などを笑顔でやっていたりするのだが、俺はといえば仕事納めの今日も17時からの最後のアポイントをこなし、20時近くに所沢の営業事務所に戻ってきて、残務処理、そしてようやく取引先や顧客への年賀状書きに取り掛かることが出来た。本拠地となる浦和の事務所には戻れずじまいで、机の中の書類整理など、懸案事項を残したままの仕事納めとなった。まあ、いいやあ。
 そんな年末なので、プライベートでの年賀状作成に費やす時間も十分ではなく、ここにきて若干の遅滞がうかがえる。夜中にプリンタをうぃんうぃん言わせながら印刷しておるのだが、年内にすべて投函できるかというとはなはだ疑問である。
 とある友人宛の年賀状(裏面)を印刷していたら、やや印刷状態が悪い。プリンタをみると“インク切れ”を告げる赤い点滅……。ああもうこんな時間に……、と絶望的になりつつ作業は中断せざるを得なかった。

 年賀状、家の大掃除、電球の取り換え、買い物、洗車――。年末の懸案事項はいまだ山積みである。みなさまはどのような年末を過ごしているのだろうか。
 今年も残すところ、あと3日。



2001年12月27日(木) 今年最後(であってほしい)の大チョンボ

 仕事で使っているシステム手帳を無くした。

 覚えておいでの方なら「おまえ、またか?」と言うかも知れない。昨年の夏、仕事中にビジネスバッグをまるごと紛失するという大間抜けを演じて大変な目に合ったというのに、またも同じようなチョンボをやらかしてしまったのだ。ばかだ、俺は。
 その日はどちらかというと“負”の方向へ向かうような始まりだった。朝の『めざましテレビ』の星占いでは、蟹座の運勢は明らかにランキングの下から数えたほうが早かった。
 朝食を抜いていた俺は、昼飯にはちょっとしっかりしたものを食おう、と思い立ち、『ステーキのどん』というファミレスで昼食を取ることにした。広い駐車場に営業車を止め、サイドブレーキを引く。完全停車状態。ふと気になることを思い出し、地図を手にした瞬間――。
 ズゴン、という鈍い音がして、軽く車が揺れた。発作的に顔を上げ前方を見ると、こげ茶色のマーク?がバックでこちらにぶつかってくれていたのだ。先方の運転手のおじさんが血相を変えて車からまろび出てきた。駐車エリア内に完ぺきに止まっている状態だったので、こちらにはなんら落ち度はない。ゆっくりと車を降り、俺は言った。
「最初に言っときますけど、俺、悪くないですよね?」
 実際のところ、こちらはフロントバンパーがちょいと傷がついた程度で、走行には支障はない。ぶつけてきた張本人のおじさんも大変恐縮していて、紳士的に対応してくれたのでこちらとしても特に文句をわめき散らすわけでもなく、警察で物損事故扱いにしてもらって、そのままおじさんと別れた。ぶつけられたこと自体は大したことではなかったが、一応、会社には『事故報告書』なんつー書類を出さなければならないので、それだけがちょっと憂うつだった。
 で、夕方となる。
 俺はとある調査をしていて、その調査内容をシステム手帳にメモしながら歩いていた。そこへ俺の携帯電話が鳴る。事務所からだった。かなりややこしい内容の電話で、俺は電話に応答しながらすぐ近くに路上駐車してある営業車に戻った。車に乗り込み、しばらくそのまま話し込んでいた。結局、電話の話はさらにややこしくなってきていて、俺は急きょ事務所まで戻らなければならなくなった。
「ちっ、めんどくせー」
 そう思いながら俺は車を走らせる。細い路地から国道に車を出し、高速道路の乗り口を目指した。
 近くの交差点の赤信号で車を止めたとき、すぐ後ろを走っていた大型トラックが“パチッ”とパッシングをしたのに気づいた。俺にパッシングしているのだろうか? 信号待ちなのに? 別にトランクが開け放しになっている、というわけでもないし……。俺の頭上にはまだ2、3の?マークは浮かんでいたが、俺はそのパッシングを特に気にも留めずに、一気に走りだした。
 そしてシステム手帳がなくなっていることに気づいたのは、事務所に戻ってしばらく経ってからだった。
 カバンの中にはないし、営業車の中を這いつくばって探してみても見つからない。探すのをやめたときに見つかることを期待したがやはり出てこない。――どこで無くしたんだ……?

 パッシング。

 あの一瞬の閃光がぼんやりと記憶に蘇った。
 そうだ。あのパッシングだ。
 携帯電話で話しながら営業車に乗り込むとき、恐らく俺は営業車の上に手帳を乗せてしまったのだ。その行動は記憶に無いが、まず間違いない。そして、俺はそのまま車を走らせてしまう。俺の後ろを走っていたトラックはパッシングで「おい、あんちゃん。車の上にナンカ乗っかってんぞい」と教えてくれていたのではないか。
 あの手帳にはクレジットカードなどA級の貴重品は入っていなかったが、それでもB〜C級の俺にとっては大切なメモなどが入っていた。
 なかなか綺麗に撮れていたのでなんとなく持ち歩いていたツマの写真、会社の部署別電話番号簿、様々なデータメモ。ニッポン放送の女子アナトレーディングカード、ニッポン放送のうえやなぎまさひこアナと垣花正アナのサイン、プリティ長嶋のサイン――と、「なんでそんなもん持ってんだオマエは?」というようなものもあった。

 手帳が無いと仕事に差し支えるので、22日に銀座で忘年会があったとき、文房具の伊東屋で同じようなスリムサイズのシステム手帳を購入。リフィルも合わせて一万円強の出費は正直なところイタかった。
 これが今年最後の大チョンボ――であって欲しいと願いつつ、明日は仕事納め……。



2001年12月25日(火) クリスマス・グリーティングメール

 12月24日月曜日。世の中は天皇誕生日の振り替え休日、クリスマスイブが休日となる幸せこの上ない一日となるはずだろうが、ウチの会社は旗日はカンケーなくほとんど出社となるので、俺はいつもと同じ月曜日の朝として会社に向かった。休日だけあって道路がびっくりするくらいすいていて、予定の20分前には会社に到着してしまいそうだったので、口惜しいので途中のとある小学校のグラウンドの脇に車を止めて、ちょっとだけ居眠りをした。
 いつものように朝礼が終わり、いつものように仕事についた。昼が過ぎ、夕方近くになってくると、明らかに事務所の空気が変わってくるのが分かる。世間は休日、今日は早く家に帰ってクリスマスを楽しもう――、彼女との約束の時間に遅れないように、今日はさっさと仕事を切り上げよう――、そんなちょっと浮ついた雰囲気がかすかに事務所に漂っているようだった。

「なんやねん。オネーちゃんからメールが全然きよらへん」
 関西出身の先輩が会社支給の携帯電話を覗き込みながら言った。夕方4時をちょっと回った頃、仕事に人段落をつけ、俺の前の机に座った先輩社員とお喋りをしているときだった。
 俺は「え、ナニがですか?」と真顔で尋ねると、彼は携帯電話から目を離すことなく、「クリスマスメールや」と言った。
 彼のすぐ隣に座っていた俺と同い年の同僚が弾んだ声で言った。彼の手にはやはり携帯電話。
「え。俺には2通来てましたよ、オネーちゃんから」
「ホンマか。なんで俺には来ぇへんねん」
“オネーちゃん”というのは、まあ、配偶者以外で大変親しく交友関係のある女性のことを指していて(この二人は既婚者だ)、その女性からクリスマス・メールが届いたの届かないの――という話である。どんな内容かは見せてもらっていないが、粗方『メリークリスマス(ハートマーク) 今夜は会いたいわ』なんて甘っちょろい言葉がちりばめられているのだろう。そうか、世の中では携帯電話のメールはこんなグリーティングカードのような役割も果たしているのか、などと感心していると、先輩社員が俺に言った。
「オマエには来ぇへんのか、メールは」
「オネーちゃんからですか?」
「そうやぁ」
「俺には“オネーちゃん”はいないスからねえ。それに会社の携帯電話のアドレスを知っているやつなんて殆どいないですから――」
 ふと、思った。
 俺にはプライベートの携帯電話があるではないか。もしかしたら――。
 そんな考えはコンマ1秒もしないうちに自動消滅した。クリスマスメールが届くのが会社の携帯電話だろうがプライベートの携帯電話だろうが、“オネーちゃんという存在がなければ”そんなウレシいメールは届くはずがないのだ。
 机の横に置いてあるカバンからプライベートの携帯電話を取りだしてみる。

『メール 2件』

 そんな文字が画面に浮かんでいる。
「あ、メール来てますよ!」
 俺は奇妙な期待感が膨らむのを感じつつ、着信しているメールを開いてみた。
 笑った。

『谷繁、中日に入団決定』

 こんな俺に、メリークリスマス!



2001年12月24日(月) クリスマスの夜に

 玄関の扉を開けると、長男のコウスケがいきなり僕の胸に飛び込んできた。
「おかえり、パパ!」
 弾けるような笑顔のコウスケを抱きかかえると、僕はもどかしく革靴を脱いだ。キッチンの奥の方からは、妻の「おかえりなさい、早かったのね」の声だけが聞こえてくる。そして、そのキッチンからは同時に、僕とコウスケの大好物のローストチキンの香ばしい匂いが僕らの鼻をくすぐっている。
 イヴの夜だ。同僚達も今日ばかりは残業を避け、定時の時間を過ぎるころには潮が引くように会社から姿を消していった。皆、愛する恋人や家族のもとへ――。僕と言えばすこしだけ残してしまった仕事があったのだが、それでもフル回転でやっつけ、いつもなら想像もつかないような早い時間に帰宅できた。そもそもコウスケが起きている時間に帰宅できることが珍しい。当のコウスケからしても、一大イベントのクリスマスの夜に、父親が早く帰ってくるという興奮で、いつも以上にはしゃいでいるようだった。
 上着を脱いだだけの僕の手を引き、コウスケはリビングへ走った。
「見て見てパパ! ぼくが飾りつけしたんだよ!」
 ちいさなクリスマスツリーに飾られている沢山のデコレーションが、赤や緑の点滅する豆電球に照らされていた。ツリーのてっぺんにはお決まりの星型。そしてそのすぐ下には、真っ赤な衣装をまとい、真っ白な口ひげをたくわえ大きな布袋を肩にした老人の人形がぶら下がっている。コウスケはこの人形を指さして、僕の顔を見上げた。
「プレゼント、持ってきてくれるんだよね!」

 我が家のささやかなクリスマスパーティが始まった。
 コウスケは興奮さめやらぬ様子で、今日の幼稚園でのクリスマス会の模様を克明に僕と妻に話してくれた。ただ、妻は僕が帰宅する前に何度も聞かされたようだったが。
「コウちゃん。おしゃべりはいいから、ちゃんとゴハン食べなさい」 そんな妻の戒めもコウスケの耳には入らないようだった。
「ねえ、パパ。園長先生がね、口にヒゲつけてね、ぼくらにプレゼントをくれたんだけどね、あれはホンモノじゃないんだよ」
「ホンモノ?」
「ホンモノはトナカイのソリに乗って来るンだよ! それで、ぼくにプレゼントを持ってきてくれるんだよ!」
 かねてから僕や妻におねだりをしていた仮面ライダーアギトの変身セットをコウスケへのクリスマスプレゼントに用意していたが、当然まだ彼には渡してはいない。妻もちょっと意地悪な笑みを浮かべて、僕と目を合わせた。
「早く来ないかな! ね、パパ! パパにもプレゼント持ってきてくれるよきっと!」

「パパはもうケーキ食べないの?」
 ちいさな口のまわりにショートケーキの生クリームをつけたまま、コウスケはソファに腰掛けていた僕のひざの上に飛び乗った。
「コウちゃん! お口のまわりをちゃんと拭いて!」
 妻はハイテンションのコウスケに疲れた様子で、ダイニングテーブルを片付けながら言った。彼の口のまわりのクリームを親指でそっとぬぐいながら、僕はコウスケをひざの上に座らせた。
 しばらくそのまま僕とコウスケはテレビを眺めていたが、程なくしてコウスケが僕の顔を見上げた。
「……まだかなあ、パパ」
「え、なにが?」
「まだ、プレゼント持ってきてくれないのかなあ……」
 すこし不安そうな瞳。僕はわざとらしくサッシの向こうの夜空を見上げ、
「そうだねえ。もうそろそろ来てくれるかな」
 僕の言葉に呼応するように、コウスケは僕の手を引いてベランダに出た。凛とした冷たい空気が、程よく温まったリビングに差し込んできた。
 コウスケは僕の手を握り締めながら、不安げに夜空を見上げた。ホワイトクリスマス、とはいかなかったが、よく晴れた夜空だった。
「本当に、来てくれるかなあ……」
「大丈夫だよ、コウスケ。もうすぐ来てくれるよ」
「うん。いい子にしてたらね、クリスマスプレゼントを持ってきてくれるって。ママも言ってた」
「そうだよ。コウスケがいい子にしていればね」
「うん……」
 クリスマスの夢を信じているコウスケが愛しかった。コウスケの夢を、家族の幸せを守りたい、と僕は思った。僕はコウスケを抱きかかえて、彼と一緒に夜空を見上げた。
「ねえ……、パパ?」
「うん、なんだい?」
「――徳川家康って本当にいるの?」



2001年12月23日(日) 銀座で忘年会

 22日の土曜日、大学時代のサークルの仲間達と忘年会の名目で集まった。来春結婚を決めている後輩も忙しい中を参加してくれていて、彼の結婚祝いと同時に合同記者会見の意味合いも兼ねているようであった。
 場所は銀座2丁目の昭和通りからちょっと入った、なかなか落ち着いた雰囲気の居酒屋。まあ、居酒屋という言葉で片付けてしまうのは店を決めてくれた後輩に申し訳なくなるほど、いい店だった。
 彼らとはだいたい1〜3ヶ月に一度のペースで集まってはいろんな飲み会を行っていて、俺もとても楽しみにしている時間である。幹事役を持ち回りにしているので、店選びにもそのカラーが出ていたりなんかしておもしろい。

 今回集まったのは男女4名ずつの計8名。
 結婚を控えた後輩は周りの連中にかなりツッコまれていた。まあ、お約束である。プロポーズはいつしたのかだの、どんな台詞を吐いたのかだの、どういう披露宴にするのかだの、なんで結婚しようと思ったのかだの、“結婚を決めた”ヤツはかならず周辺から浴びせられる質問である。それは質問する側が既婚者であろうが未婚者であろうがあまり関係はないらしい。ただ、そこから一歩つっこんだ話題に展開してゆくと、既婚者は既婚者なりの“経験”といったものをいくらかは披露できるので、未婚組(特に女性陣)は「へー、そういうもんですかあ」と深く頷いたりする。その“経験”はまた未婚組が落胆する意見だったりもする。既婚者3、婚約1、未婚4という割合だったので、いろんな方面での意見や夢があってちょっと盛り上がる話題であった。
 結婚の話から、サークルの他の連中の近況や家庭菜園でナニを作っているか、プロ野球論議から星野は本当に阪神監督に就任してよかったのかなどなど、話題のベクトルは一方向に向かうことなく四方八方に放射していった。その度、話題の主人公は変わっていき、ツッコミ役も変わってゆく。俺はどちらかというとどんな話題にしてもハゲシくツッコむ役回りなのだが。

 俺が大学を卒業してもう10年が経とうとしている。
 その時の仲間達と、こうして今でも集まることが出来ることには本当に感謝しているし、この時間は大切にしなければと思う。
 次の飲み会の幹事はYが指名されたが、年明け早々にはYに「早く飲み会やろーぜえ」と擦り寄ってしまいそうな俺がいる。
 こんな飲み会はどうだろう。

『今、あえて牛肉を喰らう。大焼き肉飲み会』

 関係者は意見を聞かせて欲しい。



2001年12月14日(金) がっかりしたこと

 ライブで観てみたい、と思っていたアーティストの一人に『冬の女王・広瀬香美』がいた。
 曲自体も面白いものが多く、冬になるとその活躍が目立つ“季節労働者”“逆TUBE”とも言われる(言っているのは俺だけだ)が、俺は勝手に高く評価していたアーティストだった。なんと言っても魅力はあの高音とパンチのある歌唱力。生で聴く価値は充分にあると思っていたのだ。

 今朝、家を出る直前にテレビの朝のワイドショウ番組−−めざましテレビだったかな−−で、こんなアナウンスが聞こえた。
『広瀬香美さんが初の全国ライブツアーを実施』
 なにーっ!? と俺はネクタイを締めながらリビングに走った。テレビには確かにライブ会場で歌っている彼女の姿が。チケットを発売してたの、知らなかったなあ……などとひとりごちていたが、ふと気づいた。

 歌のキーが低い。

『ロマンスの神様』を歌っている映像だったのだが、明らかにキーを少しだけ下げて歌っている。どうも知っているキーでないだけに、曲の迫力を感じない。
 レコーディングの時には歌えるが、生で、人前で歌うときにはちょっとキーを下げます、ってことかい。
 素人がカラオケで歌ってるんじゃないっつの。

 ちょっと、がっかりした。



2001年12月09日(日) 新・びっくり、アクセスカウンタ

 いかん。駄文公開のこの『のづ随想録〜風をあつめて〜』(たまにはタイトルをフルで言っておかないと忘れられちゃうからな)が、一気にアクセス数700を突破してしまった。
 ちなみに“700”をゲットしたのはA・S。おめでとう。切り番ゲットは初めてかな……と思ったら、先月の彼がゲットした“401”がコミッショナー権限で切り番に認定されたんだっけね。
 そう、そうなんですよ。この一ヶ月で一気にアクセス数が300も鰻登り。これは正直いかがなものかと当事者たるワタクシもうろたえるばかりであります。どういう勢いでアクセス数が推移したか明確には分からない。毎月一度はこのタイトルでアクセス数ネタを書いていることはもうお気づきでしょうが、アクセス数を今振り返ってみた。すると、

09/20……97 → 10/07……200 → 11/10……420 → 12/09……702 

――という具合。ざっと言ってしまうと月を追うごとにそのアクセス数は100増だったのが200増、300増、という勢いで延びてしまっている。11月から12月にかけては、なんと一日平均9.4人の物好きがココにアクセスしている計算になるから、正直なところプレッシャーも感じているのだ。まあ、俺がココを見に来ることもあるし、何かの拍子で一人が何度かアクセスすることもあるだろうから実際は5〜6人/日のアクセスであろうとは思うものの、2、3日更新できずにいると、カウンタの数字だけが増えているのが分かるので、
「ああ、“今日も更新されてねーじゃねーか”とか思われてんだろうなあ……」
と、心根の弱いワタクシは押し潰されそうになってしまっているのです。それでも、更新数(随想録を掲載した回数)を確認してみると、ココを開設した9月は15回と勢いがあったがそれでも、10月11回、11月13回とまあコンスタントに更新しているほうではないかと自画自賛。
 年末に向けてアレコレ忙しくなってくるが、なんとかネタを見つけては元気よくここを更新してゆく所存です。皆さん、読んでくれてありがとう。感想メールにも感謝してます。まだ感想メールを書いたことがない人は、ココの右下の“のづ |MAIL”を軽くクリックしていただいて、さらに軽く感想をお聞かせいただけると嬉しいス。

※  ※  ※

 今年最後となるであろう野球観戦をしてきました。ツマと一緒に出掛けたのは西武屋根あり球場で行なわれた『名球会 vs ビートたけし&芸能界ドリームチーム』
 すげー寒かったけれど、面白かったよ。村田兆治はまだ現役いけるぞ、ありゃ。
 そう言えば、会場の入り口に『――出場予定だった以下の方々は都合により欠場となりました。御了承下さい』の張り紙があって、長嶋や衣笠の名前が。長嶋監督の姿が見られなかったのは残念だった。まあ、ハナから出場するわけないと思ってたけどね。
 その他にあった名前が“野村克也”。ううむ、まあ、そうだろうなあ……。



2001年12月07日(金) ばかなことをやったもんだ

 今さらながら言ってしまうと、俺は本当に友人には恵まれていると思っている。
 さすがに小・中学校の友達とはすっかり付き合いがなくなってしまっているが、高校の時――特に高校三年――に同じクラスになった連中とは今でも男女問わずのいい付き合いをさせてもらっている。大学に入ってからはサークルが学生生活の中心であり、その仲間達ともここ数年になって時折飲み会をやったりと、かけがえのない友人達だ。
 高三で同じクラスになった仲間とは、18歳からの付き合いとなるわけで実に16年もの仲、ということになる。考えてみると親兄弟の次ぎに付き合いの長い連中だ。今でこそ、それぞれがそれぞれの家庭を持ったり仕事が忙しかったりで学生時代の時のようなノリで頻繁に集まったりなどは出来なくなってきているが、今から思うと、彼らとは本当に楽しい――ばかなことをやったもんだ。
 先日、仕事で営業車を走らせている時、ふと思い出したことがあった。彼らとの遊びの企画。題して、

『葛西臨海水族園でマグロを見た後、鉄火丼を食べようツアー』

 ばかだ。本当にばかだ。
 このタイトルを思い出した瞬間、全身が脱力した。
 そもそも俺達は、なにかにつけ遊びの企画にタイトルを付けるのが好きだった。その中でもこのタイトルはまさに“そのまんま”で、内容もばかばかしいこと山の如し、である。
 いつのことだったかはよく覚えていないが、葛西臨海水族園がオープンしてまだ間もない頃だったろうか。この水族館には海流のある巨大な水槽があり、そこで高速で泳ぐマグロを飼育していることがひとつのウリだった。その頃はちょっと話題にもなっていたこの水槽のマグロを見に行こう――というのは分かるのだが、なぜその後に鉄火丼を食べよう、という発想につながるのか。言ってしまえばそれが俺達の俺達たる所以であろう。こんな企画に4、5人が参加し、水族館の後にわざわざ寿司屋を探して2000円近く出してちゃんとした鉄火丼を本当に食ったんだから、本当にばかだ。
 こんなばかをやってきた仲間達と、今年も忘年会が控えている。三十路をとうに過ぎた連中だが、またあの頃のようにげらげらと下品に笑いあえるかと思うと、今からとても楽しみである。



2001年12月05日(水) ワンギリ

 ワンギリ。
 ああ、TBSの深夜番組に出てる素人同然の女性タレント集団のことね、とボケるのは禁止である。それはワンギャル。
 話題になっているらしい、ということは新聞やラジオで見聞きしていた。ちょっと前まで(今でも、か?)世間を賑わしていた“迷惑メール”の発展版みたいなものか。
 こういうことらしい。相手から電話番号を通知した状態で携帯電話にワンギリ(1回だけコールしてすぐ切る。これをワンギリと言うのだ)してくる。自分の携帯電話にはその番号が着信履歴として残るから、
「はて、この着信は誰だろう?」
――とそのまま発信すると、ダイヤルQ2みたいな応答メッセージが流れ、これを聞くだけで10万円程度の請求が来る、というのだ。すごい手段。真偽のほどは知らないが、メディアでそこそこ話題になっているところを見ると被害者も出ていることなのだろう。

 夕方から急きょ課長と客先へ同行することになった。
 さほど進展の見られる商談とはならなかったのは、エラソーに言わせてもらえば、この課長がなかなか話の核心に触れず、ズバリ相手に結論を出させるような商談の展開にしていなかったからだ。俺は課長の横で笑顔でうなづきながら『余計な話はいいからズバっといけよ、ズバっと!』と地団駄を踏んでいた。 こりゃあ話が進まん……。
「――つまり、こういう事ですよね」
 俺は穏やかに課長の話を遮り、核心に迫るべく相手に話をしていった。まあ、結局この商談では“結論”には至らなかったが、どうも課長の遠回しな話振りには閉口してしまった。
 俺は課長を助手席に乗せ、会社まで戻ってきた。事務所には二人、同僚が残業をしていたが、しばらくして課長達はまだすこしだけ仕事を残している俺を残して退社していった。
 1時間ほどして、俺の残業もあらかた片付いた。とうに22時を過ぎている。慌てて帰り支度をしていると、ふと課長のデスクの上に一枚の「お知らせ」の書類があるのに気づいた。何気なくそれをつまみ上げて読んでみると、冒頭に紹介した“ワンギリ”のことが丁寧に記してある。どうやら、我々の部門は携帯電話を多用する仕事なので“ワンギリ”には十分注意しましょう、という事らしかった。

 いつものように営業車での帰宅途中。
 たまたま助手席のシートの上に転がしておいた会社用携帯電話に『着信あり』の文字があることに気づいた。 カーラジオを聞きながらだったせいか、着信に気づかなかったらしい。 画面に名前などが表示されればメモリ登録されている、つまり仕事関係の人からと察しがつくが画面には11ケタの数字のみ。俺の会社用携帯電話に着信があるのだから、恐らくメモリ登録していないだけで、どこかの営業マンが俺に急用なのかも知れない。もうすぐ23時になろうか、という遅い時間だった。
 ナニも考えずにそのまま発信。
 あ、これ、ワンギリか? ――そう思ったときにはもう携帯電話は相手側を何度か呼びだしていた。そして、繋がった。
 切ってしまえばよかったのだろうが、言い様のない好奇心が俺の心の中に広がっていた。これが本当にワンギリだとしたら……。しかし、相手側はQ2のメッセージではなく『――留守番電話サービスです』の声。
「なんだよ、くそ」
 しかし、好奇心は収まらず、5分ほどしてから俺はもう一度その番号にかけ直してみた。発信の際に点滅するその番号がどうも見覚えがあるような気もしていたので、心のどこかでワンギリではないと思っていたのかも知れない。
 ツー、ツー、ツー……。
 こんどは相手側に繋がって、すぐ切れた。怪しい。ムキになってもう一度発信。何度か呼び出し音がなって、そして繋がった。電話の向こう側はすこし騒がしいようだった。

『――ああ、今、焼き肉屋で呑んでたんだけどさあ、店の女の子がアンタの大学の後輩だっていうんでさあ、思わず電話しちゃったのよお。牛角だよ、牛角。ココ。今、その女の子と電話代わるねえ――』

 ろれつの回らない、明らかに酔っ払った声。何のことはない、友人だった。
 そうだ、コイツは俺の“会社用の”携帯電話番号を知っていたんだ。どうりで見覚えのある番号だと思った。

 みなさん、ワンギリには十分注意しましょう。さらに酔っ払った友人からの電話にはもっと注意しましょう。F・T、呑み過ぎンなよ。



2001年12月04日(火) こんな季節には

 今日は久しぶりの雨降りでしたね。
 ぼんやり聴くとは無しに聴いている営業車のラジオからはお天気おねえさんが三週間振りの雨だということを言っていたようないないような。吐く息も白く残り、気温も本格的に下がってきて、“12月下旬の陽気”だって。ふん、俺にはカンケーないよ。毎日が最低気温、だから。
 仕事から帰宅するとシャワーを浴びるが、こう毎日寒いとゆっくり湯船に浸かりたくなる。“温泉の素”かなんかを入れて、ゆっくり肩まで浸かって週刊ベールボールを読む、というのが至福。
“温泉の素”で忘れられないのが、昔、友人が淡路島への旅行から帰ってきたときに土産に貰った“温泉の素”が俺の中の“温泉の素ランキング第一位”の座を長年揺るぎないものにしている。コイツを湯船に入れて、じっとりと額に汗が浮かぶくらいに浸かっていると本当に体の芯まで暖まる。ベッドに入ると冷たいはずの足のつま先などがぽかぽかしているから不思議だ。
 炬燵に入って、スタバのマグカップで飲むインスタントコーヒーがこれまたあったかくてシアワセだ。
 余談だけれど、結婚してからというもの、自分でインスタントコーヒーをいれるとコレがちょっと美味しくない。独身で実家にいたとき程は自分でコーヒーをいれなくなってしまって、自分好みのインスタントコーヒーの量を忘れてしまったからだろうか。 今は大抵ツマが作ってくれて、俺の好みもツマが分かってきてくれているので、最近は「コーヒーが飲みたいなあ」と甘えることにしている。
 あったかい、といえば、最近“お茶漬け”が食べたくなる。先週末の社員旅行で土産に買ってきたイカの塩辛が予想以上に旨くてツマにも好評だった。これで軽くお茶漬けにしてさささっと流し込むと、コレがまたしみじみと旨い。
 となるとやはり“冬のあったか旨いもの”と言ったらやはり湯豆腐だろう。個人的には昆布ダシ、具は絹ごし豆腐に鶏のモモ肉、ちょっとの白菜があればそれでいい。食道を焼け尽くすくらいにあつあつの絹ごし豆腐をはふはふ言いながら食べるのが旨いのだ。
 冬のあったかさは、シアワセのひとつの形ですな。



2001年12月02日(日) 典型・ひとりひとり型社員旅行

 なにもこんな忙しいときに……と思っていたのだが、金曜・土曜の一泊二日的社員旅行があり、千葉県は勝浦まで行ってきた。
 ゴルフ組、釣り組と分かれて出発の予定だったが、前日に『波が高くて釣りになんねいよう』と釣り場のおじさんから連絡があったらしく金曜早朝からの釣りは急きょ中止となった。俺はあまり気乗りのしない釣り組だったので、これ幸いとその午前中は2、3の仕事を済ませ、午後からゆっくりと高速道路を走り、勝浦へ向かった。
 まったくもって典型的なスタイル。それぞれがチェックインしたあと、軽く温泉につかり、「さてではまあそろそろ……」と宴会場にそぞろ集まってゆく。ホテルの浴衣姿のひとりひとりの前にはやはりひとりひとりの小さな卓があって、固形燃料で温める一人鍋を筆頭に、お造り、焼き物、小鉢料理などがひとりひとりに割り当てられているという“ひとりひとり型”の宴会スタイルである。
 部長サマの今年もあとわずかですが気を抜かずに頑張りましょう的挨拶の後、ぬるめのビールで乾杯。しばしの歓談から部長サマの突然の指名から始まる問答無用カラオケ大会を経て、課対抗演芸大会でひとしきり盛り上がり、一本締めで宴会はお開き。こんなサラリーマンみたいな宴会は実に久しぶりであった。
 宴会の後、酔っ払った先輩社員の強引な誘いを断ることが出来ず、俺は同僚と共に場末のフィリピンパブに連れて行かれた。タクシーで片道5000円。正直、ばかだ。そのヨッパライ先輩社員が「財布なんか持って行かなくていい」とトガリ眼で言うので、その時の俺は正直に1円の金も持たずについて行ったのだが、ばかばかしいのでタクシー代と店の払い、何とか踏み倒そうと思っている。
 高い参加費を払っているので、俺なりにモトを取るために大浴場には3回入った。チェックイン直後と宴会の後、そして朝飯の後。ホテルは勝浦海岸からすぐのところにあって、ホテルの最上階にある大浴場からは太平洋が真っ平に望めてたいへん気分が良い。両日とも雲ひとつない快晴という天気に恵まれたので、大きな湯船につかりながら遠く太平洋に浮かぶ漁船などをぼんやり眺めている、というのは、日々の(それこそ本格的な)忙しさを忘れさせてくれた。温泉にでも行きたいねえ、とツマと話していた時期でもあったので、この大浴場だけは満喫できた。

 翌日は早めにチェックアウトし、近くの朝市を覗いてみた。
 聞けば勝浦漁港の朝市はそこそこ有名なものらしい。ホテルを出て、5分も歩かないところにちいさな商店街があって、その細い路地でこじんまりと朝市は開かれていた。ゴザに座ったおばあちゃんの前には自家製白菜の漬物100円、とか、さっき取ってきたばかりの野菜類がずらり並べてある。別のところでは大きな金目鯛が1700円で売られている。部長サマ曰く、百貨店の地下食料品売り場で買ったら3000円はする、とのこと。俺はツマの好きな“イカの塩辛”を土産に買って帰った。
 年末の追い込みを迎えようというこの時期に、のんびりとした土曜の朝だった。俺はひとり車に乗り込み、晴天の中を佐野元春のCDを聴きながら家路についた。


 < 過去の生き恥  もくじ  栄光の未来 >


のづ [MAIL]

My追加