普段、“生きているということ”を自分がどれだけ意識しているかと言えば、まずほとんど考えていないと言っていい。嬉しいとか悲しいとか忙しいとか楽だとか、涙とか笑いとか怒りとか喜びだとか、それぞれがすべて“生”の上に成り立つ感情だったりすることを、俺達は日常まず忘れている。
仕事上で付き合いのあった建設業者の営業マンが、今朝、亡くなった。 交通事故らしい。
今月の上旬にとある契約を俺と一緒にまとめた営業マンで、先週の金曜日に今日のアポイントの確認の電話をしたばかりだった。今日も、そのアポイントの一時間ほど前に俺は彼の携帯電話に時間確認の電話を入れたのだが、留守電になってしまい、俺は一言二言のメッセージを残した。しかし、その頃には彼はもう――。 聞けば、彼は32才。どう見ても俺より年上という風体だったし、なにかこう話しぶりや仕事ぶりに貫禄すら感じる、かなりバイタリティのあるバリバリの営業マンタイプの男だった。子供も二人いる、と彼の上司にあたる人に聞かされた。 契約がまとまった後、俺は彼の尽力に感謝し、「お店がオープンしたら、一席設けましょう」と言うと、彼は右手の小指をそっと付き出し、「コレがいるところがいいスね」と、いたずらっ子のような笑顔を見せて自分の営業車に乗り込んだ。
仕事上の付き合いしかなかったと言えばそれまでだが、それでもつい最近まで一緒に仕事をした人がもう二度と俺の目の前には現れない、というのはショックだ。突然、神様に選ばれてしまった彼は、今、何を想う。
俺達は生きている。これは何にも勝る奇跡だ。 俺達は生きている。生きている。
2001年11月26日(月) |
忘れてはならないこと |
あまりココで生々しい仕事の話はしたくないのだが、来年の2月という会社の決算に向けて、いよいよ本格的なラストスパートの時期となった。ここをしっかり乗り切れるかどうかで、まあなんというか、的確ではないが分かり易く言うところの『天国と地獄』のいずれかとなる。 そんなこともあって休日出勤も重なっているのだが、日々の忙しさにかまけて優先順位の低い事項が記憶の彼方に薄らいでゆき、後になって「あっ!?」ということが多い。 “年末調整”の書類はまだですか、と今朝になって事務の女性に催促されてしまった。そんなものは記憶の片隅にもなかった。 「ああええと水曜日にはなんとかへへへ」などと薄ら笑いを浮かべてごまかしたものの、考えてみるとこんな風に後回しになっていることが次々と出てきた。 オノレの事務処理能力の欠如を呪う。 ラストスパート、がんばろうっと。
昼にカレーうどんを食べた。 先週の『どっちの料理ショー』での対決が“カレーうどんvs麻婆麺”で、それを観たツマが「無性にカレーうどんが食べたい」と数日前から主張していたので、出かけるついでに近所の蕎麦屋に入った。 蕎麦かうどんか、と問われれば迷わず俺は蕎麦が好き、と答える。それなりに美味いと言われる店にも行っているし、蕎麦関連の本も幾つか読み、料理雑誌などで蕎麦を特集しているとついつい買ってしまったりもする。その風味や喉越しを云々するほどではないけれど、まあ趣味のレベルの“蕎麦っ食い”である。 蕎麦はその値段の割には圧倒的に量が少ない。残念ながら蕎麦で腹いっぱいになる、ということはあまりないので、例えば仕事の途中の昼飯に蕎麦をたぐるということはほとんどない。蕎麦を腹いっぱい食おうと言うこと自体がちょい野暮。 そういう時は、ボリュームのあるうどんだ。 今年の夏、ツマと草津温泉に行ったが、その途中で食べた水沢うどんは本格的に旨かったなあ。 なべ焼きうどんが一番好きだ。それも、一緒に添えてある小鉢にうどんをちょっとずつ取り分けて、なんて女々しいことはせず、アツアツの鍋から眼鏡を曇らせながら直接うどんを口に運ぶ。このハフハフ感がいい。いつだったかの夏休みに仲間と小旅行に出掛けたとき、昼食に入った蕎麦屋でなべ焼きうどんを注文したら「おまえはそこまでウケを狙うか」と批難されたが、あの時は本気でなべ焼きうどんが食べたかったんだ。 で、次ぎにランクされるのがカレーうどんであろうか。白ごはんがセットになっていれば申し分ない。やはりこいつも小汗をかきながら一気にうどんをすすり上げる。ダシの効いたカレーもきっちり飲み干すのを忘れてはならない。 カレーうどんを考案した人って誰だったかな。蕎麦関連の本に出てたんだけどな。
※ ※ ※
アクセス300に続いて500をゲットしたのもW・Kである。500か……。なんかソラ恐ろしい数字になってきた。読んでくれている皆さまに感謝、感謝。
勤労感謝の日である今日から、世の中は三連休となる。
三連休……、なんと甘美な響き。
週間天気予報を見ればこの三連休も含めてしばらくは晴天続き。ついでに空気も乾燥しっぱなしだから、ちょっとお肌もカサカサしてきてるんだけど、えーいそんなん関係あるか!と叫んでしまえるくらいのヨロコビの三連休である。 この連休にナニをしようかな、などと考えてみる。 そろそろ床屋へ行かなければ。ツマに毎度言われているパソコン周りの整理整頓もいいかげんにやっておかないとマズい。ココのネタをまとめてパソコンに打ち込むのにはちょうどいいかもなあ。そうだ、本格的に年賀状も作らなきゃ。お歳暮ギフトの伝票書きもまとめてやっつけてしまいたい。風呂場の掃除も年末になる前にやっちゃおうかな。最近ゆっくりCDも聴いていないので、さだまさしあたりをのんびりと。ツマのお買い物にも付き合おう。天気も良いことだし、近くの公園でジョギングするもよし、芝生の上に寝ころんでラジオでも聴いていようかな。
――なあんてことを、俺は家からではなく、事務所のパソコンから打ち込んでいる。無人の肌寒い事務所。ようやくさっき、残業の資料づくりが終わったのだ。今? ええと、午前1時33分。 明日土曜日はこの資料を持って部長サマと同行、そしてまた別の資料づくりをしなければならないことになっている。
三連休……? ナニそれ? そんなもの食ったことねーよ。
――って、おいおい、『東京国際女子マラソン』の話じゃないのかよ、と思ったアナタ。そうです、その話はまた別の機会に、なのです。
風邪をひいているわけでもないのだろうが、どうも変な咳がとまらない。 例えば仕事の電話で喋っているときなど、むせ返ってしまってすぐに「――ということはゲホ、つまり図面を早急にゲホゲホ、用意してゲホ……」ということになってしまう。 もともと俺は気管系が弱い人間だ。 小学校時代の俺は小児ぜんそくを患っていて、小学校の六年間はほぼ毎週木曜日は午前中で早退して、母親と一緒に上野方面の病院に通院していた。だから風邪などをひくとまず真っ先に咽喉が痛くなり呼吸が苦しくなった。それがぜんそくの発作につながって、思い出すのも辛いくらいだ。ぜんそくの発作って、それはそれは苦しいんだぞお。 小学校六年生の修学旅行出発前夜に発作を起こして以来、大きな発作はなく、中学に入ってサッカーなどを部活でやるようになってからは基礎体力もついてきて、知らぬ間に小児ぜんそくは完治していた。ただ、ぜんそくの名残か、体調が悪いと咽喉はすぐにやられてしまう。 コレを打ちながらも結核を患った青年作家のようにゲホゲホと咳込んでいる。会社では「今にも死にそうな咳をするな」とわけの分からない注意をされてしまった。 うう、苦しいよお……。皆さんも体調には気をつけて下さいね。
この土日は、一応両日とも休みとなる予定だった。これは結構久々のことかも知れない。 クリームパンとハムエッグという遅い朝食を済ませ、何気なく仕事用のケータイ電話を見てみたらどこぞから着信が。何だよくそ……、と思いつつやむを得ずかけ直してみたら金曜日に結局連絡がつかなかったとある業者さんからであった。出来ればやっつけてしまいたい打合せがあったので、急きょスーツに着替えて出かけていった。けっ。結局仕事になっちまったい。 打合せを無事終えて二時半。美容院へ行ったツマと四時に池袋で待ちあわせをしていたので、慌てて家へ戻る。べつに家に戻る必要もないのだが、実は家を出るときに慌てていたせいか、ズボンのベルトをしないまま出てきてしまったのだ。その事実に気づいた途端に今にもズボンがずり落ちそうな錯覚に陥る。言い様のない不安感。こういうこと、ありません? 俺、時々やっちゃうんだよねえ。 三時すぎの西武線に飛び乗り池袋へ。車中、スポーツ報知を隅から隅まで目を通す。そういえば先日、ジャイアンツの新ユニフォームが発表されていたが、泣きそうなくらいカッコ悪いデザインだった。春季キャンプとオープン戦限定で着用とのことらしいが、是非闇から闇へ葬り去って欲しいものである。 池袋はビックカメラ本店へ足を運ぶ。やや古くなった家のテレビとビデオデッキを新調しよう、ということになっていて、これが本日のメインテーマである。 基本的に、俺、BSだのBSデジタルだのCSだのスカパー!だのチューナーだのD端子だのヘチマだのというあたりのことを深く理解していないのだが、店員さんを代わる代わる捕まえてはあれこれ質問し、とりあえずは予算内のテレビとビデオデッキを購入。在庫がない、とのことで12月配達になるとのこと。 売り場にはDVDレコーダーなんつうのも並んでいてちょっとアコガレてしまった。もうそんな時代なんだなあ。DVDプレーヤーも勢いで買ってしまおうかとも思ったが、ここはグッとこらえて次回への懸案事項とした。DVDには魅力的なソフトがたくさんあるので、いずれはわが家にも導入したい。 夕食には、これまた予定どおりに寿司を食いに行く。池袋にはウチの会社の本部があって、その程近いところに『幸ちゃん寿司』というなかなか安くて美味い寿司屋がある。開店と同時にすぐに満員になってしまう店だ。七時を過ぎたころだったので多少は並ぶことも覚悟していたのだが、タイミングよく並ばずに店に入ることが出来た。 思い返すと、前回この店に来たのはもう一年以上前になるかも知れなかった。その間、回転寿司に甘んじたことは何度かあったが、久々の本格寿司に夫婦揃って舌鼓を打つ。 久々に充実した休日だった。
で、明日は。 東京国際女子マラソンに行ってきます。
2001年11月15日(木) |
最近、牛丼、食べてます? |
二、三週間ほど前の月曜日。 月曜日は浦和の事務所で定例の会議があって、大抵は一日カンヅメとなってしまう。日々はそれぞれの担当エリアを走り回っている同僚がまともに全員が顔を合わせるのはこの月曜日くらいしかない。 昼食もみんな揃って近くの定食屋やレストランへ食べに行くことが多いのだが、その日は俺を含めた4人ほどが、昼近くになにやら仕事に追われてしまって、事務所を出るタイミングが遅れてしまった。どこの店も客でいっぱいになってしまっていて、所謂『昼食難民』。 しょうがない、駅の近くの吉野家へでも行くか――ということになり、ぞろぞろと歩きだした。 この春に中途入社でうちのチームに入ってきたイケダという男、学生時代は応援団に所属していたという経歴を持つ。体のわりには結構な大食いである。吉野家へ向かう道すがら、なんとなく吉野家の牛丼を何杯くらいなら食えるか、という話になり、イケダは「昔、4杯くらい食ったことありますよ」と笑って言った。 そう言えば、別の同僚がイケダのこんな話をしていた。 「知ってる? イケダはね、吉野家の牛丼の“並”をおかずにして“大盛り”を食うらしいよ」 イケダの大食いネタではあるが、これはこれで結構笑った。今日もイケダは2杯くらい軽く食っちゃうんだろうな――誰か冷やかすと、イケダは「いやあ、ははは」と頭を掻いていた。
さて、浦和駅に程近い吉野家。 昼食時で店内はかなり混雑していたが、俺達4人は殆ど待たずにばらばらにカウンター席に着くことが出来た。俺は、牛丼を食べるときの定番注文『大盛りと玉子』をすばやく注文、出されたお茶を口にしてほっとい一息。 しばらくして、カウンター席のちょうど向かいに座った同僚が突然肩を震わして笑いをこらえている。?マークを投げ掛けると、彼は俺の5つほど隣に座ったイケダを指さし、指を二本立てた。 「?」 身を乗り出してみると、イケダの前には牛丼の“並”が二つならんでいた。“並”をおかずにする――と言う話はどうやら冗談ではなかったらしい。 店を出てからイケダに聞いてみると、 「いや、特盛りを食うより、並を二つ食ったほうがお得なんスよ」
最近、牛丼、食べてます?
冬はもうそこまで、と書いたが、気づけば“立冬”も過ぎたことだし、暦の上ではもう冬なんだな。先日も、事務所を出てちょっと離れた駐車場まで歩く道すがら、吐く息が白く残って消えるのに気づいて「ああ、いやな季節がきたものだ……」とどんよりと曇った低い空を見上げたものだった。
俺は冬が嫌いだ。
こう言ってしまうと身もふたもないが、あえて言えば、俺は冬という季節は決して嫌いではないが、寒さにはめちゃめちゃ弱い――というあたりだろうか。 夏は多少暑くても、人間としてのエネルギーのほとばしりを感じるし、なにより世の中が活動的になる。様々な経済効果を考えたって、冬より夏の方がいいのは明らかだ。ビールが美味いのはやっぱり夏だし、暑いさなかに汗だくになって食べる鍋焼きうどん、というものも個人的にはかなり好きだ。 気温が下がってくると、こう体が縮こまってしまってナニもやる気が起きなくなる。外を歩き回らなきゃ仕事にならないのに、エアコンでぬくぬくになった営業車を出るのにかなりの気合と勇気を要する。よって冬場の仕事の能率は著しく下がっていると言えよう。冬眠する動物の気持ちがホント良くわかる。 真冬になって、ちょっと日差しがあったり平年より2度高めです、なんて気温の日には「ああ、今日はあたたかいね」なんていう話になるが、俺には当てはまらない。
『毎日が最低気温』 これが俺の冬だ。 ああ、本当に冬はいやだ。だって寒いんだもん。
事務所でちょっとした資料を作らなければならなかったので、江川・徳光の激論バトルを観た後、ゆっくりと家を出た。立冬を過ぎ、風は頬に冷たかったがしっかりとぬくもりを持った日差しが注がれていた。 気づくと、仕事用のケータイにメールが届いている。会社から持たされているこのケータイはドコモのP209i。俺はこの仕事用の他にプライベート用のケータイも持っているけれど、この会社用にメールを送ってくる人は限られていて、やはり届いていたメールもその人からだ。 ミンキーモモの待ち受け画面だった。 「……」 朝から俺はミンキーモモの唄いながら、浦和の事務所まで営業車を走らせていた。ソラでミンキーモモが唄える自分がちょっとイヤだった。 誰もいない事務所でひと仕事を終え、応接室でFMの弁当を食べながらテレビを観る。野球ワールドカップの日本―オーストラリア戦がテレビ中継されていると思ったのだが、どこのチャンネルもそんな様子はない。アタック25の解答者の席が昔よりゴージャスになっていてちょっとびっくりした。 夕方4時過ぎに事務所を出る。ちょうど入れ違いになるように後輩の女性社員が現れた。こんな時間に彼女はナニをしに来たのだろう? ここのところ土曜か日曜かどちらかの出勤が多く、それもいつものように営業車で移動するものだから、平日と同じように土・日曜のラジオにも詳しくなってきた。 日曜夕方は俺の好きな伊集院光と浅草キッドの番組が立て続けにオンエアされるので、聴けるときは逃さないようにしている。今日も伊集院のトークで笑った。彼のツッコミってどこか俺と共通するところがあるんだよなあ。 ふらりとケーズ電器に立ち寄り、ノートパソコンやラジカセを見て回る。必要に迫られてはいなけれど、欲しいものは沢山あるので、ボーナスが出たらちょっと考えちゃおうかな……、などとひとりごちたりして。 帰り際、店の出口のところで郵便局から出張ってきたと思しきオニーサンが「年賀ハガキはいかがですか?」と俺に声をかけてきた。ちょうど良かったのでインクジェットプリンタ対応の年賀ハガキをツマの分も合わせて60枚購入。もうそろそろ、本格的に年賀状制作に取り掛からねば。 帰るコールをしたら、電話の向こうでツマが『今日は豚汁を作ったよ』 先日のどっちの料理ショーではおでんに負けてしまった豚汁だったので、俺は大喜びで家路についた。
(ココにアップし忘れた昨日分の日記も合わせて、本日はふたつの日記をアップしております)
2001年11月10日(土) |
続々・びっくりアクセスカウンタ |
今年もあと残り2ヶ月を切り、俺自身ちょいと仕事が忙しくなってきたこともあって、なかなか以前の勢いのように日記を更新し続けられないのだが、それでも「どれどれ、あの莫迦は今日はどんなことを書いておるのだ」とばかりにココを覗きに来てくれる奇特な人が何人もいてくれるようで、アクセスは遂に400を突破してしまった。こりはびっくり。 この『enpitu』という日記公開型HPは毎日のように利用する――俺と同じように日記として公開する頁を持つ――人が増えている。俺がココを開設したのと同じ時期に公開を始めた人の日記は果たしてどれくらいのアクセスがあるのだろうか、とちょっと調べてみたら、一番多いところで350くらいのアクセスで、他はせいぜい100を越えているかどうか、という程度。いかに皆さまに頻繁にココを覗きに来ていただいているか、ということが分かる。まあ、俺自身がうれしがって身内の皆さまに「こんなことやってるから見に来てねえ」と擦り寄った、ということもあるんだけれどね。
思い出したころに皆さまから“キリ番”ゲットのメールが届いておもしろい。 実は先日、会社のパソコンからココにアクセスしてみたら、あっ、と思ったが時すでに遅し、丁度400アクセスだった。S・Aから『アクセスカウンター、401だった。うーん惜しい』というメールが届いて、ちょっと申し訳ない気分になった。これは“キリ番”としてエントリーしますので御安心を、S・A殿。 今日も日記を書き込むのにアクセスしたら420。なんか俺ばっかり“キリ番”に当たってしまっているようで、どうも意味がないなあ。
大学時代の後輩が来春、結婚することになった。 最近、こういうコトブキな嬉しい知らせが久しくなかったのでたいへん喜ばしい。
彼は俺が大学四年の時の一年坊主として我がサークルに入部してきた。そもそもウチのサークルは一応“ボランティアサークル”という看板を掲げており、夏テニス冬スキー型うふふあはは系軽量サークルとは違い新入部員が集まりにくい。ところが、プランクトンの異常発生が原因だったかどうかは知らないが、何故かその年は大量旗を振り回したくなるほど新入部員が集まってきた。 彼はそれでも四月の結構早い時期に入部を決めたひとりだった。どちらかというと地味な、あまり冗談を言ったりするようなタイプではない。俺と同じように、大学に入るのに人よりやや余計に遠回りをしていた、というのも彼が俺の中で少しだけ特別な存在だった理由かも知れない。特別に彼を可愛がった、というわけではないが、なんとなく俺の視界の中にいる男だった。
「おい、これから飲みに行くぞ」 まだ新入生もそれほど入部していない四月の或る日の夕方。授業も終わり、帰ろうとする彼の背中に俺は声をかけた。部室には彼を含めて四人の部員が残っていた。 彼は俺の誘いにあまり乗り気では無く、困惑した笑顔の中には明らかに「お願いですから解放してください」という風情が見てとれた。ウチのサークルは“ボランティアサークル”というハートフルなイメージとはかけ離れたところで上下関係はかなりわかりやすく厳しかったので、俺の「うるさい、いいから来い」の一言で、彼は俺たちと一緒に飲みに行くことになった。 吉祥寺のとある居酒屋。今で言うカラオケボックスのような店ではなく、小さなリクエストカードに歌いたい曲を書き、店の従業員からお呼びがかかると、小さなステージに上がっていって他の客も見ている前で歌う、というタイプの店だ。一年下の後輩がアルバイトをしていたこともあって、俺たちはたびたびその店へ遊びに行った。 そんな店だったからか、彼はいくら勧めてもマイクを握ろうとはしなかった。頑なに歌うことを拒絶する彼を俺たちはおもしろがって、ならばこの柿ピー入り生ビールを一気しろだの無理難題を押し付けた。典型的な学生のノリである。「俺も一緒に歌ってやるから」と俺は彼を諭し、俺と彼は米米クラブの「浪漫飛行」を歌った。カラオケ慣れしていないのか、彼は時折音程をはずしながらぼそぼそと低く歌った。 この日の飲み会は彼に強烈な印象を残したらしく、後に彼はサークルに慣れてくるにつれて笑って俺に「あの時はひどかった」と訴えていた。俺と彼のつながりはあの飲み会で始まった。
時は流れ、俺は大学を卒業することになる。 卒業コンパの一次会はやや“堅め”に行われるのだが、代わる代わる俺の前にびんビールを持って正座し、「先輩、卒業おめでとうございます」と俺のグラスを満たしてくれる後輩たちが嬉しかった。その度にグラスを空にしなければならないのは大変だったけれど、彼も、そんな可愛い後輩のひとりだった。 俺はこのサークルの仲間たちや後輩たちをとてもとても愛していた。三次会のカラオケボックスに入ってしばらくすると、感極まった卒業生はみんな涙をこぼしていた。俺も、ばかみたいに涙を流した。 そこへ、ふと彼が俺のとなりに座った。 「先輩、歌いましょうよ」 俺が顔を上げると、それまで何度も見てきた彼の穏やかな笑顔がそこにあった。 「先輩、浪漫飛行、歌いましょうよ」 彼が入部してきて、初めて俺と一緒に歌ったあの曲。彼はそれと知って選曲したのだろうか。そんな気の利いたことができる男ではないはずだったが。 この時の「浪漫飛行」を、俺はボロボロでまともに歌えなかった。彼は口惜しい位に上手く歌いあげていた。 来春結婚する彼に、おめでとう。
2001年11月03日(土) |
車の中でナニを聴こう |
今日は訳あって、ひとり実家に帰っていた。 実家の茨城まで、大抵は車を使って帰る。関越→外環道→常磐道と高速道路を走ったとして混雑していなければ1時間ちょっとの道のりである。まあ、特別なことではないけれど、この時間を俺はお気に入りの音楽を聴いて過ごしている。最近はすっかり自分の中で定着してしまったAMラジオを聴くことも多いが、今日は“音楽”のほうの話ということで。
皆さんは車の中で何を聴いています?
俺の車にはCDとMDがあって、車に積んであるソフトは代わり映えせずずっと同じままなので、大体いつも聴くものは偏ってしまっている。 日中であれば、浜田省吾、小沢健二、スマップ(ベストアルバムね。これ、気に入ってます)、スピッツなどなど。どれもややボリュームを大きめにして、一緒に唄いながら運転するのには気分のいいアルバムばかりだ。高速をカッ飛ばす時には中古CDを2、3枚常備してある永井真理子も良い。 また時には違う曲も聴きたくなるもので、自宅に置いてあるCDを車に持ち込むことも多い。その場合は佐野元春やドリカムが中心となる。友人を乗せているときにウケ狙いで『子供達を責めないで』が収録されたCDもある(この曲を知らない人も多いだろうな)。
夕方から夜、例えば今夜のように雨の中を車で走るとき、どんな音楽を聴いているのか。これはもう2年前くらいからそうなのだが、“加藤いずみ”のベストアルバムをしっとりと聴いていることが多い。 “加藤いずみ”を御存知だろうか。『髪を切ってしまおう』『好きになってよかった』あたりがかろうじて有名な曲かもしれない。もしかしたらテレビドラマの主題歌になっていたような記憶もある。 彼女の透き通った声がいい。アコースティックなメロディが美しい。単なる流行りモノでは決してない、音楽としての完成度を感じるアーティストだと思っている。そして彼女の声が、歌が、このアルバムすべてが暗闇の中を走る車の中で聴くのにぴたりとはまるのだ。
車の中で聴くオススメのアーティストがいたら、ぜひ教えて下さい。出来れば、雨の夜の中をひた走るときに聴きたくなるような女性ボーカルがいいなあ。
あるいはそれを“宅訪”と呼ぶ。 先日、同僚の担当する新しい店が開店するというその前日に、“宅訪”を手伝ってくれないか、と頼まれた。 新しいお店が開店する前日には、お店の近隣の住宅などに開店告知のビラを一軒々々ポスティングしてまわる、という作業があって、通常は新規採用したアルバイト達4、5人で手分けしてやってもらうのだが、時折、人員確保ができなくて我々店舗開発担当者も一緒になってやることがある。 別の仕事でその同僚に借りがあった俺は、迷わず引き受けることにした。
同僚に指定されたエリアで世帯が約200軒。これを一軒々々回るのだから決して楽な作業ではない。それでも数ヶ月ぶりに歩きまわったチラシ配りはいろんなコトが見えて実に面白い。 番犬に吠えられる、なんてのに驚いていてはやってられない。こんな古い家に誰が住んでいるんだ!? と思いつつ近づいてみたら本当に誰も住んでいなかったりする。小さなアパートの一室のささやかな表札に「渡辺幸夫・ヘレン」なんて書いてあったりするのを見ると、余計な想像をしてひとりクスクスと笑ったりしている。このヘレンっていう女性がビダルサスーンのCMに出てくるような金髪長身のグラマラスな女優さんみたいな人だったらギャップがありすぎて面白いなあ、とか。
誰に自慢できる、というわけではないが、そもそも俺にはチラシ配り(ポスティング)には一日の長がある。マンションなどの集合ポストにばしばしとチラシを入れてゆく自分に我ながら手際のいいものだ、と感心していると、ふと大学時代のことを思い出した。 知っている人は知っているだろうが、俺が学生時代に所属していたボランティアサークルでは、学園祭になると“チャリティーバザー”を開催していた。大学の近隣の住宅にチラシを配って告知をし、書籍や古着、家具や家電など家庭の様々な不用品を集めてバザー商品として売りさばき、その売り上げを障害者施設に寄付させてもらうのだ。そのときに配るチラシは10000枚位は印刷した覚えがあるので、サークルのメンバーは最低でもひとり1000枚位のチラシを毎年配らされることになっている(ココの読者の一部はこの“チラシ配り”を体験している連中である)。 授業の合間や放課後に大量のチラシを抱えて街に出る。すっかり辺りが暗くなってからも家々を出たり入ったりしているものだから、一度おまわりさんに職務質問されたこともある。 その当時は、こんな風に住宅やマンションを回ってチラシを配り歩くなんて、そんなアルバイトでもしないかぎりそうは体験することじゃねえなあ……などと思っていたのだが、まさかあの4年間のチラシ配りが仕事に役立つとは考えてもいなかった。
さて、そのチャリティーバザーでのエピソードをひとつ。 配ったチラシを見た人から連絡を貰い、基本的にはいただける不用品をこちらから取りに伺う、ということになっていた。量がすくなければ徒歩や自転車で行くのだが、量が多かったり家具などの大きなものをいただける場合には軽トラックで出向くことになる。 家具をいただける、と言う連絡があり、俺を含めた手の空いた部員がトラックでその家に向かった。行ってみると、すでに小さなタンスや本棚などが門扉の前に出して並べてあり、傍らにその家の主らしき中年の男性が俺達を待っていた。どれも綺麗に掃除された品物で、決して安物ではない、ということは学生身分のこちらにも分かった。 とくに立派だったのが“鏡台”。観音開きの大きな鏡は丁寧に磨かれていて、作りもしっかりしている。“安物ではない”というレベルではなく、それは明らかに“高価なモノ”だった。 「いいんですか、こんな立派なものをいただいてしまって?」 誰かが、その男性に尋ねた。身じろぎもせずに、その男性は穏やかな笑顔で言った。 「ええ、お願いします。実は――」 「?」 「――実は、この鏡台、亡くなった妻の遺品なんですよ……」
そんなものを貰ってくる奴がいるか、と先輩に怒られた。と同時に大爆笑。 俺は集まった品物を倉庫内に管理する役目を仰せ付かっていたのだが、薄暗闇の倉庫の中で、俺はその鏡台を見るのが怖くて仕方がなかった。
――そういえば、今はアジ祭の時期か?
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