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しもさんの「新聞・書籍掲載文」
しもさん
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2007年06月21日(木)
仕事を終え なぜかウキウキ 勉学だ (49歳)

毎日新聞 朝刊(みんなの広場)

六十の手習いではないが、49歳の誕生日を過ぎ、
無性に勉強がしたくなった。
同年代である東国原英夫・宮崎県知事の著作を何冊か読み終え、
彼に刺激されたのかもしれない。
そこで、せっかく心の底からわき出てきた学習欲だからと、
学生時代に一番苦手で嫌いだった英語を学び直そうと思い、
英会話教室へ通い始めたが、私の気持ちに変化が起こった。
今でも苦手ということでは変わりないが、
あれほど嫌いだったはずの英語が楽しいのである。
仕事を終え、教室へ向かう自分がなぜかウキウキしているのである。
社会人になって自由になる時間が少ない方が、
学びたいという意欲が強くなってきた気がするのは、
その裏に「自己満足」という喜びがあるからかもしれない。
よく否定的な場面で使われる「自己満足」と言う言葉。
実は、他人に迷惑がかからなければ、最も行動につながるようだ。
1年後の自分が楽しみである。



2007年06月17日(日)
富士山の魅力をあらためて考える (49歳)

静岡新聞 トークバトル

前々回のトークバトルで富士山の魅力を語ってくれた、
大山行男さんの顔を紙面で拝見して、
2005年春、長泉町「ヴァンジ彫刻庭園美術館」で開催された
「富士山曼荼羅」と題する彼の写真展を思い出していた。
そこには、青空に白い雪をかぶったきれいな富士山ではなく、
もっと人間味のある、いろいろな表情の富士山を撮り続けてきた 彼と
富士山との対話が聞こえてきそうな写真があふれていたからである。
偶然、会場で大山さんご本人と話しをする機会に恵まれたのだが
「遠くから望遠レンズで撮るのではなく、広角レンズを使い、
できるだけ近づいて撮るんですよ」と熱く語ってくれた。
写真の撮影テクニックもさることながら、
わが子のように富士山の話をする大山さんのうれしそうな表情が、
富士山の魅力を一番物語っていたように思う。
いつも富士山と親しんでいる人たちが、
富士山になじみみのない誰かに「富士山」を語る。
その人の言葉・表情こそ、富士山の魅力ではないだろうか。
そういえば、富士山初冠雪には、
必ずメッセージを添えて全国のメル友に写真を送ってしまう私がいる。



2007年06月16日(土)
熟慮したい言葉「国とは人」 (49歳)

産經新聞 朝刊(談話室) 2007年6月15日静岡新聞と同日掲載のため

「それがしにとって、国とは人でござる」
NHKの大河ドラマ「風林火山」の一場面であった。
「国とは人。人とは国」というせりふは、
現代の自治体首長に受け継がれ「まちづくりは人づくり」という
フレーズで口にされる。
しかし「人材発掘」「人材育成」は、
たやすいことではなく、時間がかかる。
ある人物が無名のときはその力を認めず、支援もせず、
有名になると「おらがまちの出身者」と町のPRに利用するパターンの多い。
「私にとって、国とは、そこに住んでいる人であります」
「その地域には、大切な人、愛する人、尊敬する人達が住んでいる。
だから、私はこの国が好きなんです」
山本勘助は、そう言いたかったに違いない。
われわれは「まちづくりは人づくり」というフレーズの使い方を
間違えていないだろうか。
もう一度、その意味をじっくり考えたいと思う。



2007年06月15日(金)
恥と思いたい 王子騒動過熱 (49歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

この「王子」騒動は、いつまで続くのだろうか。
私はあえて「フィーバー」という単語を使わず
「騒動」という単語を使いたいと思う。
「フィーバー」とは、極度に興奮すること、熱狂すること。
だから国民がフィーバーすることは、決して悪いことではない。
しかし「騒動」とは、多人数が騒ぎたてて秩序が乱れること。
また、そのような事件や事態を意味する。
「ハンカチ王子」から「ハニカミ王子」まで、
ここ数年、好青年を見つけては「王子」と名付け、
マスコミも一緒になって秩序を乱している。
今後「王子」の生写真が高く売買される風潮が根付き、
モラルは無視され、彼らのプライバシーすら守られなくなり、
あらゆるシーンで、写真が撮られ続けることになるだろう。
ダイアナ妃が、パパラッチの執拗な取材を振り切ろうとして
亡くなった時、彼女の死を悼み涙し、
外国人はなんとひどいことをするんだと、怒りを覚えた国民が、
今、彼らと同じことをしようとしていることに、
私たちは気付くべきだろう。
十五歳の少年に「もう少しマナーを守って欲しい」と
言われた日本の大人たち、
教育再生計画の対象は、私たちなのかもしれない。
心から恥じ、反省したい。