快賊日記「funnyface」

2003年05月29日(木) リズム

哀しい時、奏でる音がある。
本当に辛い時は歌なんて歌わない?
否、そうでもない。
それこそアーティストはその哀しみさえも
メロディーに変えてしまう。
自分には思いを音にして紡ぐ術はない。
それでも代弁してくれる音楽がある。
同調して同情して。
いつか過去に変わるよう。
音楽と共に流れてく。
幸せな時はなおの事。
高らかに声を上げて歌うのだ。
人はどうしたって幸せを歌いたくなる。
今日もたくさんの愛しいリズムと共に歩いてく。



2003年05月26日(月) 再生

人の歴史を紐解いてみれば、いつでもそこに闘いが刻まれている。
そうして人の歴史の上に成り立っているのは今では国であったり
昔では生そのものであったり。人は歴史と共にある。
否、すべての事柄はこの地球上の歴史の上に存在する。
それはこの世のすべて。この目では決して見る事の出来ない
宇宙のそれも時を刻んで存在しているのだろう。
遙か昔を思う時、その歴史に心は騒ぐ。
本を読みその時、を知る。もちろん全ては知り得ない。
でもどうにかしてその時に思いを馳せる。
例えば日本の歴史を見てみても、それはもう長く深く。
物語にしてしまえば夢のような出来事に変わったりもするけど、
その日その時彼らは本当に存在したわけで。
人の歴史・動物の歴史・芸術の歴史・建造物の歴史。
私はそういった時の流れを感じるのがとても好き。
その昔には決して戻れないし真実はそれこそ長い歴史の時の
隙間に埋もれてしまっているのだけれど。
だからこそそういうのをあれこれと想像するのが楽しい。
今この現代に生きてる自分にも自分の歴史があって。
それはとても大切な足跡。きっととてつもなく小さいから、
私という人間がいなくなれば自然に風化していくだろう。
そうやって小さいけど確実に歩んだ歴史が数々ある訳で。
だけど、きっといつかそれも遠い未来に今の事を振りかえる
人がいれば、大切なかけがえのないものになるはず。
私はいつかタイムマシーンを手に入れて、恐竜を見てルネサンスに
触れて侍に会ってビートルズを堪能して…それから、きっと
見ることのない未来の歴史さえも欲張って帰って来るのだ。
時は刻み続ける。巻き戻しも早送りもなく。いつか私も過ぎた時に
なる。そうやって歴史はつもって行く。この星に。



2003年05月23日(金) 言の葉に乗せて。

言葉の魔力は凄い。一つの言葉でもたくさんの意味を為し、
言葉一つで勇気がわいてくる事もしばしば。
事の葉と記すだけあって、生い茂る緑のように日本語とは
かくもたくさんの素晴らしい意義を持って存在する。
世の中に多種の言語が存在し、この国はこの独自の日本語という
世界を生み出した。これだけでもうこの国の素晴らしさを感じる。
昔流行ったYES・NOを言えない日本人。自分としては
そんな日本人大いに結構。はっきりさせないうやむやな所に
本当があったり、または色気があったり。用は言葉の使いようと
いうやつで。ただただはっきりしないのはつまらないけど、
そこに芝居のステ間のような空間が出来る日本語の曖昧さ加減は
とても好き。だから美しい日本語というのがとても好き。
古い言葉がとても大事でとても好きだなとよく感じる。
手紙を書く時には拝啓で始まり敬具で終わるのが心地よい。
敬語だとか尊敬語だとか謙譲語だとか。文法で考えるとさも難しい
言葉が口をついて出た時に心地よい音に変わるのが素晴らしい。
私はとても日本語が好きで、美しいと感じる。最初にこの日記を
始める時、とても悩んで。個人ページではないから自分の普段の
生活をタラタラ書くのも気が引けたし、絶対的に面白くないと思った。
その時にうちらの色を出せるような内容を詩的に書いてみようかなと。
だって日本語は美しく、詩にするにはもってこいの言語だから。
だからこんな拙い文でも何とかやってこれたし、少しは皆の目に留めて
貰ってる。それから伝えたい事もこうして書くうちに自分自身
分って来る。言葉ってやっぱり凄くて大切だ。それはもちろん日本語だけ
じゃなくて。一番馴染みのある英語。米語かな?そしてお隣のハングル。
それだけでもういっぱい。それでももっとたくさんの国の言葉を覚えたい。
そしてその国の人達と会話をしてみたい。フレンチ。スパニッシュ。
ジャーマン。チャイナ。死ぬまで一体いくつの言葉を理解出来るように
なるだろう。少し頑張ってみようと思う。まだまだ許容範囲には遠いはず
だから。そうして言葉をたくさん育てよう。
それでは皆様も日々つつがなくお過ごし下さい。



2003年05月17日(土) Over The Sky

空は翼を持つもののための物。
でも翼のない人間だからこそ空に焦がれるわけで。
飛び降りをする人の気持ちは皆目分らないけど、
空に身を委ねた瞬間飛べたなら、喜んで身を投げるだろう。
大空を我が物顔で旋回して行く鳥たち。
帰る場所を求めてさまよう事もしばしば。
闘いの末地に落ち、翼が何の意味も持たなくなる時も。
それでもやはりあの広い空を飛び回る姿は自由の象徴。
空と大地に抱かれた私としてはどうしても贅沢になってしまい
空を一度でいいから捕まえたくなる。
何度となく空へ向かって手を伸ばし、その青をこの手に捕らえた事か。
空を見上げるのは毎日の日課。雨でもお天気でもそれは変わらない。
ずっとして来た事で、これからもきっとする。
空を見て季節を感じたり。飛行機雲を見つければちょっと嬉しい。
時に空回りする気持ちや急いた気持ちを空の色が代弁してくれたり。
この世の自然と言われるものは、なぜか心を落ち着かせる。
だからこれはもう好きとか嫌いとかの問題ではないのかも。
それでも好きなものを書こうと思った時に浮かんだ空の青。
大地の鼓動と緑の息吹。そして限りなく広大な命の海。
そして明日もまた空を仰ぐ。もっと高くもっと上まで。
それはまるで心の祈り。不確かな夢への祈りのように
空を望む。いつかあの空を越えたいと。ただ望む。



2003年05月16日(金) She Loves Sea

海には女がいる。漢字で書けば母がいて、英語の中にも
シーがある。そういえば女性を表現する時に海という
のは使われる事もしばしば。不思議なものだ。なぜだろう?
生き物は皆女から生まれるけど。お母さんのお腹の中にいる時の
事を無意識で記憶してるからなのか?そういえば水の中にいると
安心する…というか、心地良い。ふわっと体が浮いて無音が耳に
心地良い。実家は海の有名な所で。小学校の頃夏は海がそれこそ
友達だった。走って行ったり自転車で行ったり。
でも一番ラクなのは父の車で送り迎え。水着のまま海に横付け。
そのせいか今でも泳ぐのがとっても好き。というか、水の中が
本当に好き。水着はもちろん競泳用。髪もちゃんとキャップの中へ
押し込め、ゴーグルもスチャッと装着。そりゃもう泳ぐ気満々。
腕を一かき二かきすれば抵抗は無くなり後はもう泳ぐだけ。
いつの間にか水と一体化したようになって、どんどん体がなじんでく。
息継ぎももどかしいほど。体はいつも魚になりたがる。
死んだらその灰を海に投げてくれというくらいに水の中が好き。
私の遺伝子はもしかしたら昔陸に上がる前は海に住んでいた事を
知ってるんじゃないかと思うほど、何だか海に還りたがる。
海に還ったらやっぱりイルカがいいな。あの体でもっていろんな
海を網羅するのだ。海からの果てしない恩恵を授かってる生命体。
いつか海に還ったらたくさんのありがとうを言いたい。



2003年05月10日(土) Born On The Earth

好きなもの、の中に並べていいのか分りませんが…
やはり自然というものが好きです。
田舎育ちのせいもあるのでしょう。毎日出かける時
空を必ず見上げます。そう言えば4月17日は月が一番地球に
近い日でした。一番最短の36万キロの月。
そう言われたからなのかもしれませんが、確かにあの日の月は
とっても大きくてとっても明るかった気がします。
今でも鮮明に思い出せるんだから、やっぱり近い分大きく
見えたんだろうな。色もいつもは白くて。そして綺麗に見える日は金色。
でもあの日はオレンジに近かった。黄金色…いや、オレンジかな。
こぼれそうな月を見て、すごくドキドキした。
この星に生まれてよかったなと。普段当たり前に生きてる
自分でもそう思いました。この地に足をつけて立ってる事が、
それこそが奇跡だと、実はよく感じます。
普段からそういう事を考えるのはちょっとヤバイ人なのかな?
でも自分はとても小さい存在で、そしてとても大きなものに
抱かれてると思うのです。それはこの大地のような気がして。
私達はこの星に生まれた。この緑溢れる大地に生を受け、
いつか土に還るまで。風の声を聞き、太陽を浴び精一杯成長して
空に抱かれ海に揺られて大地に焦がれて。
この命は今日もまた、自然と共にあるのだなと感じて。
自然じゃないものと生きているからこそ、それが大事なのだと。
ずっとずっと地に足をつけ根を張り生きて行きたいものです。



2003年05月03日(土) そぐわない話。

好きなものの特集をくんで今日記を書いてます。
なので、当然愛に満ちた言葉で埋め尽くされるはずです。
が、どうしても今心を占めている問題は全く違っていて。
自分の中で解決出来ない疑問や怒りを文字にすることで
落ち着こうとしている自分がいます。しかし感情的なだけの
言葉とは、決して綺麗ではなく。不快を感じる方もいるかも
しれません。なので、合わない方はどうか目を伏せていて下さい…。
昨日米ブッシュ大統領が勝利宣言をしました。事実上の終戦です。
今。あの状態で。イラクでは惨状極まりない、この現状で。
この戦争の目的はフセイン政権の壊滅・及び個人の政権放棄。
そして大量生物兵器の破壊、だったはずです。それが為されたという
報告は聞いてません。そうです。ブッシュ米軍は目的を果たしてないのです。
それで勝利だという。終戦だと。なぜか?首都を陥落させたからに
他なりません。首都を制圧したら終わり。これでは本当の戦争です。
本当の陣地取りのただの戦争です。ブッシュは何と言ったか?
開戦の時。これは侵略ではないと言わなかったか?これではクェートを
我がものにしようとした、まさに今自分達が追い払おうとしている
当人フセインと同じではないのか?首都を制圧したから勝利だと
浮かれた顔して空母に自ら戦闘機を操縦して降り立った米大統領の
何が正義なのか?人々はそれこそ全人類が反対したであろうこの戦争に
それでも強行突破した人間を結局は支持したのは、そこにかけがえのない
命があるからだ。間違ってると分っても自分の愛する人間を戦地に見送る
しか出来なかった人間の最後の抵抗はそれを支持し、願わくばその姿の
ままで帰って来てくれと祈りを捧げる事だけだったはず。
だからこそ始まってしまってからは、どうにか早く終わるようにと
誰もが本当に祈り続けたはずなのに。正義のために力をかしてくれと、
命を預けてくれと言ったその同じ口で、今首都を陥落した喜びの顔で
もって勝利を高らかに宣言するのか。そしてそのたくさんの血が流れた
その場所で、自分の保身のためのパフォーマンスを恥も外侮もなく
やってのけるそれは万死に値する行為じゃないのか?否、そもそも散った
万の死をどう受け止めているのか?本当にたくさん死んだんだぞ。
きっと離れた綺麗な場所でしか聞いてないんだろ。ちきしょぉ。
あまりにも手前勝手なその行動に怒りと絶望を覚える。
ニュースを読み上げるキャスター達までもこの戦争の意味は?と、
繰り返す。だいたい大統領というものは民意の象徴のはずだ。
それは日本も同じ。日本の象徴は天皇様だけど。国民の、その意思の
象徴はその国の政権を担う人間のはずだ。だから代表というのだ。
そう、大統領・首相は民意の具現の存在なはずだ。ならば、国民の意思を
表立って尊重していく事、もしくはその理想に近付けるため、
あらゆる機能を駆使して努力していくのが仕事のはず。
しかし、昨日の米大統領の姿にそれはひとかけらもかいま見ることは
出来なかった。民意の具現だと大見得切って言うならば、その信憑性の
かけらもない言動をいますぐ止めて、己の屍をそこに晒して見せろよ。
平気で流れた血の上を歩く様な真似はするな。脳天気な頭を解消して
みせろ。どっちもどっちだ。流れた血と散った身体と亡くした痛みと
涙をこれ以上数字で計るのは止めるべきだ。
誰もが手を合わせて願うのは平和だけなんだ。本当に世界平和、それだけ
なんだ。誰もが独裁者になれるし、誰もが犠牲者になってしまう。
指導者なんかいなきゃいい。誰もが等しくただの民であればいい。
そうすりゃ戦争なんてなくなる。人の陣地まで欲しくなるのは権力者だけ
だから。でもそれじゃぁ国は立ち行かない。だからこそ指導者がいるんだ。
ならばそれだけの事をするべきだ。何一つリスクを負わずに全てを
思うがままになんてありえない。人々は命を削ってる。対する権力者は
何を差し出している?誰もが口々に世界平和を唱えるなら何をすべきか
分ってるはずだ。これはきれい事じゃない。当たり前の要求だ。
こんなのは絶対に間違っている。間違っている。それとも、この憤りが
間違いなのか。行き過ぎた思考なのか?例えばそうだとしても。
私の頭を、いつまでも。人々の口から漏れる言葉はピースだけ。
いつまでも。ピースと涙を流したその姿が。いつまでも、離れない。



2003年05月01日(木) 敵わないもの達。

以前書いた事がある。植物と動物には優しいです、と。
その変わり人様にはめっぽう強気なのですが。
昔から自分の回りには動物がたくさんいた。
特に小さい頃は犬がたくさんいて。大きい犬も子犬も。
生まれたばっかりの赤ちゃん犬の可愛さはもう殺人的で。
コロコロとしててよく食べよく遊びよく甘える。
何をするのもその子達と一緒。野球も一緒。
でも野球にならない。ボールはその子達の友達になってしまうから。
ある日大人の犬を散歩に連れて行った。いつも父に教えられてる道で
父が犬の首輪を外してあげてたのを思い出した。
兄と二人、父の真似をして首輪を外した。自由になった犬は
帰る時間になっても嫌がって、ついには威嚇を始めた。
完全に舐められてたんだと思う。いつもは可愛い犬が怖くて怖くて。
泣きながら父を呼びに行ったのを覚えてる。犬はあっさり…というか
当たり前のように父の前に屈した。いや、父に懐いていった。
誰が一番好きか分ってるその姿にうらやむより畏敬の念が先行した。
お父さんって凄い。父が格好良く見えた日だった。
それから初めて中学校で作文ではなく物語を作らされた時の
題材も犬。確か最愛の犬とのお別れの話。…暗い子だ…。
それは紛れもなく経験した事実で。そう、生きてるものの死に
真っ向からぶつかったのも動物が初めてだった。
確かひよこ。不注意で亡くしてしまった大切で可愛いかけがえのない命。
いろんな初めてやいろんな気持ちを彼らに与えられ、大人になった。
人間はとても若い生き物で。他の生命体からみたらそれは赤子のような
もの。だからたくさんの事を他の生き物から学ぶのだ。
人同士。他人がいるからこそ孤独を知るのと同じように。
動物がいるからこそその命の尊さを知ったり、愛する事を知ったりする。
今は一番近くに猫がいて。野良の日向ぼっこしてる姿に笑顔を貰う。
この世に生きる全ての動物たちが愛おしい。
海の動物も陸の身近な彼らも鳥だって。何て命の神秘を思わせる。
可愛がってあげるなんて滅相もない。いつだって与えられるのは人間の方。
いつだって彼らに許され生きているのだ。
仕方ない。だって人間はまだまだ発展途上の生き物だから。
だからこれからもたくさん与えて。たくさん愛させて。
いつだって敵わないなぁって思いながら、その姿を愛でていたいのです。


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