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2004年09月30日(木) BBS communication.


このenpituさんでは有料版はアクセス解析がついており、
どこからここへ遊びに来てくださるのか
だいたい把握することが出来るが
一方ではたまに
「なんでこんなところから?」というのもあって
管理の方が辿ってしまう不思議なものです。

大体はその「足跡」が把握できるものの
どんな思いでここにくるのかは
その人の心を読むしか他がなく、、、
ってそんな事は私には出来ません。

私と掲示板については
他の場所で色々と過去があり
言葉の行き違いだったり、
心無い書き込みに抗議したり
泣かされた事が多々あったので
ここには設置しないようにしていたのです。

掲示板では
手紙のように詳細に書き込むことは出来ないし
公開のお手紙になってしまいます。

手紙は逆で
自分の居場所(アドレス)を感づかれたり
ちゃんと返事しなくては、の追い込まれる気持ちが作用して
なかなか書けなくなったりするようです。
手紙交換で長い間続けるのは
大の手紙好きじゃないとお辛いかと思います。
時間もかかりますしね。

そう思うと掲示板の方が
相互的に繋がりやすいのかもしれませんね。
それと自分の拙い文章が
読み手側にどんな風に伝わったのか
それが私は知りたかった為に
掲示板を設置したのです。

私は設置するにあたり
自分の中でルールを決めました。

色んなルールをつけても変な人はくるようですが
それは一人で悩まないよう気をつけること、
あまり堅苦しいばかりだと読まれるのも辛いでしょうから
コンテンツを少々逸脱した書き込みでも
他の人がご覧になって又は私が拝読して
不愉快に思わなければ良しとしています。

気軽に声かけてください。
といってもルールは多少なりありますが
最初は上手く話せないこともあるでしょうし
少しづつ書き込んで下さると嬉しいなと思っています。
返事は多少長くなる傾向があります。

そうそうここでは
紅茶専門の喫茶店のイメージ、
お喋りな女主人という事で
しばしBBS communication
お付き合い下さればと願っています。


ある日の「夢の国」の一枚。寒かった〜。


2004年09月29日(水) 月の兎


昨夜は仲秋の名月でして
近所の和菓子店にて団子を購入し
見え隠れする月を眺めておりました。
雲が邪魔しているのです。
それも月の輝きが
また綺麗に美しく見える気もして。


小さい頃どうしても解せぬ事がありました。
「なぜ皆には月にいるのは兎に見えるのだろう」
月の表面の表情がいつ見ても
餅をついている兎に見えません。
とても悲しく感じたことを覚えています。


地球上の場所によっては女性に見えるとか
動物にみえるとか調べれば
いくらでもでてきそうなのですが
日本では兎に見えるらしくて
親に聞いたときには信じられなくて
何度も同じ質問をしましたら
怪訝な表情でした。


しかしある時眺めていましたら
なんとなく兎が月に寄りかかっているように見え、
大声で母親を呼びました。
その夜は嬉しい夜になったのです。


今思えばどんな風に見えていても
月を眺める思いは人それぞれなのだ、
と月見しながらお酒を嗜む事が出来ます。
昨夜は穏やかで少し肌寒い風が
心地よく感じられました。


2004年09月26日(日) もうすぐ十五夜


秋の空を眺めつつ
思いを寄せる時間は
とても大事な事。

天候が危ぶまれていますが
きっと月が
顔をだしてくれることを祈りつつ
眠りにつくことにします。

おやすみなさい。


2004年09月25日(土) 夢の国


大人であることを忘れる場所というのは
いくつもあるだろうか。
私の役割は今は幾つも抱えている。


それを忘れる場所は
あなたはどこにありますか?


紅茶を飲みながら小説を読むとき
カメラのファインダーを覗く
友人に手紙を書く
カウンターでお酒を嗜む
カラオケでシャウトする
などなど


私の「夢の国」は
心のアルバムと同様
大事にしていきたいと思う場所です。


2004年09月24日(金) 無花果


飛び込んだ喫茶店の甘い香りにつられて
無花果ジャムのかかった、
パンケーキと紅茶を頂いて
短いティータイムを過ごす事にしました。

仕事が終了しお腹が空いたせいか
一気に平らげてしまい、お店の人に
「おかわりっ」と言わんばかりの食べ方。

夕方の中途半端な時間で
甘いものを食べる人はおらず
右隣をみれば大きなボウルに青々としたサラダを
携帯メールしながら一人で食べ、
左隣を見れば談笑しながら
女性のグループは
野菜スープを飲んでいらっしゃる。
甘味厳禁ですかね、この時間帯。

仕事の仲間で一人
そんな無花果に目がない女性が一人いて
「無花果の生ジュースを飲んで美味しかった」と
誇らしげに話していた。

無花果をスライスすると皮側の方は白いのに
中心部分は赤い色をして柔らかな食感。
そして秋の食べ物なんですね。
独特の酸味がまたいいのかもしれない。
形も独特で愛嬌の有る果物
そこがまたいいのかな。



2004年09月23日(木) 生シュークリームと珈琲と秋の空


3年前に家族でDisney seaへ
総勢8名の3代家族旅行、
開園月に、それも園内のホテルで過ごした。


天気も晴れ模様を演出してくれ
父の体調も機嫌も
そして駄洒落も絶好調だった。
孫にあたる私の子供や甥は
父のやる事なすことじーっと見つめていた。
二人ともまだ話すことがままならない
赤ちゃんだったからだ。


2つとった部屋は
1つは寝るだけの部屋になり
宿泊旅行を苦手とした父の周りは
笑い声が絶えなかった。
園で過ごすより
とてもとても温かい夜の時間だった。


次の日大事をとって
昼食をとってから園を後にした父。
数ヶ月前は入院していたの後姿は
母と寄り添って小さく
遙か遠くに消えてしまった。


最初で最後の3代家族旅行は
笑顔で一杯であった。


*******

お彼岸の或る昼過ぎ、
父が眠っているお墓を尋ねた。
手に持ったリンドウの花々が
墓に近づく度小刻みに揺れている。

生前彼が好きだった甘いものといえば
シュークリームと
温かい珈琲は缶コーヒーに変えて
写真の前にお供えをし、手を合わせて。

和菓子独特の甘味が苦手な父は、
甘さ控えめの、
生クリームだけのシュークリームを
ちびちび食べては温かい珈琲を飲んだ。

秋の冷えた空気が漂う彼の工場は
珈琲の湯気がとても似合っていた。
学校帰りに工場の窓越しに見つけては息を殺して眺め、
2階の自宅へ帰る、そんな日常。


あの頃は幸せというものを
何もしらずにいたけれど
いつも温かいものに包まれていて
それはジンジン感じていたんだ。


父さん、
秋の空は大分高くなりました。
墓前のシュークリームと珈琲、
どうぞ召し上がれ。


2004年09月22日(水) 真っ白な手帳..


知らない街へいくと必ず立ち寄るのが
本屋と文房具屋。地図とメモ帳を手に入れるためです。
なんとなく立ち寄る事で安心するのです。
新しくなる勤務地の近くで立ち寄った文具店では
来年度の手帳のリフィルが並べられています。

来年度の使用するのは
お事始めに合わせて12月からが
来年一杯のスケジュールを書き込む事が
出来るものが多く出回っています。
近年は11月から使用できる
リフィルも見かけるようになりました。

私が使用しているのはシステム手帳。
月別カレンダー、週別カレンダーを
3ヶ月くらいセットして使用のほか
年間スケジュールとメモ代わりのカラーのものを
使用しているのが基本となっています。
ボールペンとカラーのペンを使用して
スケジュールに書き込んでいきます。
無くした万年筆の代わりを
見つけることが出来ずにそのまま過ごしています。

毎年手帳のリフィルでは迷う事が多いですね。
一応基本はあるのですが
「コレを使ったら面白そう」「使いやすそう」
毎年決まっているのだからそれを使えばいいのに、
一方では苦笑いしつつオプションが増えていきます。

喫茶店でそんな事を考えながら
珈琲を頂きながら窓の外の雲を追いかけ、
真っ白な手帳に誕生日や記念日、行事を書き込む時間は、
これから、または来年はどんな事をやろうか、
そんな事を考えると楽しくなってくるのです。


2004年09月21日(火) ツーカーっていつもはいかないけど


妹と行き違いが生じてしまった。
(一応私が姉という事にこの世はなっている)
電話のやりとりとお互いの言い方が
よくなかったようで引くに引けない状態になった。
あーあ素直じゃない私だ。


こんなの何年ぶりだろうか
凄い頓珍漢なことを
一方では考えている私。


いつもであれば
あーだこーだと繋がる話題が
どうもしっくりこない。
言えば言うほど
溝が深まっていくことがある。


余計に怒ったりして
皮肉ったりして
電話の向こうの声は不機嫌だ。


「時間くれない?もう一度電話するよ」

少し時間が経てば
棘棘の会話も先が丸くなるだろう。



妹だから分かる事もある、
逆に分からない事もある。
近づきすぎて
見えなくていらいらしてる。
それでいいんだ、
見えなくていいんだ、人の心。

だから近づきたい為に
知りたいために
言葉を投げあうんだ。
もう少しだけ時間を頂戴、お願い。


2004年09月20日(月) ちゃんと挨拶していこう


毎朝憂鬱にはなるけれど
やらなくちゃいけない事がある。
でもその人達の顔を想像するだけで
いえなくなってしまう事がある。

サヨナラを言うか言わぬべきか。

会社の部署の勤務先が引越しとなり
今通っている街にはあと少し僅かな時間だけ。
それは誰にサヨナラしなくてはいけないのか、
毎朝通っている珈琲店のスタッフさん達である。

黙っていけばいいのかも、
そう最初は思っていた。
別に親しくはないのだし、
朝だけのつきあいだし、
大勢のお客相手に商売されてるのだから。

どことなく後ろ髪引かれる理由は
毎朝挨拶と少しお話してくれた事、
自分だけの優越感は過剰かもしれないが
他のお客さんよりほんの少し有る。
名前を覚えてくれた。
いつもの珈琲が注文しなくても
目の前に出てくる。
日々愛着が沸いてしまう魅力がここにはある。

辛い日の朝も暗い空の下でも
私にとって居心地のよい朝の時間だった。
通いなれた勤務地のこの街を去ることより
居場所のある珈琲店を去ることがとても寂しい。

私が居なくても居ても
あの珈琲店は変わらない毎日がやってくるだろう。
小娘とはいえない女をお客として
接してくれた事を感謝したい。
ちゃんと挨拶して新天地へ行こう、
そうすればまた笑顔で
ここに顔を出す事が出来そうだから。

ちゃんと言えるだろうか
いや悲しい顔でいうのだけは辞めよう。
「さようなら、でもまた珈琲飲みにくるからね」
笑顔でそう言える気がする。


2004年09月19日(日) 微熱


飲み会が終わって
実家へ向かう都会の夜の明かり
実家の近くへ行く夜のバスも
赤いランプを灯して
もう発車してしまってもうない。
仕方なく違う路線に乗り
タクシーの拾える場所でバスから降りた。

昨夜は蒸し暑かった。
今まで涼しい夜になれていたから
寝苦しかった。
寝ているような寝ていないような
夢をみているような現実なのかそんな夜だった。

起きたら実家の自分の部屋だった。
当たり前だけどちょっと驚いた。
遅くまで飲んでしまったせいかな。

母と預かってもらった子供と3人で食事をし
そのあと2人は公園に出掛けた。
昔から実家にある小説達を
父の仏前の前で片っ端から読み耽っていた。

喉に痛みを感じて少し横になった。
寝苦しい夜のつけだったのか
あっという間に主人が迎えにくる時間となった。

風邪引いたかな。

額に手をあてて
すこし熱い気がした。
微熱だろうか。
この街の誰より早く
布団に潜り込み
明日へ旅立つ事にした。


2004年09月18日(土) 泣く大人


丁度電車の中で
江国香織著「泣く大人」を読んでいる。
前回の「泣く子供」をどこで
読んだのか覚えていないのだが
その中の「ビリーへ」という章がとても印象的だった。

話は変わるが泣く大人を見ることが少なくなった。
たぶん「人前で泣いてはいけない」ということが
誰かの心の隅にあるせいだろうか。

会社で知り合い仲良くして頂いた女性が
あと数日で契約期間を終了して休暇を取るのだと言う。
南の島でゆっくり家族と過ごすとの事
「何もしない事がどんなに贅沢か楽しみだ」
彼女の屈託のない笑顔は
どこでもやっていけるだろう。

それでも契約終了期間が近づくと
彼女はすこし感傷的になっていた。
話しかけると彼女の目がとても潤んで見えた。
それは契約が終了して
お休みに入るという嬉しさではなく
もうすぐ仲間とお別れをするという
寂しさのせいだった。

契約を継続するかどうか迷ったとき
相談を持ちかけられたのは正直とても嬉しかった。
あまり人に相談を持ち込まれないせいもあるのだが
たぶん「会社の人」ということではなく
「人」としてみてくれたこと。
当たり前の事だが彼女がしてくれた事は
とても大きな意味があると思う。

たぶん最後の日彼女は
顔を真っ赤にして泣くだろう。
そう仲間内では話している。
知らぬ大人の職場の人たちは
「なんで泣いてるの?」と首を傾げ
仲間内では笑ってしまうけれど
それはやがて笑いはなくなって
心の涙が溢れてしまう
そんなお別れがもうすぐやってくる。


2004年09月17日(金) 写真を撮る人撮られる人 〜 写真展を見に行く.


会社の帰りバタバタしながら
写真展を観に出掛けた。
お知らせ葉書の地図を何度も見ながら
そしてドキドキ胸に響く鼓動をさせながら
街の雑踏を歩く事になった。

昔の恋人の言葉を思い出してた。
「写真一杯撮ったら
 瑠唯の写真展を開いてみようか?」
お悪戯っぽく笑った顔は
もう今は見れなくなってしまった。
苦笑していたが半分本気だったんだよ。
実現する気力だけおいてけぼりになった。

写真展を開催されたYさんとは
WEB上にて言葉のキャッチボールさせて頂いて
図々しくもお知らせお葉書を送付をお願いしてもらった。
毎日毎日「あと何日」と指折り数えた。
写真たちに直に会えるのが嬉しかったのだ。


ただ気がかりはひとつ。
私の人見知りする点だけだな

ビルの6Fにあるスペースで行われていた。
美術展や報道写真店、写真展も飛び込みで出掛けたものの
こういう形の写真展は初めてでとても新鮮だった。
見て触れる(といってもベタベタするというのではなく)し
レイアウトも気持ちの表れだから
とてもフインキがありました。
毎日少し筒変わっているようなので
それも見る側にとっては嬉しいものだけどね

デジタルカメラをもっていけばよかったな。
撮られる側はどうも苦手だ。
撮る方が居場所を
確保出来るような気がしてならない。

「どなたのお知り合いですか?」

たどたどしく私は名前を告げると
今は外に出掛けてる事
もうすぐ戻ってこられるとの事
そう聞いてからお茶を頂いた。

色んな写真たちと言葉と
それからノートに足跡を残した

「夏が名残惜しい気持ち」と

中央のテーブルで
アンケートに書き込んだら帰ろう
会社が思ったより仕事があって
すぐ帰らなくてはならなかった残念だけど

「瑠唯さんですか?」
「え?Yさん!?」

顔を上げてみると目の前ににこって
笑ってそのままテーブルに座った。

あれこれと写真展の話や
気に入った写真のことを話した
そしてここにいる時間が短い事を悔いた事

「写真いっぱい撮って下さいよ」

そうだね、いっぱい撮ろう
今度持ってこよう。そしてYさんに見てもらおう。

言葉と笑顔と出会えた嬉しさは
また写真とお話が出来るように
私もYさんにハグでお礼をした。


2004年09月16日(木) 本が好きな人.


待ち合わせをする時
片手に本を読んで彼は待っていた
そんな場面をよく思い出す。
付き合ってるのに
なぜか羨ましく思うときがあった。


なぜかおつきあいする男性は
本を沢山読む人が多い。
しかしみんながみんな
待合場所で本を読んでいた
わけではないのだけれど、
本を沢山読むイメージがある。

それはその人が
本を読んでいる場面に居合わせたり
本の内容を私に教えてくれたり
本をプレゼントして頂いたり
部屋に本がびっしり置かれているのを
拝見しているせいだろうか。


なぜこんな事を書くのかというと
たぶん世の中で私ほど本を読まない人は
いないだろうと思っているから。
本を読む人、本が好きな人は
私がいる向こうの岸側に
いるような存在であって
あんな風に本と仲良くなりたい
そう心の底では思っているのだが
なかなか本と私の結びつきは
細い線のような気がしてならない。


恋をすると普段より本を読みたくなるのだ。
その人が好きな本または読んでいた本
お部屋にあった本等
その人をより知りたいという気持ちと
その人になりたい気持ちと同時進行で
読む本の数は多くなる。
私の寝床の近くに読破しては
本は高く積まれていった。


多少若い頃よりは
本は読むようになってきたが
自分の中で好きな作家というと
すぐ頭の中からその作家の名前が飛び出してこない。

本の内容よりも
作家のあとがきが好きだったり
あとがきや本の帯や装飾で本を選んでしまう私は
本が好きな人の側に
まだまだ辿りついていないような気がするからだ。
もっとその作家の本が読みたいというようになれば
本が好きな人の気持ちも
もう少し理解できるのかもしれない。


本屋の好奇心溢れさせるような
雰因気は好きで毎日通いたくなる。
本質的に本が好きなのかと尋ねられると
胸を張って応えられないのだ。
「本が好き」な人にとても憧れている。


2004年09月15日(水) 鏡の世界の私


三面鏡を結婚のお祝いとして母が持たせてくれた。
だいぶ年月が経過するが
1時間も目の前に座った事がない。
鏡の向こうの自分と向かい合うのは
10分くらいだろうか。
鏡の前は落ち着く場所という所ではないようだ。

しかし鏡の向こうの自分はどんな気持ちで
ここにいる私を見ているのだろう。

鏡の世界の私は
いつでもどこでも繋がっており
家の三面鏡の前で化粧をしている時、
出掛け先の喫茶店の窓側で珈琲を飲んでいた時
ホテルの化粧台の前で恋人と戯れていた時も
気持ちが高揚していようが沈んでいようが
そんな自分を鏡の向こうの奴はじっとみている。

鏡の向こう側をみようとする時
自分の内面の核へ届きそう感覚に陥る。
叱咤の声も歓喜の想いも渦を巻いて見えてくる。
日常の私に帰りたくなるのだろうか、
ふとした瞬間鏡の前から離れてしまうのだ。


2004年09月14日(火) あの時の男性の顔


セックスの相手の表情に見入る事がある。

大きな鏡の前でまたは化粧台の前で
裸で立ち姿になったときに
背後から私を抱きかかえるとき
首筋にキスをしながら
両手は胸へまたは股間をまさぐる時
体の中の愛撫されている感覚と
鏡にうつる相手の表情で
快感の渦に巻き込まれてしまう。

男性の相手の人を気持ちよくさせたいの表情は
とても悩ましくうつる。
「剛健」といった男性のイメージは
柔和な表情をみせたり
動物のような「無」の表情になったり
七変化をみせてくれる。

目を閉じて一心に愛撫する姿に
私の中の感覚が鋭くなる。
相手がどのように愛撫するかを見たり
体の感覚にまかせたりすることで
心の温度もジリジリと上がっていく。
男性の気持ちが私の中心に歩み寄って来るから。

目を見開いている動物的無の表情は
人である以上切っても切れないものだ。
何も声をかけられないくらいのその顔は
時に恐怖を感じる事もあるが
その後のピロートークや戯れ
男性の優しい表情によってその恐怖は消滅してしまう。

女性は受身に徹しない方がいい。
感じたままを相手に言葉で伝えたり
体で表現する事によって
あの時の男性の顔は更に魅力的になるのだから。

私はあの時の男性の顔がとても好きだ。
そしてその時間を愛している。


2004年09月13日(月) 放って置いてもいいんだよ


「あの人とはどうなったの?」

そんなメールを頂いたのですが
苦笑いをしたまま削除しました、
ごめんなさい。
こちらから話すまでもないのに
なぜ人の関係を知りたがるのか、
それはきっと聞く人は
その人が私の人の関わりの位置関係を
探っているからです。


人の繋がりはどんなものかは
その人と繋がった人との間しか
わからないものだと考えています。
他の人がとやかく
口を出すものではないのです。


放って置いてもうまくいく人間関係
そんな関係をあなたは繋げている人はいますか?


声を掛け合って
前へ進む関係もとても素敵ですが
私にとってはしばし声がなくとも
温められる関係を持っています。

私には高校や短大のときの親友です。


彼女達が普段何をしているのか
さっぱり検討がつきません。
でも私がいないと何もできなくなってしまっては
私はとても困るのです。


ただ好きになると
好きな人とその周りの人の繋がりがきになるものです。
最初から話をすれば
気にはならなくなるのだけれど
そうではない場合
複雑な気持ちを胸に抱える事になりますね。


一呼吸置いてその人の話を冷静に聞いてみると
なんだそういうことなんだ
と納得できるものでしょう。

それでも納得できない場合
きっと自分が思っているものと違う事に
嫌気が差すのかもしれません。


相手が自分の話に納得しない場合
すこし心の距離を話すのも
いいのかもしれませんね。
何度も話してもわからない相手は

・その人の心が疲れている
・自分の気持ちにしか興味がない
 などなど

いろんな事が考えられるのですが
ちゃんとその人の話を聞かないことには
自分の思っている事も
ちゃんと相手に言えなくなってしまうでしょう。


自分の事を少し離れて見ることが出来る事、
それを見失うと
相手に話す言葉も自分勝手な言葉のボールばかりに
なってしまいます。

少し放っておきましょう、
相手が冷静になるまで、
そして繋がろうとしているのならば
ちゃんと伝えたいし
少しだけ私の事を理解してほしいから。


2004年09月11日(土) なんとかなる.


いつも困難と苦しみから
生き抜いてきたかというと
首を傾げるところがある。
亡くなった父に言われた言葉
「お前は考えない奴だな」
そう、私はそんな奴なんだなと思うことがある。

子供の頃ふと思った。
「なんでこんなに手がふやけるのだろう?」
鉛筆を握った手は緊張と不安のあまり
沢山の汗をノートの紙に吸わせてしまう。
手を拭いても洗ってもどうしようもないことだった。
民間方法も底をつくようになって
母の私への悲しそうな顔をみたとたん
手首から先の手は
私の体の一部じゃないようにいつも思うようにした。

友達は元より好きな人が出来ると
最初に手を繋ぐ事を一瞬躊躇する。
こんなに油っぽいそして水に浸ったような手を
好きな人に受け取ってくれるのだろうか。
言葉で「君の事好きだよ」と言っても
体は素直に反応する。
その反応に私の心はは敏感になってしまう。

大人になると更に限定されて症状があらわれた。
仕事が多忙になったり
環境が大きく変化したり
そうなると私の両手の掌は
小さな水泡が多く出来て
それがやがては破裂し皮膚が破れてくる。
その様を私は人に見せる事はなかった。

全部が剥がれ落ちると
何事もなかったように
普通の手に戻る。
一時的な手のその姿が
余計に「醜い」ことを長い間捉えていた。

「病気」だと思えば
それはそれで治療という道が開ける。
色んな薬をつけてみた、
色んな方法で試してみた。
長年闘っていても
自分の中の根本的なところが
改善されなければ
おなじ症状が出てくる。
それが私の答えになった。

だからこれが自分の特徴だと思えば
それはそれで生活は出来る。
流れる自分の中の季節達を感じるには
手に出来た「体からの悲鳴の涙」を
止めずに流す事だと分かったから。

なんとかなる。

その考えが私の中で生きている限り
他の事は考えないでいたのを
父は知っていたと思われる。
というのも今では父の本当の心の内を知ることは
出来なくなってしまったからだ。


2004年09月09日(木) 絵を書く人.


その人が気になったのは
私が出来ない事をやってのけていた。
吃驚して声にならなかったけれど
不思議な感覚に陥った。


私は写真を撮っている。
芸術というには遙かに遠いもので
私の記録として写真を撮っている
そういえば今の私に
ぴったりな気がしている。


写真を撮る前は
鉛筆でデッサンばかりしていた。
油絵も水彩画もせず
ひたすら鉛筆画を書いては
クロッキー帳を真っ黒に埋めていく
そんな描き方をしていた。


でもある人に
「そんな事をやるなら
 瞬間ごと切り取るほうが
 君には向いてるよ」
そう言われてカメラを持つようになった。


風呂場とトイレを暗室代わりにして
何時間部屋を篭り
フィルムの山を処理したのか
今は覚えていない。


今夏、突然舞い込んだ言葉。

瑠唯さんは写真撮ってるんだね。
絵を描いてみたいな


よく理解が出来なかった。
私をモデルということではなさそうだ
しかし絵を描くって何のことやら
そう迷って返事が出来ずにいたら


僕は写真はやらないけれど
絵を書くのが趣味なんだ。
写実って知ってる?
僕の絵はありのまま描くことなんだ



何枚か私の写真の絵を描いて頂いた。
写真とまた違う味わいに
なんともいえぬ快感が走った。


思わず手紙に私は彼にお手紙を出した。

不思議な気持ちなんだよね
自分の写真だったのに
元々あなたの絵のような気がする




手紙は苦手なんだ、といってた
彼からお手紙が届いた。

何言ってるの、
これから一杯写真撮って見せてね


温かい想いが溢れる、
お手紙はその2行だけだった。


2004年09月08日(水) 朝型人間


今朝の天候は風が強くて
木々を思わぬ方向へと揺らしている。
会社へ行く頃はどんな風になっているのか
すこし憂鬱である。

夏が本番になってから
日の出と共に「おはよう」と
夏は早起きさんが多いのか
声をかける回数も増える。
オリンピックだけのせいではない。

朝早い更新の人は大体決まっている。
なんとなく覗くと更新されて
朝を迎えていらっしゃる。
それがとても嬉しかったりする。

気になる人も朝の出勤が早い人だ。
彼のおはようはなんとなく
慌しく出掛けるようです。
たぶん起きて10分ぐらいで出掛けているような
そんな感じで出掛けていっているようだ。

朝がどんなに待ち遠しいか
そう考えれば起きるのも楽にはなる。
段々体のほうが追いつかなくなっても
朝を迎える高揚した気持ちは忘れたくない。

家族が寝ていて自分のしたいように出来る事
静かなその日が目覚めていく姿を
しばし見つめていく時間を過ごす事
だから早起きはやめられない。


2004年09月07日(火) ひとりっきりになって食べたい?


「今日お弁当もってきました?」
お昼近くの時間帯、同僚の会社の人に訊かれた。
「ううん、外で食べようと思ってたから」
そう応えると彼女は嬉しそうに
「お昼どうですか?」そう誘ってくれた。
「いいよ」と応える前に彼女はこう言ったのだ、
「でもひとりっきりになりたい場合もありますよね」
ちょっと彼女らしくない弱気を見た気分だった。

ひとりっきりになりたい場合は
たぶんお弁当持ってきた?と訊かれた場合に
「うん今日探し物あってさ」とか
「振込みあるんだよねー」というようにしてる。
彼女流のさりげなさの言い方かもしれないと
譲歩しつつも少し寂しく思った。
でもきっと彼女の中では誰かと食べたかったんだろうな
という気持ちもあったのを感じてしまったから
何も言えなかった。

注文の際「なんだかボーっとしたくて、あはは」という
彼女の科白が
なんだか会社の人との関係に疲れたのと
仕事に追われているのとダブルで
疲労が重くなって見えた。
食事が運ばれてきて彼女が嬉しそうに食べているのをみて
一緒に食事にきてよかったんだと実感した。
今日はこの選択でよかったのだと。

*****

昼食時間帯にたまに一人で
食堂で食べている女性を見かける。
私的にはある意味羨ましい限りにうつるが
ある人にとっては寂しい人とうつるらしい。
「いつも彼女一人なんだよね」
そう言ってるなら誘えばいいのになと思う。
それは上手に誘えないし
普通仕事やプライベートで仲良くなければ
相手も怪訝そうな顔になるんだろうな。

グループの枠に拘らない私は
たまに違う人とご飯を食べたい時もある
また一人で食べたい時もある
そして仕事している仲間と食べたいときもある
他人に振り回されて食事はしたくないのだ。
そういう気持ちが強いのか人から
「ひとりっきりになりたいの?」
と訊かれる所以なのかもしれない。

ただいつも一人でいたいわけではない。
自分から「ごはん食べにいかない?」いう時もある。
まったく協調性がないわけではない。

社交辞令は食事は仕事以外は抜きにしている。
日本の食事時間は短く、
すぐ仕事という切り替えをしなければならない。
仕事の合間の食事は特に嫌な気持ちを他人にもしたくなし
自分も自由にしていたい。

*****

食事の仕方というのは
環境に左右されるらしい。
毎日欠かさずするものだから。

怒られながら食べた実家での
幼い想い出をまだ引きずっている。
泣きながら食べる食べ物の味は
何も味がしなくてただ寂しいだけ。

初めて恋人になった人と食べた時の事を
昨日のように覚えている。
セックスと同じくらい
充実していた時間であったこと
それは私にとっては
とても嬉しく楽しい出来事だった事を
その当時の恋人は知らずに今も生きてる。

それでいいのだ。

だからひとりで食べたい?
なんて訊かなくていいんだ。
ダメなときはダメだって言うし
それで嫌いになったそうわけではないんだ。
コミュニケーションをとるのは理解してるけれど
ひとりになる事も二人で食べる事も
私には同じくらい大事な事だと思う。


2004年09月06日(月) 逃げ切る覚悟


だいぶ時間が経過していたのと
気を許した瞬間
事態はやってくるものです。
逃げれば追いかけるものなのだなと
つくづく思うことがある。

振り切っても振り切っても
なぜ追いかけてくるのだろう
そう思う程強く作用されるのだろう
人はそういう生き物なんだなという事を
実感している。


夏が終わりほっとしたある日、
手紙として舞い込んだ1通の手紙。
無視した。
追加の手紙はなかったから
安心したのだ。
しかし2週間後更に
重い手紙としてきてしまった。

あーもう!

今の状況と今後一切かかわり持たない事を
告げたにも関わらず
また間髪入れず来るのはいったいなぜ?


話しても無駄な人は
絶対話さないのが私の信条。
そのまま再度削除してみる。


でもここは踏ん張らないと
ずっと逃げる事が出来ないんだ
そう誓った秋の夜でした。


2004年09月03日(金) もうすぐ秋祭り


私の住んでいる街は
9月に入ると
毎週週末は何処かしら
秋祭りを行っている。

目立つように貼られたポスターは
街の人々が足を止めて
見入ったりする姿が見受けられて
自分の中の関心が日に日に高まっていく。

秋の収穫の喜びは
消費者としての側にて
美味しく料理して噛み締めて
色んな事を話していく夜。
時間がいくらあっても
足りない過ごし方を楽しむ。

子供の頃夏に逢えなかった友人に
あったりするのが嬉しかった。
真っ黒になった日焼けも
浴衣に身を包むと
大和撫子に変身して
大人びたものだった。

しかし年をとればとるほど
童心の心に戻るのが早い。
傍にいる子供と
友達のように話しては
目先の遊戯に夢中になるのが想像できる。

秋祭りはもうすぐだ。
夕暮れ時期には
街のメイン通りの上にある
赤と白の提灯に明かりが灯され、
待ちきれない人々の心と一緒に
秋風が提灯をやさしく揺らしている。


2004年09月02日(木) 人の心と秋の空


秋の空は変わりやすいことから、
人の心の変わりやすさを
例えていう「女心(男心)と秋の空」。
高く澄みわたった空模様は
私の目には飽きないものとして映る。


どこへいっても空を見上げては
どことなく話しかけている。
勿論私の心の中だけです(笑)

こう自分の中で今後の天気を予測したり
または雲の形に思いを寄せたり
懐かしい人を思い出したりする。

「また夏を味わえるのかな」
南へ飛んでいく飛行機をみては
なぜか羨ましい気分にさえなってしまう。
そう思うと空はもっと澄んで青く見えた。


そろそろ夕餉時の会社帰りの時間。
近所の空き地にねこじゃらしと草花の森ができ、
その森の奥では秋虫達の声が聞こえてきた。
昼間は夏を惜しんでいたのに
もう秋を楽しんでいる私であった。


2004年09月01日(水) 愛した人も憎んだ人も死ぬ迄忘れないだろう


一度は愛し合ったのに、
お別れしたら忘れられてしまうなんて
たぶん私の中にはそんな人は誰もいないだろう。
相手の存在も憎んでも
忘れたくても忘れない。
それは煩悩のせいなのかもしれません。


どうやっても自分がお別れ話をしているのに
話を聞いていなかったりして
受け入れてくれない、
また大好きなのにお別れを言われて
納得がいかない、
そんな自体になると
自分の中で必死にもがくでしょう。


愛した人も憎んだ人も
生活の中で小さな事で記憶が蘇ったりする事がある。
音楽だったり目の前の人のくせであったり
誰かが発した言葉だったり。
それはつまらないことばかりかもしれない。
しかし記憶は
小さな事柄同士で繋がっている事を実感する。


それは私が良い悪いと判断するのではなく
頭の中で平等に吸収されて収納され
たぶん死ぬときに振り返るときに
大事なものの、そんな気がする。
だからきっと死ぬまで
どんなに私の中で小さな出来事になっても
忘れない事なのだろう、きっと。


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