快賊日記「funnyface」

2005年12月25日(日) 17歳のクリスマス

高校生の時にしてたバイトは、学校が終わってから
夜10時まで。田舎なので終わる頃は冬なんか真っ暗で。
危ないからといつも父が車で迎えに来てくれてました。
田舎の冬の夜は暗いんじゃなくて、黒い。
だけど、その分本当に星が綺麗で。
寒いから中で待ってなさいという父の言葉は
いつも素通り。外で白い息を吐きながら空を見上げて
待っていた覚えがある。
不思議とあの日の寒さとか星空とか父の優しい声とか、
車のライトが届く時の安心感とか。そういうのは今でも
はっきりと覚えている。
その年のクリスマスは、私が実家で迎える最後のクリスマスだった。
来年の春高校を卒業したら、東京に出る事が決まっていたので。
その年はいつもより何かそれっぽいクリスマスを過ごした気がする。
17歳になる娘とわざわざクリスマスパーティをしてくれる家族。
しかも子供は私だけで、後は両親と祖母だけ。
それでもメリークリスマスって乾杯をしてそれなりの料理を食べた。
私にとっては世界で一番のクリスマスだったし、今も忘れられない
大切な思い出。何年経っても忘れないし、多分一生の宝物。
大好きだった祖母はそれから三年して亡くなった。
祖母との思い出が年数にしたら一番少ない私だけど、
あのクリスマスを過ごせたのも私だけ。だから本当によかった。
毎年クリスマスになると胸を締め付けるような切ないような
なんとも言えない気持ちになる。大事な思い出があるというのは
凄く幸せな事だと思う。今年は久しぶりの休みで、いつもより
もっといろんな事を思い出したクリスマスだった。
大好きな人にたくさんの気持ちをあげたりもらったりする
クリスマス。私はクリスマスが大好きです。



−東京のクリスマス−メリークリスマス★



2005年12月22日(木) close

会いたい人がいるというのは幸せな事だと思う。
たとえそれが誰であろうと、焦がれるように会いたさが
募るのはもう重症で。今会いたい人は?そう考えた時に
誰の顔も浮かばないのは寂しいと思う。
だからやっぱり会いたい人がいるのは幸せな事なんだろう。
でも会いたい会いたいが強すぎたらどうしたらいいんだろう。
自分にも生活があって。すぐに飛んで行くなんて出来なくて。
顔が見たい。声が聞きたい。そばにいたい。
本当にもう重症。写真を見て落ち着けばいい。
そう思ってもたいして持ってなかったり。
電話をすればいい。まだまだ上手く話せないのに。
本当は分かっている。こんな気持ちもすぐに
解消される。すぐに会えるから。
それでも待ちきれない思いは、まるで子供の頃みたいで。
わくわくしながらその時を待つのは、本当は辛い事でもなくて。
年末になると切なくなったり不安定な気持ちになるのは、
今年が終わるって感じる本能のせいなのかな。
今年も後少し。たくさんの人に出会って別れた一年。
毎年繰り返して、会いたい人が増えて行く。




−新宿の夕暮れ時−エガオハソノムコウガワ



2005年12月18日(日) 冬空に舞う

ずいぶんと寒い日が続きます。
ここ3,4日は相当寒くて、真冬日が続くと
天気予報でやっていた。
もしかしたら東京でも雪が降るかもしれないらしい。
冬は空が高くてとても空気が澄んでます。
寒ければ寒いほど空気は冷たく澄んで気持ちがいい。
冬の空は青空がよく似合う。
毎日家を出ると必ず空を見上げます。
今日は空が綺麗だなとか雲が多いなとか、
そういうのをただ感じるだけなんだけど。
何だか日課になっていた。田舎育ちだからかな。
そういえば好きで撮る写真も、外で撮る時は
必ず空の写真を撮っている。
だから飛行機雲を見つけるのは誰といても
私が一番。くすんだ空を見上げるのは寂しい気も
するけど、東京は飛行機雲が多いから、それを
見つけた日は気分がちょっと上がったりする。
ほんの些細な事だけど、そういう事で癒されたり
元気を貰ったりしているのだと思う。
やっぱり田舎者なんですね。歩いていても道端の
花だとか猫だとか、そして空だとかそういうものに
すぐ気をとられる。そしてそういうもので心を
落ち着かせている。東京は殺風景だというけれど
殺伐とした中で見つられるものに暖められる時もある。
殺風景なのは見つけられない時の自分自身の余裕の
なさだったりするのかもしれない。
瞳を上げれば冬空に鳥はいつでも舞っている。



2005年12月15日(木) 拝啓

少しだけ昔を思い出しました。
遠い昔の記憶がふとした事がきっかけで
思い出される。
とても大切でかけがえのない思い出。
今はもう手の届かない人へ思いを馳せる時、
人は何を思うのだろう。
隙間を縫うように弱さを知っているかのように
すっと心の一番下の所へ舞い降りて来て。
その後はどうしよう。
まだまだ胸を張って語れる事も何一つない。
恥ずかしくて情けなくて。
それでもそこは居心地がいいから。逃げたりはしないけど。
もっともっとしっかりした自分になって
誇れる話を聞かせられるようになりたいのだけど。
でもとりあえず、何度も語った夢は今もここにあって、
それだけは笑ってみててもらえるようです。
もう少しこうやって時々思い出して心の中で話をする
だけの時間が続きそうですが、私は元気に生きてます。



2005年12月13日(火) もっと。

どうしようもなく落ち込む時、
そういう時皆どうしているんだろう。
自分は比較的静かーにしてます。
どっちかというと誰かに話を聞いてもらっり
憂さ晴らしに出かけたりというよりかは、
一人でじーっとしてたりする。音が暗いのでしょうか。
それでもそれを分かっているようになる電話の音が
ある。元気付けるように励ますように
殊更明るい声が届く。愛しい人の声は私の心を
あっという間に回復させる。同時にもっとへこませる。
やっぱりもっとしっかりしてる所を見て欲しいと思う。
敵わない人だなと思うけど、それでも頑張ってる
所も知って欲しい。本当はそういう所も知っている
からこそ情けない時の自分を許してくれるのだろうけど。
もっともっと頑張ろうと勝手に誓う。
まだまだ足りない私は救われて甘やかされて。
そしてとても助かって、同時にとても自分を反省して、
そして勝手に誓う。頑張る事にもっとがある事も
教えてくれる。日々精進。明日こそもっと。



2005年12月12日(月) かくれんぼ

今更ながら、こんな自分もいるんだなと
思わされる事がある。
もう何十年も自分と付き合って来たのに、
全然知らなかった自分に出会う事がある。
最初からそんな所を持っていて、
今まで気づかずにいたのだろうか。
それとも大人になる過程で自分の性格が
変わって来ているのだろうか。
どっちにしろ、新しい自分を発見するのは
そんなに嫌な事でもない。
少し気恥ずかしい気もするけれど、
微笑ましい気持ちにもなったりする。
まだまだ成長過程。まだまだ知らない自分も
見つけられる。自分という道を歩くように。



2005年12月10日(土) 暖かい雪

最近めっきり寒くなりました。
雨は嫌いじゃないと言ったそばから、
雨を越える毎に冬は寒くなるのだと
改めて思わされる。風邪もちっとも治りません。
でも雪でも降ればいいのにと思う。
雪は好きです。冬の雨程寒くないし。
それにやっぱり外で遊ぶには持って来い。
あまり雪の降らない東京ですが、それでも
ちょこちょこ降っては交通を妨げます。
止まってしまえと思う線は全く止まりませんが。
どうせなら降り積もってくれればいいのに。
寒い中耳や鼻に触れる空気が心地いい。
雪の思い出は結構あって。
どれも思い出すと暖かくなる。
きっとその延長線上に好きな人がいるから。
いつでも、子供の頃から好きな人達と雪の日は
はしゃいでた。そしてはしゃぎ疲れて家に帰れば
暖かいコタツが待っている。
親元を離れてコタツからも離れてしまったけれど、
あの暖かさは忘れられない。
体も心も温めてくれる。それはきっと思い出のせい。
ついつい笑顔になってしまう思い出のせい。



2005年12月04日(日) 雨の日とコーヒー。

今日は久しぶりの雨。
今年の冬は暖冬かと思うくらい
昼間は暖かく、足早に歩いているとコートを
いらないと感じれるくらいだった。
でもやっぱり雨が降るとちょっぴり寒いですね。
ずっと降っていなかったからちょうどいいかも
しれない。乾燥して肌ものども疲れてましたから。
しかし一年は本当にあっという間。
昔から12月はありえなくらい早く過ぎて
行っちゃうわよと母が言っていたけれど、
本当にそう思う。
バタバタとしているうちに年末になってしまう。
でもそれもちょうどいいのかもしれない。
色んな思いが一つの公演を終える毎に
増えて行って。忘れられない大切な気持ちを
作ってくれる。だけどそればかりに囚われていたら
現実の生活に追いつかない。というか、投げ出して
しまいたくなる。だから振り回されるくらいに
早く過ぎる年月が少しありがたい気もする。
そうして心も身体も真っ白になって、次へ進む。
だからこんな雨の日だけは少しこの思いに浸っていよう。
言葉にならない切ない思いを大事に思い返そう。
暖かい部屋で雨音を聞きながら、そんな幸せをコーヒーと
一緒に飲み込む一日。雨の日はそんな日だったりする。


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