時々日刊たえ新聞
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2005年12月31日(土) 1年を振り返って

「首が動かない!」という苦痛から始まった年でした。春に出始めた湿疹はかつてなく長引き、自分の体の変化を感ぜずにいられませんでした。これって加齢に伴う変化!?太り過ぎかな?^^;神さまが時々与えて下さる「痛み」は、わたしの姿勢を正すためのプレゼントでしょうか。体力が落ちると、自分の体と心に耳を澄ますようになる。自分の体が悲鳴を上げているのを静かに聴く。これは大事なことかも。
2年間牧師のいなかった教会に、四月、二人の牧師が着任された。教会に集う人々、教会の空気が、日に日に活気づいていると感じる。行動的になっていく。こんな変化の中にいることが嬉しい。今、札幌教会はとっても面白い!(皆さん、見に来て〜)
子ども達が確実に成長していることを実感している。LDで「足らん子」だった息子も、時々嘘を言いわたしをだまくらかそうとする。(笑)罪のないところに救いはないというから、これは必要な行程と思いたい。かつてあまり手をかけなかった娘に今手をかけている。(甘やかしている)彼女はしばらくしたら巣立っていくでしょう。その前の濃密な時を過している。そういう時代を彼女にもあげたかった。子ども達に「清い」人間になって欲しいわけじゃない。「神さまと離れないで生きて行ってね」これに尽きる。
今年は旅行しなかった。映画を観る回数減った。山に登らなかった。パソコン触る時間が減った。しかし、好きな事が出来なくなっても全然不満じゃなかった。ますます神さまに守られ愛されている事を実感し、生活と心の変化を愉しんでいます。いつかは体が動かなくなる時が来るよね。その時動けないわたしは、自由にどこにでも飛んでいけるレッスンを今始めている・・・ちょっと話が飛躍。今年は教会で沢山の先輩を天にお送りしたもんですから。(^^;)


2005年12月25日(日) 美味しいクリスマス

今回のクリスマスは心から楽しんだ。仕事も身辺も忙しかったけれど、ちっとも嫌じゃ無かった。23日は出勤だったのでその代休を24日にいただいた。23日の夜遅く急に針道具を出してクリスマス生地で小物を作り始めた。教会のSさんの言葉で、数年ぶりに手作りに着手する気になった。昔は手作りのものを教会の人にプレゼントすることが多かった。その頃のある年、わたしは三つ編みトレイを作って皆さんにプレゼントした。それをだいじに使って下さっている人を幾人か知っている。Sさんもその一人で普段でも、小物入れに使っているそうな。ところが長く使っていて色がみすぼらしくなってしまったそうだ。まるで哀願されているような気がしてきて、わたしは自分に鞭打った。また作ろう、三つ編みトレイを!わたし針仕事、やっぱり好きかも。24日はすることが沢山ある。プレゼント制作をしながら、カードを幾つか書き、点字を打ち、持ちよりのご馳走を作る。どれもつつがなく進む。(プレゼントだけは24日の夜も制作続く。更に25日礼拝後も家に戻り作って教会に引き返した^^;)
何で心から楽しんだと言えるのだろう?まず、メッセージが素直に心に入ってくる。今年の賛美歌が美しい詩のような選曲となっているのが心地良い。子ども達が独自に楽しんでいるため、わたしはわたしのために楽しむことが出来る。台所仕事をする時不満そうな人がいない。皆さんのんびり。だから自分を犠牲にして準備しているという悲壮感がない。誰もが出来る範囲で関わる。それでいい。そんな風に肩の力が抜けた遊び心のある奉仕がいい。新牧師二人の明るさも加味されて美味しいクリスマスになりました。あ、でも最高に寝不足。さぁ、明日に備えて寝ましょ


2005年12月20日(火) お葬式

Kさんの葬儀が月・火と執り行われた。(12月16日の日記参照下さい)月曜日の前夜式(通夜)には娘も同伴した。隣に座った娘、途中から涙ぼろぼろ。ハンカチ貸すと洟をかんでいた。結局最後まで泣いていた。わたしももらい泣きした。Kさんの写真がステキだ。わたしたちがよく知っているKさんの普段の顔。きれいな笑顔。そして何よりもKさんの旅立ちの顔は平安そのものだった。口がほころんでいて、今にも笑い声が聞こえてきそう。Kさん、痛みを取る方法は見つけられなかったけれど、最後は痛みも苦しみもなかったことが想像出来ます。良かったね。「走るべき行程を走り終えた」本当にそうですね。

告別式で奥村牧師が説教で話されたことがわたしの心を揺する。先生はKさんを見舞っていくうちに、途中から祈りを変えたと言う。以前は「癒して下さい」と祈ったけれど、すでに覚悟が出来ているKさんの思いを受け取って、神さまのみ元に引き上げていただく心備えをさせて下さいという祈りに変えたと言う。聞きながらわたしは唸った。そうか、あの時Kさんはもっと違う話をしたかったんじゃないだろうか?「いりちゃんがナースになって看護する日を待って」とか「病気を癒して下さい」なんて虚しい事じゃなくて、本当にだいじな事、最後の準備をする会話を重ねていきたかったんじゃないだろうか。沢山のことを気付かせて下さったKさんの死。Kさん、ありがとうございました。天国で再会したいです。その時まで、さようなら。


2005年12月18日(日) 青少年クリスマス

日曜日の礼拝が終わって、臨時の教会総会をした。新会堂を2008年初めまでに建てることになっていて、設計の最初の段階(基本設計)の合意をし(全員一致)決議した。その後17時から青少年主催のクリスマス会があり、息子と娘が出るため、夫もわたしも家に帰らず参加した。今回のクリスマスは念入りに準備し練習していることを知っているので、その成果を見たいし応援したくなる。

最初のチャイムクワイヤ(ジュニアクワイヤOGの7人)からして、今までとちょっと違う。上手い!(笑)娘はこの数ヶ月土曜日の夕方熱心に練習に参加していた。その後イエスさま生誕を賛美歌で繋いで見せて聞かせてくれた。大勢での合唱あり、ソロあり、バイオリンあり、ギターあり。(cosmosさんの息子さんKくんもギターで参加。かっこいい)一人一人声が出てちゃんとハモッている。「きみは愛されるため生まれた」も全体合唱でやった。これは、もう若い人たちの十八番になったね。素晴らしい!
この青少年クリスマスは、参加する若い人たちが皆何かしら役目を荷っていた。お客さんじゃない。そして自分たちも楽しめるクリスマス。大人のわたしはお客さんとして十分楽しませていただいた。第一部の賛美礼拝の後、第二部パーティをしたが、司会を息子のさんちゃんがした。目立ちたがりのさんちゃん、何を言うわけじゃないんだけど、ちゃんとリードしていた。お祈りも食前と閉会に、元気にしたしね。(笑)食事の後にゲームもした。「あるなし」クイズで、わたしにはちんぷんかんぷんだったけれど、奥村牧師が答えがわかって元気に「ハイ!」と手をあげて意気揚々と前に走り出て正解を言ったんですが・・・「これは例題です」(爆)老若男女ゲームに興じて笑った。準備された食事も美味しかった。若い人たちそれぞれの持ち味が引き出されて用いられました。青少年たちと共に行動しまとめて下さった若き石橋牧師のリーダーシップに感謝。若い人たちを沢山教会に招いて下さる神さまに感謝。


2005年12月16日(金) 訃報

職場の忘年会に出かける寸前に教会のKさんの訃報を受けた。Kさん今日午後3時2分に息を引き取られたそうだ。痛みに耐えた日々、よく頑張りましたね。神さま、今はKさん安らかですよね?

去年8月にお見舞いした時、ベット上で体を起こして座位を取ってお話された。「(ドクターに)歩いちゃダメだって言われたの。いつ骨が折れるかわからないの。もう歩く事は出来ないね」小さく細い声でさらっと言った。わたしはKさんのお見舞いだけは娘と一緒に行った。Kさんは70代の女性、数年前まで教会学校小学科の教師をしていて、娘は6年間Kさんに手塩をかけて育てていただいた恩がある。
ずっとお見舞いに行っていなかったが、体調が悪いと聞いて11月28日にお見舞いした。幾本かの点滴管に繋がり、導尿をしていた。顔が少しむくんでいた。今何時?と聞かれて「夜の7時過ぎです」と言うと「あらまだそんな時間なの?」と言った。ひとしきりいりちゃんに向かって話す。「もうわたしのようなおばあちゃんの時代は終わったワ。次はいりちゃんたちが頑張ってね」いりちゃんはにこにこしながら「はい」と答えていた。「フェスティバルでカナッぺの作り方教わって・・・めちゃ楽しかった」と娘が言うと「そうだね。いりちゃんにはいつも助けてもらったね」思い出すようにゆっくりお話された。

次に12月9日(金)に娘と病室を訪問した時、Kさんは「ちょっと、誰か」と消え入りそうな声でナースを呼んでいた。壁のカレンダーが曲がっているので直して欲しいと言う。娘とわたしが直す。寝返りもままならないKさんの視野にはこのカレンダーが常にあるのだろう。この壁にカレンダー以外の何かを貼りたいな。我が家にある教会と天使とクリスマスツリーの絵柄のタペストリーはどうだろう?次に来る時は是非持参したいと思ったが訃報の方が早かった。
この時のKさんは「この痛み何とかならないかしらね〜。どうしたらいいかしらね?何かいい方法ない?」と、素人のわたしに、まじで問われるので「どうしたらいいんでしょうね。まず痛いのが解消されるといいですね」と当たり前のことをオウム返しに言うしかなかった。Kさんもどうしようもないことを知りながら誰彼に問わずにいられなかったんだろう。いりちゃんが高校3年生だと聞いて「(進路は)どうするの?」と聞かれた。「看護師になりたいんです」といりちゃん。わたしが「いりちゃんがナースになってKさんを看護するから、待っていて下さいね」と言うとKさん何も言わなかった。途中で娘の名を「えりちゃん」と呼ぶが娘もわたしも黙っていた。しばらくしてKさん「あ、"いりちゃん"のこと"えりちゃん"っ呼んでたね。ごめんね」と気付いて謝られた。いりちゃんは手を振って「全然構いません」と応えた。(実は「えりちゃん」というのはKさんのお孫さんでいりちゃんより一つ年上。えりちゃんといりちゃんは教会友達)退室間際に「お祈りしていいですか?」と聞いてわたしがお祈りした。9日はKさんの手を取って祈った。「神さま、いつもあなたがKさんを愛し共にいて下さることをありがとうございます・・・神さま、この痛みを和らげて下さい。平安を与えて下さい。今晩ゆっくり寝られますように。」そして迷いながらこう祈った「神さま病を癒して下さい」と。この病が大変重篤で治らない事を知っていたKさん、すでに最期が近いことを感じていたKさん、わたしの祈りに何を感じられただろう。二呼吸ぐらいおいて「アーメン」と言われた。


2005年12月11日(日) かんしゃ

礼拝が始まった。しばらくすると小学1年生の女の子○○ちゃんがニコニコしてわたしの席にやってきた。かわいい。隣に座ってぴったりくっつく。そのうちキョロキョロしたり、声を出したり落ち着かない。まだ礼拝に慣れていない。しばらく前までは説教の前にナースリー(託児)に行ってしまうことが多かったが、この頃は何とか礼拝中は会堂にいることが出来る。時々「お口にチャックだよ」と注意することがあるけれど、わたしの感覚ではこのぐらい問題なし。小さな子どもたちが礼拝の1時間程を椅子に座って大人しくしていることは何て大変だろうと察する。礼拝に慣れない子は尚更。まずは礼拝に来てくれるだけでうれしい。教会に来るだけでもいい。教会ではすべての子が愛される。
○○ちゃんは礼拝中に紙に絵を描いたり文字を書いて過す。今日も礼拝中に幾つか書いてわたしに手渡してくれた。『○○ちゃん(自分の名前)○○○ちゃん(わたしの名前)、おばちゃん。みんないっしょ』という文字の下に、わたしの姿を描いてくれたらしい、顔はかわいいんだけど足の下からしずくが落ちている。ウンチと書いてある。(爆)
更にもう一枚くれた。『イエスさまのいのり。○○わ[は] かみしばいよませてくれたこと それからみんながほめてくれたこと みんなにかんしゃしています。おわり』
11月27日の礼拝で、小羊会(小学生)の子どもたちが紙芝居を読んだ。○○ちゃんにも読んでもらった。「おうちで練習してきてね」と言ったら、ほとんど覚えるくらいに練習したそうで、それはそれは上手に読めた。「はっきりゆっくり読んでね」と注意していた通りに読んでくれた。体が小さく幼く見えるし、教会にも慣れていないから負担かなぁと思ったのは杞憂でした。もっと大胆に子どもたちに要求してもいいんだとわかった。
その紙芝居のことを彼女は「かんしゃしています」と書いてくれたのです。神さま○○ちゃんを教会に招いて下さってありがとう!わたしも神さまにかんしゃしています。


2005年12月09日(金) 雪景色

朝起きると久々の積雪だった。美しい雪景色。でも現実は厳しい雪道。恐る恐る国道への下り道を車を走らせた。冬の運転はいつも緊張を強いられる。特に我が住まいの辺りがひどい。職場に近づくにつれ積雪は少なかった。楽勝じゃん!てなもんで緊張がほぐれる。お日様が射してきた。藻岩山の南斜面にある職場の特養の施設に上る道を今日は二回往復した。下り道を帰って来る時、視線真っ直ぐと思える位置に札幌岳(1293.8m)が見える。右の札幌岳から左の空沼岳(1251m)への稜線が雪をかぶって、空の青との色合いが何とも言えず美しい。立ち止まって画像を撮りたくなる。仕事中だから我慢。この職場のここの光景が特に好きだなぁ。
わたし山を見て胸が苦しくなる事がある。愛しいような懐かしいような。わたしは山で生まれたのかも。


2005年12月07日(水) 非常識

娘は高校3年生。進学のため願書を書き始めた。ある学校の願書を書いて担任に見せたら、写真が悪いと言われたそうな。(苦笑)スーパーにある身分証明写真コーナーで撮ったもの。そういう安上がりの写真にしたというのが感心しない、自分の将来を決める大事な受験の願書なのだから、写真館で撮るぐらいの気概が欲しいと言われたそうだ。確かに実物の方が格段かわいいけれど(笑)、実物の顔を持って受験しに行くんだから、写真が少々ブスでも問題ないと思うんだけど。
もう一つ注意されたそうだ。「保護者」という欄に娘は夫とわたしの名前を書いた。続柄には「父母」と書いた。先生は保護者欄に両親の名を書くのは非常識だと言ったそうだ。先生のアドバイスにより娘は出願校に電話して問い合わせたそうだ。「保護者欄に両親の名を書いたのですが、いいでしょうか?」と。答えは「構いません」ということだったそうだ。う〜む。「保護者」の欄に両親の名を書くのは非常識なんだろうか?出願した学校によっては由々しき問題になるんだろうか?写真がかわいくなかったり、保護者を連名で書くような「非常識な」書類だと落ちる確立が高いんだろうか?だとしたら、そういう学校には行かないでもよろしい・・・とわたしは豪語した。(笑)


2005年12月03日(土) こんな集会もいいな

組合から動員がかかって、集会に参加した。わたしは「動員」という言葉が嫌いで(トラウマがある)頭数合わせの集会やグループには参加しないで来た。少なくともクリスチャンになるまでは。クリスチャンになって以後、わたしなんぞでもお役に立つなら行くか〜と思うことが多くなった。嫌だなぁと思うことも「嫌だけど、ま、やるか」と思うようにもなった。丸くなったんでしょうか、意地がなくなったんでしょうか。ただし自分の最も大事にしていることに敵対するようなことには断固としてNO!と言いたい。(言えるように日々レッスンしている)
さて、動員がかかって参加した集会は「上田文雄さんと語ろう!南区の集い」というもの。札幌市長・上田文雄さんが各地で対話集会を開いていることは知っていたけれど、わたしが参加する集会がそういうものであることは会場に行って初めて知った。これなら組合の動員いらないんじゃない?上田さんは人数少なかったら少ないなりに濃密な対話をすると思うよ。(笑)

上田市長がのっけから話し出したのは「雪」のこと。札幌では一晩に使う除雪費が(雪が降り積もった晩のことでしょうね)1億円だそうな。年々かさんでいる除雪費。長年除雪作業をしてきた人が「同じことをしていても10年前と今の反応は全く違う」「10年前は除雪車を動かしていると"ありがとう"と言われたが、今は"もっとちゃんと除雪しろ"と言われる」と語ったという。市長は自身の子供の頃のことを例に出して語り「わたしたちは雪によって教育を受けて来た。それは弱い者を尊重し大事にするということだったと思う」と言った。雪は天からの贈物で、「家族や地域がいい関係を作りなさいよ」と託されたもの、雪を克服する連帯感が生まれたら、地方自治が推進されるんじゃないか・・・(by上田氏)雪を最大限有効に使いたいとも言っていた。
ちょっと精神主義のところがあるとは思うけれど、そういう批判を怖れず話を切り出すところが気に入った。上田市長が提起した問題は、自分(たち)のことは自分(たち)で決めることが、これからのわたしたちに出来るんだろうか?ということのように思った。自治権(わたしは自決権と言いたい)が大切にされ、人間が繋がり支えあって行ける社会。言葉を変えれば、自分らしく生きることが出来、誰でも大事にされ、助けたり助けられたりを厭わずできる社会が成立することが希望です。そのために制度や保障がある。←これじゃ上田市長以上の、絵に描いた餅でしょうか。希望を実現させるためには何をしたらいいのか。上田さんのように熱く語り始める、これは大事なことかもしれないと思った。はじめの一歩。


2005年12月01日(木) 静かに静かに

忙しい時、疲れている時、あなたは何をしますか?わたしは活字を目にします。たとえば、朝、新聞など読む時間が無さそうな時、わざと新聞を読みます。じっくり読めない時こそ、とりあえずじっくり読んでしまいます。(月曜から土曜だいたい毎朝、祈りと聖書を読むことからスタートします。忙しくなるのはそれ以降の時間です)今朝は、しばらく溜め込んで封も切っていなかった封書に気が付いて、死刑廃止フォーラムの通信を読んでみました。「死刑囚の表現をめぐって」というシンポジウムの実録が大変興味深かったためトイレタイムを削りました。(笑)
『その作品にいわゆる「悔悛の情」という権力が言いたがる言葉、「国民」もそれを期待している「悔悛の情」があるかないかを評価の基準にしないということです。わたしは実は「悔悛の情」がないのを期待していたのです。残念ながらそういう作品はなかったのです。したがって「悔悛の情」があるからこれを落とすということはしないですみました(池田浩士氏)』

夜疲れて何もしたくない時、文庫本を開きます。10分もしたら舟を漕ぎ始めますが、その時はすぐに布団に入ることにして、眠たくならない限り読みたい本があれば読みます。
先日読んでいた文庫本から
ミック「飲むことに関して一番いいことは、たまにしかないことだが、時々えも言われぬ一瞬が訪れることだ。(略)なんだかすべて明らかになり、何もかもが眼に見えるような、また自分の心があらゆる創造物を包み込んで、それらすべてを抱え込むことが出来るような・・・略・・・そんな一瞬だ。わかるか?」
マット「あぁ」
ミック「あんたも飲んでいた頃は・・・」
マット「そう、たまにそういうことがあった。でも、ひとつ教えようか?今は素面でもそれと同じ体験ができるようになった」
ミック「ほんとに?」
・・・(略)・・・
ミック「そしてすべてに手が届いたような気分になる。あるいは手が届きそうな気分に。しかし、そんな一瞬が過ぎると・・・」「胸がはりさけそうになる」
マット「そうだ」「それは飲んでいてもいなくても変わらない」(ローレンス・ブロック「倒錯の舞踏」より)
この会話のシーンは至極ですが、細切れなので意味不明かもしれませんね、ごめんなさい。

インターネット上の活字でなくて、紙に書かれた活字が特に好き。読みたくなったら何度も開いては確認できる。わたしの老後の願いは、いつまでも活字を眼にすることが出来ますように。言葉に憧れ続けられますように。


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