猫をかぶった仔猫の日々

2001年12月31日(月) ごめんなさい。

皆さん、ごめんなさい。
まだ副作用か頭痛がひどいけど目が覚めました。
皆さんからいっぱい温かい言葉を頂き本当に感謝しています。
年が明ける前に皆さんにこうしてお詫びを出来て良かったと思っています。
本当にありがとうございました。
そしてすみませんでした。

もうすぐ今年も終わりです。
良いお年をお迎えください。



2001年12月29日(土) ありがとう。

HPを開いて色々な方と知り合いました。
とても嬉しく思っています。
社会に適応できない私を見守ってくれて、同じ目線で話してくれた皆様には
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。
皆さんと出会えたこと、わたしにとってとても大きいものになりました。
そろそろ、眠気を感じてくる時のようです。
でも、ちゃんと言っておきたかったから、言います。
いつ言えるかわからないから、今言っておきます。
ありがとう。
いっぱいいっぱいありがとう。
みんな年末で忙しいのに、気にかけてくれてありがとう。
私が目を覚ました頃は年も変わっているかもしれません。
年とともに自分も変わっていればと期待しています。

本当にありがとう。
良いお年をお迎えください。

仔猫



2001年12月28日(金) もう駄目かな?

社会に適応できない、今日実感しました。
もう疲れた、わかってもらわなくても良い、楽になりたい。
すごくすごく不安な気持ち。
助けてください。
守ってください。
安心させてください。
でないと仔猫はもう限界です。

助けてください。



2001年12月27日(木) やはり向いていないのかも?

昨日の日記にも学校のことを書いたのだが、最近考えてしまう。
今の勉強は合わないのでは???
元々、福祉の仕事につきたいとは思っていたのだが
私が今やっている勉強は“福祉住環境コーディネーター”と言った
建築関係が強い分野の仕事だ。
来期からはキャドなどを使って図面も書かなくてはならない。
今、通えている理由は・・・雇用保険をもらうため。
始まった頃は離婚と重なって、勉強どころではなかった。
でも、今落ち着いて(実際は落ち着いてないのだが)授業を受けていても
どうしても理解できないのだ。
もう一ヶ月近くたつのにこんな状態でいいのだろうか?
他の人も同じような気持ちになっているのだろうか?
独身になった今、自立を考えているが、病院の先生からは
“今は休むことの方が先”と言われてしまった。
今投げ出したら、一時的には気持ちが楽になるとは思う。
でも将来的にはどうなんだろう。
色々考えてしまう。
これからのことも含めて決断はゆっくり考えてからでも遅くはないだろう。
資格を取ると考えないで、将来的な勉強として受ければ
もうちょっと違うのかもしれない。

もう少しだけゆっくり考えよう。



2001年12月26日(水) 学校の授業。

今日は学校で実際、障害を持つ方の話を聞く授業をした。
その方は40歳手前ぐらいの方で、生まれる時に首に
へそのおが巻きついていて酸素不足だったのと、未熟児だった為
保育器に入れられていたのですが、当初の保育器は今のように
いい物ではなく、酸素不足のため脳性まひとなってしまったそうです。
お話を聞いて、とても胸が熱くなりました。
彼女(女性の方でしたので)は中学まで普通の学校に通っていたそうです。
1・2年はお母さんが付き添いで授業をうけていたそうなのですが
中学年になり妹さんがいたため、お母さんが付き添えなくなったそうです。
そのことで、授業の進みが遅いとPTAで話をあげられたのですが、
先生がとても良い方で“勉強は教科書だけではない。今はわからなくても
みんな違う意味での勉強をみんなよりしている。それは大人になってから
とても貴重なものになるでしょう”と言ってくれたそうです。
私はその先生に彼女が会えてよかったなと心から思っていました。
先生は彼女が障害の為、出来ないと計算して言ってることを見抜き
彼女を健常者と一緒のように怒ったそうです。
彼女も自分が楽な方向をわかっていたらしく、何かにつけて
“障害があるから出来ない”とそれまでは言っていたそうです。

いじめや障害者と差別されることが非常に多かったのですが
今ではこのように講座を開いてくれるまでに苦労した分、
彼女は立派になられたのだと思います。
ここではあまり説明できないですが(かなり長くなってしまうので)
彼女の言葉で何点か私も共感できる部分がありました。
“頑張ってと言われても、私頑張ってるんだけど”と
いつも感じるそうです。
私もその言葉に関しては同じ意見を持っていたので
彼女が伝えたいことがとてもよくわかりました。

とてもお話が好きな方で積極的に生まれてから今までのことを
話してくれました。

この学校に通っていて、今日ほど充実した日はありませんでした。

彼女が話してくれたこと・・・私もずっと忘れないでしょう。
いや、忘れてはいけないことだと思っています。

今日は貴重な体験を出来たので良かったと思いました。
いずれ私が勉強していることもHPにしたいと考えています。
資格を取る取らないは別として、高齢になったら絶対役に立つことを
勉強しています。
只今、勉強中ですので、わからないことも多いのですが
皆様が疑問に思ったり、聞きたいことがあればBBSもしくは
メールにて連絡いただければと思います。

とか言っていますが、実際私のほうが聞きたいくらいです(^^ゞ



2001年12月24日(月) 楽しいクリスマス!

今日は姪と甥を呼んでクリスマスをしました。
姪とはプレゼントを買いに隣の駅まで自転車で行ってきました。
甥はまだ2歳なのでお菓子が入った長靴が一番嬉しいみたいです。
姪は3年生なのでほしいものがちゃんと決まっている。
それをさがしに3つほどお店を見て歩いたのですが
どうやら終息していた商品らしく、違うものを買うことになった。
父からプレゼント代として5千円もらっていたので
もっと高いものなら私が負担することにしました。
それでおさまるなら、違うものを買ってあげる約束をしました。

今のおもちゃって、大人もほしくなりそうなものが
いっぱいあるんですね。
姪は子供用ノートパソコン風の物を買いました。
やはり5千円では済まず、私もカンパすることになりました。

そして実家に帰ってきて、みんなでクリスマスをしたのですが
私の家は息子、娘がよく来るのでいつもと一緒の食事会と
なってしまいました。

一時間ほど前に終わったのですが、おなかがいっぱいで苦しいです。
眠くなってきたし、今日は薬なく眠れそうな予感です。

でも、甥や姪は可愛いのだけど・・子供って何であんなに
パワーがあるのでしょ?
それを世話している母親はとてもすごいなと思います。
私も子供がいたらそうなるのかな?

でも、まだ子供でいたいから、今日は枕元に靴下ぶら下げて
寝ようかなと思っています。

皆さんのところにもサンタさんが来ますように。

メリークリスマス。



2001年12月23日(日) なぜするのだろう?

昨日またODをしてしまった。
だから今日はあまり体調が良くない。
でも、1時過ぎに母に起こされ起きようと思ったのだが
薬が切れていなくて起き上がれない。

でも母は私を起こしたと思い込み、出かけて行ってしまった。
ようやく起き上がり、母から頼まれたことをやらざる終えなかった。

まあそんな話はいいのだが、なぜODをしてしまうのだろう?
眠れないから?ずっと寝ていたいから?現実から逃げたいから?

理由はわからない。
でもしてしまう。
しかも計画的にしている自分が嫌になる。

私の家は元々干渉しないので、私がリスカしたりODしたりしても
誰も気づかない。

と考えると気づいてほしいからするわけではないのよね?

ODした日は頭が痛く、何もする気になれない。
でも誰も気づいてないから“グータラしてる”としか思わないようだ。

このまま気づかれないのなら、もう言うのはやめよう。
親をこれ以上苦しませたくないから。



2001年12月21日(金) いきなりかよ?!

今日は午後から学校でした。
ついた頃に雪が降り始め、帰る頃にはやんでいたので良かったです。

今日は授業で見取り図とやらを書いた。
自分の体(例えば手の平何個分で何センチ)で寸法をはかり
方眼紙に部屋のものを書くのですが・・・・
わからないでしょ?私の説明。
だって私もわかってないんだもんお(T_T)
わかりやすく言うとよく住宅情報でのっている部屋の詳細図
そんな感じです。
それも定規とかスケールとか使わないで書かなきゃいけなくて。
簡単?って思う人もいると思うんだけどそれが壁の四面も
書かなくてはいけないから、あわせると四角い箱になる感じに
書かなければいけなかったの。

私だけかと思ったら、あれま、出てくる出てくる・・・
『私、合わないかもしれない』と言う言葉。
とにかく図面なんてちゃんと見れもしないのに書かせるとは
『いきなりかよ?!』って感じでした。

マジで難しい。
ただで行かせていただいているのだが、あまりにもわからないので
もうすでにこの資格に関する資料代で・・・3万は使ってる。
意外に高くつくのね。

そんな訳で今日は眠ることはしないで済んだのだが
この先がちょっと思いやられる気持ちです。

連休に勉強できればと思っています。



2001年12月20日(木) ちょっと嬉しいこと。

今日はちょっと嬉しいことが2つほどあった。

私が通っている職業訓練校は“福祉住環境コーディネーター”という勉強を
しているのだが、勉強していくうちに、自分が思っていることと
かなり違った。
福祉・・・そちらの方が重要視されるのかと思っていたのだが
建築の方がかなり重要視されていてまったくついていけない状態。
そのことが苦痛になり、昨日まで学校に行けなくなってしまった。
本当に辛くて起きれない、そしてこの資格は私に向いていないのでは?
と思い職安に相談しようと思っていた。
でも、私の病気のことを言うとすぐに働けないとみなされて
雇用保険がもらえなくなってしまう。
どうしたらいいのだろう?と考えていた。
二日、休んでいただけで、もう他の人たちは仲良くなっていて
私だけ取り残された気持ちになっていた。
実際はそんなことないんだけど、気持ちが大きくなりすぎていたのだ。
そんな時、唯一親しくさせていいただいている一つ年上のHさんが
こんなことを言ってくれた。
彼女にだけは私の今の状態を話していたのだ。
そしたら偏見など全然持たず『それは普通のことよ』と言ってくれた。
彼女も鬱まではいかないが、以前、気持ちと体のバランスがうまくいかず
悩んだことがあるそうだ。
そして今日も『やはりついていけないのでは?』と相談したところ
『無理せず体を一番に考えて』と言ってくれたのだ。
とても嬉しかった。
心の病だと話すと気を使われたり偏見の目で見られたり
今までいい思いはしてこなかったのに彼女の一言で救われた。
そして、まだ始めたばかり、もうちょっとやってみようと
気持ちを切り替えることが出来た。

そして今日は通院の日。
そのことはもう一つの日記に書くことにします。

家に帰ってきて、私一人だったので、部屋でテレビを見ていたら
電話が鳴った。
留守電になってるときは私はとらないでいるのだが
今日は留守電になっていなかったらしく電話をとった。

『仔猫かい?』聞き覚えのある声。
母のお姉さんだ。
母が私のことを相談していたらしい。
じゃなかったらいきなり『仔猫かい?』なんて言わないはずだ。
そして『声が元気そうで良かった』と言われたので
『私、父親にだから外面いいみたい(笑)
でも今回は両親に迷惑かけちゃって・・・』と言うと
『仔猫えらいね、そんなこと思っているんだね。外面いいのはいいのよ
家でまでいい顔していたら辛いでしょ。でも本当に元気な声聞けて
良かったよ、落ち着いたら遊びに来なさい。』と言ってくれたのだ。
涙が出そうになった。そして今涙が出てしまっている。

二人の理解者が私の鬱を救ってくれた。
そしてBBSやメールでみんなが元気をくれた。

だから仔猫はもうちょっとやってみようと思っている。
どこまで出来るかわからないが、やってみよう。
ここまで辛いことがあったのだから、やれないことはないだろう。
こんな気持ちがいつまで続くかわからない。
でも、そんな時みんなが元気をくれていたことを忘れなければ
私自身、変われる気がする。

明日落ち込むかもしれない。
でも明日はやってくる。
泣いても明日、笑っても明日。
だったらみんなで笑いたい。
泣いている人がいたら今度は私が元気をあげよう。

こんなこと書いて、明日落ち込んだらごめんなさい。
でもちょっと嬉しかったので今日は気持ちよく床につけることだろう。

元気をくれたみんなありがとう。



2001年12月19日(水) ウィルス発生

昨日、ウィルスに感染してしまいました。
そのことでご迷惑かけた方申し訳ありませんでした。

もし感染している方はこのような対処をしてください。
まずこちらのURLを開いてください。
http://www.trendmicro.co.jp/virusinfo/index.asp
こそにウィルス駆除ツールという項目があります。
その中の『WORM_KLEZ専用』を選択すると
ウィルス駆除できます。

私も始めてのことでしたのであわててしまいました。
一応、連絡できる方にはしたのですが
出来なかった方、深くお詫びいたします。
ごめんなさい。

また情報が入り次第ご連絡させていただきます。



2001年12月18日(火) 約束。

今日、PCで知り合った友達と電話で話した。
彼女と私は今、同じような状態。
お互い考え込みすぎてしまったり、言いたいことが言えなかったり。
でも二人で電話をしていると素直に話せる。
彼女と話していると私は元気をもらえる。
私は彼女と出会えたこと、とても嬉しく思っている。

お互いに相手をすごく心配していても、今日まで何も出来なかった。
でも彼女が電話くれたことで、二人で笑うことが出来た。
色々、共感できた。

そして今度、美味しいもの食べに行こうと約束した。
おうちに遊びに行くのも約束した。

約束・・・とっても楽しみだ。

約束もそうだけど電話してくれてありがとう。



2001年12月16日(日) 何もかも壊れていく。

昨日からうつ状態が続いている。
あれだけ駄目だと言われていた薬を飲みすぎちゃいけないというのも
やぶってしまった。
私、なにやっているのだろう?
こんな状態じゃ友達も声かけられないわけだよね。
おまけに逃げ場だったPCのプリンターも壊れてしまった。
私はプリントアウトすることで納得してしまうタイプ。
だから、今やっている勉強のことや、悩んでいる心のことなど
いっぱいプリントアウトしていた。
なのに壊れてしまうなんて・・・
とっても悪循環。

今週こそは母と病院行くはずだったのだが、またもや母が忘れていて
行けなそうだ。
もう来なくていいと言ってしまった。
これ以上、母が約束を破ったら先生にも良くは思われないだろう。

ママ、私すごく辛いの。
ママには言ってないけど生きてるのが辛いの。
でもママは気づいてくれないの?
ママの知らないところでやっちゃいけないことしちゃってるの。
少しでもいいから、ママ気づいて。
じゃないと私、寂しいよ。
もっと辛いよ。

こうやって日記を書いていてわかった事。
私、人のせいにばかりしているね。

私が変わらないと駄目なのはわかっているのだけど
どうやってかわったらいいかわからない。
私、変わるまでに体力持つかな?

ごめんね・・・・



2001年12月15日(土) わからなくなってきた。

只今、発作になる予感。

すごく苦しい。
寂しい。
辛い。

薬を飲んで眠ってしまおう。
絶対多めに飲んじゃいけないって言われたけど
効かなそうだからあと少しして眠れなかったらもうちょっと飲もう。
だって寝ていたいんだもん。

私は何に対していつも恐怖や不安を感じているのだろう。
バカみたい。
もうこんな自分・・・嫌。

生きていくって大変。
難しいね。
病気になるまではそんなこと考えなかったのに。

なにをどうしたらいいのだろう?
わからなくなってきた。



2001年12月14日(金) 持つべきものは友人

今日、トップページの変更をしました。
でもこれは私がしたのではなく、
ほとんど友人の助けを得て出来上がりました。
私のあまりにも乱雑なフォルダー管理を見かねて
一つにまとめてくれました。
友人は去年初めてPCを買って触ったと言うくらいなのに
今は私の師匠となっています。

HPのことだけではないのですが、彼女と話したりしていると
人への思いやりや価値観、そしてやる気をいつも与えてもらっています。
人ってどんなに覚えたくてもやる気がないとなかなか覚えられないし
集中できなかったりしますよね。
私はまさに今、そうゆう時期だったのですが、彼女が近くにいてくれることで
とても安心している自分がいます。

そう考えると離婚もすてたもんじゃないな〜なんて思ったりする
単純な仔猫です。
きっと彼女は私のことを理解してくれて寂しい時、
そばにいてくれるのだと思います。
彼女の口からはそんな言葉は出ないのですが、私はそう思っています。

いつもありがとうね。



2001年12月12日(水) おちこぼれ

生活自体も普通に出来ないのに、学校に行くのはかなりの勇気がいる。

学校に通い始めてからまだ一週間もたたないのにすでに
“おちこぼれ”になってしまった。
私が学んでいるのは福祉住環境コーディネーターという
最近出来た資格なのだが、福祉も建築も医療もすべてかかわりのある
仕事だ。そして介護保険も。
私にとっては初めてのことで何を言われているのかわからない。
でも、周りの人たちはわかっている様子。

どうしよう。
私、福祉の仕事はしたかったんだけど、福祉住環境コーディネーターは
ちょっと考えていたものと違った。
でも、この資格をとってもとらなくても、将来的には役に立つだろう。

なぜついていけないのか・・・それはお薬飲んで行くから
授業中寝てしまうからだ。
駄目な私。
おちこぼれて当然なんだけどね。
どこまで出来るかやってみるつもりですが・・・・先が見えない。
とりあえず、今日書店で関連のある本を買ってきたので
これから勉強しようと思っています。

早くみんなに追いつきたいよ。
そしてHPに福祉のこともUPできたらと思っています。


いつになるかは未定です。



2001年12月11日(火) 母との話し

この日記に関しては『仔猫の通院&気持ちの日記』を
読んでいただいてから見ていただいたほうがいいと思います。
今日はカウンセリングに行って来ました。
今回は“母の理解”について話しました。
どうしたら母は理解してくれるのだろう?
はっきり言って、もう理解してもらわなくていい、疲れた、
それが私の気持ちだった。
本当に引っ越してから毎日が言い合いの日。
私も限界に近づいていた。
でもカウンセリングを受けて、今日は冷静に母と話すことを決意した。

家に帰ってきて母に『私といて疲れない、困ってない』と聞いた。
私は一文無しで出戻ってきたので母には金銭的にも迷惑をかけている。
母は『それは、金銭的にも苦しいわね』とあっさり言ってきた。
それは母の流したいと言う気持ちの言葉だったのだろう。
私が聞きたかったのは“精神的に辛いのでは”と言うことだった。
母は『私は単純だからあまり深く考えなくていい』そう言ってくれた。
母の性格上その言葉が最大の癒しの言葉なのだろう。
そして私は『私といたらママまでおかしくなっちゃううのでは?』と
聞くと『その時はその時よ』と言ってくれた。

冷静に話せば争いもなくこうやって話せるんだ。
私が言いたいことは他にも色々あったのだが今日はこのくらいの方が
いいのではと考え、それ以上は言わなかった。
でもお願いしたいことを2つだけ言えたので私も今夜はゆっくり
眠れそうです。

こんな状態が続くといいなと思い、今日はゆっくり眠れそうです。



2001年12月10日(月) 平凡

今日は何もなかった。
それはいいことなのかもしれないけど、なんだか生きてる気がしない。
私、抜け殻になっちゃったみたい。
そのせいで周りの人はきっと困っているのだろうな。
早く平凡な日が来てくれることを自分で祈っています。



2001年12月09日(日) ありがとう。

私にはとても心優しい友人がいます。
私は親友と思っていますが、彼女と知り合えたこと
そして16年間も友達としていられることをとても嬉しく思い
そしてとても誇りに思っています。
彼女は私がどんな状態の時にもちゃんと目線を合わせていてくれます。
実家に帰ってきて、今の状況が辛いこともちゃんとわかってくれます。
今日、彼女と彼女のお母さんと食事に行ってきました。
(それはもう一つの日記に書きます。)
私は彼女達親子を見て『どうしたらそうやって考えられるようになるの』
と聞いてみました。
何故かと言うと彼女達は“親対娘”ではなく対人間として
お互いを認め合っているからです。
私が知ってる昔の彼女はとても自分が強い人でした。
でも今は自分の意思も持ちつつ、人のことを真剣に考えられる
温かい女性にかわっていきました。
だから『どうして?』と聞いたのですが、彼女は
『周りの人たちのおかげ』と言ったのです。
そのような考えが持てるようになったこと自体、やはり彼女と親友で
いれることを誇りに思っています。

実家に帰ってきて、実際うまくいかないこともありとても辛かったのですが
彼女が時間の空いたとき、常に声をかけてくれることによって
私の心は癒され『この結果でよかったんだ』と思える気がしてきました。

いつも本当にありがとう。



2001年12月08日(土) 起こされた。

今日はずっと寝ていたかったんだけど、夕方5時に起こされた。
(まあ当たり前なのですが)

何故かと言うと待ちに待った最後の片付けに必要な棚が
届いたからだ。
さて片付けよう・・・・体がきつい。
でもこのままではいつまでたっても片付かないので
ちょっと頑張ってみた。

終了・・・ふむふむ、人が呼べる部屋になりました。
誰か遊びに来てね。



2001年12月06日(木) どうしても

辛くて、苦しくて、たまりません。
今年は本当に色々なことが重なりすぎて、
これ以上何か起きたらもう限界です。

私が逃げたいいっしんで、言ってしまった言葉。

私がいなくなったら悲しい?

主人は生きたくても生きれなかった義父のことがあるので
お前を憎み恨むと言った。
それほど苦しいということを主人は理解してくれなかった。
いや理解しようとしなかった。

でもね、同じ質問をしたら
『悲しいどころじゃない、きっと悲しいより悔やむ。』
と言ってくれた友人。
あなたはいつも私の目線で物事を考えてくれるね。
力になってくれてるね。
なのに私はあなたに何をしてあげれるのだろう。

何も出来ないけど感謝の気持ちでいっぱいです。

いつもありがとう。




2001年12月04日(火) あなたが私にくれたもの

今日は学校初日の授業。
初日ということもあったので、今日は特別専門的なことは
やらなかったのだが、午前中、またもややってしまった。
爆睡してしまった^_^;
今日電車が遅れたようでいつもより混んでいたらしい?
で、通学でちょっと疲れちゃったのね。
まあ、薬のせいもあるのですが。
そしていつものごとく、帰りに寄り道してこようと思ったのですが
疲れと荷物の重さに耐え切れず家に直行した。

すごく眠いんだけど明日は午後からの授業なので、今寝たら
きっと明日も爆睡してしまうだろうと思いちょっと部屋の片づけをした。
まだ、頼んでいる家具がそろってない為、あけてないダンボールも
あるのだが、それは今あけたら大変なことになると思い
小物を整理していた。
私は金属アレルギーなのでアクセサリーはあまり持っていないのだが
オルゴールをあけたら、婚約指輪、結婚指輪が出てきた。
なぜそこにしまったかと言うと、ちょっと太ったらきつくなってきて
しなくなりそこに入れておいたのだ。
何気なくはめてみると・・・ぴったり。
皮肉だね。仲良しの時ははまらなかったのに今になって入るなんて。

あなたが私にくれたもの、どうしたらいいのか迷っている。



2001年12月03日(月) 開校式

今日は職業訓練校の開校式でした。
しかも渋谷公会堂で。
それだけの人数、離職者がいるってことだよね?
私がついた頃には人が1/3くらいはもう入っていて、席が真ん中とかしか
あいていなかったので、あえて一番前(途中、具合悪くなっても前がいないからすぐ出れるように)に座りました。
時間がたつにつれて会場が埋まってきました。
時間ギリギリに私の右二つ隣に年配の男性が座られました。
そして開幕\(^o^)/と言いたいところなのですが、司会者が喋った途端
二つ隣に年配の男性が『手際が悪い、なんだ!あの受付は』と
怒鳴り始めた。
そして今日はNHKも撮影していると報告すると、
『そんなのいらね〜もっと上の奴出せ』とそんな野次が5分ほど続きました。
みんな感じていることは一緒だと思うのですが、しょうがないことって
あるのに、自分がギリギリに来たことはおいといて、野次ばっかり。
あとはすんなりいったんだけど・・・
せっかく渋谷に出たから買い物でもしていこうとと思ったのに
その方の野次と職安までの道のりの長さで思うように
買い物が出来ませんでした。
でもちょっとだけ買っちゃったからいいんだけどね。

明日からは本番。
体力が持ちますように。



2001年12月01日(土) ちょっと若気の至り。

一番好きな人とは結婚するなと言いますが、皆さんはどう思いますか?

12月1日・・・昔、大恋愛した人のYくんの誕生日です。
大恋愛と言っても高校生の頃だったので限度がありますが
若い頃って『卒業したら結婚しよう』なんて話したりしちゃったりして。
私と彼は『23歳になったら結婚しよう』と話していました。
でもその前に別れてしまいました。

23歳、その時はすでに主人と付き合っていたのですが
夢見がちの仔猫は『迎えに来たらどうしよう?』と本気で考えていました。

Yくんは見た目も超私のタイプで一目ぼれだったんです。
その頃、私は彼氏と別れたばっかしでみつがされ、
大変ショックを受けてる時でした。
そんな時、Yくんと知り合い『俺が守ってやる』なんて言われて
もうラブラブ、ウキウキ状態でした。
しかし、2年付き合って些細なことで喧嘩し、別れてしまった。
お互いどちらか止めると思い、そのまま引けなくなってしまったのだ。
それから半年後ぐらいにまた付き合いブランクを入れて
4年程付き合ったのですが、結局自然消滅してしまいました。

Yくんに嫌われたくない気持ちがいっぱいでどんなに頭にきても
言えずいつも私から『ごめんね』って言っていた。
自分を殺してまで嫌われたくなかったのだ。

そして一年後、主人と知り合ったのだが、何故か彼には本音で
話すことが出来た。
その頃は主人がとてもいい人に思えた。
いや、いい人だった。
しかし結婚が決まり23歳・・・今ならまだ間に合う、と自分の中で
迎えに来ることばかり考えていた。
いい人なのだが、結婚が決まり不安が一緒にやってきてしまったのだ。
でも、最後にはYくんのことを忘れるくらい主人を好きになり
ゴールインしたのだ。

私のわかれ道、どっちが良かったのだろう。
あとからわかったことだが、Yくんは23歳の時にはとっくに結婚していて
お子様までいたそうだ。
Yくんはそんな約束覚えていなかったのね。
でも、私の記憶の中にはYくんや主人、そして他の人の思い出が
いっぱい詰まっている。

若かったから出来たこと。
いっぱいある。
今考えたら『よくやったな〜』ってこともいくつかある。
でもそれは『若気の至り』ってことで許してもらいましょう。

Yくん、お誕生日おめでとう。
そしてYくんを越すほど好きになった主人・・・今だったらなんで?って
思うし、辛いことばかり思い出すけど、時間が経てばYくんのように
いい思い出になるのかな?
そうなることを祈って、仔猫は前に進みます。



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