快賊日記「funnyface」

2006年03月30日(木) 心をこめて花束を

とてもとても感謝をしたい日がある。
それは年に何回か訪れる特別な日のうちの一日。
思い出さない日はないくらい、
私にとって特別で大切な人。
小さい私は愛してる気持ちを
どう表現していいのか分からず
ただひたすらに求めた。
夕飯の仕度はかたときも離れなかった。
優しい味の料理が幸せだった。
働いてる姿が格好良かった。
友達にも見せびらかすほど誇りだった。
世間がもたらす事実に心を痛め、
自分の血を嫌った事もあった。
その痛みは同時に自分の一番大切な人を
否定する事になるのだと、さらに心を痛め
泣いても泣いても涙のかれない日もあった。
いつでも太陽のような笑顔と優しさをくれる
その姿に焦がれて焦がれて、
私は少しずつ強くなっていった。
思い通りの私ではないでしょう。
それでもかけがえのない出会いをして
かけがえのない道を必死で歩いている。
いつだってその姿に恥じる自分であっては
いけないと、立派ではない私は
ただそれだけを自分に言い聞かせ生きている。
こんな日はあなたに会いたくなる。
こんな日だからこそ花束を持ってありがとうと
あなたに会いたくなる。
今日をくれて、ありがとう。



2006年03月28日(火) オーバーソウル。

いくつも春を迎え何度見ても桜にため息をつく。
桜並木を歩いて仰いで心は癒されていく。
どれだけの年月を重ねてそこに存在するのだろう。
どれくらいの人間を優しく包んで来たんだろう。
人の手で、建物は建てられ壊される。
戦争で、時に天災で。何度も繰り返し作っては
壊され、当然のように建て直される。
それでも自然はそこに変わらず存在しているというのに。
自然の息吹は永久を感じさせるほどにそこにある。
限りを知っている人間には到底及ばない生命力。
桜を仰ぎその上に青を知る。
迷っている暇も戸惑っている暇も無い。
嘘をついている暇だってそれこそない。
求める事に精一杯。それだけの為だけに生きるので
精一杯。無駄はいらない。
そうでなければたどり着けない熱がある。
押さえられない衝動を情熱と呼ぶのだろう。



2006年03月21日(火) 幸せを

いつからか歳を重ねるのが怖くなりました。
それは若くいたいとか、子供のままでいたいとか
そういうのとは違う所の気持ちで。
私が歳を重ねれば当然親もそうなので。
命の限りは、病気や不慮の事故をのぞけば
当たり前に歳を重ねたものから尽きていくもの。
私にとって誰より大切な存在を失う覚悟が
私にはまだ出来ていない。
今すぐどうなるわけではないけど、いつまでも
そこに存在しててくれるものではない事くらい、
知っている。確実に自分より先に逝くのだろう。
でももし叶うならそれを見たくないと思ってしまう。
それを見るくらいなら自分が先に逝ってしまいたいと
さえ思ってしまう。愚かな考えてと分かっていても。
子は親を乗り越えて行くものだと、遠い昔に理解できて
いる事も受け入れる事が出来ないほど幼稚な心は、
今はまだ上手くコントロール出来ない様で。
もしかしたら本当に甘ったれすぎるのかもしれない。
ちょっと困るくらいに子供過ぎるのかも。
ただの執着なのかもしれない。
だとしても、こんなに深く深く愛せる程の愛をくれた
あの人たちは、やっぱり永遠に私の全てだと思う。
何かを返したいなんて本当にまだまだ難しいのだけれど、
もう少しもう少し待っていて下さい。
かけがえの無い大切な日に、改めて心を引き締める。
今年はその人の好きな王さんが優勝を決めためでたい日と
重なって。嬉しい私は電話越しにおめでとうを二回言った。



2006年03月19日(日) エネルギー

人の命は短くはかない。
その中でいくつもの試練を乗り越えて行く。
他人にとって小さくても自分にとっては
超える事が厳しい試練もある。
誰にでもきっと、ある。誰に何を恥じる事が
あるだろうか。その思いはきっと自分にしか分からない。
歴史を紐解いてみればいつも人間は悩み生きている。
例えば似た人を見つけても。そこにシンパシーを感じても。
同じものなど何一つ存在しない。この命はたった一つ
自分の為だけのものだから。
いずれ土に還り。その精神さえも土に還るとして。
その全てがこの星の生命のつながりだとしても。
それら全てを持って新たな命が生まれるとしても。
それは繋がりであり輪廻かもしれないけど。
それでもここにある命は自分だけのもの。
だから人は両手を上げその先へと進もうとするんだ。
恐れる事は何もない。
生命は今、静かに躍動してるのだから。



2006年03月16日(木) 追う。

努力をしなければ何も手に入らないと
誰もが本当はだいぶ子供の頃から
知っている事。
それでもいつの間にか「それなり」という言葉を
覚えて、努力する事を少しさぼってたり。
そんな自分に気づいて、必ず浮かぶ顔に
自分を恥じる事がある。
子供は誰もが特別でありたいから、
当然それを信じて生きてる。
誰もよりも特別な存在。
神童・天才・秀才、何より魅力的な言葉。
それを求めるのが子供らしい子供といえる。
自分は平凡だからなんて幼い頃から思うなんて
逆に寂しい事だと思う。
だから、つい努力家という言葉に嫌悪を
抱いてしまいがちになる。
努力をする事が何だか損な気持ちになってしまう。
努力をすれば出来るようになるなんて、努力しなければ
何も得られない、全く才能のない子に生まれたような
気になって落ち込んでしまう。比べられる兄弟が
優秀ならなおの事。それでも私はいつからか
努力家という言葉が嫌でなくなった。
それは割と早い時期からだったと思う。
誰よりも立派な人がそう言われている人だったから。
家族の為努力をする。そしてそのための延長線上に
まだまだ自分を成長させる努力をする。
何十年も一人で仕事をこなして来た男が、それ以上を
目指して難しい試験だってしっかり受けてしっかりパスする。
一番似ているかもしれないと言われた時の誇らしさを
私は忘れていない。まだまだ足りない自分。
一生追いつけない背中を追いかけ、それでも努力をする
事の素晴らしさを貴方に教えてもらった私は
これからも目指す世界へ向けて努力をする。
その背中をいつでも見失わないように。



2006年03月12日(日) 哲学のいらない夜。

時間に追われるという事は、
何だか人生に追われているようです。
限られた時間の中で生きている私達は、
時間に追われ、時間を追い越し生きている。
たくさんのしたい事やらなければならない事。
抱え込んだこの道は、いつになったら
そこへたどり着くのだろう。
求めたまま最終地点にたどり着いてしまったら
その先を更に求めてしまわないだろうか。
眠りにつくように静かに受け入れられる
ものだろうか。果たしてそれでも。
真っ暗な部屋で暗くなりすぎる思考を
押し留める。簡単に傾いて、これ以上行き場のない
黒くなる思いを、どうにか光を探して
自分へ自分へと引き寄せる。
今はあるのだと、そう言い聞かせながら。
怯える事を知っている私は、その誘惑にかられて
自らを投げ出してしまいそうになる。
そうする事で急き立てられる思いを
確かめるように、なぞるように。
感情と心情だけが全ての夜。
生きている今を抱きしめて眠りにつく夜。



2006年03月10日(金) 21グラム

美しい日々に誘われて
私は今を生き抜いている。
いつか訪れるであろうその日を胸に、
信じられるものだけを見つめて
互いに励ましながら生きている。
人とは美しい生き物だと
思える瞬間がある。
そして時に人は獣のように
生きてしまう事もあるけれど。
絶望する事もまた生きる糧になるのでしょう。
魂の望むままに。
魂の行く先にただ進む。
裸になるように、魂の求めるままに。



2006年03月08日(水) 音。

限りがあるものに惹かれる習性があるのか、
大事なものはいつでも有形固形ではなく、
命そのものです。
一番好きな音は愛するものの声だったりします。
なので、宝物は当然それらの命そのもので。
例えばそれを失う時が来たら、
私はそれをどう乗り越える事が出来るのだろう。
皆、そんな思いをどうやって抱えて
生きているのだろう。
考えるだけで息苦しくなるような、
いつか訪れる現実を、
どう内に秘めて生きているのだろう。
壊れてしまうような形のある物であれば
納得もいくのに。
愛しいものがそばにある事の事実が
時に私を追い詰める事もある。
それでもそれなしでは息も出来ない
自分もいる。考えるだけ不毛な事を
飽きもせず考えるのは、怖さに慣れるためだろうか。
そんな事を思ってふと振り返れば必ず、
ピタリと目を合わせてくる姿に見とれてしまう
今があるというのに。
流れる時間の中で確実に今が存在する。
それが何より大事で何より本物。
怯えるような未来には目をつぶってしまえば
いいのだと、今を生きる自分に諭される。
何より好きな音を信じていれば、いいのだと。



2006年03月06日(月) パステル

今日は少し暖かく、ようやく春の兆しを
感じれるような一日だった。
そのおかげか、つい先日見た時は蕾ばかり
だった枝に、小さな花をいくつも見つけた。
自然と笑顔になる。春は日差しと共に
目にも暖かさをくれる。
地球の温暖化なんて緩和されまくりのようだった
今年の冬でしたが、春が来ない季節はやっぱり
ないんですね。重いコートが何枚もかけられて、
窮屈そうにしているクローゼット。
冬の名残はそのままにして。
春を彩る新しいワンピースをまとうように、
次へ進もうと言ってるようです。




−春の訪れに−




2006年03月05日(日) 雪月花

悪戯に、移ろい易い人の心も
留まる所を知っている。
幾千年の時を重ねても
誰もが感嘆の声をあげてしまう存在が
そこに永遠の姿を降らせる、積もらせる。
焦がれる時代も、そこに失ったよすがも
時代のうねりを共に分かつように
時に咲き誇り、時に覆い隠し、
時に鏡のように映し出す。
共に土に還る事を思えば、怖くない寂しくない。
土に還るこの身を沈めてなお生きる、
その永遠の命を感じる事が出来るならば、
ここに自分の証がなくなったとて
恐れるものは何もないはず。
見上げるそこにこの世界の全ては存在する。



2006年03月04日(土) high

ただ流れるように過ぎる一日もある。
つまらない、と名づけられる日でもある。
といって、激しく否定したいわけでもない。
日常の中の拾い物もあるもので。
こういう日があるからこそ、内側の熱を
大事に感じるのだろうし。
それでも出来る事ならば、その熱の中にでだけ
息をしていたいと願ってしまう。
止める術を知らない気持ちは音も光も
凌駕しているかの如く。
飛距離を間違えてしまうくらいに。
ただ、求める事を望むだけの生き方で。
追い越せない、自分の影は置いてきぼりに。



2006年03月03日(金) 蕾。

今日は桃の節句ですね。あっという間に3月に
なっちゃいました。なのに、いまだ寒い。
今年は本当にどうしちゃったんでしょうか?
東京は3月いっぱい寒いですけどね。こんなにも
寒かったかと首をかしげる程です。
梅も桜も開花が遅れてしまって、寂しいですね。
早く目を楽しませて欲しいと思う。
昔から花が好きで、道を歩いていても小さな花にでも
目を留めてしまいます。ついこの間寄り道した
公園の桜の木に、蕾がなってました。
春の訪れを肌で感じるのは少し待たされてますが、
草木は敏感に感じ取っているんですね。
たくさんの蕾が遠慮がちに並んでいて、
それを見つけた私は凄く幸せな気持ちになりました。
毎年花をつける桜の木。自然と共に生きて、
自然に咲く季節を知っている。
私も人としてまだまだ咲き続けて行きたい。
生きる道に一つも制限なんかないはずだから。


 < 過去  INDEX  未来 >


快賊船 [HOMEPAGE]

My追加