時々日刊たえ新聞
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2005年11月08日(火) 証(あかし)

もう前の話になりますが、さんちゃんが礼拝の中で(それも説教の中で!)証をしました。10月23日(日)のこと。その前の週の日曜日(16日)、札幌教会の青年達は苫小牧伝道所に行って、石橋牧師が説教をし、さんちゃんが証をし、皆で「きみは愛されるため生まれた」を賛美したそうな。それが感動的だったらしい。そのせいかどうか、翌週の23日に、札幌教会の礼拝で(石橋牧師の説教の中で)、苫小牧伝道所に行った証を二人の青年がし、さんちゃんが同じ証を読んだ。こちらを参照下さい。

この証に感動したという感想を何人かの人からいただいた。涙したという人もいた。そんなに感動的かしら?とわたしは疑った。(笑)当事者にとっては日常的なこと、淡々と過ぎて来たことなので思い入れがない。これが他人の子供だったらわたしもジーンと来たのかもしれないと思って納得した。彼を愛して育てて下さった大人がいっぱいいたってことなんだなとわかった。
この証は苫小牧に行く前夜(というか当日)書き直した。10月15日の夜、わたしは息子の証の原稿を読ませてもらって呆れた。ひかり幼稚園に入園しました。小学科に行きました。バプテスマを受けました。青年大会に出席して恵みを受けました・・・と(わたしにとっては)心の入らない言葉が続くのにうんざりして「奇麗事書くんじゃないよ」と言った。「かっこつけてるんじゃないの!?」とも言った。そして「恵みってどういう中身!?」「さんちゃんが辛かったことや、嬉しかったことって何!?事実を具体的に書きなよ」と言った。その夜のさんちゃんは素直だった。いつもは、そんな風に言われたら「いいべや〜!」と喚き騒ぐところだけど、彼はちょっと困って、だけどパソコンに向かって証を書き直し始めた。彼が「証をする」って役目にかなり真剣になっていたことが伺われる。それが嬉しかった。
すでに夜の12時過ぎていた。わたしはソファで本を読みながら彼の証が出来るのを待った。彼が見せてくれた文章は具体的でかなり良くなっていた。が、言葉が多かった。自分を偉そうに書く癖がある。ま、それはそれでいいんだけど、説教を食っちゃうほど長い証はまずい。わたしも偉そうに「ハイ、ここからここまで削除」と指示し、かなり削る事をアドバイスした。彼は怒らず諦めず根気良く証を完成させた。よく書きました!さんちゃんは時々アドリブで気の利いたことを言おうとして聴衆を白けさせることがあるので(笑)、わたしは老婆心で「余分なことは言わないで忠実に読みなさい」と言った。辛辣で偉そうな母です。ゴメン。

さんちゃんが証を書いたために、わたしは彼の誤解を幾つか知った。1、彼はわたしたち夫婦がクリスチャンになったのは自分の交通事故(小学1年生の時)がきっかけだと思っているらしいが、それは違う。(わたしの場合は彼が行方不明になった事件がきっかけです) 2、彼は自分が色々なことが「出来ない」のは、交通事故のせいだと思っているが、これも全く違う。彼は生まれた時から特異だった。(笑)3、彼は自分には「障がい」があると思っていないようだ。高等養護の同級生たちの「障がい」は思っても自分の「障がい」=「問題」はあまりわからないようだ。これは真理だと思った。多くの場合わたしたちは自分の問題が良く見えない。
そういうわけでさんちゃんは、苫小牧伝道所の礼拝と札幌教会の礼拝で二週に渡って、自分のことをお話する機会をいただいた。そのことによって体験したことは大きかったに違いない。チャンスを与えて下さった人たちと神さまに感謝します。彼をいつも愛し育てて下さった方たちと神さまに感謝します。(このことをさんちゃんに「書いてもいい?」と聞いたら「いいよ」と言われたけれど…すっかり遅くなりました)


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