快賊日記「funnyface」

2003年04月29日(火) 一番最初は家族から。

ずっとご無沙汰してる間に、もうゴールデンウィークですね。
今年はかなり飛び石の様子。出かける予定も立てにくい感じ
でしょうか?うちらは全く関係なくお稽古です。多分…。
長いお休みは必ずといっていいほど何かしら思い出を
繰り返してしまいます。ゴールデンウィークは何年か前に
家族とピクニックにいった思い出があります。
本当によく晴れた日で。お弁当を持ってワゴンに乗り込んで
犬を連れて行きました。
行った瞬間にまずはお弁当。ピクニックって何が一番楽しいって
お弁当以外の何ものでもないと思う。
何で空の下で食べるご飯はあんなに美味しいんだろう。
小さな子供を連れた家族の中でうちはでかい奴らばっかで。
それでも当たり前のようにはしゃいで。
皆でバレーボールとかしたり駆けずり回ったり。
犬はもう嬉しくて興奮しすぎて呼吸困難。
犬も子供に帰ったようだった。あれから少しも経たない頃
その犬は交通事故で家族の前からいなくなってしまった。
あの時撮った写真を見るたびにあの子の愛おしい姿が蘇る。
悲しいけど、あの日皆でピクニックにいって本当によかった。
誰から言い出したのか。今更この年で家族でゴールデンウィークに
何をするでもなし。なのにあの年はピクニックをしたのだ。
決まり事のように。犬を連れて行こう、喜ぶからと。その言葉で
実行されたのだ。誰も先の事なんか知らないし思い出を作ろうと
思って何かをする訳でもないのに。あの年あの日が今では大切な
思い出になっている。家族との思い出はこんな感じ。
必ず長い休みに思い出す。夏休みも冬休みも春休みも。
いつだってあったかい笑顔と共に自分はあるんだなと実感する。
好きな物。最近更新してなかった日記の新しい特集はこれでいこう。
じゃないと根が暗いから窮屈な文ばかりになってしまう…。
そう思い立って一番最初に浮かんだのは家族。あの家。
好きと大事が混ざったもの。このありきたりな人間のありきたりな心に
一番大事で一番好きな物は「家族」です。



2003年04月14日(月) ケンカ。

空白の日を覚えている。
まるで何もなかったような真っ白な日。
色は透明。風は凪。空は…きっと晴れ。
当日は断片的に頭をよぎる。見慣れた誰かのゆがんだ顔と
薄れた記憶のその人の伏せた瞳。
自分はといえば何かを待つように何かに耐えるようにジッとそこに
佇んで。そしてどん欲で平凡で健康な自分を恨んだ。
心と体は案外別々の生き物で。どんなに辛いと思っていても
おなかは空くし眠くもなる。それを罪だと思ってしまえる程に
子供で、その罪を許せない程潔癖だったあの頃。
どうしたって涙が止まらなくなる。
それは大切な人との別れのため。それは人間として当たり前に
存在してる自分を責めるため。こんなに悲しいのにと唇をかんだ。
今はそれが当然の事だしだからこそ生きているんだと
思えるけど、同じ日を迎えれば変わらず心は悲鳴を上げる。
決して慣れる事のない痛み。空を見上げて手を合わせて
自慢出来る事は何一つない。懺悔をして許しを請いくじけぬ心を
誓うだけで精一杯。そうすれば馬鹿みたいにまた泣けて来て。
自分はあの頃から何一つ変わってない。子供のままだ。
見上げる空が高い。それはあの頃に足踏みをしてたせい。
たった一つだけの笑ってる写真に何度も口を寄せ。
亡くした事じゃなくそばにいられた事に感謝をする。
同じ後悔を繰り返すかもしれないけど、もう前に進むしかない。
早く早くたどり着いて報告出来るように。後悔は少な目に。
永遠じゃない命をあの日去ったあの人は教えてくれた。
忘れられない日がある。空白の時。今はもうそれすらも日々の果て。



2003年04月08日(火) リフレイン

TOPの壁紙を変えてみました。
遅まきながら桜です。快賊に桜なんて全然似合わないと
思うのでやめておこうと思ったのですが。
今年は遅かった桜がようやく咲いたのに、ここの所
雨続きで散るのが早そうなので、代わりにうちでもう少し
咲いていてもらおうと思いやってしまいました。
こう見えて花がとても好きです。三次元で自分を知らない人、
すみません。こう見えてってどう見えるんだよ!ですね。
えーと…花ごときが何の足しになるんだよ!とか、
花が腹をふくれさせてくれんの!?とか、いいそうに見えます。
ですが、実は植物と動物には一目置いてます。
その変わり人間と現金には非情で非道なので、行って来い。
バランスとれてるんではないかと。
いや、自分の人となりなどどうでもよいです。
とにかく花がとても好きで、かなり愛でます。
桜の美しさに圧倒され、上を向いたまま口空けて
チャリンコに乗って疾走してます。気がつけばペダルも適当になって
うっかり飛び出しです。とっても迷惑です。チャリンコ身投げ。
それでも毎日のように桜を見ては惚けてます。
そしてつい先日ひまわりを見ました。それはそれはでっかく、
見事なまでの咲き誇りっぷり。見なさいと言わんばかりに真っ直ぐに
背筋をのばして、こちらを向いてました。
そして案の定やっぱりうっかり愛車チャリンコで身投げです。
見惚れて口からため息。いや、別に自分の生活がチャリンコで
始まりチャリンコで終わるって事が言いたい訳じゃなく。
花はたくさん人を形容します。歌になったり言葉になったり。
こんなにも多くの人の人生や生き方や心を形容する花。
堂々と力強く咲いてるその姿を見ると、そうであらねばとつくづく
思うのです。何度でも咲き誇り、何度でも潔く散っていける。
それは自然と同化して。風に吹かれ雨に打たれ散って行く。
それでも深く深く地に根を張って。そして水を吸って大地を吸って
生きている。呼吸するバランスは決して崩れない。
それこそ歌うように滑らかにしなやかに。
いつも同じような事言ってる。同じような事思ってる。
まるでこれは確認。圧倒され責め立てられるように何度でも思う。
そんな事を思って嬉しくなる。そうしていつの日か、
大輪の花を咲かすためこの身を捧げて生きていく。


 < 過去  INDEX  未来 >


快賊船 [HOMEPAGE]

My追加