時々日刊たえ新聞
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2006年01月16日(月) 楽しい伝道隊

昨日の日曜日は教会の若い石橋牧師が室蘭バプテスト教会に説教の奉仕に行く日。一緒に青少年も行って賛美することになって、しばらく前から参加者を募っていた。貸切バスで行くと言う。
10年ほど前の5月の連休のこと、室蘭教会が新会堂を建てると聞いてドライブの途中で教会を探して寄ったことがある。そこには教会の看板と基礎工事中の土地があって、わたしたち家族は基礎の上をピョンピョンと歩いて回った。ここに新しい教会の建物が出来るんだと思うとワクワクした。自分の家でも自分の教会でもないんだけど、感動するんだよね。キリストの教会がここに建つんだって事実は。その後教会が建って献堂式が行われると聞くと、また一家でお祝いに駆けつけた。以来我が家では室蘭バプテスト教会のことをしばしば話題にして祈りに覚えてきた。
だから今回の室蘭教会への若い人たちの伝道隊にわたしも行ってみたいなとチラと思った。ま、のこのこでしゃばることもないか〜って気もしていたけれど、間近になって石橋先生の察しのいい後押しがあって行く事にした。息子も娘も参加表明していた。青少年(石橋牧師入れて)10名、先輩のIさん(男性)とわたし足して12名。そしてバスの運転手Kさん(若い男性です)の一行です。行きも帰りもバスの中は大笑い。その話は後でね。

8時過ぎに札幌教会を出発した貸し切りバスは、室蘭教会に10:20頃到着。温かい出迎えを受けた。明るい教会、献堂式の時と変わらず綺麗な壁・フローリング。別室に賛美の練習に行った青少年とは別にわたしは礼拝堂にて座って待つ。礼拝が始る30分以上前だけど、左前方に三人の高齢の女性が座っていてお話している。「その指輪可愛いねぇ」「エメラルド」なんて会話。(笑)そのうち「それじゃ今日の聖書読みましょ」と一人が言って使徒行伝2章の途中から輪読を始めた。わたしは静かに聞いた。そのうちもう一人女性が入ってきて三人に挨拶している。わたしのところにも来て「福島いわき市から来た○○の嫁の○○です」(^^)
礼拝出席は8人の方と、わたしたち札幌勢12名、合わせて20名。青少年の賛美は「きみは愛されるため生まれた」と「ここに愛が」何度か聴いているけれど素晴らしい歌詞と歌声。そしてI君のバイオリンも美しい。あ、大ちゃんのギターもいいね。(笑)この頃うちの教会の若者たち、輝きを増しているぞ。嬉しい。
大ちゃんこと石橋牧師の説教もまたいい。題して「主われを愛す」わたしの好きなヨハネの第一の手紙の4章7節から。「神は愛である」(8節)「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(10節)石橋牧師の説教は単純明快、率直で熱い。
礼拝後の愛餐会ではカレーライスと彩りの良いサラダをいただいた。小さな教会の心温まる食事。教会家族でいただくって感じが強くする。こういうところは札幌教会にはあまり無いね。手作りシフォンケーキとコーヒーもいただく。(いつもデザートがつくんだろうか?)更にSさんの作られた布きんをお土産にいただいた。周囲に虹色のレースを編みこんでいて清潔で美しい。(わたしは早速家で使わせてもらってる)帰りは、バスが出るまで見送っていただいた。初めて言葉を交わす方たちばかりだったけれど、キリストを基にした関係は平安で心が温まることをまた実感する。いい礼拝を捧げる事が出来たことを神さまと室蘭教会の人々と若い人たちに感謝して室蘭を後にした。

さて礼拝と同等に楽しかったバスの中。行きもゲームしました。帰りも若い人はずーっとゲームしてました。座って出来る、手と口を使ったゲーム。更に罰ゲームが傑作。たとえば(バス走行中ですが)運転手さんに「そのワイパー動かしたらどうですか?」と言いに行く・・・この罰ゲームは一番年上の(70ウン才の)Iさんがゆったりと実行した。どれもバカバカしい罰ゲームなんだけどメチャ可笑しい。笑い上戸のわたしをしてずっと笑かしてくれました。そのほとんどの罰ゲームを考えた人は、遊びの天才です。(笑)帰りのバスの中で若い人たちのゲームに興じる声をバックにうつらうつらしたけれど、我が息子が、皆に許されて一緒にゲームを楽しむ事が出来ることを感謝した。傍若無人な息子だけど、教会のメンバーの中では自然に許されているんだと思う。受験進行中の娘も参加して大いに楽しんだ模様。むしろ勉強する活力を得たに違いないと信じよう。(笑)


2006年01月09日(月) 情緒障がい

今日は祝日だけど志願して出勤した。支援費の請求事務が終わっていないため。だいたい終わったなと思った夕方、ヘルパーさんが一人やってきて、事務的なことを処理した後、自分の息子の話をし始めた。彼の武勇伝を披露してくれて、それに対して自分がどれ程腹が立ったか、その時にあった失敗談…お金を騙されて親としてはとっても悔しいって話。彼女の息子は、我が息子の卒業した高等養護学校に今通っている。(かつてその学校をわたしは薦めた)「大きくなるに連れて成長するんだろうか?」と彼女が言うので「成長はするけれど、成長しない部分もあるよ」と言う。例えばお金を使う事は出来るけれど、お金の価値が良くわからずに沢山使うとか、人の甘言に乗りやすい…なんて話を具体的にすると「やっぱりそうかぁ。そんなに変わらないんだね」とがっかりしている。人間関係も小さい時のほうが楽で、大きくなればなるほど難しい面が出てくることを具体例を挙げて話す。「そうだよね、だから"障がい"なんだものね」とため息をついている。彼女を励ますようなことを言えばいいんだけれど、わたしも息子のことでは少なからず心配事があるもんだから、楽観的な話にならなかった。(ただしわたしの中には神さまにお任せ〜という気分もある)
「LDって何?」は本当はその後も書き続けたら、後に続く人達に少しでもお役に立つかもしれないんだけど、息子も確実に大人になっているので、彼の自尊心を傷つけないで書けるか自信がない。う〜む。


2006年01月03日(火) 事務所に初出勤

前倒しで仕事を始めた。午前中は隣接の老人ホームにヘルプに行った。80代の男性。訪問するとジャンバーを着てベットに寝ていた。「寒いんですか?お出かけですか?」と聞くと「今日結婚式でね」と言う。結婚式とジャンバーがどういう関係なのか、丁寧に聞かないと真意がわからない。「どなたの結婚式ですか?」話を辿っていくと、自分の姪っ子が今日午後結婚式で、そのお母さんにあたる自分の妹が、午後迎えに来てくれる。何を着たらいいだろうか?なるほどなるほど。壁に「1月3日昼食後迎えに来ます」と大きな字で書かれた紙が貼られているのに気付いた。ということは、今話してきたことは本当のことらしい。「お正月と重ねてお目出度いですね」と言うとにこにこして「黒い服かね?」と言うので「そうでしょうね」と応える。目の前に礼服がぶら下がっているのは、妹が出しておいてくれたんじゃないだろうか?じゃ服を着せて欲しいと言う。「昼食を食べてから礼服に着替えた方が良くないですか?汚れますよ」と言っても聞いていない。黙ってももひきを脱ぎ始める。ま、早くてもいいか〜と手伝う。洗濯済みの下着とももひきに着替える。その上にズボンをはこうとするがズボンが上がらない。「Oさん、ちょっと太られました?」と聞くと「うん」と言う。ちょっとどころじゃない、かなりだワ。ウエストのボタンがはまらないけれど、ベルトをして凌ぐ。ダブルの上着を着たら見えない。(笑)ネクタイも締め方を忘れたと言う。手伝う。「似合いますね」と言うと「そうかい?」と嬉しそう。それからその恰好でベットにゴロンと横になった。礼服が汚れやしまいかと思うけれど、ま、いいや。Oさんが非日常の出来事にわくわくしているのが伝わる。


2006年01月02日(月) 初仕事

90代の女性のヘルプに行った。この人はひどい認知症だけど愛すべき性格をしている。お客さん大好き、もてなしたくてしょうがない。同時にヘルパーは途切れることなく質問攻めにあう。質問は傷ついたレコードが行きつ戻りつするように間隔短く同じ言葉が続くけれど、時々哲学的なことを聞かれるので、わたしとしては好みです。(笑)今日はこう聞かれた。「死んだらどこに行くの?」わたしはおっとり平然と「天国に行くと思います」と応えた。以下利用者Xさんとわたしの会話。
X「はぁ、天国に行くのかい?天国ってどんなところ?」
た「わたし行ったことないんですけど、いいところのようですよ」
X「奥さん、行ったら教えてくれる?」
た「いいですけど、きっとXさんの方が先に行くと思いますよ」(^^;;
X「そうかい?いいところなら行ってみたいねぇ」
た「Xさんが先に行ったら、どんなところか、わたしに教えて下さいね」
X「はい、いいですよ」


2006年01月01日(日) 新しい年おめでとうございます

今年は日曜日の礼拝と新年礼拝が一緒、すっきりしてて爽快です。(笑)昨夜週報の点字を打ち始めたけれど、途中から一家でドンジャラ大会開催となったため頓挫、今朝続きを打った。あぁ今年も日曜日の朝ギリギリまで点字を打つことになりそうだなぁ。わたしは「一年の計は元旦にあり」を結構信じているのです。(幼少の時から親にそう言われて育ちましたので)
礼拝では今年の年間聖句が発表された。『山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ』(ハガイ書1:8)1年間折々に、この聖句を口ずさみ動かされていくことでしょう。奥村牧師の今日の説教題は「主の家を建てよ」この同じ題で去年の5月にも説教されていますが、聖書の箇所もほぼ同じですが、もちろん先生は意識してそうされたのでしょう。(^^)
2年後に出来上がっているはずの教会堂を建てあげるための力強いメッセージでした。「新会堂作りは教会作り」と言いきる奥村牧師の言葉に(何度か聞いてますが)改めてうなづく。新会堂を建てる過程で、この教会はどれだけ変貌を遂げるだろうか・・・楽しみです。ハガイ(旧約の時代の預言者)は「この窮乏が、神殿再建が出来ない理由ではなく、神のことをまず第一としない姿勢こそ、人々の窮状の原因・理由なのだ」とイスラエルの民に迫る。現代の札幌の民のわたしは「神さまを第一とする」ことを奥村牧師を通して神さまから迫られた気がした。
礼拝が終わると早々に帰宅した。朝のお雑煮の残り汁でうどんを作って食べた。日曜日の昼を家族皆で家で食べるのはとっても珍しい。たまにはいいなぁ。その後わたしは洗濯をしつつ漫画を読む。夫は新聞をくまなく読んでいる。娘は自室のこたつで爆睡に入った。さんちゃんは居間のテーブルの上でノートパソコンひろげてネットを始めた。そのうち夫とわたし昼寝に突入。わたしはソファの上で掛け布団かけて眠りの底に落ちた。目が覚めたのが夕方6:30。外は真っ暗。頭がすかっとする。あぁ昼寝って何てステキなんでしょ!夕食は夫が作ってくれた。麻婆豆腐とスパゲッティ。彼にあってはお正月だから何!?てなもんで(笑)。ただいまわたくし、新年の働くエネルギー蓄積中です。


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