猫をかぶった仔猫の日々

2001年10月31日(水) わかっていても言ってほしいときもある。

早起きは三文の徳(字あってるかな?)って言うけれど
早起きした仔猫の今日一日は最悪であった。
あるものをきろうとした際、違うことが思いついてしまったのだ。
リスカ・・・初めてのことだった。

するときもそうだったし、した後もパニック状態。
とっさに母に電話したのだが留守電でつながらない。
そして主人に電話をした。
リスカの後の動揺と過呼吸でうまく話せない。
泣いて何度も『ごめんね、私が病気にならなかったら・・・』と
そればかり言っていた。
そしたら主人は
『もう先のこと考えるしかないんだよ。変なこと考えちゃ駄目だよ』と
もう結論を出している様子だった。

私が泣いて『手を切っちゃった』と言っても無言。
『私のことまだ愛してる』と聞くと『それもわからないようじゃもう駄目だね』と
言った。

私はただ一言が聞きたいだけだった。
わかっていても言ってほしいときがあるの。
私があなたのせいで病気になったことで、あなたが責任を感じてるのも
わかっている。
だから『ごめんね』と言ったの。

わからないけど、私の中にまだ情ではなく愛情があるのかもしれない。
でもこのまま続けていたら、きっと主人が壊れてしまう。
だから別れた方がいいのかもしれない。

だったら分かれるときくらいははっきり言おう。
今までどうもありがとう。そしてごめんなさい。



2001年10月30日(火) 思い立ったら!

今日はカウンセリングがある為、3時には病院に行かないといけない。
でも、どうしても、物件を探しに行きたくなってしまった。
そんな訳で8時ごろ起きて、開店に間に合うように用意した。

まだ離婚が決まったわけではないが、私がこのような状態の時に
主人が来るたび“あとのこと考えておけ”と言っていくことに
私の中で踏ん切りがついたと言うか、もうお互い必要ではないのでは?
と考えてしまったのだ。
何故なら、主人の優しさが見えなくなったから・・・

私が引っ越そうとしている場所は私の実家に比較的近いところを
選んだのだが、働いていない私が受け入れてもらえる物件は
なかなか見つからない。
あったとしても、築年数がかなりたっていたり、なにかしらの
問題が生じる。

本当は3件まわろうと思っていたのですが、一件目でかなり時間が
かかってしまった為、今日は一件で終わってしまった。

私は思い立ったら即行動派!
これがいい時もあれば悪い時もある。
でも、契約はまだしていないし、見るだけはタダだからね。
明日も体調が良かったらまた行こうと思います。

でも・・・電車やっぱり怖いです。



2001年10月29日(月) 変化

土曜日から今日まで実家に泊まりに行って来た。
そして今日の午前中に帰ってきた。
今回、実家に帰るとき姉から連絡があり、一緒に会う事になった。
だって、両親とも土曜の夜予定が入っていたから
“私何しに来たの?”って感じだった。
姉夫婦と食事をし色々なことを話した。
内容は常日頃、日記にも書いている主人とのことが主にでしたが
それだけでなく、楽しい話も出来た。

次の日に兄は来なかったのだが、義姉と私の大好きな姪と甥が来た。
姪と甥と遊んでいる時・・・その時は唯一辛いことも忘れられ
なんだか自分が病気なのを忘れてしまっていた。
でもこれは私の子供ではなく、時間も長くないから楽しいのかったのかも
しれない。
もうちょっと長かったらきっと体力的に負けていただろう。

そんな訳で2泊3日、実家で過ごしてきたのだが
私がなのか、家族がなのかわからないが
なんだか気持ちに変化が出てきた。
最近、(ここ4日ぐらいだけど)すごく落ち着いているのだ。

これから色々大変になるだろう。
でも、ちょっとだけ勇気が出てきた。

今日は家に帰ってきてのんびり何もしていない。
こんな日もあっていいよね。



2001年10月27日(土) 掃除にはまった。

先日もらった薬のおかげで今日もぐっすり、朝は快調に起きられました。
今日はやることやったし、早めに日記を書きます。
どうしてかと言うと夕方から実家にお泊りに行くからです。

前置きはここまでで、最近掃除が日課になりました。
以前は本当に掃除(家事全般)が大嫌いで
“埃では死なないから平気”なんて思ってました。
でも、最近敏感になりすぎちゃってたから埃などが気になり始めた。
私は『強迫性障害』の為、何か触るたびに手を洗わないと気がすまない。
おかげで手はガサガサ、指先なんてひび割れのようになっている。
だから埃を見つけて“あっ”って思って拾うと手を洗う
それの繰り返しになってしまっている。
以前、皮膚科に行った時
『どんなに薬を処方しても洗ったら意味ないです』と言われてしまった。
その時はまだ病気がわかってなかったから何も言えなかった。

そして今、病気の為だとわかり、なるべく気をつけているのですが
やはり洗ってしまうのよね。
だったら掃除すればいいんだ!と思い気が向いたとき
掃除するようになりました。
汗だくになって掃除して・・・なんだか考える暇もないので
終わったあとはすっきりする。
そしてこれだけ汗が出たら、ダイエットにもなるかななんて
含み笑いをしている。

仕事を辞め、別居をして、それになれるまで時間がかかった。
でもやっと自分のペースをつかめた気がする。
そして色々なことをプラスに考えるようにしたいと思う。
なんだか穏やかな生活・・・こんな日がいつもだといいんだけどな。


追伸・・・・
私にとっては掃除かもしれませんが、他の方が見たら
“本当に掃除したの?”って思うかもしれません(笑)



2001年10月26日(金) のんびり

今日はPCの講習会だったんだけど寝坊した為、行けなかった。
寝坊の理由としては昨日、病院に行ったとき、眠剤が効かない為
大量に飲んでしまうことを相談したところ、
“絶対大量に飲まない”というのを元に薬を増やしてもらいました。
飲むのが初めてだったのか効き目は抜群!
おかげで寝坊したわけなのですが(^^ゞ

それでは今日は何しよう?と考え“掃除”と本当に思っていたのに
ちょっと、本当にちょっとだけ横になろうとゴロリとしたら・・・
三時になってました(笑)

でも洗濯もしたし、毎日お布団干してるし、ココロを落ち着かせる
薬を飲んでいるのだから眠くなるのはしょうがないでしょう。
(と自分に言い聞かせている(笑))
夕食も終わり後はお風呂に入るだけ。
これって私だけなのかもしれないのですが、心身ともに疲れている時って
お風呂も面倒だと思うぐらい体が動かないの。
頭洗うのも面倒だし・・・(長いから)
でも今日は大好きなローズの入浴剤を入れてゆっくり入ろう。

今日はイライラすることなくのんびり自分のペースで過ごせました。
でもココロのどこかで裏仔猫が潜んでいます。
その気持ちをもう一つ日記を増やして書くことにしました。
心の叫びの中に作ろうと思っています。
通院のことや仔猫のココロの内を書こうと思っています。
近いうち(今からやるかも)アップしますのでそちらもよろしくお願いします。

そんな訳で今日はのんびり穏やかに過ごすことが出来ました。
久しぶりの穏やかさ・・・これから何も起こりませんように。



2001年10月25日(木) 少し幸せ

私の心が健康だった頃、ウザったいな〜って思うことが多々あった。
それは、仕事だったり、家庭のことだったり、親、兄弟のことだったり。

しかし、今になってそのウザったかったことがありがたいと
思えるようになった。
と言うのか、きっと私の気持ちが“助けて”と
自分で求めていんだと思います。

昨日も眠剤を飲み全然聞かないので量を増やしてしまった。
眠りたいのに眠れない、でも体はだるい。
誰か助けて〜
そんな時、姉からメールが来たので電話をした。
“大丈夫?ご飯は?”姉の言葉。
“仔猫もうどうしたらいいかわからない”と言うと
これから行くからと言って、泊まりにきてくれたのだ。

姉はしつこいほど世話好きだ。
でも、今の私にとってはそれがありがたい。

今日は二人で買い物に行った。
そんな時も“疲れてない?”と気を使ってくれている。
姉と一緒だったので具合が悪くなることもなく
楽しい買い物となった。

これからもっと辛くなることもあるだろう。
でも理解者がいるという気持ちが私に勇気をくれた。

理解者が増えたこと・・・少し幸せになった。



2001年10月24日(水) 昨日とはうって変わって・・・

昨日はあんなに元気だったのに、
主人が物と取りに来たことで、私の気持ちは鬱々になってしまった。

主人は“もう離婚するしかない”と言った。
それはしょうがないことなのだが、その後の言葉に私の心は
不安と恐怖がやってきてしまった。
“後のこと考えておけよ、荷物とか住む間場所とか”・・・
悲しかった、そして辛かった。

今の私に何ができると言うのだ。
仕事もしていない、外に出れない、出ても不安でいっぱい。
“私のことが重荷になってるの?”と聞いたら、
“そう思うならしょうがないな”だって。

一番理解してほしい人に、こんなこと言われて
私はどうしたらいいのだろう?

私が病気になった原因は主人のお酒と私に内緒で作っていた
借金が一番大きい。

4月に義父が亡くなり、時給制の私は給料が半分になってしまったのだ。
今まで、自分なりに努力していた。
でも、収入がなくなり、不安が襲いかかってきた。
“生活が出来なくなる”不安で不安でしょうがなかった。
そのことでは何回も話し合った。
でも主人の答えは“借金しちゃったんだからづしろって言うの?”
“借金のある奴が酒飲む権利はないのか”
開き直り、主人の口からは謝罪や協力してくれと言う言葉は出なかった。
そして私の病気は私自身の性格でなっているとまで言われた。

辛い、不安、恐怖。

この先どういう結末になるかはわからない。
でも、私は幸せになりたい。
安心したい。

次の話し合いは11/4だ。
それまで色々考え自分にとって幸せへの道進みたいと思っています。



2001年10月23日(火) 調子にのりました。

今日はなんだかとっても気分がよかった。
だから、隣町まで自転車で行ったり、職安行ったり・・・
久々に料理もしました。
ホトフとサラダと揚げナスのジャコソース丼!
揚げナスのジャコソース丼、ちょっと謎なんだけど
めちゃくちゃ美味しかった。

最近、美味しいとか、嬉しいとか、気分が良いなんてなかったからな。
ようやく落ち着いてきたのかな?

でも、今日は調子にのりすぎていろんなことやりすぎたようです(笑)
明日はPCの講習会の為、朝から出かけないといけません。
おなかもいっぱいでもうネムネムです。
今日は早く寝ましょう。



2001年10月22日(月) 眠り病

なんだかわからないんだけど、眠い。
ちょっと昼寝のつもりが・・・今起きた。(22:30)
旅行の疲れが今頃出たのかな?

日記もここ数日書く気になれなかった。
私は今、何を考え、何を求めているのだろう?
一番考えているのは、眠りたいということかな。
眠れば何も考えないで済むし・・・
今起きたばかりなのに、もう寝ることを考えている。
現実の世界にそろそろなれないと、厳しいな。
明日はちゃんと起きて色々なことしたいな。

晴れだといいな〜



2001年10月18日(木) 混乱

今日は色々なことがあった。

まず職安で説明会。それは無事終わった。

そして、ちょっと不安だった母との病院に行く日。
母に理解してもらいたい・・・先生を信じるのみ。
先生とお話していたときは普通だった。
でも、先生は私の思っていることをちゃんと伝えてくれた。
私と母は電話などで話すと必ず喧嘩になり、解決しないまま
いつも終わってしまっていた。
先生は『それがSOSなんですよ、気づいてあげてください』
そう言ってくれた。
そして私にも甘え上手になれと言った。
診察が終わり母が『後はあなたの気持ちが戻ればね、いつまでも鬱だなんて言ってられないからね』と言った。
やっぱりわかってない。
そんなの私だって嫌なの。
だけど、どうしてもそうなっちゃうから治療しているの。
でも先生がかなり大きなことを言ったから(死にたくなったらお母さんに電話しなさいと)母も考えてはいるのだろう。
帰り際『何かあったらすぐ、電話しなさい』と言って帰っていった。

そして今日は義父の月命日の為、主人がこちらに来た。
もう帰ったのだが・・・
主人は色々考えたと言った。
そしてお互いの為、離婚した方がいいと言った。
混乱した。
こんな状況で私にそんなこと言うなんて。
結局、主人は一緒に努力しようなどのことは今まで一言も言わなかった。

私はその言葉を待っていたのだと思う。

混乱している。
少し落ち込みながらも一人で色々考えていたのに。
だったらこの一ヶ月はなんなんだろう?

混乱・・・・
眠くなってきた。
今は混乱してるから寝よう。
寝たら嫌なこと忘れられるから。



2001年10月17日(水) らしさ

今日は雨。
やっぱり嫌い。
すごく憂鬱になる。
昨日、母と電話で話したからかな?
さっき主人と電話で話したからかな?

みんな私のことどう思っているんだろう?
本当の私って何なんだろう?
自分がわからなくなっている。

笑って元気でいれば周りの人は安心するだろう。
そして“仔猫らしい”と言うだろう。

仔猫らしさ・・・それってどれなんだろう?

またもや鬱々がやってきたようだ。
主人と一緒にいた時とは違う不安と恐怖。

私は今、何がしたくて何を望んでいるのだろう?

仔猫らしさ
仔猫らしさ

それが私を邪魔しているのかな?

話し合ったとき、『仔猫は元は明るい子なんだから』と言われた。
会うたびに“早く”“仔猫が元気になる為の別居”と言われる。
ここまでずーと我慢していっぱいになってしまったのに
治す時だけ“早く”なんて言われるのはちょっと苦痛。
私だって早く落ち着きたい。
早く元気になりたい。

どうしてこんなになっちゃったんだろう?
自分がいけないんだけどね。



2001年10月16日(火) 心理カウンセリング

今日、診察とは別に心理カウンセリングと言うのを受けた。
これは、保険がきかず私の病院では8千円。
そうそう、通えるものでもないのだが、担当医師に相談したところ
受けてみて損はないと言われたので、受けてみることにした。
昨日まで旅行していて浮かれていたので、現実に戻ることに
とても不安と恐怖を感じ始めていた。
それはあることがあったから。
それはまたあとで話すとして、カウンセリングについて先に話します。

私の担当となったのは女性の方でとても感じの良い方だった。
カウンセリングが初めてなので、どれが基準かわからないのだが
まず、私がなぜカウンセリングを受けようと思ったのかと聞かれた。

私が受けようと思った理由。
カウンセリングの説明のビラにはこのようなことがかいてあったからだ。
●心理テスト・性格分析
実を言うとどの自分が本当の自分なのかわからないのだ。
私は内弁慶の逆、わかりやすく言うと外面がいいのだ。
でもそれは無理してやってるわけではなく、自然とそうなってしまう。
そのことで、気を使うななど散々言われてそのことのほうが
かえってストレスになってしまっていた。
自分を見つめなおしたい、本当の自分を知りたい。
そのことを話した。
先生はプロだから、絶対私の傷つくような言い方はしない。

その後、自分が一番感じる症状を聞かれた。
突然理由もなく襲ってくる不安と恐怖。
そして主人に対する恐怖。
恐怖が二つ出てきたが、この恐怖はタイプが違うのだ。
主人に対しては私の被害妄想がかなり強いのだと思う。
別居する前の私は主人に対して『怒ってる?』と聞くのが
日課となっていたのだ。
主人もきっと辛かっただろう。

そのあとは私のコンプレックスや生活習慣について話しをした。

カウンセリングは強制ではない。
先生はこう言った。
『カウンセリングはすぐに結果が出るものではありません。でもお話を聞いたかぎり、仔猫さんが考えていることや希望していることのご協力は出来ると思います』
どうしても診察となると時間も限られてしまい、あれ言い忘れたと言うことが多々ある。
だから私はこれからもカウンセリングを受けたいと言った。
でもプー太郎の私にとってこの金額はかなりきつい。
なので月に2回程度のカウンセリングの進み方を希望した。
あまり間が近すぎても依存しすぎて良くない事があるそうだ。
そしてあまりにも間が長すぎると、今までの報告で終わってしまうらしい。
なので月2回は理想的なようだ。

この病院に移って良かった。
薬に頼ってばかりはいけないことなのかもしれないが、
それで私が安心できるなら私は薬を選ぶ。
じゃないと今の私は何もできなくなるからだ。
でも、それで私が前向きになれるのだから私にとってはいいことなのだ。

と、前向きになっていた時に母から電話が・・・
今週の木曜日、母と診察に行くことになっているので
そのことで電話があったのだ。
今の私の住まいは母の所からはかなり乗換えをしないといけない。
大変なのはわかる。だが、父と車で行くと母は言った。
私を担当している先生は木曜のPM6時〜8時しかいない。
父もアルコール依存症だと私は思っている。
そんな父がその時間にお酒なしで車の中で我慢できるのだろうか?
私は母が大好きだ。
でも、時代の違いはかなり感じ、私の状態を理解するには
かなり時間がかかるだろうと思っている。
母は言った。
『なんでそんな言い方するの?ママ困っちゃうでしょ』
ママわかってよ。
それが私の病気なの、そして辛くて今、治す為に通院してるの。
用事をキャンセルしたとか、わざわざ時間を作ったとか・・・
ママが悪気があって言ってるんじゃないってわかってるんだよ。
でも、今の私、そんなこと言われちゃうとすごく辛いの。
だから『じゃあ、来なくていいよ』って言っちゃったの。
ママは良く考えて明日連絡くれと言ったけど
私はね、嘘でもいいから私を一番優先にしてほしかったの。
してくれてるの分かるの。
でも、その言い方だと私・・・辛いの。
木曜はどうしようか迷っている。

そしてまた不安と恐怖が襲ってきてしまっている。



2001年10月15日(月) 最終日

チェックアウトは10時だから目覚ましを8時にセットした。
いつもは寝起きが悪く目覚まし3つでも起きれないのだが・・・
爆睡したせいか、7時前に目が覚めてしまった。

元々、朝食を食べないので時間が余ってしまう。
TVをつけてチャンネルを帰ると懐かしい『ヤッターマン』が
やっていた。
ぼんやり見ていると次は『ガンバの大冒険』。
ボケーっとタバコ吸いながら見ていても時間は進まない。
さてシャワー浴びて用意するか!と張り切ってしまいチェックアウトより
かなり早く片付いてしまった。
しょうがない、もうチェックアウトしよう、そう思い9時前に
ホテルから出た。
荷物はカートが壊れた為、宅配便で送ったのでちっちゃいかばんだけで
帰ることが出来た。
さて計画したことを実現するか!
甘かった。行き先は全部チェックしたのだが地図を忘れていたのだ。
本当は平野という土地で博物館めぐりをし、その後、大阪城へと
計画を立てていたのだが、平野にある博物館は地元の人も知らない
すごくマイナーなものだったらしい。
なので、土地勘のない私が地図無しで回ることなど不可能だった。
あきらめの早い私は、いざ大阪城へ!
ここは有名なので駅に着いたらわかった。
しかし、大阪城にたどり着くまで、かなり急な坂道や階段を
上らなければならなかった。
ここで筋肉痛が叫んでいたよ!もう歩きたくないって。
でも、頑張ってみました。
東京で生活する私にとって自然や文化に触れ合うことは
とても貴重な経験となった。
そして、一人で行ったという、達成感も得られた。

さて、大阪城も一周し、時間も余っている。
その場所から水上バスが出ていることに気づき、それに乗って
淀屋橋まで行き、梅田に直行。
そこでデパートめぐり。
コスメ好きの私は大阪でもサンプルをもらってきてしまった。

そろそろ、メル友さんと会う時間となりました。
メル友さんはお子さん二人とやってきました。
可愛い〜どちらも可愛くって東京に連れて帰りたくなっちゃいました。
そこで色々な話をして、私が帰る時間が近づいてきました。
楽しいときって時間が早すぎる。
帰りたくないけどそれは非現実な話。
後ろ髪引かれながらも、メル友とバイバイをして新幹線に乗り込んだ。

私が降りる駅は新横浜、念の為PHSの目覚ましをセットして
京都まではうとうとしながらもなんとか正気だった。
これで旅が終わってしまう。なんて考えながら・・・・

『終点ですよ』車掌さんの声で目が覚めた。
終点?寝ぼけ眼の仔猫は言ってる事が理解できない。
とりあえず降りないとと降りるまでは良かったのだが・・・
『終点?えっと東京駅じゃん』乗り過ごしてしまったのだ。
時間は12時ちょっと前。
ヤバイ、最後の最後で(T_T)

こうして仔猫の大阪旅行は幕を閉じたのだ。
が・・・筋肉痛の足で走った仔猫は今もさらに筋肉痛で泣いている。
でも楽しく旅行が出来て本当に良かった。
また企画してどこかに行きたいです。



2001年10月14日(日) 海遊館

今日は全国でも有名な水族館『海遊館』に行った。

私の想像していた水族館とはイルカやアシカが芸をする
そんなイメージだったのだが、ここの水族館はあくまでも観覧。
でも有名なだけあってすごかった。
ここの水族館は写真撮影OKなので
スキャナーをいただいた仔猫としては絶好のチャンス!
写真とりまくり。
しかしそちらに集中しすぎてカーデガンを落としてしまった。
ここでもまたやらかしてしまったのだが、運良くすぐ気づき
見つけることが出来た。

水族館に参加したメンバーは関西支店の方、そして九州支店の方。
本当は関西支店の他の方も参加するはずだったのだが
昨日のユニバーサルでお疲れ気味の為、不参加となった。
今回、私が大阪に行った目的。
それは不参加になった方と密な話をしましょうとのことだったのですが
丁度ユニバーサルの時期と重なった為、ご一緒させてもらうことになった。
九州支店の方は水族館を観覧した後、帰る予定になっている。
なので夕方から不参加だった方と食事しようと言うことになった。

水族館にいたのは10時半くらいから2時くらいまで。
九州支店の方は3時の新幹線で帰るため、そろそろお開き。
そして案内してくれた関西支店の方も、競馬をやる為
バイバイとなった。

そして不参加の方に電話をしたところ、疲れていてダウンしていた。
実を言うと仔猫も体力の限界が来ていた。
密な話はまた今度と言う事でそのままホテルに戻った。
3時くらいだったかな?
ちょっとだけ横になろうと思ったのが甘かった。
起きたらサザエさんが終わる頃だった。

一時間ぐらい寝て買い物に行こうと思っていたのに・・・
とりあえず、食事もしていないので駅まで出た。
またいらぬお土産を買い、お弁当を買ってホテルに戻った。

明日は最終日。
明日はもう一つの目的!主婦のメル友さんと会うことになっている。
ただその方が忙しくて夕方6時過ぎでないと会えない為、
昼間をどう過ごすか???
そこはもう計画済み!駅スパートで行き方を調べ準備万端。
明日、チェックアウトを朝の10時までにしないといけない。
なので今日も早く寝ないと。
なんて思っている間にちゃんと睡魔が襲ってきて
爆睡かっとびました。

一つだけやりのこして・・・・



2001年10月13日(土) ユニバーサルスタジオジャパン

今回の旅行の第一目的!ユニバーサルスタジオジャパン\(^o^)/
朝、8時半に現地に集合。
それに間に合うように出発したまでは良かったのだが・・・・
私は緊張すると必ずトイレに行きたくなる。
案の定、途中でトイレに行くはめとなった。
おかげで10分の遅刻。

行く前から思っていたのだが、実を言うと私、乗り物めちゃ弱い。
遊園地なんかでも乗れるものがないくせに、雰囲気が好きで
行ってしまうのだ。
でも、今までは気持ち的に健康だったからなんとかなったのだが
今回は違う。
乗る前からドキドキと恐怖が・・・
でも、実際乗ってみると以外に平気で安心した。
しかし・・・待ち時間が長すぎる。
一番長かったもので、2時間45分!でも実際はそんなに待たずに済んだ。
人間って、単純なもので最初に2時間45分を見てしまうと
1時間50分待ちなんて短く感じてしまう。
夕方になるとだんだんすいてきて(と言っても待ち時間はあるが)
1時間以内で見ることができ、ほとんどの乗り物に乗ることが出来た。

考えてみたら、朝9時前から夜10時ぐらいまでいて
アトラクションにかかった時間は1時間ちょっとだろう。
そして、あまりの待ち時間に足はパンパン、筋肉痛は間違いなし。
もうすでに足が痛くなっている。

会社も辞めたからお土産などあまり必要ないのに買った買った!
そして今日のイベントは終わり。

とにかく楽しかった<疲れた!!



2001年10月12日(金) 出発進行!

これから、旅行に行ってきます。

体調も比較的いい感じ(^_^)v

インターネットでその土地のガイドも作って準備OK!

ちょっと荷物が重いけど・・・・

いっぱい、いっぱい楽しんできたいと思っています。

では行ってきます(^.^)/~~~


行ってきました、大阪に!
遅れて書きますが旅行日記として記載させていただきます。

出発進行!なんて書いたはいいが・・・
新大阪までは無事新幹線で到着しました。
が・・・ホテルの場所がわかりづらい?っちゅうかちょっと遠い。
でも、安くてきれいなホテルなので我慢我慢。
私は重いものが持てない(持たないかな(笑))ので
雑貨屋さんとかで売っている“ショッピングカート”みたいなので
荷物を持っていった。
ようはタイヤがついているやつですね。
だから重くても楽ちんなんて思っていたら・・・・
ホテルまで行く間にタイヤが一つ取れてしまった(T_T)
あと少しでホテルなのに。
なんとか一つのタイヤで引きずりながらホテルまで到着。

ゆっくりなんてしてられない、これから大阪駅に行かないと。
そこに会社の支店があるのだ。
ホテルを出る前に駅までの近道を聞くと、私ったらかなり遠回りしていた。
まあ、近道で行ったらそんなに遠くはなかったことがわかり
無事、大阪駅へ。
そして、支店の方がセッティングしてくれた、たこ焼きやさんへ行った。
さすが本場!本当に美味しい(*^_^*)
そこはいつも行列になっているので、時間制。
だから、ゆっくり出来ず、場を変えて飲むことにした。

そこは課長のボトルのある、行きつけ?のちょっとおしゃれな
食べ&飲みのできるお店。
おなかはいっぱいなので飲みました。
ウーロンハイ、ワイン、ウイスキー・・・

さて、さよならの時間となりました。
私と同じ方向の方はいなかったので、一人で新大阪まで。
駅に着き、近道から帰ろうとレッツゴー!!
あれれれ???道に迷ってしまいました。
酔ってるせいもあって、気の大きくなった私は
『道は続いている』を格言として、すたすた行ってしまった。
これが間違いだった。
わからない?わからない?
でもあきらめず、すたすた・・・・やっぱり駄目だった。
もうこうなったらタクシーに乗ろう!そう思いタクシーに乗って
『ここに行きたいのですが・・・』と地図を見せたのですが
その場所はホテルのまん前だった(笑)

こうして第一日目が終了。
明日は本番のUSJだからね。



2001年10月11日(木) 慌しかった。

今日は友人と知人の出産祝い(二人分)を買いに都会まで行った。
最近、外に出ていなかったし、とても理解ある友人だったので
私にとっては心地よい外出となった。

しかし、電車に乗るのは怖かった。

明日から私は大阪に旅行に行く。
向こうに先月辞めた会社の支店があるのでそこに遊びに行く。
たった30分の電車でこんなに怖がっていて大丈夫なのか?
そう思い、帰りに病院によってきた。

先日の話し合いのこと、そして別居のこと、薬の処方を誤ったこと、
明日の旅行のこと。
別居に関しては先生もいい方向にとってくれたようだ。
しかし、今、神経が過敏になりすぎているようなので
それに対しての薬を処方された。

ちょっと安心。
これは薬が効くと言うことではなく、そうなった時に
対応できると言う安心感。

きっと、明日からの旅行は楽しい旅になるだろう。
いっぱい、写真&お土産話持って帰ってきます!
では、明日行ってきます(^.^)/~~~

旅行の為、月曜まで日記はお休みさせていただきます。



2001年10月10日(水) ボー

昨日は大忙しだったので、日記サボっちゃいました。

銀行行って、役所行って、職安行って、派遣会社行って・・・・
この私がそれだけの行動を、一度にしないといけないのは
かなり苦痛なこと。
でも、やらざる終えなかった。
なので、昨日は『ふぅ〜』って感じだった。

そして夜、主人が出て行った。

今日は私の大嫌いな雨。
行かないといけないところがあったんだけど
雨だからやめた。

一日中、何もせずボーっとしていた。

気持ちの変化・・・まだ一日目なのでわからない。
でもなにか変わってきている。
落ち着いた気持ちになってきている。

このままこの気持ちが続くといいのにな。
でも、ちょっと前向きな気持ちになったのには変わりはない。
この一ヶ月楽しくいこう。

辛くなったら、悲しくなったら・・・・
その時また考えよう。




2001年10月08日(月) 話し合い

来てしまった。
両親を含めての話し合いの時。

この話し合いをする前に、友人から色々励ましをいただいた。
それまでは、不安と恐怖でいっぱいだったのだが、
何とか落ち着くことができた。

そして話し合い・・・
色々なことを話した。
ほとんど私が話した。
主人は無言だった。

今まで私が言われて思ったこと、感じたこと、苦しかったこと・・・

いっぱい泣いた。
まだ、泣く感情が残っていたのだ。

話すたびに泣いた。
そして、もっとも傷ついたことを言った時、義母が私を抱きしめ
『ごめんね、ごめんね、辛かったね。本当にごめんね。』
そう言って何度も何度も私を抱きしめてくれた。

今年、義父が亡くなったため、今義母一人で住んでいる。
私達は義母が心配でこちらに引っ越してきた。
義母は私のことを本当に可愛がってくれた。
そして今も私を可愛がってくれている。
それを考えて私達の別居のことを反対していた。
私が一人でいることが心配だし、別居となると戻るのが大変だからだ。

でも、私が今したいこと、一人になりたい。
そのことを病気のことも含めてちゃんと話した。

私が実家に帰ったら帰ったで、兄弟からの目が気になり、
きっと苦痛になるだろう。
だからあえて、私がここに一人で残りたいと言ったのだ。
甘えかもしれないけど、今の私にとってそれが一番の望みだった。

父も母も義母も泣いた。
でも、理解してくれた。
連絡を取り合うというと1ヶ月だけというのを条件に。

親達から見たら、私達はいがみあって離婚や別居などと
言っているようには見えない。
だから、今回の別居で私の気持ちがいい方向にいく事を願い
距離を置くことを理解してくれたのだ。

別居後どうなるかわからない。
親達はいい結果が出るための別居と考えている。
それは、その時になってみないとわからない。

それともう一つお願いした。
私の病気のこと。
『頑張れ』『早く』『気の持ちよう』
これは私にとって辛いことだと言うこと。

父は言った。
『お前のペースでやりなさい。そして気持ちがすっきりしたらいいのだから』

すぐにわかってもらおうとは思っていないし、理解してもらえるとも
思ってはいない。
でも、ちょっとだけわかってくれて、ほんの少し安心した。

明日から主人はこの家を出て行く。
今回の話し合いで一番辛かったのは主人だろう。
なのになにも語らなかった。
それは、私の病気の原因が自分にあると自覚したからだ。
今まではやさしさのなかった主人・・・・

帰り車で送ってもらって降りた時、雨が降っていた。
それほどの距離ではないので、傘をささず行こうとした私に
そっと主人が傘をさしのべた。

少しだけ主人のやさしさが見えてきた気がした。



2001年10月07日(日) 嫌な予感

主人に正直に話した。

今の生活が苦痛だと言うこと。
しかし、主人はこれ以上変われないと言った。
だからしばらく別居しようということになった。

私の通っている病院は住まいのすぐそば。
そして、主人の実家もすぐそば。
なので主人が実家にしばらく帰ることに話はまとまるはずだった。
が・・・義母は本当にいい人。
痛いほど気持ちが伝わってくる。
そのことを連絡したところ、明日、私の両親も含めて5人で
話し合おうということになった。

私にとってとても苦痛なこと。
不安、恐怖。

義母は言った。
『一度別居すると戻るのが大変』
私は戻る気があるのか?
それとも離婚する気があるのか?
わからない。

でも、実際に私は主人のことで追い詰められてこうなっている。
きっと、4人に囲まれて『あなたの意見を言ってみなさい』と言われても
言えるはずがない。

怖い、怖い・・・
嫌な予感がする。



2001年10月06日(土) 休みが怖い

昨日、前向きな日記を書いたと言うのに・・・
今日になって部長に『課長が生意気』と言っていたということに
ショックを受けてしまっている。

そしてもう一つ、明日、明後日と主人が休み。
すごく憂鬱。

このごろ、主人が休みの日は毎回発作が起きる。
そして、もう少しで帰ってくる主人のことを考えると・・・
もうすでに発作の一歩手前。

主人が帰ってくる前に薬飲んで寝てしまおう。

そして、明日と明後日は外に出かけよう。

どうしてこうなってしまったのだろうか?
嫌いなのではない。何もされていなくても苦痛なのだ。怖いのだ。

これから主人の休みの日はいつもこうなのだろうか。
怖がっているのだろうか。
答えのわからない不安と恐怖に今も苦しくてしょうがない。
一人になりたい。
人の目のないところに行きたい。

そろそろ帰ってくるだろう。
もう寝よう。
寝ていれば、怖いことなんて忘れられるかもしれないから。



2001年10月05日(金) 無礼講ではなく無礼者

今日は私の送別会。

すごく気が重い、そして具合が悪い。
でも、招待されているので行かな訳にも行かないし・・・・

そんな気持ちで会場へと向かった。
そして、一番嫌だった部長の隣となってしまった。
その部長はセクハラで有名。
座った瞬間、逆の隣の人に『狭くない?』と聞いたら
部長が『仔猫さんはスマートだから平気だよ』と早速始まった。
最初から、部長がそんな感じならもういい、こっちも無礼講だという
気持ちに切り替わった。

部長のとなりに座ったとなれば色々な話が出てくるだろう。
来た来た来た、課長が私のことを生意気だと言っていたとか
俺は見ていた、なのになぜ相談しなかったとか
俺が聞いていれば辞めさせずに対処したとか・・・

私が辞めると言った時、知っていて席をはずしたくせに。
そんなのあとの祭りだね。
あ〜バカバカしいと思いながら聞いているともっとバカな事を言い出した。
『女には生理があるんだから、管理職が理解してなきゃいけないんだ!
課長に把握してるか?って聞いたら知らないだと?生理の時の女性は
バカなんだから、何言っても通用しないんだから・・・・』
そして、トイレに行き、帰ってくるなり『仔猫はおっぱいでかいな』と
ツンとした。そして200円と言った。
はぁ〜バカじゃないの?お前こそバカだよ。
そういうのは無礼講って言わないで無礼者って言うんだよ。
私だってあんたが言わなくたって、太っているの知ってるし、
それがコンプレックスになって、実際、病因にもなっているんだよ。
私が生意気?バカ言ってんじゃないよ!
管理職だとか言っていて、口ばっかしのくせして。
俺は見ていた?一番電話を取るのが早いのは仔猫だってことも
一番働いてるのも仔猫だって言うのも。
でも仔猫は厳しすぎる、きつすぎる。
そんなの辞める前に言えよ。
私が厳しかったんだよ、そうしなきゃ、やってけなかったんだよ。

こうなったらこっちが無礼者になってやる!

飲んだ飲んだ、こんなに飲んで平気なのか?

部長が『俺だって好みがある』とか言うものだから
『こっちだって好みあるし、年齢制限もありますから』と
こんな時の仔猫は切り替えしが早い。
部長はもう一人の派遣さんを気に入ったらしく、どうにかちょっかい
出したがっている。
それに対して『それセクハラですよ』って言うと『うるせー』なんて
言うもんだから、こっちも『部長がうるせー』と言ってやった。
ふぅ〜ちょっとすっきり。

他の人はとてもこころよく接してくれて、色々お話できたので、
いい機会が出来てよかったと思う。

そして、退職祝い?(って言うのかな?)に
ムフフフ、スキャナーをいただいた。

また復帰を待っているとまで言ってくれた。
嬉しい、でもこんな会社、もうごめんだ。
と、心で思いながらも、『ありがとうございます。』と顔は笑顔。
実際、この会社で学んだことはいっぱいある。
仕事に対する姿勢ややりがい、そして人間関係・・・

嫌な人ばかりではなかった。
実際、最後まで付き合ってくれて、無礼者に変わった私を
理解してくれた方には本当に感謝している。

こうして、寂しさもすこし残っているのだが、気持ちの整理がついた
気がした。

私は負けず嫌いで強がりで、人に『助けて』と言う事が出来ない。
それは仕事だけではなく、私生活でもそうだ。
なので、いっぱいになったところで、『ぎゃ〜』となってしまうのだ。
だから自分で自分の首をしめていた部分も大きかったと思う。
部長が言った。
『仔猫の言うことは結論なんだよ、前説がない』
確かにその通りだ。
それは自分でもわかっている。そして苦しんできた。

これからも、また辛い時もあるだろう。
苦しい時があるだろう。
悩む時もあるだろう。
駄目だと思うときもあるだろう。

しかし、きっと乗り越えていくのだろう。
いや、乗り越えていこうと思った。
だって、今回この場でむかつくこともあったが、
それより貴重なこともあったから。

最後まで付き合ってくれて
『仔猫が辞めて寂しい?寂しい?寂しい?寂しい?』と
何度も言ってうなずかせてしまった、Tさんありがとう。
そしていつも私の愚痴を聞いて、心苦しかっただろうに見守っていてくれた
Hさんありがとう。

そして、皆様ありがとう。

しかし・・・部長と課長とマラソン男だけは許さないぜ!
お前達は会社だけでなく、この席でも無礼者だったからな。

と、日記を一日遅れで書いている今、二日酔いでちょっとまいっている
仔猫なのでした。



2001年10月04日(木) 逃げ場がなくなった。

今日は病院の日。

あれも言わなきゃ、これも言わなきゃと頭で考えていた。
しかし・・・仕事を辞めてからずっとPCに釘付けだったため
頭痛が起きてきた。
痛い、痛い、痛い〜
こんな時、どうしたらいいのだろう。

どうにか我慢して、病院に行ってきた。
この病院は変えたばっかりなので2回目なのだが、私の担当の先生は
どうやら私にあっているようだ。
私が思っているけど言えない事を見抜いてくれるのだ。
私の家族は理解が薄いのでどんなに言っても理解しきれない部分がある。
先日、仕事を辞めて、環境に対応できなくなったことも話した。
その時の一部始終を全部話した。

あんなに辞めたくて辞めた会社なのに、動揺している私。
先日は本当に自分がわからなくなってしまったのだ。
そのことを先生に話すと、
『環境が変わって不安になるのも症状の一つなんです』と言われた。
本来ならば主人が心の支えになるべきだそうだ。
なのにそれが出来てなくて、私はこうして悩んで、苦しんでいるのだ。
何度も考えた、何度も独立しようと思った。
でも、何が理由でとどめているのかわからない。
そのことを言うと『環境の変化に不安や恐怖が先立っているんですよ』と
言われ、やっと自分でもわからなかったものが見えた気がした。

私が今、仕事を辞めたことは私にとってマイナスだったらしい。
家庭での苦痛からの逃げ場が会社だったのだ。
では実家に帰れば・・・
私の母はとても立派な人だ。子供の私が言うのもおかしいが尊敬している。
働き者で家庭を支えてくれた母、でもそれを乗り越えられてきた母に
私の病状は理解しがたいことなのだ。
具合が悪くて会社を休んでいる時、電話などすると第一声に
『仕事は?』と聞かれる。
そして、主人のことを相談すると『あんたが変わるしかない』という
結論になってしまい、怒鳴りあいの喧嘩になってしまうのだ。
頑張って乗り越えてきたこと、私にとってはとてもすばらしいと思う。

ただ、母と私では時代が違う。
私は今、それに対応できなくなっていて苦しんでいる。

『仔猫さんは、今まで会社が逃げ場だったんですよ。
でも本来、実家が逃げ場になるはずが、それも難しい。
あなたの病状、かなり重くなってます。
薬で解決できることではないですよ。』
先生はちゃんとわかってくれた。

『一度お母さんと来てください。
あなたにとって、今必要なのは逃げ場です』

私が言いたくてもいえなかった言葉、先生わかってくれたんだね。
ありがとう。

ただ、今日病院行ってわかったこと。
私の病名は心因反応ではなく『うつ病』と『強迫性障害』だった。

早く治りたい気持ちはあるが、あせるのは逆効果と言うことも
わかってきた。
ゆっくり、ゆっくりやって行こう。
                                       



2001年10月03日(水) 掃除三昧

まだ不安はあるにしろ、やっと普通の生活が出来るようになってきた。

元々、じっとしているのが苦手な方(ようは落ち着きない)だったので
何も出来なかった頃は、本当に辛かったし、嫌なことばかり考えていた。

ここのところ天気がいいせいか(雨がとにかく嫌い)昨日から、
部屋の掃除をしようと張り切ってみた。が・・・根気がないのね。
本来なら、一日で終わることだと思うのだが、少しやっては
『メールきてるかな?』とPC立ち上げたり、昼ドラみたり・・・
なんてやっていたもんだから、今日は衣替え、今日はこっちの部屋
なんて2日が過ぎてしまった。
そしたら、なっなんと二日掃除しただけで、ゴミ袋45Lのが
4つにもなってしまったのだ。
捨てられない性格、衣替えしたのはいいのだが、タンスに入りきらない。
心を鬼にして、今回は捨てようと決心した。

明日は寝室の掃除。あとどれくらいごみが出るのだろう?
そして明後日は台所、今週は掃除三昧で終わりそうだ。

あっ!忘れてた。明日は病院の日だった。
そして明後日は私の送別会。

来週もきっと掃除三昧なんだろうな?



2001年10月02日(火) 主婦らしくない私

昨日から気持ちが落ち着き、今日は普通のほぼ生活が
出来るようになった。

先月会社を辞めたのだが、私は派遣会社から出向していたので
本当は郵送でもいいのだが、あえて派遣会社まで行くことにした。
天気も良いせいか、気持ちもかなり落ち着いている。
実を言うと、コスメ好きの私が、この間まで化粧も出来ない
状態だったのだが、今日は都会に行くので、念入りに化粧もした。
家から派遣会社までは40分ぐらい。
電車に乗るのはちょっと不安だったのだが、なんなくクリア!
派遣会社に到着して、営業さんが私の生き返った顔
(今まではいつもカリカリしていたから)をみてビックリ。
自分では気づいていなかったのだが、就業中の私はかなり怖い顔を
していたのだろう。
『体調、良くなられたようですね。』そう言われてちょっと嬉しくなった。
離職の手続きも終わり、さて帰りましょうと思ったのだが
せっかく出てきたのだから、時間はあまりないけどデパートにでも
行こうとブラブラしていた。
そしてふと、よく行っていたうどん屋さんを思い出し
食べて帰っちゃおとお店に立ち寄った。

そのうどん屋とは・・・私が引っ越す前、週に2回は行っていた
お気に入りのお店。それも一人で(笑)
うちの主人は、お酒があればいい人。だから晩御飯は作らなくていいのだ。
最初のうちは作っていたのだが、あまりにも食べないので聞いてみたら
作らなくていいと言われたので、ちょっと寂しかったけど
今となってはかなり楽だ。

そんな訳で私だけ晩御飯を食べるので、外食だったり、買ってきたり。
時々、『私って主婦なのかな?』と疑問に思うことも多々ある。
私は麺類が大好き!その中でも朝昼晩とそれでも平気ってくらい
うどんが好き。
だからそのうどん屋さんには、いつの間にか常連になっていた。

今日はそのうどん屋さんに4ヶ月ぶりに行った。
私の好きなメニューは『京風ちゃんぽん』だったのだが
(鳥のだしでサッパリしていてかなり美味しいです。)
残念ながらそれは冬のメニューでまだなかった。
なので雑煮うどん(これもかなり美味しい)を選んで食べた。
食べ終わって会計に行ったのだが、店員さんが言った。
『お久しぶりですね』覚えていてくれたんだ、ちゅうか私って・・・
『引っ越したもので、今日はこちらに来たんでよったんです。』
『いつもは確か・・・ちゃんぽんだったですよね?
あれはもう少ししてからメニューになるのでまたいらしてくださいね。』
そう言われて『楽しみにしています。』と笑顔で帰ったのだが・・・

きっと私のこと、主婦なんて思ってないだろうな。
一人暮らしの寂しい子(子ではないけど)と思われてるのかしら?
でも美味しいから、きっとまた行ってしまうのだろう。

今月からはちょっと主婦をしようと思っている。
主人もお酒だけでは体を壊すので、晩御飯を作ろうと思っている。
料理嫌いじゃないのだが・・・する機会がなかった。
していないと、なかなかアイデアが浮かばない。
明日は、料理の本を見てメニューを考えようと思っている。

いつまで続くかな?



2001年10月01日(月) ちょっと落ち着いてきたかな?

今日一日、一人でいたからなんとなく落ち着いてきた気がする。
でもやっぱり不安な気持ちは変わらない。

なのに・・・やっぱり仕事をしていた時の方が私にとっては
気がまぎれていたのかもしれない。
部署こそは恵まれていなかったが、唯一理解してくれる課員もいた。

早く何かやりたい、引きこもりにだけはならないようにしないと。
明日はちょっと遠出(と言っても電車で30分ぐらいなんだけど)
しようと思っています。

主人もまだ帰ってこない。
帰ってくる前に薬飲んで寝ちゃおうかな?

本当はもっと明るいはずなんだけど・・・・
いつから私こんなになっちゃったんだろう?

早くいつもの自分に戻りたいな。
ってあせりは禁物。
今週は病院の日、先生にいろんなこと話そう。
そして少しでもすっきり出来たらいいな。

私、心因反応って言われたけど、本当は何の病気なんだろう?
それも先生に聞いてみよ。

さてさて、寝る準備しましょう。


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