のづ随想録 〜風をあつめて〜
 【お知らせ】いよいよ『のづ随想録』がブログ化! 

【のづ写日記 ADVANCE】

2001年10月28日(日) 今日は雨でしたね

 ちょっと前に発表された週間予報がずーっと頭にあったものだから、この土日の週末は晴天に恵まれた行楽日和のお天気――なんつーのを期待していたのですが、今日は朝からしっかり雨がそぼ降っておりましたなあ。
 今日は休日出勤の予定だったので、朝から出ばなをくじかれた感じ。ザ・サンデーのジャイアンツ情報を観てから、かなりテンションが下がった状態で仕事へ出掛けてゆきました。
 仕事の前に、予約してあった理容室で一月半ぶり位にヘアカット。いつも俺を担当してくれているヤマダさんという女性が今月結婚され、そのまま長期の新婚旅行に行く、とかでなんとなく彼女の帰国を待っての散髪となった。ヤマダさんは25、6歳の明るい女性で、散髪している最中の会話が楽しくてよい。なんというか(笑いの)世界観が俺に似ていて、彼女が俺の頬にカミソリを当てているときでも彼女の話が面白くて爆笑してしまうことがある。ヤマダさんはこの結婚を期に今の理容室を年内に辞めてしまうとのことで、かなり残念だ。
 浦和の事務所で書類作り。さすがに日曜の午後に出勤してくるばかは俺くらいで、電話も鳴らず――仮に鳴ったとしても無視するし――誰もいない静かな事務所での仕事は思いのほかはかどった。遅い昼食のファミマ弁当を食べながら会社のパソコンでインターネットを覗き、『清原、巨人残留!』『竜一高の武道館、全焼』などの記事を読む。ついでにココにアクセスしてみたら“キリ番”の『333』をゲットしてしまった。あちゃあ……。ま、長嶋的3並びだから、この“キリ番”は俺がゲットしても文句あるまい。
 夕方遅く、再び雨脚の強まる中を営業車で帰宅。
 営業車の中ではスーツの上着は脱ぐことにしているのだが、これからの時期は暖房を効かせたとしても車内はちょっと肌寒いことがあって、寒がりの俺としては閉口する。で、先日、ユニクロに行って1900円(税別)でフリースを買った。グレーのフルジップアップ。車内でちょっと羽織るのに丁度いいのだ。初めてフリースなるものを着たけれど、あったかくていいねえ。ただ、この土日のユニクロではフリースが『期間限定!980円』とかいう折り込みチラシを発見してしまって、なんだかなあ……。
 夕食前に風呂で湯船につかりながら雑誌を読む。これが日常の楽しみのひとつにもなっている。日々の面倒臭いことやらナニモカモ頭から放り出して、ぼんやりと『週刊ベースボール』などを読むのはいい気分転換になる。
 テレビを観ながら横になっていたら、程なくしてうつらうつら。最近はいつも俺かツマかどちらかがすぐにリビングのソファで眠りこけてしまう。まあ、この眠りがまた心地よいんだけどね。
 



2001年10月27日(土) 小ネタ特集・2

● 続・うちのツマと義母の会話

 今日、夫婦でツマの実家に出向き、義母と義父との4人でうなぎを食べに行った。
 帰りの車の中、ツマと義母は御飯の量が多かったのでお腹いっぱいになったね――というような話をしていて、そこから話題は、最近流行りの『大食い選手権』の話になった。

義母「そういえば高円寺の×××っていう回転寿司のお店も美味しいわよね」
ツマ「ああ、×××ね。こっちにも支店がある×××でしょう?」
義母「そうそう。高円寺の店はテレビの『大食い選手権』でも使われたらしいわよ」
ツマ「そうなの?」
義母「そう。こないだ行ったら、出演者のサインがあったもの。誰だったかしら……」
ツマ「誰?」
義母「伊集院……」
ツマ「ああ――」
義母「そう、伊集院静」

 お義母さん、直木賞作家は大食い選手権には出場したりなどしないと思います。それは“伊集院光”のハズです。


●槇原敬之の新曲

槇原敬之、待望の新曲! 『Are You OK?』

「おまえ自身が Are You OK? だろう!」とツッコんでしまった。


● 健康診断にて

 本当は先週の月曜日に同僚達と行く予定だったのだが、突如急なアポが入って健康診断に行けなかったので、木曜日に仕事の合間を縫ってひとりで指定の病院まで行ってきた。

 その病院はいろんな会社や事業所の健康診断を一手に扱っているらしく、その日はどこかの保険会社の女性社員――といってもおばさんがその殆どだったが――が大量に集まってきていた。
 俺は身支度を整えて、名前が呼ばれるまでソファに腰掛けていた。俺と同じように健康診断に来ている沢山の人達がいるのだが、どうやら様々な検査を一通り終えると、カウンターのところに自分の検査カードを持って行って、
「はい山田さん、○○検査は終わりましたね。××検査は終わりましたね」
 という看護婦さんの最終チェックを終えてから、はい帰ってよし、ということになるらしいということがなんとなく分かってきた。次々とカウンターで最終チェックを受け、やれやれという感じで病室を出てゆく人達を俺はぼんやりと眺めていた。
 ものすごく太ったおばさんがいた。ガンダムに出てくる“ハロ”みたいだ(分かる人だけ分かればよい)、と俺は思った。おばさんはその巨漢を自分で抱えるようにしながら最終チェックのカウンターに移動して行った。
 看護婦はおばさんの検査カードを視線を落としながら言った。

「はあい、関口さんですね。お疲れ様でした。“新弟子検査”は終わりましたね?」

 し、新弟子検査? この病院は新弟子検査もやっているのか! あのおばさんだからか?
 俺は“心電図検査”と聴き間違えたらしい。ああびっくりした。



2001年10月24日(水) あ、明日は給料日じゃないか

 タイトルに意味はありません。心の底からホンキでそう思ったもんでつい……。

 さて、ヤクルトがあっさりと日本一に王手をかけた。まったく大阪近鉄打線はどうしちゃったっつーんだよ……あ、今日はプロ野球の話題なのでついてこれない者は帰って良し!(いやいや、冗談だって。読んでってくださいよ旦那)
 当初の俺の予想では4勝2敗でいてまえ打線爆発の大阪近鉄が日本一、と思っていたのだが大きく外れている。一方、会社の同僚達と日本シリーズの結果を賭けていて、俺は大穴を狙って“4勝1敗でヤクルトが日本一”に200カノッサ。基本的には大阪近鉄を応援する姿勢なのではあるが、ここにきて日本シリーズ明けには巨額の富を手にする可能性が出てきた。うはは。

 で、明日は友人と共に神宮球場で日本シリーズ第5戦を観戦することになっている。ヘタをするとヤクルト・若松監督日本一の胴上げを見ることになるかも知れない。またもや大阪近鉄は日本一になれなかった……という物語を残してしまうことになるのだろうか。まあ、確かに大阪近鉄を応援するためにレフト側外野指定席をインターネットオークションで苦労して(実際はそんなに苦労してないけど)手に入れたが、個人的にはローズや中村ノリの特大ホームランを生で観たい、ということ以上に、今シーズンが非常にプロ野球を熱心に見続けた一年だったので、その締めくくりとして“プロ野球を観に行く”という意味合いも大きい。
 ちょっと夜風は冷たくなってきているだろうけれど、オープンエアの気分のいい野球観戦となることだろう。


※  ※  ※


 アクセス300をゲットしたのはW・K。実は俺自身が会社のパソコンからココにアクセスしたときのカウンタが“299”で、危なく自分で300をゲットしてしまうところでした。



2001年10月20日(土) 習い事がしたい

 ツマがフローリングの床に広げた新聞広告を背中を丸めて一枚一枚丁寧に目を通している。これは彼女のほぼ毎日の日課になっていて、スーパーの特売などはまず見逃さない。だからこそ“埼玉産 ボンカレーゴールド”などというおいしいネタも見つけることが出来るのだ。

「パソコン教室かあ」
 ツマが手にした一枚のそれは、チラシと言うよりは市が出している広報誌のようなものだった。その一番最後の頁に、土日の休日を利用したパソコン教室が紹介されていた。
 ツマは仕事でパソコンを使っているらしい。ツマは自宅用にと昨年ウィンドウズのノートパソコンを購入したが、殆どメール端末と化してしまっているようで、それ以外の用途で使っているのを見たことが無い。俺もいちおう仕事でウィンドウズパソコンを使っていて、なんとなくぼんやりと幾つかのソフトウエアの使い方は体で覚えてきた。だからツマは自宅用のパソコンに何か不都合が起きると、“自分よりはウィンドウズに詳しいと思しき”俺に質問をしてくれる。しかし、俺が持っているウィンドウズパソコンの知識は本当に上っ面で、基礎的なことになるとかなりの部分がアヤシい。ジャイアンツの若手選手の福井君は奈良の智弁学園高校出身だけど、俺、野球のルールを知りません――と言っているようなものだ。
「――知らないことが多いから、こういうパソコン教室もいいかもね」
 ツマはその教室がテキスト代含めて無料であることも魅力的だ、と言った。
 時間が許せば行ってきたら? と勧めたが、今のところ仕事もある身なので土日にパソコン教室に行くのは時間的に辛いかなあ……、とツマはその広報誌を眺めながら呟いた。

 俺がやってみたいと思っている“習い事”がある。
 それは『ゴスペル教室』。
 家の近くに“ヤマハ音楽教室”があって、そこには子供から大人まで様々な音楽に関する教室が開かれているようだった。建物の入り口に貼ってあるポスターを見つけたとき、ふと俺は足を止めそのポスターをじっくりと読んでみた。
 ギター教室……、あえて今から基礎をしっかりやるのもいいかもな。
 ドラム教室……、やってみたいけど、高校生くらいのバンド少年しかいなさそうだな。
 で、見つけたのが『ゴスペル教室』だ。
 あのパワフルな歌唱、大人数で歌い上げるのは実に楽しそうだし、何より大声を出すというのは気分がいい。もし実際にその教室に参加したとしても、ちゃんとした大人の人が受講していそうだ。その教室で新しい人間関係が生まれるのだとしたら、それも素晴らしい事じゃあないか。年齢を重ねてくると、そういうことって少なくなるからね。

 なんとなく決心がつかずに今日まで時間がたっているのだが、俺、随分前からそんなことを考えておるのです。



2001年10月19日(金) アコギ

 最近、また、自宅のアコースティックギターを弾くようになった。
 2年前に結婚をしたとき、俺は特に新居にコレと言った特別なものを実家から持ち込まなかった。あえて言えば兄貴に結婚祝いにもらったiMacと“ギター”。パソコンはやはりメールやらなにやらで必要不可欠だったが、ギターを新居に持ち込むことは正直なところすこし逡巡した。それまでのようにゆっくり譜面を見ながらギターを抱える時間など相当少なくなるだろうし、そもそも新居にはしっくりギターが収まるような部屋が見当たらず、“邪魔になる”のでは、という危惧すらあったからだ。
 新居にギターを持ってゆこう、と思ったのはたとえ今は昔ほどつま弾く時間が減ったとはいえ、やはり“アコースティックギター”というものは俺の一部であり、俺自身だったからだ。もしかするとツマに、掃除の度に「このギター邪魔!」などと虐げられてしまうかとも思っていたのだが、何故か彼女もこの邪魔なギターについては何も言わなかったし、今もそれは変わらない。

 小学5年の時に兄貴が持っていたクラシックギターを見様見まねで弾きだしたのが最初だった。生まれて初めて曲らしい曲を弾いたのがハイファイセットの『フィーリング』――時代を感じるよなあ。これは確かギターの教則本に乗っていた基本の一曲目であった。
 次ぎに弾けるようになったのは同じ教則本に載っていた、さだまさし『雨やどり』。兄貴がラジオから録音したこの曲をラジカセで聴いた衝撃(歌なのになんでこんなに笑えるんだ!?)が、練習曲にこの曲を選ばせたのだろうか。思えば俺が本格的に“さだまさしロード”を突っ走るスタート地点はここだったかも知れない。さだまさしをつま弾く小学5、6年生というのも客観的にはかなり気色悪い。

 実は1ヶ月ほど前、愛車デミオで移動しているとき、実に久しぶりにさだまさしのライヴCDを聴いてみたことがあった。
 俺の耳に、アコースティックギターの柔らかな音色がやけに新鮮に響いた。それは、昔は毎日のように聴いていたさだまさしの曲であったから、という理由以外に、さだまさしを毎日聴いていたあの頃――中学、高校、そしてかなりの年齢を重ねるまで――の自分と自分の周りに優しく吹いていた風がふと俺の頬を撫でたような気がしたから……と言ったらかなり格好つけになってしまうけれど、まあ、そんな。

 思えば、高校の卒業式の後、最後の挨拶の代わりにギターを抱えて唄い、浪人時代には下手な詞を書き、それにもっと下手な曲をつけて自作の曲が誰に聴かれることもなく十数曲生まれ、大好きな友人が結婚をすると聞けば、頼まれもしないのにギターで曲を作り、おまけにその披露宴で下手なギターを披露し……。
 どうやら“俺”というちょっとへんな人間を語るとき、アコースティックギターの存在は欠かせないようである。
 そして今夜も俺は、昔に比べればすっかり柔らかくなってしまった左手の指先を痛めながら、ゆっくりとギターを鳴らす。



2001年10月15日(月) 出張だ、出張だ!

 もう、何時だと思ってるんだ? 実際にはもう16日の午前3時近いぞ。俺はこんな時間まで何をやっているんだ。
 月曜日はなんだかべらぼうに忙しく、帰宅したのが12時過ぎ。で、まあ風呂に入って夕食を済ませ、それから雑多なことをアレコレ処理していて、さあ寝ようか――というときになってこの“のづ随想録”を思い出した。
 実は火曜日の夜から、湘南にある我が社の研修センターへ『開発応用研修』と言う名の出張へ出掛けなければならない。この研修は金曜日までびっちり続くというのだから閉口する。着替えやらなにやらまとめなければならないのに、それすらまったく手を付けていない。ああ、もう。
 というわけなので、次回、この“のづ随想録”が更新されるのは早くて金曜日の夜です。
 一応、お知らせね。



2001年10月13日(土) 秋の味覚は……

 いつだったか、「うちのツマが作った“生春巻き”というものを生まれて初めて食ったのだがコレが実に美味くてカンドーした」というようなことを書いたのだが、これが一部の知り合いに何故かウケた。
“生春巻きを生まれて初めて食べた、というのが信じられない”というのが彼らの凡の意見であるようで、またその彼らとの飲み会の時にも、「その後、奥さんには生春巻きを作ってもらっているか」「最近、カンドーした食べ物はあるか」などと話のネタにされている。

 基本的に俺は舌が肥えているわけでもグルメでもなく、どちらかというと“その時食っているものが世界で一番美味い”というタイプだ。ただ“食べること”は好きなので、昼飯に美味いラーメン屋や蕎麦屋、うどん屋を探したり、なにかの記念日にはツマとお気に入りの店に食事に出掛けたり、というようなことは結構熱心だったりする。

 今日の晩御飯は“秋刀魚”。
 ツマが早起きをして近所の朝市で気合を入れて買ってきた、と自慢していた秋刀魚。夕食時になるとキッチンからほんのり香ばしい匂いが漂ってきた。秋刀魚は焼き立てアツアツをすぐ食べなければなりませんホラホラ……とツマに急かされるように食卓につく。焦げた皮と傍らに添えられた大根おろしにたっぷりと醤油をかける。確かに脂がしっかり乗っており、身もぷりぷりとしていて実に美味かった。実家から送ってきた新米がなおさら秋刀魚の旨みを引き立てていた。
 二杯目のおかわりを平らげ、はあ美味かったと深い溜息をついた後で、ふと気づいた。
 しまった、ビールを飲めばよかった……。

 美味しいものがいっぱいある、秋はよい季節ですね。



2001年10月11日(木) 電話

 携帯電話って便利だ。

 携帯電話が仕事、プライベートと大活躍してくれているのはもちろん俺だけじゃないだろう。
 俺は営業マン、という仕事柄、出先からあちこち電話をしなければならない状況というのは結構あるので、テレフォンカードの時代から考えれば随分と便利になったものだ。そのテレフォンカードの時代というのも、俺が大阪にいる頃、つまりせいぜい4、5年位前の話。あの頃は俺の周りでも個人用の携帯電話をそれぞれが持ちはじめた頃で、まだ会社から支給されていたのはポケベルだった。ぶーん……、とポケベルが胸のポケットの中で低く唸ると、車で走っていようとなんだろうとあわてて公衆電話を探さなければならなかった。そのせいで公衆電話の中にシステム手帳や大事な資料を置き忘れて、何度肝を冷やしたか知れない。実際、俺はJR奈良駅前の電話ボックスの中に他の何とも代えられないシステム手帳を置き忘れ、手帳はそのまま永遠に帰らぬヒトとなった、という悲しい過去がある。

 そんなことを考えると、今の俺たちは公衆電話をポケットに入れて持ち歩いているようなものだ。待ち合わせ、なんて昔に比べたら便利になった。「あー、いまマックの前まで来たよ。どこだよ、え? もっと先? 早く言えよ」なんて携帯を耳にしながらウロウロしている奴をよく見かける。

 今日、久しぶりに公衆電話から電話をかけた。
 受話器を持ち上げると手のひらに思いがけなくズシリ、ときて、ああ、こんなに重たかったっけ、と奇妙な懐かしさを覚えた。
 あの頃。 
 あの娘に電話をかけるのに、自宅からではなんとなくはばかられて、小銭とテレフォンカードを持って毎日のようにいつもの電話ボックスまで走った。いつしか、保存用にと大事に保管していた貴重なテレフォンカードもあの娘との通話時間のために費やされた。

 そんな思いをして、最近電話ってしてないなあ。



2001年10月07日(日) 続・びっくり、アクセスカウンタ

 この随想録経由で俺宛に感想メールを送ってくれる方がいる。
 ありがたい。いや、ホントに。どうもありがとう。
 そのありがたいうちのひとりであるMが、この随想録のアクセスカウンタ『199』であったらしく、『もう少しでおめでとう!祝200人目だったのに、、残念。』というメールを送ってきてくれた。(念の為に言っておくが、“200人目”ではなく“200回目のアクセス”である。俺の駄文が200人もの人の眼に触れていると思ったら末恐ろしい)
 また別の読者であるNは、『ちょうど100だった。なんか、くれるの?( by ちょび )』『今見たら、ちょうど111でした』『今見たら、180。巨人の斎藤の通算勝ち星と同じ』とコマメに教えてくれている。
 俺はあまりアクセスカウンタの、いわゆる“キリ番”には関心が無かったのだが、ココの一部読者が興味を持ってくれているようだ、ということであれば、なんかしたい――という気分になってきた。

 自己申告制にしましょう。
 ココのアクセスカウンタの“キリ番”をゲットした方は俺まで御連絡を。“キリ番”ってのはその名のとおりキリのよい数字。ぞろ目(222、333)や連番(234、345など)もOKとしましょう。ついでにその数字になんらかの意味を見いだせれば、それも良し。数字とその意味を俺宛にメール下さい。意味なんてこじつけで結構、俺を唸らせる意味を見いだして欲しい。できるだけココ経由のメールで連絡下さい。
(例:俺の携帯電話の番号の下3ケタ、俺の学生時代の学生番号(知らないと思うけど) などなど)

 年末にこの“キリ番”をもっとも多くゲットした方に、俺からなんらかの措置……いえ、対応を考えたいと思います。年末に、なにかいい事あるかもよ。

 200アクセス突破を記念して、こんなことを考えてみました。



2001年10月06日(土) 独り呑み

 お酒は呑むほうですか? と尋ねられれば大抵、「ええ、嗜む程度ですけど」と答える。そして、その“嗜む程度”ってのがコワいんだよね、とツッコまれ、小さな笑いが生まれる。パターンだ。
 営業マンという職種柄、それぞれのスケジュールで走り回っているので、仕事の後に同僚達と一緒に呑む、という機会もそれほど多くはない。だから時折そんな機会があると、その呑み会はかなり盛り上がる。アルコールが手伝って、というよりは、俺の同僚はみんな“ボケよう”“ツッコもう”という姿勢がかなりはっきりしているので油断ならないのである。勿論俺は後者だ。そんな仲間達の笑顔の中での1杯目の中ジョッキはやはり、旨い。

 そんな賑やかな酒の席とは対極の、独りもしくは二人の酒、というのも、これはこれでいい。
 実は先日、ちょっとした呑み会が急にキャンセルとなり、俺は新宿の夜の街で途方に暮れていた。仕事を早々に切り上げ、すっかり「さあビールだ」体制だった俺は、例の店に行きましょうか部長?とすこし猫背のサラリーマンとか、はーい、このビルの五階の『和民』が会場ですからあ、と叫んでいる学生集団をちょっと羨ましそうに眺めているしかなかった。
 あいつを誘ってみようか。奴に声をかけたら来てくれるだろうか。まだ仕事中だろうか。携帯電話のメモリを送りながら、俺は仲間達の顔を思い浮かべていた。
 ふと思い立って、俺は賑やかな歌舞伎町の外れをすこし歩いた。安易なチェーン居酒屋やちょっとこ洒落たバー、割烹居酒屋などは軒を連ねているが、どこもとても独りで入ろうという気分になれる店ではない。

――あれ? 俺は独りで呑もうとしているのか。うん、たまにはいいんじゃない?

 十坪も無いような、汚い小さな焼き鳥屋から焦げた醤油の香ばしい匂いと白い煙がダクトから狭い路地に勢いよく吐き出されていた。間口の狭い店先には薄汚れた赤提灯がゆらり。店内を覗けば、40代、50代のおじさんで一杯だった。結構独りで呑んでいる様子の人も多い。もう少し店内が空いていれば俺はこの店の暖簾をくぐっただろうが、あまりに混雑していて、どうも。
 そして俺は一軒の蕎麦屋を選んだ。蕎麦屋と言ってもそれほど気合の入った店ではない。店内の手前には長いカウンター席があって、すでに4、5人の独り客が思い思いに酒を傾けていた。奥の方には団体客がいるらしく、時折わっと大きな笑い声が聞こえた。
 手渡されたおしぼりで手のひらを拭いながら、生中を所望。とりあえず、ため息ひとつ。
 BGMに、蕎麦屋には不釣り合いな尾崎豊が流れている。ええと、塩でねぎまとモモと鳥皮ね。――あ、マグロぶつももらおうかな。
 焼き鳥と刺身なんて、我ながら“喰いたいものを喰う”という肴の選び方だな、と思う。蕎麦屋で呑むなら板わさと卵焼きだろう。
 すぐに出された中ジョッキはしっかりと冷えていて、うん、旨い。『独り長嶋監督勇退お疲れ様会』もいいな、とふと思い付き、心の奥底の方で背番号3を称えた。

 大阪に勤務しているとき、一度だけ、たった独りで呑んだことがあったことを思いだした。ある時、大嫌いだった上司の自慢話に終始した飲み会があって、俺はその数時間が苦痛でならなかった。お開きになった後、いつもならまっすぐ部屋に帰るところなのだが、その時の俺はどうしても飲み直したくて、一緒に参加していたひとりの先輩の携帯電話に電話した。電源が切られていたのか電話は繋がらなかった。
 部屋の近所にある小さな居酒屋で、俺は生まれて始めて独り呑み。中ジョッキと卵焼きと鶏の唐揚げ。その時もやはり“喰いたいものを喰う”スタンスだったみたいだ。

 独りはやっぱり寂しいけれど、この孤独を楽しむっていう手もある。もとより俺はあんまり独りっていうのが苦にならないし。
 突然の新宿の独り呑みは、おだやかな気分の中でゆっくりと時間だけが過ぎていった。



2001年10月02日(火) あらもう

 ちょっと油断している間にもう10月の声。会社の部長サマにも「もう10月だぞ」と深いプレッシャーをかけられたりして。

 最近、空気が違いますね。空の色が違いますね。風の匂いが違いますね。
 ぬめりべったりと肌にまとわり付くような空気ではなくなったし、今日のような見事な空もなにか秋の物悲しさを感じる“蒼空”であるし、俺の鼻をくすぐる風はあきらかに“運動会の匂い”がしてる。

 季節はめぐっていますなあ。


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